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十九 闇天狗

「はい、ご名答。よくご存知で。えらいえらい」

 花咲爺の骸骨が骨の手でがしゃがしゃと拍手した。堅いはずの顎の骨をぐにゃりとゆがませて笑っている。

「ポチや、おまえも窮屈でしょう。皮と肉を脱いじゃいなさい」

 ワン!とポチが答え、とたん、その全身の毛がばらばらと抜け落ち、肉がどろどろと溶けて、骨だけの姿となった。ポチもまた犬の狂骨だった。

 天翔丸の全身が粟立った。花咲爺の狂骨から感じる気配に背がぞくぞくとする。昼間はまったく感じなかったが、いまは気分が悪くなるほどの強烈な死気を感じた。

「身軽になったところで、ポチ、狩りを再開しますか」

「ワン!」

 二躰の狂骨が再び陽炎に襲いかかった。

 余分な肉が落ちたせいか、先ほどにも増してその動きは軽く速い。天翔丸の目にはかろうじてその残像が見えただけ、見るだけで精一杯だった。

 その速さにも、陽炎は完全に反応できていた。背後の天翔丸を護りながら、狂骨たちの爪牙をかわし、かわしざまに霊符を二枚とばしてそれぞれの骨に貼りつけた。

「死に還れ。ーー破ァ!」

 霊符を介して骨に霊力を流しこみ、骨を動かしている死気を断つ。骨は破裂するようにふっとび、花咲爺とポチの骨はあたりにばらばらにとび散った。

「やった!」

 天翔丸は思わず声に出して喜ぶ。が、その喜びはすぐに消えた。

 とび散った骨は地面に転がることなく、一瞬空中で止まる。そして見えない引力で引き戻され、がちがちと音をたてながら組み合わさってあっという間に復元した。

 花咲爺とポチは何事もなかったかのように骨の躰で立ち、声をたてて笑った。

「ほ〜っほっほっほ! 還りませんよ、その程度の霊力じゃ。ばらばらにはできても、あっという間にほら元通り」

 恐怖に、天翔丸の呼吸が浅く速くなる。花咲爺はいままでの無言で襲いかかってくる狂骨とは明らかに違った。

 陽炎の攻撃が通用しない。死に、還せない。

 不死身の狂骨だった。

 武術や動きでは決して負けてはいない。だがいくら強くても生物である陽炎には疲労があり、必ず限界がくる。疲労のない死物相手に、このままでいられるわけがなかった。

 狂骨犬のポチが地面の匂いをかぐように鼻付近の骨を動かし、地面を足で掘るようにして、飼い主に訴えた。

「ココ掘レ、ワンワン! ココ掘レ、ワンワン!」

「おぉ、ポチや、そこに埋まっているのだね。ーー私たちのお仲間が」

 花咲爺は腰骨にくくりつけている瓶に手をつっこみ、器用に骨の手で灰をつかんで、ポチのしめした場所にまき散らした。

「枯れ木に花を咲かせましょうーー死者に力を与えましょう〜!」

 真っ白な灰が地面に散らばった瞬間、凍てついた地面の下から呼吸音がした。

 花咲爺がさらに灰をまきながら、陽気に口上をあげた。

「さぁさぁ、皆さん、宴がはじまりますよ〜! 今宵のごちそうは極上の獲物ですよ〜! 皆さぁん、起きてくださぁぁぁぁぁぁぁぁい!」

 その声に誘われるように、地中から骨の腕が突き出てきた。それも一つや二つではない。先を争うように次々と骨の手が出てきて、その手で土をかきわけ、躰を地上に押しあげて、狂骨が地上に現れた。

