少年の日の思い出8
再生暦5008年8月
御堂瑛士――17歳
翌日は休日で学校が休みのため、昴流は心配をかけてしまった大典の家へ向かった。怪我もなくいたって健康な昴流だったが、まだどこか眠気が残っているらしいので、今日の稽古は免除された。桃偉の本音を言えば稽古は一日たりとも休んでほしくないのだが、これは仕方がない。
出かけた昴流を庭先で見送った桃偉だったが、それと入れ違いで現れた瑛士を見て足を止めた。歩み寄ってきた瑛士に桃偉が言う。
「よう。昨日は悪かったな」
「おはようございます。いえ、大丈夫ですよ。昴流は?」
「ぴんぴんしている。本当に、お前には感謝しているよ」
桃偉は腕を組んだ。
「ところで……なんだが」
「え?」
「瑛士、お前はまだ騎士になりたいか?」
その言葉に瑛士は表情を真面目にした。
「……なりたい、とは思います。でもまだ俺は未熟で、団長に一撃を叩きこむなんて夢のまた夢ですし」
「ああ、それな。それはお前を騎士にさせないための口実だ」
「は!?」
「考えてもみろ。まだ十代のお前が俺に一撃叩き込めたら、なんてできるわけないだろう。そんなことができたら俺は騎士団長としての面目丸つぶれだ」
「あ、はは……それはそうですね」
そんな勝ち目のない試合に、毎回瑛士は本気でかかっていたのかと思うと、自分で情けなくなってくる。こんな条件を出していたということは、桃偉は瑛士を絶対に騎士にさせたくなかったということだ。
「白状しよう。俺がお前を騎士にできなかった理由はふたつある。ひとつは、お前に人殺しの罪を被せたくなかったからだ」
「……とうの昔に覚悟していたつもりでしたよ、そのことは」
「ああ、分かっている。だからこの認識は改めた。お前の『強くなりたい』という願いは、『罪を犯してでも』という気持ちと引き換えになっている。そこまで覚悟できるのはたいしたものだ」
世の中には、手を汚さずに強くなりたいなんておめでたいことを考える奴もいるがな、と桃偉は嘆かわしげにつぶやく。
「もうひとつの理由は……お前が俺のところに来るようになった時期は、騎士団に貴族の圧力がかかっていたんだ。だから平民の登用が難しくなっていた。仮に俺が強引な方法でお前を騎士にしてやったとしても、お前には酷い風当たりがあっただろう。それを避けたかった」
「神谷団長……」
「だが今回の戦いで、俺は貴族様に貸しを作った。今の状況なら誰も文句は言うまい」
庭先では、咲良が洗濯物を干している。それを遠目に見ながら、桃偉は続けた。真面目な話ほど、相手の目を見ずに言う人だということを瑛士も認識している。
「それに、後継者が必要かもしれない……と思うようにもなったんだ」
「後継者? 俺が……ですか?」
「当たり前だ。お前はまず間違いなく騎士としての力量は最高クラスだ。今すぐ戦場に突っ込んでも通用するだろう。半年近くお前を見てきた俺が言うんだ、間違いない」
高く評価されたことに、瑛士は思わず顔をほころばせた。滅多に生徒を褒めない教師である桃偉の口からそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。いつも駄目出しばかりだったので、それほど技量は向上していないものだとばかり思っていた。
しかし後継者が必要とはどういうことだろう。桃偉はまだ四十歳前で、騎士としては若い。瑛士はまだ十七歳だ。瑛士が桃偉の跡を継ぐにしても、それはまだまだ先の話のはずなのに。
「もしお前が騎士になるのなら、お前には俺が守ってきた人を守る役目を継いでもらうことになる」
「団長が守ってきた人……?」
「まずは昴流と咲良だ。……あいつらの後見を、務められるか」
