第二話 その瞳に映るモノ
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時は皇暦六○六年八月中旬まで遡る。
シャイードが村長に請われて、父親であるカルラを呼びに山道を走っていた。
リッチ村には現在多数の船が押し寄せてきていた。その船が商船団とかであれば問題はなかった。だが、その船はこの大陸を統治している神聖国の正規軍である、〈神聖騎士団〉の船団であったのだ。
この村へは神聖国が広めようとしている〈聖教〉を嫌い、逃げ出してきた者や、神聖騎士団の強引なやり方に嫌気がさした者が多く流入してきていた。
もともとこの地で生活しているシャイードたちは、山の向こうのことや海の向こうのことなど気にしていなかった。そんな村に流入してきた新たな村民たちは非常に多くの知識や技術を村に持ち込んでくれた。しかし、それと同時に如何に神聖騎士団が酷いことを行ってきたかを聞いてしまった。
この世界にはたくさんの宗教が存在しており、色々な神が崇められていた。
聖教では〈聖遺物〉を多く残した時代––神聖時代––に流行ったとされる聖教を国教にしている。それ以外は認めておらず、大人しく改宗すれば何もしないが、少しでも抵抗すると神聖騎士団によって家を焼き払われたり、邪教の崇拝者として牢獄へと連行されることもあった。
そんな妄信的であり過激な騎士団を乗せた船団がこの村に押し寄せているのだ。戦闘は免れないだろう。
この村は魔獣による被害もなく人口も少なかったため、現在開墾出来ている場所だけでも全村民分の農作物が収穫出来た。また北に広がる海も多くの魚に恵まれており、食べ物に困ることはなかった。そのせいなのか基本的に争いごとや狩猟といった血を見る作業には全く手付かずだった。
このまま戦端が開かれたなら十中八九、全滅するだろう。
これから相手になるのは神聖騎士団。日頃から他大陸の侵入者や魔獣との戦闘を行っている大陸一の軍隊だ。末端まで過酷な訓練が行き届いており、底辺の兵士でさえ強敵となるだろう。それでも村長は聖教に頭を下げるくらいなら戦って死んでやると気概を見せた。
シャイードは自分たち〈狩人〉と呼ばれる者の力が存分に活かせられるこの時を、待ち侘びていたかのような顔で山の中をひた走った。
リーチ村の南方にそびえ立つ〈エステバリス山脈〉の尾根付近にシャイードの自宅はある。
山の中腹までは村民が野草などを摘み取りに入るため、小さな獣道がいくつも出来ていた。しかし、その後は一切道などなくなり、人を寄せ付けない魔獣たちの棲む領域になっている。その領域を越えた先に狩人たちは家を築き上げる。
これは単純に狩りのやりやすさのためだ。
基本的に魔獣は下層域へと食料を探しに出る。これは魔獣たちの世界でも強さの階級が存在しているためであり、強き魔獣であれば上層域に棲息し、捕食対象が増えていく。しかし、魔獣たちの中で一番底辺に位置する魔獣でさえ、人族、亜人族を軽く殺してしまう程の力を持っている。そんな魔獣たちを比較的簡単に狩る方法が、魔獣のいない上層域から強い魔獣を引き連れ、下層域の魔獣たちに差し向けるという方法だった。そのために狩人たちは山の尾根付近に居を構えていた。
この方法は今までの狩りよりも成功する確率が高くなった程度であり、並の人族では上層域の魔獣に食い散らかされて終わりだ。狩人の中でも一流でなければ成功させることは出来ないとまで言われている。
魔獣を引き連れるのは簡単だが特定の魔獣に差し向けるのが非常に難しい。上層域の魔獣は邪魔な魔獣を殺してしまうため、下手に誘導すると生態系や魔獣の分布、棲息域を簡単に変えてしまうのだ。そのため、山に棲息する全ての魔獣を詳しく知り、気付かれることなく棲息域を移動出来なければ、土台無理な狩り方なのである。
そしてそんな狩り方をしているのがシャイードの父親、カルラである。
シャイード自身はまだまだ下層域の群れから離れている魔獣を相手にする程度だ。だが、自宅から毎日下層域まで移動しているため、大まかにではあるが魔獣たちの棲息域を把握していた。
現在、シャイードは中層域にまで来ており、藪の中に身を潜めていた。
シャイードの視線の先には〈黒炎熊〉と呼ばれている魔獣がいる。
この黒炎熊は真っ黒な体毛に覆われた体長三メートル程度の熊であり、〈炎爪〉という〈権能持ち〉だ。この種族は必ず炎爪を持っており、極稀に他の権能を持つ個体もいる。炎爪とは文字通り、炎を纏った爪であり、切り裂いた軌跡を炎が描く権能だ。
