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二十二 白夜

 地に底というものがあるのなら、ここはそう呼ぶにふさわしい。

 地上の音はいっさい届かない暗闇の底。耳が痛くなるような静けさは、静寂というには漂っている陰湿な空気があまりにも凶々しい。生きているものが足を踏み入れれば即刻に窒息しそうな濃厚な死気が充満している。

「白夜様ぁ〜! 白夜様ぁぁぁぁ!」

 頭部と腕だけとなってしまった狂骨、花咲爺が息せききってまろびながら駆けてきて、闇の底へむかって騒々しく報告した。

「た、大変です! く、くく、鞍馬天狗が現れましたぁぁぁぁ!」

 闇の底が大きくゆれ動いた。闇の中で白夜が目を覚まし、低い声でうめくようにその報告に反応した。

「……鞍馬天狗……」

 声と共に吐きだされたその呼気は不吉なまでに黒く、地底に沈殿する闇をさらに濃く染める。

「鞍馬天狗が現れた……まことか」

「間違いございません、白夜様! ほらほら、ご覧ください、私のこの無惨な姿! どんなに砕かれても元通りになった私の骨が! どんな能力者にも破壊できなかった私の骨が、こんな有様で! 鞍馬天狗の滅ぼしの剣で斬られたんです! どうやっても骨が戻ってこないんですぅぅぅぅ!」

 ふうぅぅぅぅと難儀そうに呼吸をして白夜はうなった。

「七星で斬られたものはこの世から完全に消滅し、甦らぬ。ゆえに滅ぼしの剣という。忌々しい神器だ」

 花咲爺は鞍馬天狗と七星の恐怖を思い返し、ひいぃぃ〜と引きつった悲鳴をあげた。

「なんということでしょう! 我らの天敵がこの世に……あぁ、恐ろしや! 死灰も全部斬られてなくなってしまいました! 命からがら逃げてまいりましたが、追いかけてくるやもしれません! 白夜様、早く、早く逃げましょう! 鞍馬天狗の来ないところへ! 危のうございますぅぅぅぅ!」

 みっともないほどにおろおろとする花咲爺に、白夜は問いかけた。

「そんなに鞍馬天狗が恐ろしいか」

「恐ろしいの恐ろしくないのって、そんなの恐ろしいに決まってるじゃありませんかっっ!」

(われ)よりも恐ろしいか」

 ひく、と花咲爺は骨の顔をこわばらせた。

 鞍馬天狗に恐怖するあまり、目の前の恐怖に気づくのが遅れた。死物の主の勘気で濃厚な闇と死気がうねっている。

「死物を増やすために授けた死灰を失ったばかりか、我が死気を吹きかけ力を与えてやったその躰を、鞍馬天狗にむざむざ斬られた」

「そ、それはーー!」

「我が身に還れ」

 闇の中からしなる骨が鞭のようにとびだし、花咲爺に巻きついた。

「お、お許しを! 白夜様、お助けをぉぉぉぉ……!」

 花咲爺は三度目の死の恐怖におののきながら、両手の爪を地面にくいこませて抵抗する。だが無駄な抵抗だった。地面に抵抗の爪痕を残して闇の底に引きずりこまれた。地底に、ガリゴリと骨を噛み砕く音と恐怖に引きつった花咲爺の絶叫が響きわたる。

 やがてその断末魔は消え、咀嚼の音もやんだ。

 死物に喰われた魂は二度とこの世に転生することはできない。花咲爺は骨も魂も喰われ、この世からもあの世からも完全に抹消された。

 白夜の制裁が終わるのを待って、艶のある声が闇に入ってきた。

「鞍馬天狗とは、はてお懐かしい」

 闇に青白い火がぽっと灯った。ちろちろとゆれる燐火をともなって現れたのは、一人の女だった。

 結いあげた艶やかな黒髪にはきらびやかなかんざしを何本も刺し、まとっている豪奢な絹の衣の胸元を大きく開いて、白い肌と豊満な胸の谷間を誇るようにさらしている。遊女のような出で立ちであるがその表情に媚びはなく、色香のあるその瞳の奥には鋭利な刃のような鋭さがある。妖艶で、禍々しい美しさをもった女であった。

