四 案内人
「な、なにすんだよ!?」
天翔丸はげほげほと咳きこみながら、背後の男に抗議した。
太陽が南にかかる前に天翔丸とその一行は都に到着した。着いたと喜び、都へと足をふみいれようとした瞬間、それに水を差すかのように後ろから水晶の連珠を首にかけられた。
抗議に対し、陽炎はいつものように冷ややかな声で答えた。
「あなたの気配を消すためのものです。都にはあなたの気配を感じて寄ってくるものがいるでしょうから」
「そんな奴ーー」
「いたでしょう」
言われて、天翔丸ははっと思い出した。
しばらく都を離れていたためすっかり忘れていたが、なぜか幼い頃から外出するたびに死霊の類いに寄ってこられて困っていた。そんな幼少時代を無事に過ごせたのは、比叡山の阿闍梨が妖怪怨霊をしりぞける護符をくれたおかげである。
「あなたが自分の気配を消すことができるのなら必要ありませんが、できないでしょう。まだそのような修行はしていませんから」
「おまえ、武術より、そういう役立ちそうなことを先に教えろよっ」
「鞍馬山を下山する予定はありませんでしたから。とにかく、それはあなたの身を護るためのものですから、都にいる間はずっとつけていなさい」
「でも、これしてると息がしにくいんだよぉ」
透きとおった水晶の一つ一つが首にぴったりくっついてひどく窮屈である。なんとかならないかと訴えたが、反論は一言で却下された。
「我慢なさい」
陽炎は首に巻いている布をとり、それを頭全体に巻いて顔を覆い隠した。下からのぞきこむと、布の隙間から蒼い目がかいま見える。
「おい、なんで顔を隠すんだ?」
「この目を見ると、人間たちが驚きますから」
陽炎の目は深淵を思わせる蒼である。都にこんな色をした目の人間はいないから、たしかに隠していないと異形だの何だの、ひと騒ぎ起きてしまうかもしれない。
陽炎は姿形は人間のようだが、実のところ何なのか、その正体を天翔丸は知らない。頬や胸や手足に炎のような銀色の紋様があるのも変だし、なによりその武術の強さは明らかに人間離れしている。この前、鞍馬山に襲来した比良天狗は陽炎を人妖だと言っていたが、人妖とは何なのかも天翔丸は知らなかった。
「おまえって何者なんだ? 妖怪か? それとも天狗の端くれか?」
天翔丸の問いに、陽炎はそっけなく答えた。
「私は陽炎です」
「……俺を莫迦にしてんのか?」
「行きますよ」
陽炎は冷たく背をむけ、さっさと歩きだした。まともに答える気はないらしい。
(へん、何者だろうとかまうもんか)
陽炎は憎っくき復讐相手。それで充分である。
天翔丸は渋りながらも首の連珠をそのままにし、気をとりなおして都へ入る門をくぐった。
くぐった瞬間、天翔丸は目をまんまるにして叫んだ。
「うわっ、なんだこりゃ!?」
ーー平安京で起こっている異変はただ事じゃねェ。
黒金の言っていた、一目でわかるものすごい異変がそこにあった。
道の両端に桜の木が立ち並んでおり、そのすべての木の枝にびっしりと桜が花開いていた。
いまは北風冷たい真冬である。道の際にはまだ雪が残っており、立ち止まっていると寒さが足元から立ち上ってくる。なのに桜は満開、まるで春の風景である。
「にゃ〜〜っ! 天翔丸、お花がいっぱい、きれいやねえ!」
懐に入っていた子猫姿の琥珀が、興奮して声をあげた。
「しっ! 琥珀、人前でしゃべったら駄目だって言っただろ?」
「あ、そやった」
琥珀はあわてて両の前脚で口をふさいだ。
天翔丸は桜を見上げた。枝についている花はすべて開いており、花びらはしっかりとついてまだ一枚も散っておらず、今がちょうど見頃だった。
「どうなってんだ? まだ冬なのに……」
背後でふいに陽炎がつぶやいた。
「……狂い桜」
天翔丸がふりむくと、相変わらずの無表情で陽炎が言った。
「気温の高い日がつづくと春が来たと桜が勘違いし、冬でも花を咲かせることがあります。それを『狂い桜』といいます」
「へえ。じゃあ、都で温かい日がつづいたからこんなに咲いたんだ」
「いいえ。黒金の話によると、『花咲爺』と呼ばれる老人が咲かせたのだそうです」
「はなさかじじい?」
「花咲爺は灰をまき、その灰を浴びた枯れ木はたちまち甦り、花を咲かせるとか」
「んな莫迦な」
天翔丸はあからさまにその話に疑いをむけた。眉唾物にしてもあまりに常軌を逸している。
「天翔丸、あっちにもお花がいっぱい咲いてるよ!」