 花咲爺がそれを眺めながら、嬉しそうに言った。

「う〜〜〜ん、さすが葬送地! お仲間がいっぱいいっぱい!」

 天翔丸ははっとして周囲を見回した。暗さと茂る雑草で気がつかなかったが、よく見ると草葉の陰、石の陰に死体や骨が転がっているのが見える。

 ここは都の北の葬送地、蓮台野だった。

 数多に死者が葬られている葬送地、その大地から狂骨が湧き出てくる。いったい何躰いるのか、数えきれない。十躰や二十躰ではない、百をゆうに超えている。

 さらに状況を悪化させることが起こった。

 上空で吹いた風が雲を押し流し、唯一の光源だった月を隠した。あたりは濃厚な闇に覆われ、天翔丸の視界から一切の光を奪った。

「お、おい、何も見えねえぞ……!」

 天翔丸は闇の中でうずくまり、手探りで地面を這った。明かり代わりにしていた燐火はもうない。あたりを照らせるものは何一つない。

 闇からねっとりした声がからみついてきた。

「おやおや、坊やは夜目が利かないんですかぁ。お気の毒に。それじゃあもう逃げられないですねぇ。なす術もなく、私たちに喰われるしかないですねぇ」

 天翔丸の全身から冷たい汗がどっと噴き出た。闇で何も見えない。あたり一帯から、狂骨たちの呼吸音と濃厚な死気を感じる。強い恐怖で呼吸が乱れた。

「天翔丸」

 聞き慣れた声、感じ慣れた気配がすぐそばにきた。

「陽炎……!」

 天翔丸はその身にしがみつき、すがりついた。陽炎に抱きかかえられ、その疾走を感じた。

 陽炎が一緒なら大丈夫、この場から逃げおおせる。

 そう思ったが、陽炎はしばし走ったところで止まり、天翔丸を下ろして言った。

「私の力ではあの狂骨を倒せません。七星を」

 天翔丸は瞠目し、すがりついていた手を離した。

「お、おまえ……俺に、あいつと戦えっていうのか?」

「他に方法はありません」

「なに言ってんだよ!? そんなの俺にできるわけないだろ! 真っ暗で何も見えないのに、どうやって戦えってんだよ!?」

 陽炎が小さく息をついた。

「あなたの悪い癖です。人間の常識や先入観を過信し、それに捕らわれすぎる」

「え?」

「闇は見通せない、そう思いこんでいるでしょう」

 天翔丸はごくんと唾をのみこんだ。

「……見える、のか?」

「鞍馬天狗には異名があります。暗闇で発揮される甚大な力に畏怖をこめて呼ばれるのです、『闇天狗』と」

「闇……天狗?」

「目をこらしなさい。必ず見えます。見えないわけがない。あなたの本領は闇の中でこそ発揮されるはずです。鞍馬天狗は闇に息づく生物なのですから」

 天翔丸は肩で息をしながら身を縮めた。

 闇に息づく、そんな恐ろしげな生物なんか知らない。自分は天狗の子だと、やっと、ようやく受け入れはじめたところなのに、いきなり闇天狗などと言われても他人事のようにしか聞こえない。

 濃厚な闇に圧迫され、胸が苦しいほどに呼吸が乱れた。震える自分の手すら見えない……闇が、恐い。

「天翔丸、どうか七星を」

 天翔丸は目をつむり、両手で目を覆った。

「む、無理だ……俺には無理だ!」

「無理ではありません」

「絶対に無理だ! 無理に決まってるじゃないか! 闇を見通せたって、おまえが勝てない相手に俺が勝てるわけないじゃないか!」

「その認識は間違っています。あなたが真の力を発揮すれば、私など足元にも及びません。あなたが本気で戦えば、あんな狂骨など敵ではない」

 陽炎の認識に、天翔丸はあぜんとした。

 本気で言っているのだろうか。修行中、全力で攻撃してもただの一度も陽炎に届かず、かすったことすらないのに。誰よりもそれを一番よく知っているはずなのに。買いかぶりすぎにもほどがある。

 自分が陽炎よりも、あの狂骨よりも強いなんて、とても信じられなかった。

「七星をぬいてください。そして戦ってください。私が全力で援護します」

 闇のむこうから花咲爺の声が聞こえた。

「隠れんぼですかぁ〜? どこかなぁ〜? ここかなぁ〜?」

 花咲爺はこちらの生気を見ることができるのだから、どこにいるかなどわかっているはずだった。わかっていて、のらりくらりと恐怖心をあおるように近づいてくる。獲物を追いこむのを楽しんでいる。

