第百二話 変化
「…………まさかこんなに早く魔力切れになるとは」
「お父様ごめんなさああああい!」
快調に迷宮攻略を進める松田たちではあったが、二度目のディアナの暴走で禁呪をぶっ放され、松田の魔力が枯渇した。
というより火力がありすぎて、階層まるごと探索が不可能になった。
「ああ、やっぱりディアナですわ」
「クスコ! 貴女私をどんな目で見ているの!」
「火力馬鹿?」
「むっきいいいいいいいい!」
「すいません。管理所のなかで詠唱はちょっと…………」
ミネルバが慌ててディアナの暴走を止めに入る。
ディアナは銀級の探索者だが、火力だけをみれば尋常ではないことは試験官であったデビットから聞いている。
せっかく迷宮が正常化したのに、こんなところで運営中止になっては笑えない。
「そういえば王女殿下たちには会わなかったですか?」
松田を追うために一時的に手を結んだマリアナとノーラの姿を探して、ミネルバはきょろきょろと視線をさ迷わせた。
「いや、一度も会ってないぞ?」
「おかしいですね……あのパーティー、下手をしなくてもこの国で最強のはずなのですが……」
ふとそこでミネルバはある疑問を抱く。
「あの……松田様、今日は何階層まで攻略されましたでしょうか?」
「ああ、とりあえず百五十階層まで」
「はあああああ?」
いや待て、それはおかしい。そう言いかけてミネルバは松田がゴーレムで騎士団をフライパスしたことを思い出す。
「そうでした……松田様はゴーレムで空を飛べるのでしたね。可哀そうな王女様……」
「そこでどうして王女の名が出る?」
「あの方がいっしょについて行きたがっていたことぐらいおわかりでしょうに?」
「俺が嫌がっていたのもわかってもらえたはずだが?」
「そこはほら、権力者には逆らえないというか」
「ほら、じゃないが」
そもそも松田の魔法は、彼女たちがいると全力を出すことができない。
シェリーはすでに知っていることだが、好んでマリアナやノーラに見せようとは思わなかった。
ましてマリアナは政略結婚の相手として国王ジョージに押しつけられなかねない。
あの地雷との結婚生活など考えただけで背筋が凍る。
松田は社畜ではあったが、社畜であったがゆえに結婚にはあまり現実を見たくないタイプの男であった。
社畜とて夢は見るのだ。
「…………まあ、このまま会わずにすむことを祈ろう」
明日はもっとまじめに攻略を進めようと誓う松田である。絶対に追いつかれたくないというのが本音であった。
「お疲れ様でした。ところで、特別権限は使用されますか?」
「いや、まだ保留で」
「承知しました」
特別権限とは、松田が国王から与えられた、迷宮で取得した秘宝を三つまで所有してよいという権利のことだ。
ステラとディアナももらえるのか、と思ったら、ワンパーティーが単位だから(震え声)ということらしい。
いずれにしろ最下層に眠ると思われる絢爛たる七つの秘宝や、それに準ずる秘宝以外にこの権利を行使するつもりは松田にはなかった。
「承知しました。それでは買取を始めます」
百五十階層といえば、クスコが迷宮を封鎖する以前はトップパーティーが攻略していた最前線である。
当然そこで得られる魔石や秘宝の類も、現在のスキャパフロー王国では最上級に近い。
買取金額も、非常に高額で、まともな探索者なら手放しがたい逸品ぞろいでもあった。
ミネルバは知らない。松田の持つ本当の秘宝は、そんな逸品どころではない伝説級でも最上位の秘宝だということを。
(ああ……これ、商人に卸したらものすっごい儲け……増収増益……臨時手当……ぐふふ)
「あ、それから私の攻略状況とかは……」
「大丈夫です! うまくごまかしておきますから!」
迷宮管理所は、王国には珍しい独立採算性を採用している。いわば巨大なひとつの商会である。
だからこそミネルバは松田の活躍に恩を感じていた。
難攻不落に思われたクスコを退治し、自分を減給、失職の危機から救ってくれたのは間違いなく松田である。
こうした取引先の善意というものは、過大な期待をするのは危険だが、なかなかどうして馬鹿にできないものなのだ。
(もっとも、逆らえないときは逆らえないんだけどねぇ)
「――――一刻も早く攻略してこの国を出ましょう!」
松田の腕に抱き着きながら、ディアナは鼻息も荒く言い放った。
