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アラフォー社畜のゴーレムマスター  作者: 高見 梁川
第四章
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第百十七話 最悪の決断

 マルグが意識を取り戻したのは、宮廷に向かう馬車のなかであった。

 覚醒したばかりでおぼろげな記憶をたどり、自分がラクシュミーに気絶させられたのだと思い至ったマルグは激怒した。

 どうして自分を拒絶するのか。

 ラクシュミーが愛しているのはハーレプストであり、自分は愛されていないどころか嫌われているから、とは考えない。考えられない。

 独占欲と、裏切りに対する怒りだけが、ぐるぐるとマルグの脳内を駆け巡っていた。

 そんな男が大人しくラクシュミーを諦められるか? そんなはずがない。

「もう手段など選んでいられるか!」

 言うことをきいてくれないママなんてママじゃない。権力で強制されたものであれ、ママとして癒してくれればマルグはそれでいいのだ。

 ハーレプストの抹殺は当然だが、ラクシュミーの確保ももう遠慮するつもりはなかった。

「馬車の速度をあげろ! 公国を侮ればどういうことになるか教えてやる!」




 ――――一方、ラクシュミーの父にあたるクラウゼヴィッツ商会の会頭ローバルは、娘の悲願が叶ったことに喜びを爆発させていた。

「国王陛下のご臨席を賜ろう! 我がクラウゼヴィッツ商会の名に懸けて、盛大な披露宴を用意するのだ!」

「ラクシュミーの幸せのためならなんなりと!」

 ラクシュミーの兄にあたるアルフォンスも快哉を叫んだ。

 溺愛するラクシュミーが報われぬ恋をしていることに、少なからず憤慨していたシスコンの兄である。

 顔立ちは父に似て、彫が深く、ともすればいつも不機嫌に思われるほどに眼光が鋭い。

 経営においては父をも凌ぐのではないかと噂される英才で、すでに二人の子供がいるが、ラクシュミーに対しては今も甘々な兄のままであった。

「あれで二人は両想いだ。心配せずともいずれ時間が解決するさ」

 そう見抜いていた父はさすがは人生経験の重みが違う、と素直にアルフォンスは感心してしまう。

 もっともローバルも、まさかこれほど長い時間が必要とは思っていなかったので、喜びもまたひとしおであった。

「…………時に、あのバカ公子はまだラクシュミーを諦めていないのか?」

「そのようですね。侍女から毎日求婚が続いていると報告があがっています」

「そんなことより自分の国の心配をしろというのに」

 ローバルはあざ笑うように口の端を歪めた。

 こうしたときのローバルはひどく酷薄な空気を醸し出す。他人のことは他人として見捨てることを痛痒とも感じぬ企業人の顔であった。

「あんな小国に可愛いラクシュミーを嫁がせるわけにはいけませんよ!」

 このところ各国の情勢は不安である。

 スキャパフロー王国とコパーゲン王国が一触即発であったように、デアフリンガー王国とリュッツォー王国もまた国境に火種を抱えていた。

 両国と国境を接しているヴィッテルスバッハ公国が両国の対立から無縁でいられるということはありえない。

 中立でいることは論外、どちらかの王国につかざるをえないが、その場合戦闘の矢面に立たされることも確実である。

 小国の悲哀といえばそれまでだが、もう少し積極的な外交を行っていればまだ選択肢はあった。

 そういう意味では彼らがクラウゼヴィッツ商会に目をつけたのもひとつの見識であったろう。

 問題は本末転倒して、クラウゼヴィッツ商会の資本を活用するどころか、マルグ公子がストーカーと化して逆に商会を敵に回しそうだということである。

 実のところクラウゼヴィッツ商会は、デアフリンガー王国の一有力商会どころの規模ではなくなろうとしていた。

 五年ほど前から王国財務卿に就任したエーレンベルグ侯は、かつて子爵であったクラウゼヴィッツ一族の血筋であり、交流は今なお続いている。

 貴族社会において、元貴族の血筋と教養、そして経験というものは貴重だ。

 ローベルは抜け目なくハーレプストを足掛かりに、ドルロイや開明的な鍛冶師たちに人脈を築き上げており、スキャパフロー王国のドワーフの対抗馬として注目を集めつつある。

 ローベルがその気になれば、公国に対して経済制裁を加えることもそれほど難しいことではないのであった。

 それでなくとも公国は地政学的な中継貿易の拠点であるだけで、互換性のない主要産業が発達しているというわけではない。

 デアフリンガー王国の流通に少し圧力を加えるだけでも、公国は深刻な打撃を被るだろう。

 やり返そうにも、クラウゼヴィッツ商会の拠点は公国にはないから、デアフリンガー王国と敵対でもしないかぎり攻撃することもできないのである。

 あのバカ公子はそのあたりの事情をちゃんと理解しているのだろうか?

