六 花咲爺
都の広々とした大路を、天翔丸はすたすたと歩いた。ときおり後ろをふり返って視線で牽制してみたものの、陽炎はつかず離れずの一定の距離を保ってついてくる。
(うぅ〜、うっとおしい!)
これでは母のいる邸に行くことができない。会おうとすれば、絶対に邪魔してくるに決まっている。
おまけに往来で長身の陽炎は異様に目立ち、布で顔を隠しているから怪しいことこの上なく、人目を集めてしょうがない。しかし本人は自分が見られていることなどまったく頓着せず、都の風景に目をむけることもなく、蒼い双眼でずっとこちらを見ている。鞍馬天狗以外はまったく興味がないようだ。
(なんとかまけないかな)
おそらく土地勘はこっちの方がある。入りくんだ細い路地をめちゃくちゃに走れば方向感覚が狂って迷うかもしれないし、市場の人混みにまぎれればうまくすればまけるかもしれない。
そんな算段をたてながら歩いていると、わっと人々の歓声が聞こえた。それに混じって「花咲爺だ!」と叫ぶ声がとんだ。
天翔丸は耳をぴくりと立てて、足を止めた。母のいる邸はもうすぐそこ、騒ぎがおこっているのはそれとは逆の方向である。一刻も早く母のもとへ行きたいというはやる気持ちはもちろんあったが、好奇心を無視していくことは難しかった。
天翔丸は邸へむかう道をそれ、にぎわいの方へ寄っていった。
そして角を曲がった瞬間、天翔丸は瞠目し、驚愕に声をはりあげた。
「わあああぁ……!」
雪景色だった視界が一変、満開の桜でいっぱいになった。
そこは貧しい人々の暮らす集落へとつづく道で、ふだんはうす暗くくすんだ色をした場所であるが、それが桜色に彩られていた。
大勢の都の人々が集まっており、その視線を一身に集めているのは一人の老人だ。茶色の頭巾をかぶり、薄手の祖末な衣を着ている。出っぱった丸い鼻は赤らみ、しわだらけのあばた顔でにこやかに笑いながら、唄うように声をあげる。
「枯れ木に花を咲かせましょう〜!」
ひょうたん型の底の深い籠を腰に下げ、そこに入っている白い灰を手でつかみ、景気よくバッとまいた。道端に落ちている枯れ朽ちた木に灰がかかった瞬間、へし折れている幹がむくむくと立ち上がり、折れた枝がしなやかに天にむかって伸びて広がり、その枝のあちこちから蕾が出て、あっという間にほころんで美しい花となっていく。
どこを見ても花、花、花。
花咲爺は道いっぱいに灰をまき、桜の花道をつくっていた。
「枯れ木に花を咲かせましょう〜! 枯れ木に花を咲かせましょう〜!」
陽気に灰をまく花咲爺の後ろを、一匹の柴犬が楽しげに跳ねながら追いかけている。その後を、子供たちがはしゃぎながらついていき、大人たちもほがらかな笑顔でついていきながら花が咲くたびに歓声をあげ、長い行列となっている。まるで祭りのような光景だ。
花咲爺の妙技に、天翔丸は幼子と同じようなはしゃぎ声をあげた。
「うおおお〜っ! すごい、すごい、すごぉーいっ! なんで? なんで灰で花が咲くんだぁ〜!?」
その声が届いたのだろうか。ふいに他方を見ていた花咲爺が首をくりんと回し、天翔丸にひたっと視線を留めた。
「そこの坊や」
天翔丸はどきりとし、周囲をきょろきょろと見回した。近くにいるのは大人ばかり、坊やと呼ばれるような存在は自分の他にはいない。
「お、俺?」
「そう、髪の長〜いあなた」
花咲爺は柔和な顔でにこ〜っと笑うと、ひらひらと手招きした。
「こっちにおいで。灰をまかせてあげよう」
天翔丸の顔がぱあっと輝いた。坊やと呼ばれるのは気にくわなかったが、このさい細かいことだ。
ぜひとも、自分もあの灰をまいて花を咲かせてみたい!!