黒炎熊は頻りに辺りを見回しながら、必死に臭いを嗅いでいる。シャイードの気配に気付いての行動で、位置を特定しようとしているのだろう。
シャイードは藪の中に生えている野草の木の実を慎重に摘み取った。
〈セルア〉という野草の果実であり、食すことも出来るのだが狩人は違う使い方をする。それは自身の気配を消すための臭い消しだ。
手に持ったセルアの実を握り潰す。辺りに独特な甘酸っぱい匂いが漂い始める。シャイードはその握り潰したセルアの実を頬に塗りたくる。これにより人族の臭いを薄れさせ、狩人の気配を抑える技術を使えば察知されることはないだろう。
黒炎熊は急に薄くなった人の臭いに安心したのか、その場で横たわり、昼寝を始めてしまった。
「……仕方ないか…………。押し通るしかないな」
このまま藪の中で完全に寝入るまで待っているには些か時間が足りない。シャイードは仕方なく藪から抜け出し、出来る限り音を立てぬように後ずさった。
・・・
その後、何度か魔獣と遭遇しつつも二十分程度で自宅まで山を登ったシャイードは大きな声で呼びかけた。
「父さん! 敵が来た! 村長が呼んでるから早く来てくれ!」
山小屋の中からは何の音も聞こえてこない。それでもシャイードは父が出てくるのを待った。
時間にして十秒と少しが過ぎた時、不意に山小屋の戸が開かれた。
「めんどくせぇこと引き受けてくるんじゃねーぞ、小僧……」
カルラは酷く不機嫌ような声で答えながら、しかし口元には不敵な笑みを浮かべながら出てきた。
「小僧、セルアの実を使ってんな? なんだ、雷鹿でも狩って小遣い稼ぎか?」
そう言いながらカルラはシャイードに近寄り臭いを嗅いでいる。
「黒炎熊に雷光蟲、幻影蜂にも遭ってきたか……。小僧、今日は何分かかった?」
「………………二十分」
「そっかぁー、二十分もかかっちゃったかー。まぁなんだ、頑張れ」
それだけ言い残してカルラは颯爽と山の麓へ向けて駆け下りていった。
完全に人を小馬鹿にした言い方にシャイードは肩を震わせていた。が、限界を超えてしまった怒りにシャイードもカルラの後を追った。
「クソッタレ! もっぺん言ってみろ!! 絶対に許さねーからな!!!」
騒々しく山を降りていった二人を柔かな笑顔で見送る人物が、一人山小屋から眼下に広がる森を眺めていた。そして大きくなったお腹に優しく語りかけた。
「あなたはあの二人を見習ってはダメよ? 元気なのはあの二人で十分ですもの。狩猟の神よ、カルラとシャイードに祝福を。慈愛の神よ、この子に祝福を」
小屋の中から眼下に広がる森、村と視線を上げていくと続いて海が見えてくる。すると海の半分以上を覆い尽くすほどの船が押し寄せてきていた。シャイードの言っていた敵とはあの船たちのことであろう。そんな絶望的な数の違いに対して、あの元気な二人は立ち向かおうとしている。その二人の無事を祈り、シャイードの母親であるセイは瞑想を始めた。
・・・
カルラとシャイードは山の中を競い合いながら駆け下りていた。
その速度は通常の人族からしたら信じられない程のものなのだが、本人たちはそんなことお構いなく、更に速度を上げていった。
途中で様々な魔獣がいたが、彼らからしても風の精霊の悪戯かと思う程の速度である。従って、登るのに二十分必要だった道を五分程度で下りきっていた。
二人は仲良く−−他人から見ての話ではあるが−−村長の家の入り口を潜る。しかし、同時に潜ろうとしたために少しつっかえていた。
「おぉ! カルラ殿!! ご足労をお掛けして申し訳ない! 事態は急を要しておっての、すまぬが細かな説明はしてやれんのじゃ……。カルラ殿の家からも見えておったと思うのじゃが神聖騎士団が来たんじゃ。抵抗するにしても碌に戦い方を知らん。力を貸しておくれ……」
「あぁ、いいぜ! 小僧も最初から戦うつもりだったんだろ? なんてったって俺の息子だからな!!」
「俺はこの村が好きだ。村長さんも漁師のおっちゃんも農場のおばちゃんに姉ちゃん。他にもいっぱい好きな人がいる。そんな人たちが困ってるんだ。だったら俺はこの人たちのために戦う。それが父さんの言ってた〈男の矜持〉ってやつだろ……」
「いい答えだが、狩人としてはイマイチだな! ここは単純にこう言えばいいんだよ…………狩りの時間だ……てな! かぁ〜、俺ってばかっこよすぎる!!」