琥珀が声をおさえながら、目をきらきらさせて言った。
「よし、ちょっと見ていくか」
「うわ〜い!」
喜ぶ琥珀を懐にいれて、天翔丸は歩きだした。
寒さの厳しいこの時期はふつう誰もが家に閉じこもって身を縮めているものだが、往来に出ている人の数は多く、皆が季節外れの桜を眺めて顔をほこらばせている。
桜を愛でる人々の表情は明るい。
そんな都の人たちの活気が心地よく、天翔丸は鼻歌でも歌いたくなるようなくつろいだ気持ちで美しい桜の下を進んだ。
足取り軽く歩いていると、東西にのびる道と南北にのびる道が交差する辻にさしかかり、天翔丸はふと足を止めた。
辻の片隅に、白髪白髭の老人がひっそりと座っていた。そのかたわらには右前脚のない三本足の薄汚れた子犬が寄り添っている。最初は座って花見でもしているのかと思ったが、よくよく見ると老人は周囲に咲いている桜をまったく見ていない。老人は雪の上においた円座に正座し、その前にもう一つの円座をおいてそこをじっと見つめていた。
まるで誰かがそこに座るのを待っているかのようだった。
老人は白髪を頭巾にきちんとおさめ、身なりも悪くないので物乞いには見えない。道行く人々はその存在を気にもとめずに素通りしているが、天翔丸の目には妙に目立って見えた。
なにやら引き寄せられるような思いを感じてその前に立つと、老人は両手をつきうやうやしく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「え?」
「あなたは大勢の行き交うこの道で私に目をとめ、立ち止まってくださいました。そのご足労に対し、心よりお礼を申し上げます」
いやに丁寧な対応だった。
天翔丸は都で暮らしていたときは絹の衣をまとって立派な馬にのり、見るからに貴族の子息とわかる格好をしていたから丁寧な態度をとる者もいたが、いま身につけているのは飾り気のない衣である。みすぼらしいわけではないが、頭を下げられる服装ではない。
「あんた、ここで何してるんだ?」
天翔丸の問いに、老人は姿勢を正して答えた。
「道案内でございます」
天翔丸はその老人に不審をむけた。『道案内します』と看板でも掲げているのならそういう商売なのだとわかるが、老人はただ辻に座っているだけである。そんな老人に迷い人が道を尋ねることなどあるのだろうか。
「立ち話もなんですから、どうぞお座りになってください。くわしくご説明いたしましょう」
自称道案内人が円座に座るよううながしてきた。じっと探るように見ると、案内人は微笑を返してくる。おだやかな笑みは悪い人間のものには見えなかった。
(よし)
天翔丸は好奇心をかきたてられて、円座にあぐらをかいて座った。
案内人はおだやかな聞き取りやすい声で語り始めた。
「この世にはさまざまな道がございます。険しい坂道、曲がりくねった山道、人の踏み入らない獣道、何者も通らない道なき道。この都の道は平坦で一見歩きやすそうですが、縦横無尽に交差し、無数の辻を成して、なかなか複雑に広がっております。迷わないよう、道案内をしてさしあげましょう」
道案内ねえ、と天翔丸は頭をかいた。
「俺、これでも都育ちだから、道はよく知ってるんだ。悪いけど案内はいらないよ」
平安京の道は碁盤の目のようにまっすぐ縦横に整備されている。方角さえ把握していれば迷うようなことはまずない。
「大切なのは道を知っているかよりも、どの道を選ぶかですよ」
天翔丸は眉根をひそめた。
「道を選ぶ?」
「はい。たとえばあなたはこの道を歩んでこられて、私と出会った。もしあなたが違う道をお選びになっていたら、こうして言葉を交わすことはなかったでしょう」
「まあ……そうだな」
八雲との待ち合わせ場所へ行くのに別の道もあったが、少し遠回りとなるこの道を選んだのは、にぎやかな都の様子を眺めたかったからである。たしかに、もし別の道を選んでいたら、この偶然の出会いはなかっただろう。
「私とあなたがこうして出会ったのも縁でございます。私はお顔の相から、その方の前にのびる道を見ることができ、どの道を行くのが最良か、僭越ながら助言させていただいております。お代はいりません。いかがでしょう、私の道案内をお聞きになりませんか?」
「道案内って、要するに占いみたいなものか?」
「はい、そのようなものと思ってくださって結構です」
この時代、占いの役割は大きい。一口に占いといっても、亀占、式占、算占など多種多様あり、貴族は暦からその日の吉凶を見たり、陰陽師や易者に運勢をたずねたりし、それに則して行動するのが基本である。