喜びいさんで花咲爺の方へ行こうとしたが、後ろから肩をつかまれて引っぱり戻された。そしてそのまま陽炎の腕の中に抱えこまれる。
「わぷ! な、なにすん……!」
文句を言おうと陽炎の顔を見上げて、天翔丸は声をのみこんだ。布の隙間から見える蒼い目が鋭い眼光を発している。まるで牙を剥く獣のような目だ。
その目線の先にいるのは灰をまく老人。
花咲爺はにこにこと笑いながらちょいちょいと手招きをつづけている。
「坊や、おいで。ほら、灰をあげるよ。とっても楽しいよ。一緒に灰をまいて、花を咲かせましょ」
そうしたかったが、陽炎がさせなかった。その腕にさらに力がこもり、天翔丸の肩をしっかりとつかみ離そうとしない。
「さあ」
花咲爺が笑いながらこちらにむかって歩を進めてきて、距離がちぢまった。
とうとう陽炎が鞘から錫杖をぬき、戦闘態勢をとった。
「お、おい、行くぞ!」
天翔丸は陽炎の腕を引っぱり、あわてて桜の道から走り去った。
細い路地に入り、あたりに人目のないことを確認して、天翔丸は陽炎に怒鳴りつけた。
「なに考えてんだよ!? あんな爺さんに錫杖をむけるなんて! しかもあんな往来で!」
陽炎の答は単純明快だった。
「あなたに近づいてきたからです」
「おまえ、俺に近づく奴を全員ぶっとばす気か!?」
抗議すると、冷えた目で見返された。
「この世にあるものは大きく二つに分けられます。わかりますか?」
「あ? なんだよ、突然」
「わかりますか」
いきなりのなぞなぞのような問いかけに戸惑いながらも、天翔丸はぶっきらぼうに答えた。
「そんなの、男と女だろ」
「妖怪には性別、雌雄にないものもいます」
そう言われればそうだ。
すると何だろう? 天翔丸が首をかしげて考えていると、ふいに胸元の鏡が目覚めて助け船をだした。
「以前、黒金から教わったじゃろ?」
雲外鏡の言葉で、天翔丸は以前鞍馬寺で大鴉に言われたことを思いだした。
「生物と死物か」
生きているものを『生物』、死んでいるものを『死物』という。
都で暮らしていたときは知らなかった分別方法だ。
「枯れ木はどちらですか?」
「……死物?」
「そうです。枯れ木を甦らせて、花を咲かせる……死者を甦らせるのと同じことです。一度死したものを甦らせるには、それ相応の代償がともないます。あれをごらんなさい」
陽炎が指さしたものを見て、天翔丸は「あっ」と声をあげた。
満開の桜……その根元で、動物たちの死骸がごろごろ転がっていた。鳥や猫や鼠の死体は、すべての水分がなくなったように干涸びている。
こんな生物の死に方を天翔丸は以前にも見たことがある。
満月の夜、狂骨に襲われた人々もこんな姿になって絶命した。
「あの狂い桜は、生物の生気を喰らって咲いているのです。あれだけではありません。花咲爺の後に列をなしていた人間たち、彼らも少しずつ生気を奪われ、寿命がいくらか削られているはずです」
桜の美しさで生物を集め、集まった生物から生気を吸いとる。
なんと巧妙で、恐ろしい罠だろう。
いま、都のあちこちで桜が満開だ。人々の命を吸いとりながら咲いている。
天翔丸は背筋がぞっとした。
「花咲爺がまいていたあの灰は何なんだ? いや、花咲爺は何者なんだ?」
「あのような灰を見たのは私も初めてです。花咲爺の正体もわかりませんでした。生気は感じましたが、気配がひどくあいまいで読みとりにくく」
雲外鏡、と陽炎が答を求めると、天翔丸の胸元にかけられている鏡が申し訳なさそうに言った。
「すまんのぅ、わしゃ寝ておったから、その花咲爺という者を見てはおらんのじゃ。じゃがーー」
鏡面にある無数の目がかすかにつりあがり、いつもののんびりした声を固くして雲外鏡は言った。
「何のためにこのようなことをしているのか知らんが、とんでもない奴じゃのう。この世は生物の世じゃ。枯れ木を甦らせるとは、あの世の死物を呼び戻すのと同じこと、この世の理に反する悪しき所業じゃ。まったくけしからん」
理。
あの世とこの世。
いままでにも陽炎たちの話から何度か耳にしているその言葉を、天翔丸は改めて考えてみた。誰しも生を終えたらあの世へいくのだということは、幼い頃に母から聞かされたことがある。しかしあの世というところが本当に存在するのか、見たことも行ったこともないのでよくわからなかった。