そんなカルラを村長は頼もしそうに見ている中、シャイードは冷めた目でカルラを見ていた。
自分の親ではあるし狩人としての腕は確かに一流だろう。だが、性格が残念すぎると常々思っていたシャイードは、また一つ父親から学んだのだった。ダメな大人という存在を。
「村長! み、港に! 港に騎士団が到着しました!」
息を切らせながら男が神聖騎士団の到着を知らせに来た。
村長は目を深く瞑り、カルラは強敵がいればいいなと舌舐めずりし、漁師のおっちゃんは頭を抱えてしゃがみ込んだ。シャイードは自身の腰に差している小ぶりの剣を強く握りしめていた。
村長が目を開き、強い意志を感じさせる目でカルラを眺め、二人は頷き合い、港へと向かって歩き出した。
港までは歩いて十分程で着く。それまでの間、村民だけで騎士団を相手にさせるのは大変だろう。シャイードは一人で走り出した。
村長の家を出てすぐの通りを右に折れ、港までは一本道だが少し湾曲している。その道をシャイードは村の人たちの間を縫いながら走り抜けていった。そして大きな船と共に甲冑を着込んだ一団を視認し、村民の先頭に飛び出した。
目の前にはこの船に乗っていた隊の指揮官が集まった村の人々を眺め回していた。そして今飛び出してきたばかりのシャイードへと視線は向けられた。
「君。今一番前に出てきた君だよ。この村の長はどこだい? 私たちは神聖国の巡礼路警備隊だ。そして私はこの隊の指揮官のケルヴィグという。大事な話があるのだ。呼んできてもらえないだろうか?」
噂に聞いているような高圧的な印象は全く受けないが、何処となく馬鹿にされているような気がする物言いだった。
「今こっちに来てるよ。俺はそれまであんたらが変なことしないか見に来ただけだ」
シャイードの発言に辺りがざわめいた。
「こ、こら! イルちゃん!? なんてこと言うの! 騎士様、申し訳ありません。この子はちょっと口が悪くてですね……」
「チッ……野蛮な邪教徒共が……」
山の中で魔獣を狩るために常人よりも聴覚や嗅覚、そういった感覚が鋭い狩人だからこそ今の言葉を聞き取ることが出来た。
シャイードは指揮官と名乗った男を正面から睨んでいた。
「イルちゃん! なんて顔で騎士様を見てるの!」
シャイードを後ろから抱きかかえ、ケルヴィグの視線から隠そうとしていた農場のお姉ちゃんが、シャイードの顔を両手で引き寄せていた。
今にも泣き出しそうな顔でシャイードにだけ聞こえるように声を出した。
「お願いだから、今は押させて……。イルちゃんの気持ちは分かってるつもりよ? でも、お願い」
お姉ちゃんが必死にシャイードを抱き締めている最中、当のシャイードは指揮官の一挙一動を見逃さないように見つめていた。
「なるほど。こちらへ来ているのであれば私たちはここで待ちましょう。ですが、その前に不敬な言葉遣いだった君には教育が必要でしょう」
そう言いながらニヤけた顔で近くにいた騎士を引き連れて、こちらへ向かってきている。
シャイードは歩き始めた騎士たちが拳の握り調子を確認しているのを見て、何をしようとしているのかを察した。このままでは教育という名の憂さ晴らしが自身のみならず、庇っているお姉ちゃんにまで及ぶだろう。そんなことを許せるはずがない。最初から交渉することなんてないんだ。下手に出る必要なんてない。
「姉ちゃん……ありがとう。でも俺は守られるんじゃなくて、守りたいんだ……姉ちゃん」
そうしてシャイードはお姉ちゃんの抱擁をそっと押しのけ、自身の背後へ引き寄せた。
「その教育ってのはあんたが自分でやってくれるんだよな? 後ろに付いてきてるヤツらじゃなくて」
「……邪教徒のクソガキが私の、……直々に私の教育を受けたいだと…………本当の痛みを知らないと学習することすら出来ないと見える……」
あえて挑発するように発した言葉で狙い通り、こめかみに青筋を立てる指揮官はブツブツと何事かを呟いていた。側に仕えている騎士ですら慌てている中、シャイードは一言一句逃さず呟きを聞き取っていた。
「あなたたちはそこで見ていなさい。教育とはこうやって行うのです」
指揮官ケルヴィグは自身の腰に携えている儀礼式剣を抜き、拝剣の構えを取った。
生まれて初めて見る剣術−−神聖剣術−−をシャイードはただ棒立ちの状態で眺めていた。
