少年の日の思い出5
再生暦5008年4月
御堂瑛士――17歳
あの少年の名は、御堂瑛士というらしい。
事情を要約すると、瑛士は辺境の街から騎士になるために皇都までやってきた。そうして皇城の騎士団本部へ行って入団を申し込もうとした際、「平民は駄目だ」と一蹴されたらしい。平民の登用枠があると聞いてやってきた瑛士は見事に当てが外れ、途方に暮れていたところで偶然、桃偉の姿を見た。そうして彼の後を追って家を見つけ、桃偉に入団を直談判したということだ。だがここでも桃偉に入団を許可されず、押し問答の末に「俺に一撃叩き込めたら考えてやる」と桃偉が提案したのだ。瑛士もそれなりに剣は使えたが桃偉には遠く及ばず、こてんぱんに叩きのめされたそうだ。それでもめげずに瑛士は桃偉に決闘を申し込み、今日で幾度目になるか分からないという状況だ。
ようやく家の中に入って、疲れたように椅子に座った桃偉の前に、咲良がお茶を出す。
「あの人の言うことも、一理あるんじゃありませんか?」
咲良が尋ねると、桃偉は背もたれに背を預け、茶のコップを手に取った。
「ああ、分かっている。俺が言っていることが、ただのその場凌ぎの言い訳でしかないってこともな」
昴流は何も言わずに、木刀を元の場所に片付けている。
「だが、あいつは俺のことを過大評価しすぎている。俺が黒を白だと言えば白になると思い込んでいるんだよ。実際はそんな単純じゃない。……最近貴族どもが圧力をかけてきていてな。平民の登用枠を作るなとか、降格させた貴族の騎士を元に戻せとか、平民騎士を退団させろとか……今の状況であいつを騎士にしたら、あいつが辛い思いをするだけだ。今は、時期が悪い」
独り言のように説明する桃偉に、初めて昴流が振り返って尋ねた。
「強くなりたいという理由で騎士を目指すのは、いけないことなんですか」
「……いや、おおいに結構。かくいう俺も、そのひとりだからな。給料目当ての奴より、余程夢があってよろしい」
「だったら、どうして……?」
「……言っただろう、刀は殺人の道具なんだ。護身用ならともかく、戦場には人を殺しに行くんだ。その罪を一生背負って生きて行かなきゃならん……子供には、なるべくそんな思いをさせたくないんだよ。俺の勝手な自己満足であいつを傷つけているのは分かっているが、どうしても……」
昴流は桃偉の向かい側に座りながら、じっと何かを考える。桃偉が首を傾げた。
「どうしたんだ、昴流」
「……あの人、騎士になるのは二の次のような気がしますよ」
「二の次?」
「強くなりたいって言っているんでしょう? その最高の見本が、目の前にいるんです。桃偉さんの攻撃を受けるときのあの人は、じっくりと桃偉さんの動きや太刀捌きを観察していました。おそらく、見て感じて桃偉さんの技術を吸収するつもりだと思いますよ」
あまりに冷静な分析に、桃偉も沈黙する。昴流はテーブルに身を乗り出した。
「ねえ、桃偉さん。僕が騎士になりたいって言ったらどうします?」
「全力で止める」
「じゃ、剣を学びたいって言ったら?」
「俺が教える。……つまりそういうことだ、って言いたいのか?」
昴流はにっこりと微笑んだ。
「何回もうちに来て決闘されると、さすがに困りますから」
「俺は誰か特定のひとりに剣を教えられるほど、暇じゃないんだが……」
「神谷団長は弟子を作らないことで有名、でしたっけ」
咲良の言葉に、桃偉が頭を掻く。
「どこで仕入れてくるんだ、そんな情報を」
「勿論、お買い物に行ったときに風の噂で」
いつの世も、女子の情報力を舐めてはいけない。桃偉は諦めたように言葉を吐き出した。
「……今度あいつが来たら、言ってみるか……」
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さて、小瀧昴流の学校生活、記念すべき一日目の科目は、歴史、剣術、馬術、用兵術だった。
(初日からなんだってこんなに騎士道一本の教科ばっかり……!)