 だんだんと近づいてくる声に、天翔丸の恐怖が高まった。

「に、逃げよう……早く逃げるんだ!」

「逃げられません。彼らの脚力は私よりも上です。逃げても追いつかれます」

 逃げ道をふさぐ陽炎の言葉に、さらに恐怖が高まる。

「坊や〜? こっちから声が聞こえましたねぇ」

 花咲爺の声が近づいてきた。

「き、来た……」

「天翔丸、聞いてください」

「来た……!」

 縮こまって震える天翔丸の身体を、黒衣が覆った。

 陽炎は天翔丸を包みこんで周囲に充満する死気から護り、天翔丸の片耳を手でふさいで骨の音や恐怖をあおる声を遮断し、もう片方の耳に口を寄せて、自分の声だけが届くようにした。

「天翔丸、あなたが鞍馬山に降山してからこのふた月の間、私はずっとあなたを見てきました。あなたにどれほどの力があり、何ができるのか、そしてどれだけ成長したのか、私は知っています。できないことを無理強いしているのではありません。あなたならあの狂骨と戦い、必ず勝てる。なぜならあなたには果てのない神通力と、天性の武術の才能があるからです」

「そ、そんなの……そんなの、信じられるかよ!」

「私を信じなくてもかまいません、でも今だけーーこれだけは、信じてください。あなたなら戦えます。戦いぬけます。自分を信じて、自信をもって七星をぬいてください」

 天翔丸は首を横にふった。

「無理だ……」

「天翔丸」

「俺には無理だぁ……!」

 天翔丸は目をつむり、耳をふさぎ、拒絶した。

 陽炎を信じるか信じないか、そういうことではなかった。陽炎はいつわりを言わない、それはもうわかっている。わかっているから恐いのだ。

 ーー鞍馬天狗は戦うのが宿命です。

 陽炎に何度も言われてきた言葉が、真に胸に迫ってくる。

 鞍馬天狗は、いったい誰と、いつまで戦わなければならないのか?

 満月の夜になると自分にむかって歩いてくる狂骨たち、彼らはどこからやってくるのか、疑問に思っていた。いや、本当はわかっていたのかもしれない。でもそれを知るのが恐くて、深く考えることをせずにずっと目をそむけてきた。

 だがさっき、狂骨が生まれる瞬間を見てしまった。

 死物は葬送地から生まれる。葬送地は都の回りにいくつもあり、その各所に無尽蔵の死体や骨があることも知っている。そのすべてが、自分の生気を嗅ぎつけ、命を喰らいに襲いかかってくるのだ。

 生きていくには襲い来る死物たちと戦わなければならない。いくらか戦って終わるのなら、まだ頑張りようもある。だが都で人は毎日死に、絶え間なく死者が生まれている。戦っても戦っても、消しても消してもきりがない。

 鞍馬天狗は、誰と、いつまで戦うのか?

 死物たちと、永遠に、戦いつづけなければならないのだ。

 果てのない戦いがつづく修羅の道、そんな道を自分が歩き通せるとはとうてい思えなかった。陽炎を信じられないのではなく、戦いつづけなければ生きられない自分の宿命を信じたくなかった。

「見ぃつけた」

 嬉しそうな花咲爺の声がすぐ近くで聞こえた。

 びくっと身体を震わせると、陽炎に引き寄せられた。

「破ァ!」

 一瞬、霊力の青白い光が闇を走り、骨のはじけ飛ぶ音がした。だがあたりはまたすぐ闇に戻り、骨のぶつかり合う音が一箇所に集まった。

「ほ〜っほっほっほ、無駄無駄無駄〜〜」

 天翔丸の身体が浮き上がり闇の中を疾走する。陽炎に抱えられて、天翔丸はただ運ばれた。濃厚な闇で天地もわからない。どこに何があるのか、狂骨がどこにどれだけいるのか、何が起こっているのか、何もわからない。

 ただ強い恐怖に震えた。

 陽炎は闇の中を走って狂骨たちとの距離を置くと、身を縮めている天翔丸をそっと下ろした。

「雲外鏡」

 陽炎の声に呼び起こされて、天翔丸の胸元にある鏡が淡く光った。

「狂骨は私が食い止める。天翔丸を鞍馬へ導け。後のことは黒金に」

「陽炎、おぬしーー」

「頼む。天翔丸を」

 短く重い沈黙をおいて、雲外鏡は答えた。

「心得た。決して、決して死ぬでないぞ、陽炎」

 張りつめた雲外鏡の言葉に、天翔丸は硬直した。

(し……死ぬ? 陽炎が……?)