「絶対にわかっていないだろうな」

 アルフォンスは不快そうに眉を顰めた。そもそも理解していたら、第三公子から第一公子が奪い取ろうとはしないだろうし、一度断られた時点で身を引いている。

 間違いなくこれからも権力にものを言わせてラクシュミーに言い寄り続けるはずであった。

「……つぶすか?」

 なんの気負いもない軽く口調でローバルは呟いた。

 公国の重鎮にも伝手はある。

 経済というものは、一国だけで完結することは不可能であるからだ。

 それでも一抹の不安を隠せないのは、マルグだけでなく大公自身も決して優秀な為政者ではないからである。

 独立した当時のヴィッテルスバッハ公国は、巧妙に各国との利害を調整し、その存在感を知らしめたものだった。

 小国が生き延びていくためには、そうした調整外交能力が欠かせない。

 ところが今の大公家は、ただ流れに身を任せるままで、婚姻外交すらまとめられずにいる。

 早晩、不穏な諸国の草刈り場と化すのは目に見えているとローバルは見ていた。

「下手に動くと大戦に発展しかねませんよ。戦争は儲けも出ますが、損失も激しい」

 戦争は莫大な消費を巻き起こす。しかしその消費は同時に経済の体力を消耗させるので、終わらせ時を間違えると大幅な赤字に転落してしまうのである。

 もちろんそんな初歩のわからぬローバルではない。

「放っておいてもいずれ戦は避けられん。一応、周辺諸国に広まらぬよう手を打っておくべきかな」

 とはいえ、あまり表立って動きすぎると関係の悪いライバル国スキャパフロー王国が本気で介入してくる可能性がある。

 できうるならば、ヴィッテルスバッハ公国がデアフリンガー王国に吸収合併されることが望ましい。それも他国が介入する暇がないほどに早く、だ。

 そんな陰謀を巡らす二人は全く予想できなかった。

 世の中には最悪のタイミングで最悪の決断する、こちらの想定を斜め上に超えた存在があるということを。



 マルグは公国内へ戻ると怒りのままに騎士団長のヘルマンを呼び出した。

 絶対に許せない。許されることではない。

 ママが自分の息子を愛さずに、他の男と結婚するなど浮気というのもおこがましい裏切りではないか。

 母にとって夫より何よりもっとも大切なのは子供のはずだ。

 少なくともマルグの知る母はそうだった。

 いや、世界中の母親がそうであるに違いない。

 だからラクシュミーはマルグを全身全霊で愛すべきなのだ。

 母という存在はそうではないか?