どうやら彼女なりにマリアナやノーラに対して危機感のようなものを抱いたらしかった。
正直彼女も、あれほどひどい敗北を喫したマリアナが松田を諦めていないとは思わなかったのである。
「このままではお婿にされてしまうかも?」
「――そうなったら逃げるけどね」
問題は逃がしてくれなかったときだな。社畜が退職するためには様々な障害がある。
それに比べればマリアナから逃げるくらいはまだ楽ではないかと思う松田であった。
過酷なブラック企業で社畜が辞めるためには、鋼鉄よりも硬い意思が必要になる。が、往々にして社畜はそうした意思をもたないからこそ社畜なのであって、上司の脅迫や同僚の哀願を無視して退職するのは奇蹟のような偶然の力が必要であった。
結局逃げられなかった松田としては、今度こそ躊躇せずに厄介からは逃げるという意思は硬い。
「絢爛たる七つの秘宝が二つ揃えば、スキャパフロー王国とて主様に強制することなどできませんわ」
残念ながら今の松田の力では、国家を相手にするのは至難の業であろう。
それでもディアナとステラ、クスコを所有する戦力は破格で、さらに数百体のゴーレムを操る松田は間違いなく小国の軍事力に匹敵している。
いかにスキャパフロー王国が大国であったとしても、正面から衝突すれば容認できない被害を被るのは確実であった。
おそらくはクスコを破り、マリアナが完敗した時点で、その程度の戦力把握はされているに違いない。
ということは正面ではなく搦め手から、なんらかの策が準備されているはずだ。
個人の自由意志が尊重されると思うほど、松田はこの世界を信用していなかった。
「ま、そのためにこの国に来たわけなんだからな」
松田は大きく頷いた。
ハーレプストが提案してくれたことには本当に感謝している。
国家に匹敵する力を手に入れる方法など、普通簡単に思いつくものではないし、仮に思いついたとしても時間がかかるだろう。
そうした意味でスキャパフロー王国で絢爛たる七つの秘宝を手に入れるというのは、最短の方法に近い。
「…………クスコに出会えたというのも大きいし」
「きゃああああっ! 主様! 主様! 私も感謝しております! 運命です! これは二人の運命ですわああ!」
ぶんぶんと勢いよく尻尾を振り、クスコは感激に興奮して全身をすりすりと松田にこすりつける。
「ま、負けませんです! わふ」
クスコに負けじとステラも松田に身体をこすりつけ始めた。
そろそろ人狼というのは嘘で、単なるワンコであったのではと思い始める松田であった。
ワンコ可愛くて癒されるから許すが。
「――誰なのかしらねえ? ここの迷宮に眠っている姉妹は」
可能であれば悠久の癒しグローリア、あるいは自在なる宝冠コリンが仲間になってくれるのが望ましい。
松田を守るためには彼女たちの力が必要だ。
かつてはあまり感じなかった、同じ七つの秘宝に対する懐かしさや親愛の情があがるのがディアナには不思議であった。
ともにライドッグのもとで道具として働いていたときには感じなかった感情。
どれだけ効率的に、どれだけ造物主の役に立てるか。もちろん使い魔には負けたくないという競争心もあるにはあったが、それは今感じるもやもやした感情とは別物だった。
「申し訳ありません主様、私がきちんと把握していれば」
「正気を失っていたのだから仕方がない。クスコの情報があるだけでもありがたいよ」
「主様…………」
クスコが絢爛たる七つ秘宝に関して全てを把握していないのには理由がある。
最大の理由はライドッグの死去に伴い、一時的にクスコが先日のように機能不全に陥ってしまったからだ。
それほどに使い魔と主人の契約の絆は強い――というわけではなく、この場合はいささかクスコが特殊な部類に入る。
本来使い魔の契約は、魔法士が妖魔を屈服させ、契約によってその強制命令権を手に入れるものだがクスコは違う。
クスコは自らの意思でライドッグとの契約を受け入れた。
そもそもクスコという名の名付け親はライドッグである。なんでも東方の傾国の美女、薬子が由来と言われている。
ゆえにクスコは行動にかなり高い自由が与えられていた。
それは同時にライドッグのクスコに対する信頼の証しでもあり、クスコの自発的な忠誠でもあった。
だからこそライドッグの死によって契約の接続を切られたクスコは、ほぼ半年にわたる長期の狂気に陥った。