 それはあまりに現実離れした言葉だった。

 陽炎は強い。いままで自分がどれだけ懸命に立ち向かっていっても軽くあしらわれ、また天狗だろうと死霊だろうと餓鬼だろうと、その圧倒的な強さで倒してきた。

(いや、でもーー)

 いまさっき陽炎が自ら言った。私の力ではあの狂骨を倒せません、と。

 動揺していると陽炎に両手をとられ、雲外鏡をにぎらされた。その手の上から、大きな手でぐっとにぎられる。

「天翔丸、雲外鏡と共に鞍馬山へ行きなさい。行って……生きのびてください」

 雲外鏡の鏡面から発せられる淡い光が陽炎の顔を闇に浮かばせ、そのゆれる蒼い瞳が天翔丸の目に焼き付いた。

 そして陽炎は手を離し、闇へむかって駆けだした。

「ま、待て、陽炎! 行くなっ!!」

 のばした手は届かなかった。陽炎の姿は闇にのまれて見えなくなり、気配も遠ざかって感じとれなくなった。

「天翔丸、ふりむいて北へむかって走るんじゃ! 早う鞍馬へ」

 雲外鏡が逃げ道を教えてくれた。

 だが天翔丸はその場から動かなかった。

「天翔丸! 陽炎の行為を無駄にするでない! 早う逃げるんじゃ!」

 逃げたい、と痛切に思った。

 闇の中でうずくまっているしかない自分がこのままこの場にいたら、間違いなく狂骨に喰われて死ぬ。だが一刻も早く逃げたいという気持ちをおしのける、もう一つの気持ちがあった。

 冷たく叱咤されたり命令されたりすれば、あるいは置き去りにして逃げられたかもしれない。だが「生きのびてください」という陽炎の言葉は叱咤でも命令でもない。

 懇願だ。それもまるで遺言のような。

 だから置いては行けないーー皮肉なことに生きのびるよう願った陽炎の言葉が、天翔丸の逃走を阻んでいた。

「陽炎ーーっ!」

 狂骨たちが動く骨音にまじって、激しく打ち合う金属音が聞こえる。鞍馬山でいつも聞いている錫杖の音。それがどんどん離れていく。陽炎が狂骨たちと戦い、彼らを引きつけながら自分から離れていこうとしている。

 天翔丸は焦った。

(陽炎、駄目だ)

 自分の中の奥底にあるものが焦らせる。眠っている本能が、寝返りをうつようにごろりと動いて訴える。

(離れたら駄目だ)

 天翔丸は見えない闇の中で立ち上がり、逃げ道に背をむけて耳をすませながら歩を進めた。何かに足をとられたりぶつかったりしながら、離れていく陽炎を懸命に追いかけた。何かにつまづいて転ぶと、手探りで暗闇の中を這いながら錫杖の音を頼りに進んだ。

 やがて陽炎の気配、その生気が感じとれた。

「陽炎!」

「天翔丸、早く逃げなさい! 早ーー」

 ふいに陽炎の声が途切れた。同時にその生気が突然消えて、気配がまったく感じとれなくなった。

「陽炎!? おい、陽炎! どうした!? 陽炎!」

 いくら呼んでも返事はなく、もう錫杖の音も聞こえなかった。

 天翔丸は身震いした。いままでの経験上、自分が呼べば陽炎は必ず返事なり反応なりを返してくる。無愛想な男だが、鞍馬天狗を無視することはない。近くにいるのに答えないなんて絶対にありえない。

「返事をしろ、陽炎!」

 陽炎がいた方向から、花咲爺の声がした。

「坊や、お連れさんを気にしている場合じゃないですよ? はい皆さん、坊やをつかまえて」

 周囲から、無数の死気がぶわっと押し寄せてきた。

 何躰もの狂骨が死気を吐きながらとびかかってきて、天翔丸はうつぶせに倒された。腕も、肩も、足も、髪も、衣も骨の手につかまれ、地面に縫いとめられるように完全に拘束された。