今まで見てきたのは父カルラの使う剣術のみだった。最初の構え方からして全然違う剣術に内心では非常に興奮していた。最初の構えは剣を天に捧げるように両手で握り、剣先を天へ向け自分の顔の半分を剣身で隠し、血抜き用の溝を見せる形で構えている。魔獣との狩りだけに特化しているカルラの剣術とは違い、構えに無駄が多すぎるとシャイードは思った。
戦いにおいて最初の構えから繰り出される一撃は速ければ速い程、こちらに優位な状況を作り出せる。それなのにケルヴィグの構えでは初撃を入れるのに新たに構え直さなければならない。そんな剣術では魔獣を一秒でも速く狩ることなど出来ないだろう。
「はやく来なよ? 俺に教えてくれるんだろ?」
「このクソガキがっ……!」
更に挑発され我慢しきれず声を殺すのも忘れ、叫びながらシャイードに斬りかかってきた。
剣を上段に構え踏み出してきたケルヴィグ。その状態から繰り出される剣筋は斬り下ろしか薙ぎ払いだろう。もう少し様子を見ればハッキリと分かる剣筋をシャイードは待つ。少しずつ剣先が右へとずれ始めている。袈裟斬り気味な斬り下ろしか薙ぎ払いかと問われれば、十人中十人が薙ぎ払いが来ると言うだろう。それくらいの速度で剣先がずれている。そこまで見届けたシャイードは剣の長さを考えて後ろへと体を移動させた。
完全に避けきれる間合いにまで体を引いたシャイードだったが、次に起こることについては考えていなかった。
シャイードとケルヴィグの間を遮る存在。
何度も嗅いだことのある血の匂い。
目の前に広がる空中を漂う人の血。
涙を流しながらも笑顔で倒れてくるお姉ちゃんの顔。
シャイードは自身の気持ちを伝えるのに精一杯で、お姉ちゃんの気持ちを分かっていなかった。シャイードが守りたいと思うように、お姉ちゃんもシャイードを守りたかったことを。
止め処なく流れ出る血にシャイードは呆然となっていた。そのせいで周りを見ることを忘れていた。
視界の隅で銀色に輝く何かを捉えた。すぐにそれを見ようとしてシャイードは焦ってしまった。目前まで迫っているケルヴィグの剣に。
シャイードはカルラに何度も教え込まれていた。自分よりも弱いと思う者でも、こちらが焦ったりしている場合は向こうの方が強くなっていると。だからこそ狩人は気負うこともなく、ただただ平常心で魔獣と向き合うのだと。平常心を保っていれば、どれほど危機的な状況であろうと鍛え抜いた心身は裏切らないと。
その教えを知っていながら、お姉ちゃんの血に動揺し、戦いの最中に気を散らした自分に焦燥し、迫り来る剣に反応が遅れてしまった。
ケルヴィグの剣が左目へと深く刺さり、頬を斬り裂き、最後にはお姉ちゃんを肩口から斬り、心臓のあたりまで切り裂いて止まった。
「ふんっ! 斬り損なったか……。まぁいい。次は首を跳ね飛ばしてやる」
お姉ちゃんに刺さったままの剣を抜き取るために蹴り飛ばしたケルヴィグを、シャイードは片目を失った視界で眺めていた。
◆魔法について 第二項
個人の保持する魔力量については諸説あり、
肉体は朽ちて滅びていくが魂は永久に存在し続けるため、
新たな肉体を得た際に魂が前回の肉体よりも、
今回の肉体のほうが経験の差から上手く扱えるようになる。
そんな転生論者や、
より強力な魔法を使おうとすると一度に大量の魔力が必要になり、
急遽足りない分の魔力を精練し始める。
この時に普段は何日間かを経て用意する魔力を、
その瞬間で練り上げるため酷く疲れる。
そういった無理に魔力を作る行為を繰り返すことで、
次第に魔力精練がスムーズになり、
結果、個人の保持する魔力量が増えたように感じるという精練論者。
個人個人の生まれ持った魔力を蓄えておく器官の大きさに違いがあるという器官論者。
その他にも単純に才能の問題と言ったり、
神に授かった能力の差だとか、
魔素を感じる能力の強弱だとか様々な論争が為されている。
魔素と魔力の違いは実のところ純度の違いだけである。
魔素の状態でも魔法は行使できるが、
不純物が多すぎて必要な魔力を用意するために、
大量の魔素を消費する事になる。
それに比べて体内で不純物を取り除いた魔力であれば、
仮に1つの魔素を1センチ角の立方体とするなら、
魔力は5ミリ角の立方体になる。
従って、一人の体内に保持できる容量内に、
4倍の魔素を蓄えられることになる。
ごく稀に精練した魔力を物質へ変換する能力や、
練り上げた魔力を更に濃縮することができる者達がいる。
これらは〈権能持ち〉として重要なポストを用意されたり、
色々と優遇されている。
ここまで読んで下さりありがとうございます。