(かさね)か」

「はい。ただいま戻りました。我が主、白夜様」

 血のような赤い紅のぬられた唇を動かして、累は主に丁重に頭をたれた。

「生気を集めてまいりました。おおさめください」

 累は口から息を吹くようにして淡い光を吐き出した。殺し集めてきた生気を掌にのるほどの光の玉に練り上げ、そうしてできた生気の塊を地底へふわりと投げる。

 闇の中で白夜は生気の塊をのみこみ、満足げな息をもらした。

「良い生気だ。さぞや手強い生物たちを殺めたのであろう。よくやった」

「恐れ入ります」

 累は快感に満ちた声でうれしそうに微笑んだ。数多くの手強い生物を殺すのにかかった手間も、主の褒め言葉一つで報われる。

「しかし先ほどの鞍馬天狗の話……滅んだはずの()の山がどのようにして守護天狗を得たのでしょう。小心な花咲爺のこと、臆病風に吹かれて何か別の生物と見間違えたのではありませぬか?」

「我が力を与えた花咲爺の骨を消滅させ、我が骨を削ってつくった死灰をも消すーー七星以外にできると思うか」

 白夜の指摘に累は沈黙した。確かにそのようなことができる物は、鞍馬山の神器以外に心当たりはなかった。そしてその神器を使えるのは鞍馬天狗しかいない。

「白夜様、新たな鞍馬天狗をわたくしにも見せていただけますか?」

「見るか」

「ぜひ」

 闇の中から一本の触手のような骨が音もなくのびてきた。

 累はその骨にうやうやしくふれて目を閉じた。瞬間、累の脳裏に花咲爺を追いつめる二人の姿が浮かんだ。

 七星を輝かせる赤髪金眼の少年と、そのそばにいる黒髪碧眼の黒衣の男。

 喰らったものが見た光景を見るーー白夜の能力の一つである。白夜は花咲爺が見た鞍馬天狗の姿を、脳裏に映して確認した。

 その姿に、白夜は瞠目した。

「これが鞍馬天狗……なのか? 背に、翼がない」

 さしもの死物の主の声にもおどろきがにじむ。数多くの天狗を喰らってきた白夜にとっても、翼のない天狗を目にしたのは初めてのことだった。

 白夜の脳裏に浮かんだ光景は、その骨にふれていた累の脳裏にもしっかりと伝わった。累は笑いをこらえきれずに吹き出した。

「これが鞍馬天狗ですって? こののろまな剣筋、この吹けば飛んでしまいそうな構えをしているのが鞍馬天狗? 武神の異名も落ちたもの! おまけに翼を欠いて、人間のような姿をして、極めつけはこの汚らしい赤髪! こんな無様で弱々しい天狗、初めて見ましたわ!」

 きゃらきゃらと笑いとばす配下を、主の鋭い声がたしなめた。

「あなどるな。どのような姿をしていようが七星の使い手だ。油断はならぬ」

 白夜の目は鞍馬天狗の形態よりも、その手ににぎられている剣に注目していた。姿形はどうあれ、あれをもって滅ぼしの力を発揮できるのなら鞍馬天狗と判断して間違いはない。

 累は主の緊張にも似た張りつめた様子を感じとって笑いを消した。

 十五年前の鞍馬天狗との激戦は、それに参加した累の記憶にも鮮明に残っている。死物を総動員し、長い年月をかけ、策を弄してようやく鞍馬天狗を墜とすことに成功したが、返す返すも手強い相手であった。紫紺の翼で闇夜を風のように滑空し、七星を輝かせて並みいる死物をことごとく消し滅ぼすその姿を思い出して、累の表情が固くなった。

「確かに……鞍馬天狗の名を冠して七星をもっているからには油断は禁物。いまはとるに足らない雛であっても、この先もし成長するようなことがあれば、我ら死物にとってまたとてつもない災厄となるやもしれませぬ。ならば、早々にわたくしが捕らえてまいりましょう。翼なき鞍馬天狗と、滅ぼしの剣七星を白夜様の御前に捧げまする」