そんなクスコがリアゴッドに契約を完全に一方的に断ち切られたのだから、狂気に駆られるのは当然の結果であったろう。
ようやくクスコが正気に戻った時、すでに絢爛たる七つの秘宝は散逸していた。
その最たるのはディアナである。
当時列強のなかでも三本の指には入ると言われていたカールス帝国の帝都ワラキアの中心部を灰にして、皇帝とその後継者を根こそぎ失わせて終わりの見えぬ内乱を引き起こしていた。
彼女がもたらした災厄のせいで、絢爛たる七つの秘宝は封印が決定され、各国は当時の技術の粋を尽くして厳重に彼女たちを封印した。
おかげでクスコが王宮に侵入し、相手によっては幻影を使って情報を収集したにもかかわらず、とうとうひとつの秘宝は行方がわからぬままだった。
しかも封印されているのがどの秘宝かわからぬ場所も多い。
「私が把握している秘宝は飛刀アイヤーナと万物を見通す眼イリスだけですので、残る秘宝は悠久の癒しグローリア、宝冠コリン、不可視の護り手フォウ――――それから名無しのゼロ」
「たぶん貴女が行方がわからないのって――」
クスコはディアナの言葉にコクリと頷いた。
「私もゼロだろうとは思ってるわ」
絢爛たる七つの秘宝のなかでもっとも新しく、同時にもっとも正体が知れぬ秘宝。
同じ秘宝でありながら、ディアナもゼロに関してはほとんど知らない。
いったい何のために造られたのか。なぜライドッグに特別扱いされているのか当時から不思議な存在だった。
「あの子、正直苦手だったのよね……」
「意外ね。そんな感情なんてないと思っていたわ」
クスコの知るディアナは、今のようにわかりやすく嫉妬や独占欲を表に出すような性格ではなかった。
殲滅好きなところは変わっていないが、むしろ寡黙でライドッグに命令されるのを至上の喜びと感じているような単純さがあった。
今のディアナは人間よりも人間らしい、可愛らしい少女のように思える。
――――だがそれはおかしい。
人間らしくなったディアナは好ましいと思うが、秘宝である彼女がここまで人間らしくなることには違和感があった。
もしかしたら、松田のスキルには表面ではわからないなんらかの効果があるのではないか?
そこまで考えたとき、クスコは別に何も困らないことに気づいて苦笑した。
からかいがいがあり、子供っぽいディアナは仲間として貴重であった。
かつてともにライドッグの歓心を買おうとして争っていたころよりずっといい。
何より最低限の感情しか露わにしない冷たい機械のようだったディアナが、クスコはあまり好きではなかった。
「さすがは私のお仕えする主様ですわ!」
突然クスコに褒められて、松田はなんのことかわからずに曖昧に笑った。
理屈はわからないながら、この心地よい空間を作り出しているのは、間違いなく松田の力であるはずだとクスコは信じた。
そう考えると、ふと疑問に思ってしまう。
かけがえのない主だと思っていた。世界を統べる絶対的な力と強力な意思を持つライドッグほどの主は二度ともてないだろうと思っていた。
――――しかし今はもう松田以外の主など考えられない。
人の上に立つ人間としてはライドッグが遥かに上だろう。現時点では魔法士としての能力もライドッグが勝る。
だがそれは、道具として使われる喜びではなかったか? なぜかクスコにはそう思えてしまうのだった。
至高の魔法を体現するためにライドッグが重ねた努力。そして究極の不老不死への探求を現実のものとし始めた才能。
どれも松田にはないであろう物であるが、それでもライドッグは志半ばにして斃れた。
否、だからこそというべきか。
どこまでも優秀であったがゆえに、人間の愚かさに耐えられなかった。目指すものが果てしないがために、有限な生命が耐えられなかった。
おそらくはライドッグが不老不死に到達することを忌避した何者かによってライドッグは殺されたのだと思う。
あのライドッグを殺すことが、どうやったら可能なのかはわからない。
しかしもう気が狂うほどの怒りと憎悪は、クスコの胸から綺麗に消えていた。
「今のままの主様が大好きですわ」
「むむっ? 私のほうが貴女よりもっとお父様が好きよ!」
「ご主人様を一番好きなのはステラです! わふ」
「…………本当に、変わったわねディアナ。たぶん、いいほうに」