厳しい言葉に、瑛士は頷いた。実際に瑛士は昴流のことを弟のように思っている。昴流があまり話しかけてこないのは、瑛士を貴族のしがらみに巻き込みたくないと思っているからだろう。瑛士は貴族が嫌いだと公言していたし、彼を委縮させてしまっていたに違いない。
「それからもうひとつ。お前、玖暁の皇子を知っているか?」
「皇子? 確か、双子のご兄弟でしたよね。お顔を見たことはありませんが……」
「ああ。真澄さまと知尋さま。おふたりとももうすぐ十三歳になられる。俺は騎士団長になってから、あの方たちの護衛役を務めていた」
「悪政皇の息子……」
瑛士がぽつりと呟いた瞬間、桃偉の本気の拳骨が瑛士の頭に振り落された。あまりの痛さに瑛士は、頭を押さえて地面にしゃがみこむ。
「いっ……な、何するんですか!」
「真澄さまと知尋さまに対して、何か妙な偏見を持っているだろう。あのふたりは、悪政皇の血など一滴も流れていないのではないかと思うほど、清廉潔白な人柄だ。ご本人たちが父皇を反面教師にしていることもあるし、教育係の矢須殿がきっちり王者たる資格を教え込んでいるおかげでもある。まったく、あの男の息子として生まれたことが俺には不憫にしか思えん」
その言葉からは、桃偉が本気で真澄と知尋という幼い皇子を守ろうとしてきたということが分かる。この桃偉をそこまで惹きつけるとは、一体どういう人なのだろう。瑛士にはその興味が湧いた。
「お前が騎士になるなら、俺はお前をおふたりに紹介する。そして俺に代わっておふたりを守ってほしい」
「団長の代わりって……団長はどうするんですか?」
「俺は他にちょっとやることができてな。護衛が疎かになるかもしれない。だから瑛士に頼みたい」
『頼む』。頑なに瑛士を騎士から遠ざけていた桃偉が、今は瑛士に「騎士になってほしい」と懇願している。瑛士はまじまじと桃偉の横顔を見つめた。昴流だったら、桃偉の顔に浮かぶ微妙な表情に気付けたかもしれないが、瑛士にはいつもと変わりない師の表情にしか見えない。
「俺でもなく、皇にでもなく、国家にでもなく。真澄と知尋というふたりの皇子個人に、仕えてもらいたいんだ」
瑛士は目を閉じた。だが元より心は決まっている。瑛士は顔を上げた。
「分かりました。俺は騎士になります」
「……俺が吹っかけた責任は、重いぞ? 何せ四人分だ」
「はい、それでも」
ぶれない瑛士の言葉に、桃偉は初めて笑みを浮かべた。
「有難うな。任せるぞ」
その桃偉の言葉に、瑛士は不自然さを拭うことができなかった。
桃偉がいなくなる――。
急にそんな思いに駆られ、瑛士は早口に訴えた。
「団長。団長がいなくなったら、昴流と咲良が悲しみます。騎士団の人たちも、勿論俺も……お願いですから、自分の命を軽んじないでください」
「馬鹿。そんな偉そうなこと言う前に、ほら、素振りはじめ!」
「は、はい!」
呆気なく桃偉に圧倒され、瑛士はすぐさま木刀を取りに行った。その後ろ姿を見て、桃偉は苦笑した。
「――けど実際問題、俺の命と引き換えに得られるものがでかいからな……」
自己犠牲、なんて格好いい言葉で片付けるつもりはない。
だが、もしそれを選ぶしかないとしたら……後のことを人任せにするということであるから、無責任と詰られるだろう。
昴流と咲良の保護者という役目を、捨てるということでもある――。
それでも、この先の未来を、昴流と咲良が平穏に暮らせるのが何よりも先決なのだ。そのために払う犠牲には、安いのではないだろうか――?
「……ま、こんなこと言ったら怒られるだろうけどな」
桃偉はひとり苦笑して、木刀を持ってきた瑛士と向き合った。先のことは先のこと。今はとりあえず、この出来のいい弟子を最高の騎士にしてやるのが第一だ。
幸いにして、御堂瑛士には力量もあるし、言葉の力もある。人をまとめる人望もありそうだ。面倒見もいい。大丈夫だろう、きっと――。