 一礼して立ち上がった累の顔には、歓喜と愉悦がありありと浮かんでいる。戦いによる刺激を好む累にとって、鞍馬天狗の捕縛は久しぶりの血湧き肉踊る役目だった。新たな鞍馬天狗自体は手応えがなさそうだが、そのそばにいた黒衣の男の存在が累を興奮させる。

「白夜様、鞍馬天狗と七星を献上いたしましたら、褒美をいただきとうございます。あの黒衣の男をーー陽炎を、わたくしにくださいな」

 すでに死している累の躰に血は通っておらず、白い肌にぬくみはないが、声が熱く火照っている。主の前では慎まなければならない。わかってはいたが、鞍馬天狗と共に戦っていた陽炎の姿を思い返して、累は興奮を抑えきれずに身悶え、欲情した声をあげた。

「あぁ、陽炎……陽炎、生きていたんだね。まだこの世にいたんだね。性懲りもなく、また鞍馬天狗のそばにいるんだね。嬉しいよ、またあんたに会えるなんて。いまから鞍馬山へ行くよ。鞍馬天狗とあんたに、会いにいくよぉぉぉぉ」

 累は歓喜しながら舞い踊り、瞳には殺意をみなぎらせて、一路、鞍馬山を目指して一歩を踏みだした。

「累、待て」

 主の制止に累はぴたりと足を止め、美しい顔を鋭くつりあげてふりむいた。

「白夜様、まさかお止めになるのですか? 鞍馬天狗が現れたのに、捨て置けとおっしゃるのではありますまいな?」

()くな。まずは我が道を確認する。ーー吉路ぃぃぃぃ」

 地をはうような呼び声が闇にこだまする。

「吉路ぃぃぃぃ、我が声に答えよぉぉぉぉ、おらぬのかぁぁぁぁ、吉路ぃぃぃぃ、」

 声の響きがおさまる頃になって、闇の中から吉路が飼い犬を抱きかかえて現れた。

「ここにおります、白夜様」

「どこへ行っていた、吉路」

 吉路が答えようとするのをさえぎって、累が嘲笑まじりに口をはさんだ。

「どうせまた、都の辻に座って道案内などというくだらないことをしていたのでしょう」

 飼い主を莫迦にされて、思わず小路は小声で言い返した。

「くだらなくなんかないやい」

 累にぎろりとにらまれ、小路は身を縮める。

 吉路はそんな飼い犬を両手でかばうように包みこみ、白夜に言った。

「累様のおっしゃるとおり、都の辻にて道案内をしておりました」

 白夜は無感情に言った。

「都から出さえしなければ、何をしていようとかまわぬ。だが我が呼んだときはすぐに馳せつけよ。馳せつけられるところに控えていよ」

「はい……申し訳ありません」

「鞍馬天狗が現れた。未来を読み、我が道を判じよ。吉路、予言をくだせ」

 吉路は闇の中にいる白夜をじっと見つめ、そして溜息をつくように予言をくだした。

「未来に変わりはありません。生誕した鞍馬天狗は、白夜様の覇道をさえぎらんと立ちはだかります。なれどその力は及ばず。鞍馬天狗およびすべての生物たちは白夜様率いる死物によって死滅し、この世は死者の世となるでしょう」

 白夜の低い笑いが地底に響いた。そして先走ろうとしている配下に言った。

「累、いまはまだ鞍馬山に行かずとも良い。山は逃げられぬ、それを守護する天狗もな」

 燃え上がった戦意と欲情をくじく命令に、累は鋭い表情で食い下がった。

「しかし白夜様、禍根は早く断っておいた方が」

「いまは我が身を造る方が先だ。生気を集めよ、累」

 累は吉路を射殺しそうな目でにらみつけながらも、従順に主に頭をたれて服した。

「御意」

 そして瘴気を放ちながら欲求不満をまきちらすように叫んだ。

「あぁぁぁぁ、残念。残念だけど、白夜様のご命令だから仕方ないね。生気を集めなきゃ。白夜様が復活なさったら必ず会いにいくからね。陽炎、待ってておくれ。新たな鞍馬天狗と一緒に待ってておくれぇぇぇぇ」