 天翔丸は必死にあがいたが、狂骨たちの拘束はびくともしなかった。手加減というものを知らないらしく、冷たく堅い骨が肌に深く食いこみ、ちぎれそうなほどに髪を強く引っ張られる。

「坊や、痛いかい? いいんですよ、痛いなら痛いって、遠慮なく悲鳴をあげて。怖いなら怖いって、泣き叫んでいいんですよ?」

 天翔丸は痛みをこらえ、息を荒げながら言った。

「は、花咲爺……おまえ、陽炎に何をした!?」

「だからぁ、人のことを気にしている場合じゃないですって。はい、皆さん、もう一度」

 無数の骨の手が身体を強くぎりぎりと絞めつけてきた。天翔丸は全身を裂かれるような痛みに悲鳴をあげ、耐えかねて叫んだ。

「やめてくれ……!」

 刹那、耳をつんざくけたたましい笑い声が闇に響いた

「ほーっほっほっほ! いいですねぇ、その悲嘆に満ちた声! やめてくれと懇願するものをいたぶって喰らうのが愉しいんですよ! もっとわめきなさい! もっと悲鳴をあげなさい! 泣いて助けを請いなさい!」

 愉悦に満ち満ちた声で、花咲爺はげらげらと笑いとばした。

 一瞬、天翔丸は痛みを忘れてあぜんとした。捕らえた獲物をいたぶり、苦しむ様を愉しむそのあまりの醜悪さに言葉を失う。

「ねえ坊や、お連れさんがどうなってるか、気になります? 気になりますよね? 教えてあげましょうか?」

「言え! 陽炎は……!」

「やっぱり教えな〜〜い!」

 花咲爺はげらげらと下卑た声で笑い、獲物をからかって遊んだ。

「まあそんなことどうでもいいじゃないですか。どうせ、これからあなたもお連れさんも死ぬんですから。お二人とも若くまだまだ人生これからなのに、もう死んじゃうんですよ。私に目をつけられてしまったばかりに……かわいそうに! かわいそうすぎて笑えます〜〜!」

 天翔丸はいらつきながらも、少しだけほっとした。これからあなたもお連れさんも死ぬ、ということはまだ陽炎は生きている。

「ところで、坊やは貴族の子息かなんかですか? それとも豪商の息子さん? お連れさんにいくらあげるって言ったんですか?」

 天翔丸は眉をひそめた。

「金をやるからおとりになれって、お連れさんに言ったんでしょ? で、あなた、その隙に自分だけ逃げるつもりだったんでしょ?」

 天翔丸は激しく首を横にふった。

「金……金なんて……そんなもので、陽炎が動くか……!」

「あら、じゃあこの人、なんで坊やを護ろうとしたんですかねぇ? 金のためじゃないとしたら、何のために?」

 花咲爺は自問してしばし考え、侮蔑のこもった声で言った。

「あぁ、もしかしてこの人、純粋に坊やを護るために自分が犠牲になろうとしたんですかね。ときどきいますよねぇ、そういう無意味なことをする、莫迦な人」

 ぞろり、と不快な感情が胸の中で動いた。

「なん……だと?」

「忠義とか、良心とか、愛情とか、そういうのって嘘くさくって嫌いなんですよね。はっきり言って虫酸が走ります。偽善以外のなにものでもないのに」

 天翔丸は腕の力でぐっと上半身を起こして、声のする方をにらんだ。

「何が偽善だ……何も知らないくせに……おまえは、陽炎のこと、ぜんぜん知らないくせに……!」

「ええ、知りませんよ。あなただってそうなんじゃないですか? この人のことけっこう信頼してるみたいですけど、本当は何を考えてるかなんてわかんないもんですよ。表面では優しい顔してても、皆、本心じゃ邪なこと考えてるんだから」

 確かに、自分も陽炎のことを知っているとは言いがたい。その正体も、その心の内もいまだわからない。

「陽炎の本心なんて、俺も知らない……ーーでも、わかる」

 出会ってからふた月、ずっとそばにいたからわかる。

 毎日、朝早くから夜遅くまで、一日も休まずに鞍馬天狗の武術の修行にとりくんでいた。己のすべてを費やすようにして。そして鞍馬天狗の身代わりになって血を流したり、助けるために脱出不可能の結界にとびこんだり、励ますために息巻いたり、そうやって懸命に護ってきた。命をもかけて。