ただ、枯れ木を甦らせて花を咲かせるということが、悪しき所業だということはわかった。いつものんきな雲外鏡がこのように怒るのも初めて見たし、なにより満開の桜の下に転がっている無数の死骸を見てうすら寒くなった。季節を無視して咲き乱れる桜はどこか凶暴で、ぞっとするような禍々しさがあった。
狂い桜……ただならぬ異常事態。
「そのような悪しき所業をしている輩が近づいてきた、警戒してしかるべきでしょう。初対面の相手に無防備に近づいて行ってはなりません」
陽炎は天翔丸の髪や肩についていた桜の花びらをはらい落とした。
ーー坊や、おいで。
天翔丸はかけられた声を思い出して、あることに気がついた。
「花咲爺はどうして俺にだけ、一緒に灰をまこうと誘ったんだ?」
桜を見物しに大勢の人々が集まっていたし、灰をまきたいとねだる子供もいた。なのに、なぜ自分だけに。
不可解な疑問に、陽炎はあっけないほど明瞭に答えた。
「あなたの命を奪うためでしょう」
「俺の……命?」
「はい」
「な、なんで……? なんで俺が命を狙われるんだ? 会ったことも、見たこともない奴に!」
「あなたが強い生気をもっているからです。生気の強いものを喰らえば、その力をとりこむことができます。神通力の強さは生気の強さと比例しますので、神通力が目覚めたときにあなたの生気も増大しました。生気が見えるものの目には、あなたは膨大な生気をもった上等の獲物と映るはずです」
天翔丸は身震いした。
強い生気をもっているから襲われる。それが本当なら、これからも襲われつづけ、生きていくためには襲いくるものたちと戦わなければならないことになる。一生ーー生きている限り、死ぬまで。
宿命、という言葉が重くのしかかってくるのを感じた。
「あなたの強い気配は、人間社会ではかなり目立ちます。このまま都にいれば、花咲爺だけでなく、無数のものたちに目をつけられ必ず襲われます。でも鞍馬山なら大丈夫です。守護天狗であるあなたの気配は山の気と同化しているので、鞍馬の山中ではむやみに襲われることはないでしょう。さあ、わかったら山へ帰りましょう」
「……それが目的か?」
天翔丸はつりあがった目で陽炎をにらみすえた。
「都にはいられない……それを俺にわからせるために、わざわざ都に来させたのか?」
「何度言っても、あなたが都への未練を捨てないからです」
陽炎は冷淡にたくらみを認めた。
「神通力が覚醒した日より、あなたは完全に人ではなくなったのです。いいかげん自覚しなさい。姿は人でも、あなたは鞍馬山の守護天狗です」
「そんなの、おまえが勝手に決めたことじゃねえか! 俺を山にさらって、無理矢理鞍馬天狗にしたんじゃねえか!」
「それをあなたは受け入れた。私への復讐のために」
言いつまる天翔丸を抑えこむように、陽炎は冷然と告げた。
「きっかけは何であれ、いまあなたはすでに鞍馬山の主です。鞍馬の宝剣七星を受け取ったからには、鞍馬山に棲み、山を守護するという使命を果たしてもらいます」
「いやだ!」
天翔丸は鞍馬山の宝剣を鞘からぬき、思いきり地面にたたきつけた。
陽炎はすぐさま七星を拾い、その柄を天翔丸に押しつけるようにさしだした。
「あなたに必要なものです。とりなさい」
天翔丸は両手を背後に回し、顔をそむけて拒否した。しかし陽炎はそれにかまわず、天翔丸の腰にある鞘に七星を無理矢理に押し入れた。
「何すんだよ!?」
「七星を使う以外の戦い方は知らないでしょう。何かあったとき、七星がなくてどう戦うつもりですか」
「俺は、戦いなんて大っ嫌いなんだよ!」
陽炎の手が天翔丸の頬を思いきり打った。
容赦のない平手打ちをくらって、天翔丸は地面に倒れこんだ。
「甘ったれた考えは捨てなさい。あなたはもはやそんなことを言える立場にはない。鞍馬天狗は戦うのが宿命です」
天翔丸はひりひりと痛む頬をおさえて、陽炎をきっとにらみつけた。
「こうやってひっぱたけば、俺が言うことを聞くとでも思ってんのかよ!?」
「宿命から逃れることはできません」
「宿命なんて知るか! 俺は戦いなんか……!」
そのときだった。
突然、陽炎が目にもとまらぬ速さで錫杖をぬきはらい、飛んできた何かを打ちはらった。地面に転がったそれは、金剛杵という僧侶がもちいる法具だった。
それが飛んできた方向に目をむけると、黒い僧衣をまとった大勢の僧侶たちが仰々しくずらりと並んでこちらをにらんでいるのが見えた。
「そうか……そうだったのか。なるほどな」
彼らの中心に立つ紫の袈裟をまとった僧侶が低い声でつぶやく。
その人物の名を天翔丸は叫んだ。
「阿闍梨!」