 嬌声をあげながら、累は燐火をともなって出ていった。

 白夜は北の方角を見すえながら言った。

「鞍馬天狗よ、いまはせいぜいのさばるがいい。我が身が復元したそのとき、この手でうぬを捕らえて生き血をすすり、肉の一片、骨の一かけら、魂の一滴まで喰らいつくしてくれる」

 いにしえよりの宿敵にむけて宣戦布告をし、白夜はゆっくりと目を閉じた。そして都の地下深くで再び深い眠りについた。

 主が眠りにつくのを待ってから、吉路は地底をあとにした。

 地上に出ると、空が薄ぼんやりと明るくなっている。まもなく夜明けだ。

「吉路様、この世は終わってしまうんですか?」

 小路の問いに、吉路は嘆息した。

「あぁ……このままで行けばな」

 辻に座って道行く人々を眺めていると、その未来が見える。

 誰もが皆、全員、死物に喰われて絶命する。多くの命が、魂が、この世からもあの世からも消えてなくなってしまう。道案内という名の助言をして、なんとか死を回避するように導こうとしても、結局、行く先は皆同じだった。

 道行く人々を通して、この世の滅亡が見える……こんな恐ろしいことがあるだろうか。未来が見える自分の能力がうらめしかった。

「未来は変えられないんですか?」

「わからぬ……未来は、はたして変えられるものなのかどうか……」

 変えられたことを見たことがない。吉路がくだした予言は、はずれたことがなかった。

「変えられるのだとすれば、それができるのは鞍馬天狗しかいない。この世で白夜様に対抗できるものは、鞍馬天狗だけなのだから」

 その可能性にすがるようにして、都の辻に座っていた。死物の主に捕われてしまっている自分は都から出ることができない。だから新たな鞍馬天狗が都へ来るのをずっと待っていた。

 そして白夜やその配下たちに気づかれぬように、なんとか接触できた。

 できたのだが。

「結局、何もできなかった……」

 会って、伝えたかった。あなたはこの世の希望なのだと。すべての生物たちの運命があなたにかかっているのだと。なんとか過酷な運命を生きぬいてこの世を救ってほしいと、直接その尊顔に祈願したかった。

 だがーー鞍馬天狗は少年だった。

 まだ子供っぽさの残る、たった十四歳の、少年だった。

 ずっと思いを告げたくて待っていたのに、あの屈託のない笑顔を見たとたん、その険しい宿命を告げることをためらってしまった。なんとか覇者となることは告げたが、とてもすべてを告げることができなかった。

 宿命を告げられることの恐さを、自分はよく知っている。死物の主に仕えなければならないという己の宿命を知って、深く絶望したから。

 もしすべての生物の運命が、この世の行く末が、この身にかかっているなどと言われたら……自分であったら恐怖で発狂してしまう。とても耐えられない。

 はたして十四歳の身でそれに耐えられるだろうか。少なくとも、あのような笑顔で笑うことは二度とできなくなるに違いない。

 吉路は深く嘆息した。

「予言など告げて何になろう……変えられない未来を告げても、誰も幸福にはなれないのに」

 あの陽炎という青年が少年だった頃に、その過酷な宿命を告げて苦しめてしまったように。

「私の能力は、人を不幸にするだけなのかもしれぬ……」

 悲壮感あふれる吉路のつぶやきに、小路はからりとした声で答えた。

「そんなことありませんよ。吉路様のお力で救われている人はいます」

「小路は優しいな。いいんだよ、励ましなど……」

「励ましなんかじゃないですって。だって実際、吉路様の予言が、鞍馬天狗とあの陽炎という人を助けたじゃありませんか」

 吉路は眉をひそめた。

 覇者だと告げたことはただ未来の事実を告げただけのことであって、何の助けにもなっていない。迷路の中で言ったこともそうだ。いろいろと話してはみたが、結局、鞍馬天狗はすべての助言をはねのけて、一人で己の信じる道を選んで歩いていった。