「偽善じゃない……偽善で、命がかけられるか……!」

「じゃあ、同情? 子供の坊やが無惨に死んじゃうのを哀れんで、助けようとして、巻き添えをくっちゃったんですね」

 巻き添えというのはある意味、真実かもしれない。陽炎一人ならゆうに逃げられたはずだ。でも陽炎は絶対にそうはしない。鞍馬天狗を放りだして、逃げたりはしない。いつだって、どんなときも名を呼べばすぐに返事が返ってくる距離にいた。

 陽炎ーーそう一言呼べば。

 はい、天翔丸ーーと。

 天翔丸はハッとし、気がついた。

 自分のそばにはいつも陽炎がいた。いつも返事が返せるところに。

 憎らしい、うっとおしいと思っていたから、その意味に気がつかなかった。そばにいるのが当たり前になっていたから、それがどういうことなのか気がつかなかった。

 鞍馬天狗は戦うのが宿命ーー陽炎は何度もそう言ったが、一人で戦えとは言っていない。言葉をつくして励ましてくれながら、全力で援護すると言ってくれた。いつだってそばにいて援護してくれていた、巻き添えをくうことも恐れずに。そうやって支えられていたことに、陽炎の返事が聞こえなくなったいま、初めて……気がついた。

 天翔丸は目にこみあげてくるものをこらえながらつぶやいた。

「……俺は莫迦だ……」

 自分が七星をぬかなければ陽炎がこういう行動に出るだろうことは、少し考えればわかったことだ。なのに後のことをまったく考えず、恐い、無理だと子供のように駄々をこねて、陽炎を窮地へ追いこんでしまった。逃げたいと自分が言っておきながら、陽炎が命がけで作ってくれた逃げる機会を無にしてしまった。

「莫迦は俺だ……俺なんだ……陽炎じゃない!」

 自分が莫迦にされるのはいい、愚かで莫迦な子供なのは本当のことだから。

 だが陽炎が莫迦だというのは違う。断じて、違う。

 憎んでいる復讐相手ではあるけれど。

 鞍馬天狗への陽炎の献身ーーそれは金で買えるものではない。絶対に、莫迦にしていいものじゃない。

「陽炎を莫迦にするな!」

「莫迦でしょ。さっさと自分だけ逃げれば助かったかもしれないのに。ほーんと、救いようのない大莫迦ですよ」

「違う!」

「あれぇ〜? 坊や、もしかして怒ってます? 私のこと、にらんでます? 私、嫌いなんですよねぇ、そういう反抗的な態度」

 さらなる死気が押し寄せ、狂骨たちが数を増してのしかかってきた。その重さに耐えきれず、起こしていた上半身がねじ伏せられる。天翔丸は凍てついた地面に顔を押しつけられ、屈伏させられた。

「う……ぐ……!」

「そうそう。そうやって痛みにのたうちながら、地べたにはいつくばってなさい。何を言ったってどうあがいたって、あなた、もう逃げられませんから」

 天翔丸は口に入ってきた苦い土を牙を剥くようにして噛みしめ、死物たちの大地に爪をたてた。

(逃げられない……?)

 身体をこわばらせていた恐怖が引き波のように引いていく。恐れが引ききった後、ふつふつとわき上がる怒りが寄せ波となって返してきた。

(なんで、俺が、あんな奴から逃げなきゃならないんだ?)

 何躰もの狂骨がのしかかり全身をしめつけてきた。身体がばらばらになりそうな激痛だったが、煮えたぎる怒りで痛みは麻痺している。

「おいしそうな坊やは後のお楽しみということで。まずはお連れさん、あなたから。では……いただきまぁぁぁぁす!」

 無数の骨が軋む音が耳障りに響き、それに混じって、陽炎の声がかすかに聞こえた。

「……うっ……!」

 苦痛に満ちた小さなうめき声が天翔丸の耳に突き刺さった。瞬間、さらなる怒りがうねりとなって押し寄せてきた。

 (じゃ)れるようにのしかかってくる狂骨たちに腹が立つ。

 捕らえた獲物をわざわざいたぶって嘲笑う花咲爺に腹が立つ。

 なにより、そんな外道に捕らわれて地に屈伏させられている無様な自分に腹が立った。

(これが、俺なのか)

 宿命におびえ、己の不幸を嘆くしかない弱者なのか?