天翔丸も幼い頃、死霊と会うのが嫌で、会わないためには一日どう行動したらいいか、易者に占ってもらったことがある。しかし占いどおりに行動したものの、結局その日もしっかり死霊に遭遇してしまった。
そんな経験から、基本的に天翔丸は占いの類いは信用ならないと思っている。
「細かい道はさておき、大まかな道案内をいたしましょう。これからあなたにはどのような道が待っているのか、そして将来どのようになるのか」
「将来ねえ。じゃあ、聞かせてくれ。俺、将来なにになるんだ?」
興味半分で、見てみろとばかりに天翔丸は顔をつきだした。
案内人は目を細めてじっと食い入るように見つめてきた。おだやかな表情とはうってかわった鋭い眼光に気圧されて天翔丸は少し身を引いたが、案内人はにじり寄ってきて顔を見つづけた。
しばしの間その状態がつづき、天翔丸がしびれを切らしそうになった頃になって、案内人はようやく口を開いた。
「『覇者』でございます」
案内人の背後で、子犬がぴくりと耳を立てた。
「はしゃ? なんだ、それは?」
「多くのものたちを支配し、その運命を導いていく、それを覇者と称します。あなたはこれから『覇道』と呼ばれる大道を歩み、将来、絶大な権力をもつ高い立場にお立ちになるでしょう」
天翔丸はきょとんとした顔で案内人の言葉の意味を考えてみた。
「要するに、身分の高い人のことか? たとえば帝みたいな」
「しかり。まさしくそのとおりでございます」
天翔丸はぽかんとした後、小さく失笑した。
鞍馬山というちっぽけな山であがいている自分が、どのようになったら帝のようなものになれるというのか。自分の人生すらぜんぜん思うようにならないのに、他人の運命を導くようなものになるわけがない。あきれるのを通り越しておかしかった。
「あっそう。まあ、がんばるわ」
これ以上は聞いてもしょうがないと判断して、天翔丸は立ち上がった。
去ろうとする天翔丸を、案内人が呼び止めた。
「もし、お一人はいけません。どの道を行くにせよ、どなたかを伴にお連れください」
「連れならいるよ。ここに」
天翔丸は懐に入っている子猫を指さした。じゃあな、と案内人に軽く手をふって、天翔丸は琥珀とその場を離れた。
天翔丸が離れて声が届かないくらいまで距離があいた頃合いに、陽炎が案内人の前に進み出て問いかけた。
「どう視えた?」
案内人は明朗に答えた。
「まぎれもなく覇者でございます。人であれば帝か王かそれに類するもの。そちらの世界でそれをどう称するのか、私は知りません」
「覇者となった後は?」
「多くを救うか、すべてを滅ぼすか。いずれにしても平穏はありますまい。これからあの方が歩まれる道は、波乱と困難に満ちています。安寧からもっとも遠い道を歩むのが覇者の宿命」
「救うか、滅ぼすか、どちらだと?」
「まだどちらとも。いずれの道を歩むか、あの方次第かと」
「そうか……」
つぶやいて、陽炎はしばし黙りこむ。その顔は布で隠されており、かろうじて見える双眼も布の影がかかって表情をうかがい知ることはできない。
案内人は布の隙間から垣間見える蒼い瞳をじっと見つめた。その視線に気づいた陽炎は軽く頭を下げ、背をむけてその場を立ち去ろうとした。
「陽炎様、でいらっしゃいますね?」
案内人の呼びかけに、陽炎の足が止まった。
「あなたとは以前にも一度、お会いしております。二十年以上も前のことですが、私のことを覚えていらっしゃいますか?」
重い沈黙をおいて、陽炎はしぼりだすようにつぶやいた。
「……忘れられるものか」
陽炎はきびすを返し、案内人の前に戻って言った。
「なぜ道案内人などと? 吉路、あなたは予言を宣告する『予言師』だろう」
吉路は首を横にふった。
「いいえ。私はただの道案内人でございます」
「あなたの告げる言葉が当たる確率は百発百中だと聞いた。ゆえに予言師だと、二十数年前にあなた自身がそう名乗ったではないか」
「それは愚者の世迷い言でございます。かの昔、私は出会った方々に視えることをそのまま言葉にして告げてまいりました。しかし未来を告げることが必ずしも幸福をもたらすものではないと、私は老いてようやく悟ったのです。以来、縁あって出会った皆様が、人生という旅路において、より良き道へとお進みになれるようご助言する案内人と名乗っております」