 自分は何もできなかった……そう落胆していたのだが。

「私の予言が……助けた? 小路、それはどういうことだ?」

「『鞍馬天狗も生物たちも死滅して、この世は死者の世となる』ーーー吉路様がそう言わなかったら、白夜様はあの累さんを鞍馬山へ向かわせていたでしょう。そうなっていたら、今頃もう鞍馬天狗の命はなかったと思いますよ」

 累は白夜の配下の中でも、一、二を争う恐ろしい刺客だ。

 成長途中のいまの鞍馬天狗にとうてい太刀打ちできる相手ではない。

「先のことはともかく、いま鞍馬天狗が生きながらえているのは、間違いなく吉路様のおかげです」

「私の予言が、鞍馬天狗を生かすのに役に立った……のか?」

「はい、そうです」

「そうか……そうなのだとしたら、嬉しい」

 自分はただ見えた未来を告げただけ。鞍馬天狗たちを助けられたというのは結果論だが、偶然だとしても、自分の言葉で誰かを助けることができたのなら、それは喜ばしいことだ。

「ありがとう、小路……おまえがいてくれて本当によかった」

 吉路は心から言った。自分はどうも思いつめてしまう傾向があり、そのたびに前向きな小路の言葉に助けられる。いままで何度も、この小さな子犬に支えられてきた。

「やはり一人で思い悩むものではないな。私におまえがいるように、鞍馬天狗にも最良の伴侶がいることを伝えたかったのだが」

 二度目に会ったとき、鞍馬天狗は迷路で迷って一人きりだった。

 その孤独な姿を見たとき、思った。

 この世の行く末とか、覇者とか、そういうことは関係なく、あなたを支えることのできる唯一無二の相手がすぐそばにいるのだと……何よりもそれを伝えたいと思った。損得や利害など関係なく、自分を案じ、支えてくれる伴侶の大切さに早く気づいて、そしてその相手を大切にしてほしかった。

 しかし新たな鞍馬天狗は意志が強いがゆえに、その考えを変えるのはなかなか難しいように思えた。鞍馬天狗に伴侶の存在を強く意識するように、言葉をつくして訴えてみたのだが。

「はたして、伝えられたのかどうか……」

 最高に相性の良い、天狗の世界でいうところの比翼となれる相手に復讐するなどと言っていた。復讐など無意味なことはやめて、さっさと許して、二人で力を合わせてこれから襲いくる困難に立ち向かってほしい。そうすれば困難な道も苦労は半分になるだろう。

 だが、訴えれば訴えるほど空回りしているような気がした。これまで自分は見えることを予言としてただ告げてきただけで、相手の気持ちや反応を考えながら説得するなどしたことがなかったから、どう言えばいいものかよくわからなかった。

 気のきいたことが言えない口べたな自分が情けなくて、吉路は溜息をついた。

「でもあの二人、もう一緒にいるじゃないですか」

 うしろ足で耳をかきながら小路が言った。

「憎んでるとか、そばにいてはならないんだとか、いろいろ言ってましたけど。でもなんだかんだ言いつつ一緒にいるんだから、結局、仲がいいんですよ、あの人たち」

 身もふたもない小路の言いように、吉路は思わず笑ってしまった。

「ははっ……確かにそうだな」

 憎んだり、迷ったりしながらも、一緒にいる。

 それが答えなのだ。

 相性が良いということをわざわざ他人が言わなくても、それは本人たちが一番よくわかっていることだろう。そばにいれば居心地がよくて安心するし、離れれば心細く不安になる。そういうものだ。