 襲いくる敵に泣き言を並べるしかないほど無能なのか?

 恐怖と苦痛に悲鳴をあげるだけの無力な生物なのか?

「ーーんなわけ、ねえだろ!!」

 刹那、天翔丸の身体が光り輝いた。

 その身をつかんでいた狂骨たちが、熱いものにでも触れたようにびくっと手を離した。ほどよい生気は死物の糧となるが、強すぎる生気は害となる。『神に通用する』といわれるほどの神通力は膨大な生気のかたまり、彼らにとっては害であり脅威そのものだ。

 骨の手が離れた瞬間に天翔丸は跳ね起きて抜剣し、神通力をこめて周囲にふるった。ひと振りで、自分の回りに充満していた死気が瞬時に消え失せる。

 天翔丸は剣の柄を手にねじこむように強くにぎりしめた。

 そう、この手には最強と呼ばれる神器がある。あらゆるものを消し滅ぼすというこの剣の前では、狂骨など敵ではない。

「邪魔だ……」

 視界をさまたげるこの暗闇が邪魔だ。闇さえ見通せればーー戦える!!

「こんな、闇っ!!」

 天翔丸は立ちふさがる濃厚な闇をぎんとにらみつけた。目を見開き、ありったけの力をこめて、まばたきもせずに凝視する。だが闇はかすかにゆれたように見えたものの、その先を見通すまでにはいたらない。

 すると胸元の雲外鏡が背を押すように言った。

「神通力を目にこめよ」

 助言を頭で理解するより先に身体が反応した。

 身体の奥底から湧き出てくる神通力が目に集まり、天翔丸の視界に光がともった。それはどこからか照らされる光ではなく、発光しているのは自分の目そのもの。瞳が金色へと変じた。

(闇がーー)

 天翔丸にとっての未知の世界、それを隠していたぬばまたの闇が。

(闇が、透ける)

 みるみる視力が増していくのがはっきりとわかった。昼よりも夜の方が鮮明に、より遠くのものが見え、夜の世界が天翔丸の前にその姿をさらした。

 開眼した夜目で、天翔丸が見たものはーー。

 無数の狂骨が陽炎にたかっているおぞましい光景だった。ぐったりとした身体を狂骨たちに無理やり引き起こされ、全身に骨がからみついて拘束されているさまは、まるで磔に処された罪人のようで。首に巻いていた布をはぎとられ、黒衣の胸襟をひらかれて、まるで生け贄のように捧げられて。

 花咲爺はさしだされた生け贄の黒髪をつかんで首をのけぞらせ、その喉元に歯をたてて生気を吸っていた。

「ーーーー!!!」

 天翔丸の息が止まった。凄惨な光景に呼吸を忘れ、血が凍りつく。

 そして次の瞬間、凍りついた血が一気に沸騰し、逆流した。煮えたぎる血が全身を駆け巡り、鼓動が心臓を強打して眠っていた本能を叩き起こす。

 怒りが爆発し、神通力が全身から噴きだした。

 立ち上がっている天翔丸に気づいた花咲爺は、生け贄から歯を離して言った。

「あら、立ってる。皆さん、坊やを逃がさないようにつかまえて」

 百を越す狂骨の群れ、その眼窩が天翔丸に集中した。狂骨たちは黒い呼気を吐き、がしゃがしゃと音をたてて走りながら白い骨の手を獲物めがけて一斉にのばした。

 天翔丸は七星をにぎりしめ、津波のように押し寄せる狂骨の群に真っ向からつっこんでいく。

「どけええええええええええええええええええええええええええっっ!!!」

 その瞳がつりあがり、黄金に輝いた。

 天翔丸は全身に拡散していた神通力をすべて七星に集めた。自分にむかってのびてくる無数の骨の手に、七星を介して神通力をぶつけていく。七星が骨の指先にふれただけで、骨の躰全体に神通力が行きわたって一瞬で狂骨は消えた。輝く剣は稲妻のごとく闇を斬り裂き、葬送地を闊歩する狂骨たちを次々と消し滅ぼした。