と、昴流は溜息をつきたくなる。運動は嫌いである。だが別に苦手なわけではなく、むしろ同年代の子供たちに比べれば体力はあるほうだった。ここまでに侍従として散々痛い目を見てきた昴流は、これ以上自分を痛めつけたくないのだ。なので、あまりきつい運動は御免被りたい。
教室に招き入れられたとき既に、昴流が特待生として編入してきたということは大きな話題となっていた。席に着くなり質問攻めにされ、教師の一喝がなければ永遠に生徒たちに囲まれてしまっていただろう。正直、人とどうやって話をすればいいのか分からないのだ。今まで年上で格上の相手ばかりをしてきたので、同年代の子供たちとなんの話題で盛り上がればいいのかが疑問だ。なんとかしよう、と昴流は思った。そのために桃偉は学校に通わせてくれるんだから、と。
最初の教科は歴史だが、古代史はとうの昔に履修済みである。しかし一応特待生として入学したからには、それらしい態度で授業に臨まなければと己を叱咤する。
それが終わると外に出て剣術の勉強だ。広い敷地に集まり、それぞれ木刀を持って素振りの準備運動から始まる。さすがにこればかりは昴流も勝手が分からず、教師に手取り足取り教えてもらうことになった。なんとか形が出来上がったところで止めの合図がかかる。と、一際体格のいい少年が手を上げた。
「先生、俺、小瀧と勝負したいです!」
「は?」
思わず昴流は聞き返した。すると他の生徒が笑い出す。
「また始まったよ、大典の決闘!」
「強そうな相手を見つけると、上級生でも食って掛かるもんなあ」
「小瀧ー、諦めたほうがいいぜー」
諦めて決闘をしろと?
教師は苦笑いしながら許可した。おい、そこは止めるところだろう、と盛大に突っ込みたくなるがぐっとこらえる。一度口の箍が外れると、悪口雑言が雪崩のように飛び出しそうだ。
どうやらこの大典という少年はたいそう自分の腕っぷしに自信があって、強者と聞けば挑みたくなる、道場破り的な趣味を持っているらしい。敵意ではなく、純粋な興味っぽいな、と昴流は分析する。
他の生徒たちに背中を押され、昴流はだだっ広い敷地の真ん中に立たされた。向かい側には大典。昨日の桃偉と瑛士の睨みあいと全く同じだ。
「お前、特待生なんだろ? だったら、剣の腕も相当強いってことだよな!」
「いや……あのね、本当に強いんだったらさっき先生に手ほどきなんて受けないでしょ?」
「それは実力を隠すためだ!」
「隠して僕に何の得があるんだよ」
「問答無用!」
大典は叫ぶと突進してきた。大振りなその一撃を、昴流は木刀で防ぐ。その瞬間に手が痺れ、木刀は弾き飛ばされてしまった。これは大典がさすがとしか言いようがない。
勝負がついた、やれやれ――と思ったのも束の間、なんと素手の昴流に向けて大典はさらに木刀を振り下ろしたのだ。編入試験でランク五と認定された敏捷性で、昴流は後方に飛びのいてそれを空ぶらせる。
「ちょっ、決着ついたでしょ!?」
「お前がこんなに手ごたえがないわけがない! さっさと本気になれ!」
「だから、僕は剣なんて今日初めて触ったんだってば!」
昴流は嘆きながらも、大典の攻撃を避け続ける。避けることに関しては昴流には何の問題もなかった。何せ大典の攻撃はどれも大振りで、足さえ止めなければ絶対に避けられるものだったからだ。
さすがに同級生や教師たちも止めようという気になったようだが、彼らも割って入ることは難しい。決着がつかなければどうしようもなさそうだ。
昴流は避けながら、冷静に大典を観察する。木刀を失ったのはむしろ昴流にとっては好都合だった。彼には剣術の心得は全くないが、素手での護身術は習得していたからだ。