「私がお二人を結びつけなければと思ったが……よけいなお世話だったかな」

 そうですね、と小路はさらりと言った。

「あの二人がこれからどうなるかは、当の二人が決めることです。吉路様が悩むことじゃないです」

 吉路は自分よりも小さく年下の子犬を感嘆のまなざしで見つめた。

「小路といるとつくづく思うよ。本当に大切なのは、未来の予言などではなく、いまを客観的にとらえることなのだと」

「はたから見て思ったことを無責任に言ってるだけですよ。実際、僕には何の責任もないですし、何の能力もないですからね」

 小路はひげをそよがせながら自分を卑下するが、この子犬の言葉こそが希有な能力ではないかと吉路は思っている。

 多くの人々が予言師である自分を追い求め、予言を至上の宝物であるかのように欲するが。本当に価値があるのは予言ではなく、小路のような聡明さや前向きさではないだろうか。ちょっとした考え方や気の持ちようで、気分がかなり違う。ついさっきまで絶望的な気持ちだったのに、なんとかなるような気になってきた。

 肩にのっていた重荷がすとんと下りて、吉路は顔をあげた。

「おまえの言うとおり、鞍馬天狗も陽炎様もご自分の意志でご自分たちの道を歩いていくだろう。わざわざ待ちかまえて、私が口をはさむ必要はなかったな」

「いえいえ、言ってよかったと思いますよ」

「なぜだね?」

「吉路様の場合は、言いたいことがあったら言っちゃった方がいいんです。言わずに我慢してたら、それでまたあれこれ悩んじゃうんだから」

「ははは、そうか。そうだな」

 軽やかな小路の言葉を心地よく聞きながら、吉路は北の空を仰いだ。まだ夜は明けきらずほの暗い空、その下には鞍馬山がある。そこに希望があると思うとどの方角よりも明るく見える。

 自分が鞍馬天狗と会ったことが、鞍馬天狗にとって意味があったかどうかはわからないが。

「私は、鞍馬天狗に会えてよかった……生物の覇者となる方が優しい方だとわかってとてもうれしかった」

 おちこむ初対面の老人を懸命に励まそうとするその心根が、うれしかった。

 小路は少し首をかしげた。

「まあ、気さくな方ではありますよね。僕を見ても、まったく嫌な顔をしなかったし」

 三本足の薄汚れた子犬など嫌悪されるのがふつうだ。人間にはもちろん、死物たちにもあからさまに蔑視される。そういう差別が鞍馬天狗にはなかった。

「でも覇者となるのに、優しさって邪魔になりませんか? 武力や権力で世を支配するのが覇者でしょ、白夜様みたいに」

 圧倒的な力で死物たちを支配し、その頂点に君臨している白夜。その存在に死物たちは心酔し、あるいは恐れ、崇め服従している。

 白夜はまちがいなく、ゆるがず、死物たちの覇者だった。

「優しさなんかもっていたら、覇者になどなれないんじゃないでしょうか? 周囲のものたちを屈伏させて従えるような非情さや支配力がないと。げんに、鞍馬天狗に眷属はまだ一人もいないようですし」

「眷属はいないが、鞍馬天狗に親しみをもつものは多いように思うぞ。なにせあの気難しい安倍晴明とも友達になってしまったのだからな」

 小路が思考をめぐらし、目を細めて固い声で言った。

「鞍馬天狗に白夜様のような支配力はないけれど、生物たちを惹きつける魅力があるということですか? 鞍馬天狗が生物の覇者となり、この世を()べる可能性もあるということですか?」

「いやいや、覇者だからどうのこうのということではない。ただ私が、また鞍馬天狗にお会いしたいと思っただけだ」

 小路は眉をひそめた。 

「会って、どうするんですか?」

「どうもしないよ。己で道を選んで行くあの方に予言は必要ないのだから。そうだな……もしもまた会えることがあったなら、今度はゆるりと話したい。とりとめのないことをな」

 北の空を見つめながら吉路は夢想した。

 季節は山が紅葉に美しく彩られる秋がいい。小路と共に都を出て、鞍馬山へ行く。天狗は酒が大好物だというから美酒をみやげにもって。

 美しい紅葉を眺め酒をのみかわしながら、鞍馬天狗と話したい。

 道案内などーー予言などいらない、などと言われたのは初めてだったから。

 予言師として生きてきた自分の思いを話してみたい気がした。そうしたらなんと答えてくれるだろうか。鞍馬天狗の思いもいろいろと聞いてみたい。もし進路について悩むことがあって、もし少しでも助言ができたなら、それは大きな喜びであるように思えた。