 狂骨は数が多いだけ、毎日相手にしている陽炎の身のこなしに比べたらどれもあくびが出るような動きだった。いつも修行している足場の悪い根の谷に比べたら、こんな平地で立ち回ることなどたやすい。欠かさずにぎっている剣はすでに手になじんで重さを感じないほどになっており、通力を使ったさいの疲労はあったが、そんなものは激しい怒りで消し飛んだ。

 金の双眸を輝かせ、牙のごとき光る剣で死物たちを喰らい消していく姿は、荒野を疾走する夜行の獣を思わせる。そしてそれが走りぬけた後には一片の骨も残らなかった。

 天翔丸は走りながらむかってきた狂骨の群を一躰残らず殲滅させ、彼らの親玉の元へ一気に迫った。

「がああああああっ!!」

 吠えながら花咲爺めがけて七星を一閃させた。だがそれを花咲爺はひょいっとかわして跳躍し、曲芸をする猿のように宙をくるくると回転して、狂い桜の枝にとんとのった。

「陽炎!」

 見ると、陽炎は狂骨に羽交い締めにされたまま意識を失っていた。その身には無数の骨が複雑にからみついており、斬るにしろ引きはがすにしろ、一躰一躰を相手にしていては時間がかかる。

 天翔丸は七星の刃に意識を集中させた。

(狂骨だけ!)

 そう念じながら、神通力をこめた七星を横に一閃させた。輝く刃は狂骨もろとも陽炎の胴体を両断した。しかし滅ぼしの力が消滅させたのは使い手が狙いをつけたもののみ。刃が肉体を通りぬけたにも関わらず陽炎を無傷で残し、群がっていた狂骨のみを消し滅ぼした。

 この剣技の手がかりとなったのは、以前、黒金に言われた七星の使用法である。

 ーー瓶子を傷つけずに中に入っている酒だけを斬ることができるか。

 そのときはできるわけないと一蹴したが、先代の鞍馬天狗ができたというその技の逆のことを、天翔丸はぶっつけ本番でやってのけた。

 拘束を解かれて、陽炎はどっと倒れた。

「陽炎!」

 陽炎は目を閉じたまま微動だにせず、呼びかけても反応がなかった。血の気が失せた肌は紙のように白く、頬にふれるとぞっとするほど冷たかった。

 狂い桜の枝の上で、花咲爺が高笑いした。

「ほーっほっほっほ! 元気のいい坊やだねぇ。お連れさんを助けようと、夜目まで開眼して頑張ったんですねぇ。でも残念! もう手遅れでした〜。お連れさんの生気はぜ〜んぶ私が食べちゃいました〜」

 天翔丸は陽炎の生存を確かめようとその口元に耳を寄せたが、呼気はなかった。胸に手をやったが、そこで脈打っているはずの心臓はとくりとも動いていない。もう死んでいると判断せざるを得ない状態だった。

 しかし天翔丸はその死を認めなかった。

「雲外鏡!」

 雲外鏡は鞍馬天狗の求めを察して、素早く答えた。

「神通力を与えるんじゃ。神通力はこの世でもっとも強い生気、弱っている生物を回復させることができる。生死の境を越える前に間に合えば、蘇生するやもしれん」

 天翔丸はすぐさま陽炎の首に掌をあて、花咲爺に生気を奪われたそこから神通力をそそぎこんだ。

「蘇生? 無理無理! もう手遅れだと言ったじゃないですか。どんなことをしても一度死んだものを生き返らせることはできない、それがこの世の理ですよ」

 花咲爺の嘲笑を無視して、天翔丸は神通力をそそぎつづけた。そそぐごとに疲労が身体にのしかかってきたが、かまわずありったけの通力を与えた。膨大な力が陽炎の身体を隅々までめぐり光がもれる。

 だが陽炎は目を覚まさなかった。息をする気配がない。

「陽炎! 目を開けろ、陽炎!! 陽炎ぉぉぉっ!!」

 天翔丸は全力で神通力を与えつづけながら、何度も何度も呼びかけた。


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