 しかも相手が見るも汚らわしいドワーフだと? ありえない。そんな現実は排除しなくてはならない。

 ラクシュミーの意思がどうであろうと関係ないのである。

 彼女はマルグが望むままに、ただ癒しを与えてくれればいいのだから。

 何も難しいことではない。

 優しく頭を撫でて、胸に抱いてくれたり、添い寝して子守歌を歌ってくれたり、膝枕をして他愛のない言葉を交わしたりしてくれるだけで、贅沢な生活が約束されるのだ。

 どうしてそれを断るのかマルグには理解できなかった。

 もっともクラウゼヴィッツ家の資産をもってすれば、いくらでも公国より贅沢な生活などできるわけであるが、問題はそこにはないのをマルグはわかっていなかった。

「お呼びにより参上仕りました」

 部屋へ入った瞬間、ヘルマンはひどく厄介な匂いを感じ取った。

 故国を出て修行のために諸国を放浪したとき、命の危険があるときはいつもこの匂いを感じていた。

 ――――死の匂いである。

 皮膚にまとわりつくようなねっとりした感覚と、よどんだ水が腐ったような饐えた匂い。

 そんなときにヘルマンの対応は決まっていた。

 死ぬくらいならば逃げる。

 勝てないとわかっている相手に、訓練ならばともかく実戦で戦うのは愚か者のすることだ。

 しかしそれはあくまでもヘルマンが旅の武芸者だからできたことで、今のヘルマンには国家の面子と、手塩にかけて育ててきた部下がその肩に乗っている。

「申し訳ないことながら……まだ情報収集は終わっておりませんが……」

「そんなことよりも、だ。一隊を派遣してラクシュミー・クラウゼヴィッツを誘拐せよ。ただしその体に傷つけることは一切認めぬ」

「お待ちください! かの令嬢がいるのは我が国ではございませんぞ!」

 現在ラクシュミーが滞在しているのはリュッツォー王国の一角で、しかも彼女はデアフリンガー王国の国民だ。すなわち、彼女を誘拐するということは、両国に喧嘩を売るに等しい。

 ヴィッテルスバッハ公国が大国ならばともかく、取るに足らぬ小国がそんな真似をすれば間違いなく国が亡ぶ。

「平民の娘ひとりに何を怯える!」

「クラウゼヴィッツ家は普通の平民などではございません! その気になればいつでも貴族になれるのに、商売のためにあえて貴族にならぬだけで、デアフリンガー王国の重臣より性質の悪い相手でございます!」

 貴族となれば、宮廷での権力闘争に巻き込まれたり、国家を背負って行動することを強いられる。

 だからクラウゼヴィッツ家はあえて貴族にはならずに、かつての親族との連携を密にして影響力だけを確保しているのだ。

「平民にそんな力があるはずがない!」

 ある種の閉鎖的な環境に置かれた人間は、正常な判断を損なうことがあるが、今のマルグがまさにそれであった。

 まず身分が絶対である、という固定観念があって、それに反する情報を自動的に遮断してしまう。

 例は異なるが、売上ノルマがものすごく厳しい企業があって、実は売上に反比例するかのように経常利益が減少しているのに、上司たちは見て見ぬふり、そして経営者は売上増収にご満悦で自分の会社が存続の危機に立たされていることに全く気づかない、という事案は枚挙に暇がない。

 しかし失敗したらそれは現場が悪い。自分は間違っていなかったのに、現場の連中がそれを台無しにしたことにされる。

 そんな馬鹿なことをするはずがないと人は思うものだが、むしろそんな馬鹿なことをするのが人間だ、と思ったほうが松田の経験上安全である。

 太平洋戦争でも、士官学校を優秀な成績で卒業したはずの参謀が、平気で兵站なんて誰にでもできる、どうにでもなると信じていた。

 社会というものには、一定の割合で信じがたいほど愚かなものを支配階層に紛れ込ませる不思議な悪癖があるらしい。

 自分が敵対しようとしている相手が、どれほど危険で恐ろしいか、マルグは全く自覚していなかったのである。

「急げ! 俺をこれ以上待たせるな!」

「あのドワーフを暗殺するのとはわけが違います。大公殿下の御命令でなくては軍は動かせませぬ!」

「貴様! 騎士団長の職を与えられておきながら俺に逆らうのか!」

「なんといわれましても…………」

「もうよい! 貴様は解任だ。副騎士団長を呼べ!」

「……御意」

 残念ながらヘルマンにできるのはここまでであった。

 所詮は雇われ者の哀しさである。最終的な意思決定の権限がない。結局はマルグの思う通りに兵は派遣されるだろう。

 その結果がどうなるか、ヘルマンには想像もつかない。

 最後の望みはこの国の元首である大公がマルグの愚挙を止めてくれることなのだが、その可能性は限りなく低かった。

 このところすっかり衰えた大公ゴリアテは、政治に対する関心を失っており、もっぱら内政は宰相のレメクに任せてしまっている。

 先年輿入れした若い側室に入れあげているというもっぱらの噂だった。

 かといって宰相は軍事に関してはほとんど実権がない。

「――――なにとぞ慎重なるご判断を」

「くどいっ! さっさと出ていけ!」

 退出するヘルマンと入れ違いになるように、副騎士団長のオナンがやってきた。

 ヘルマンより三歳年下のオナンは、武勇ではアルフォンスに劣るものの、如才のない性格で有力者に取り入るのが上手い男だ。

 おそらくはこの男は危険よりも出世の機会を優先するだろう。

 腕も性格も悪くはないが、その判断力に関してはヘルマンはオナンを信用できない。

 はたして自分はどうするべきなのか。

 もはや騎士団長の任を解かれたヘルマンは、暗澹たる思いとともに自問するのだった。

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