 要するに、吉路自身が鞍馬天狗に親しみをもったということだった。

「まあ……かなわぬ望みだがな」

 嘆息する吉路に、小路はしばし考えて告げた。

「会えますよ」

「会える……? いや、しかしーー」

「会える可能性はあると思います。だって、吉路様の予言では鞍馬天狗とは一度しか会えないはずだったんでしょ? なのに二度も会えたんですから。二度ある事は三度あるって言うし」

 吉路は目をしばたたき息をのんだ後、叫んだ。

「あああああああああーーーーっ!!」

「き、吉路様? どうしました……?」

 未来を予知できる予言師がおどろくようなことは滅多にない。その滅多にない、いままで経験したことのない重大な事実に吉路は気がついた。

「わ、私は……鞍馬天狗と、二度会った! 二度も会えることを、私は知らなかった!」

 一度目は都の辻でーーこれはあらかじめ知っていた。

 二度目は奇門遁甲の中でーーこの出会いは、まったく予知していなかった。

「ええと……それはどういうことですか?」

「鞍馬天狗が、新たな未来を造っているのだ!」

 覇者はその嵐のような宿命のうねりに周囲のものたちを巻きこんでいく。いくら先を視て白夜から逃げようとしても捕まってしまうように、予言という能力を上回る覇者の強運に引きずりこまれてしまうのだ。

 二度目の再会は、まちがいなく鞍馬天狗の強運のせいである。それは白夜の強運に負けない勢いで、知らないうちに吉路の知らない新たな未来を開拓していた。

「小路、おまえの未来を見せておくれ!」

 吉路は小路の顔を凝視し、その未来を視た。

 未来は道によく似ている。

 ふつうに歩いていけばこうなるだろうという広い道の先には、依然として死物によってこの世が滅亡するという光景がある。

 その道から枝分かれしていくつか細道がある。岐路となっているところをゆっくりじっくり見ていくと、新たな道ができているのに気がついた。うっかり見過ごしてしまいそうなほどの細い道、ほんのわずかな可能性の一つ。

「おぉ……!」

 小路が見るかもしれない未来の情景が、吉路の脳裏に浮かんだ。

 北からの道を齢十六の鞍馬天狗が歩いてくる。今よりも背はぐんとのびて、腰元に七星をたずさえ、精悍な顔に笑みを浮かべている。その背後に眷属だろうか、大勢の生物たちがいた。天狗、妖怪、人間、多種多様の者たち。彼らを率いて颯爽と道を歩んでくるその姿は、威風堂々とした主たるものの姿だった。

 吉路は感動に震えながら、新たな予言を高らかに叫んだ。

「この世は滅亡する可能性が高く、未来は暗澹としている……だが鞍馬天狗が数々の困難をのりこえて生きのびることができたなら、二年後、再び都へ来られる!」

「二年後……白夜様が復活するときですね」

「そのときに鞍馬天狗が眷属を率いて都へ来るのだとしたら、目的は一つしかない。都に巣食う死物たちと戦うためだ!」

 このままでいけば鞍馬天狗は白夜に敗北すると吉路は予言している。

 だがそのときに視える道がすべてではないと、新たな未来を造ることができるのだと、鞍馬天狗自身が実証してくれた。

 吉路は目を潤ませながらつぶやいた。

「生物でありながら、死物に仕えなければならない我が身を呪ったが……もしかしたら私にも何か役目があるのかもしれない」

 根拠のない、小さくかすかな希望だ。

 だが鞍馬天狗がくれたそれは、吉路に前進する力を与えた。

「小路、辻で道案内をするぞ。今日を前向きに生き、より良き未来へむかうために。一人でも多くの人々を生かし導くのだ」

 小路は笑顔でうなずいた。

「はい、吉路様」

 夜明けの光が都に満ちていた闇を少しずつ薄めていく中を、老人と子犬は歩きだした。

 二年後、鞍馬天狗との再会をめざして。


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