吉路は円座から下り、雪の上に膝をついた。
「あなたとお会いしたとき、私は愚かにもそれに気づいておりませんでした。あなたにはとても残酷なことを告げてしまったと悔いております。私の無思慮な言葉で、あなたはずっと苦しんでこられた。いまさら何をしたところで償えるとは思いませんが、せめておわびを。ーー申し訳ありませんでした」
吉路は冷たい地面に手をついて深々と頭を下げた。
陽炎はうつむき、溜息まじりにつぶやいた。
「面を上げられよ。あなたはただ真実を告げただけ、謝る必要はない。責められるべきは私だ……あなたの言ったとおり、先代の鞍馬天狗にとって私は『災厄』だった。あのとき、私は自らこの命を絶つべきだった」
いつもの鋭さはみじんもない、深い悔恨のこもった弱々しい声。
吉路は沈痛にうつむく陽炎を気遣うように言った。
「どうかご自分をお責めになりませんよう。もうあのときとは違います。あなたには進むべき新しい道がひらけています」
そのとき天翔丸が離れたところから大声で叫んだ。
「こらーっ、陽炎! 何してんだよ! さっさと来ないとおいていくぞ!」
子供らしい元気あふれるその姿に、吉路はおもわず微笑んだ。
「あの方が新たな鞍馬天狗なのですね? あの方によって、あなたに新たな道がひらかれました」
「……吉路、一つだけ教えてほしい」
陽炎は張りつめた声で問いかけた。
「いまの鞍馬天狗にとって……天翔丸にとって、私は何だ?」
陽炎は頭に巻いていた布をとり、その顔を吉路にさらした。
吉路は天翔丸の道を判じたときと同じ鋭い目で陽炎を見つめ、そして明言した。
「『同行者』です。あの方はこれから覇道をめざす宿命にありますが、それはあなたが同行するという大前提があってのこと。あなたなしでは覇道にたどりつくことはおろか、道を見つけだすことすらできますまい。そしてあなたにとっても、あの方は欠くことのできない道連れ」
「天翔丸にとって、私は災厄ではないのか?」
「違います」
「私は鞍馬天狗のおそばにいていいのか?」
「鞍馬天狗のためをお思いになるのなら、おそばから離れないことです」
天翔丸のいらついた怒鳴り声がとんできた。
「おい、陽炎! 俺は行くからな! おまえなんか都で迷っちまえ! あばよ!」
吉路は、天翔丸が歩み進んでいく道を指した。
「さあ、早くお行きなさい。あの方を決して見失わぬように」
だが陽炎はそのうながしに応じなかった。
離れていく天翔丸の背を食い入るように見つめるだけで、追おうとしない。
「なぜ迷うのですか? ずっとあの方を待っていたのでしょう? あの方と共に行きたいのでしょう? そのお心のままに、お行きなさい」
「私は罪人だ。鞍馬天狗に同行する資格はない……共に行きたいなどと、望んではならないんだ……」
蒼い瞳が波立つ水面のようにゆれる。
「あのとき、おそばから離れるべきだった。私さえいなければ、先代は……威吹は……ーー」
その目が見ているのは遠い過去だった。陽炎の脳裏で、天翔丸の背と先代の鞍馬天狗の背が重なっていた。
紫紺色の大きな翼をもつ背が目に焼きついている。そばにいたくて、離れたくなくて、あの背を追って追って、どこまでも追いすがった。あのとき、自分が追いさえしなければ……身の程をわきまえてあきらめていれば、鞍馬天狗を失うことはなかったのに。
陽炎は強い後悔と悲哀に立ちすくんで進めないでいた。
吉路はしびれを切らして、高い命中率ゆえに予言と称されるほどの言葉で脅した。
「あなたが同行しなければ、新たな鞍馬天狗は墜ちます。確実に」
陽炎ははっと我に返り、その蒼い瞳に正気が戻った。
「いまは過去をふりかえり立ち止まっているときではありません。こうしている間にもあの方は未来へむかって歩み、その道に様々な危険がーー」
最後まで聞かずに陽炎は駆けだし、天翔丸を追いかけていった。
黒衣の背を見送りながら、吉路はつぶやいた。
「まれにみる数奇な運命をお持ちの方だ。新たな鞍馬天狗が、あの方の運命に良い作用をもたらしてくれるといいのだが……」
天翔丸と陽炎の姿が角を曲がって見えなくなると、吉路の背後でちぢこまっていた子犬がひょこっと出てきて、幼子のような声で言葉を発した。
「吉路様、あの男の子も覇者なんですか?」
「うむ。二人目の覇者だ」
吉路は深いしわの刻まれた顔を曇らせ、重い口調でつぶやいた。
「とうとうこのときがやってきた……この世に波乱が起こる、その前兆だ」