侍従とは、主人の危機には自らの身体を張って主を守る存在。あんな奴らのために投げ出す命など持ち合わせていないが――こういうことになるなら、護身術を習得させられたのも、無駄ではない。
「避けてばっかりじゃねえか。早く木刀拾って、攻撃して来いよ!」
焦れたように大典が急かす。昴流は勿論、木刀を拾うつもりなどない。昴流はまた斬撃を空ぶらせ、呟いた。
「それじゃ、遠慮なく」
「!?」
昴流はそれまで後方に飛びのいていたが、このときは勢いよく前に踏み込んだ。完璧に隙を見計らっていたからできたことだ。昴流はいとも簡単に大典の懐に潜り込み、強烈な肘打ちを大典の胸に叩きこんだ。
大典はどう、と地面に倒れる。それを見ていた生徒や、教師までもが感嘆の声を上げた。が、さすがは大典、と言っていいのか分からないが、昴流の肘鉄一撃ではまだ温いらしい。息が詰まったはずの胸をさすりながら立ち上がる大典を見て、昴流がもう一度身構える。
と、大典は満面の笑みを浮かべた。
「……やっぱり強ぇ! お前、すげえよ!」
「……ん?」
「俺の目に狂いはなかった! なあ小瀧、いや、昴流! 俺は勢賀大典だ。これからよろしく頼むぜ!」
急にそんなことを言って右手を差し出してきた大典に、昴流は呆気にとられてしまった。だが差し出された右手が握手を求めるものだと気付き、昴流はようやく身構えを解いてその手を握った。
「うん……よろしく。勢賀……くん?」
「気持ち悪い呼び方すんなって! 大典でいい!」
「あ、ああ。大典ね」
おかしな友人ができたものである。
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夕方に家へ帰ると、咲良が出迎えてくれた。
「お帰り、昴流。どうだった?」
「身体を動かすことばっかりで、筋肉痛になりそうだよ……」
それが昴流の感想である。咲良は苦笑する。
「初日から愚痴言わないの。もっと何かあったでしょ?」
昴流は沈黙した。それから一言。
「……友達が、できた」
あれから大典は、どの授業でもずっと一緒にいてくれた。授業が終わって昼食の時間になっても、一緒に食べようと誘ってくれた。大典はあの人柄から分かる通り友人が多い。その大典が昴流と仲良くしようとしてくれたおかげで、他の同級生ともすぐに打ち解けることができた。
彼は腕っぷしに自信があって戦うことが大好きだが、それだけではない。親切だし、優しいし、面倒見がいい。同い年のはずなのに、頼れる兄貴といった雰囲気だ。昴流などより、よほど逞しく毎日を生きているのだ。
正直、勢賀大典には感謝している。
「良かったわね」
咲良は心から嬉しそうな、そしてほっとしたような笑みを見せた。異母兄弟と打ち解けることもなく、ただ黙々と仕事をしているだけだった弟にできた友人に、彼女も感謝しているに違いない。
昴流のすぐ後に、桃偉が帰宅してきた。毎日皇城の騎士団本部へ行っている桃偉は、本部内の騎士団宿舎ではなくきちんとこの自宅へ帰ってくる。昴流と咲良が来る前は宿舎に寝泊まりすることが多かったそうだが、最近は「やっぱり家はいいな」と言いつつ帰宅して、温かい食事を食べて少しばかりのお酒を飲み、風呂に浸かり、昴流と咲良の話を聞いているのが一番の幸せなのだとか言っている。
「よお、昴流。どうだった、学校は?」
桃偉も咲良と同じことを聞く。今度こそ昴流は、ちゃんと本心を言葉にすることができた。
「楽しかったです。すごく」