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一 比翼

 都でも有数の立派な貴族の邸、その広い庭に笛の二重奏がゆったりと響いている。

 十歳になった年の早春、天翔丸は母と二人で縁台に座り、一緒に笛を奏していた。まだつたないながらも自由奔放な息子の音に、母の笛の音が優しくより添っている。

 既成の曲にはとらわれず、二人で心のおもむくままに吹いているうちに新しい曲ができることもしばしばあった。そんなふうにできた新しい一曲を吹き終えると、母は息子に言った。

「良い曲ができましたね、天翔丸」

「はい、母上」

 母は見えない目で息子を見るようにして、にっこりと微笑んだ。

 とたんに天翔丸の顔にも笑みがあふれ、母の手に手を重ねた。

「母上、お庭を歩きましょう」

「ええ」

 天翔丸は母の手をしっかりとにぎり、身を添わせ、よく手入れされた庭へと歩いていった。自分一人のときは、危ないと注意してくる舎人たちにかまわず走り回るが、盲目の母と歩むときは母の歩幅に合わせ、母の歩きやすい速さで足を運ぶ。もちろん母の足元につまずきそうな石などないか目を配るのも忘れない。

 いつも一番安全な道を選んで、天翔丸は母と歩いた。

 池のほとりで足を止めた天翔丸は、見上げた枝に小さな芽が吹いているのを発見した。

「母上、桜の木に芽が出ています。茶色の小さな芽です。少しふくらんで赤くなっているのもあります。二つ、三つ、四つ……あ、となりの枝にも! たくさんあります!」

「寒さもやわらいできましたからね。もう春がすぐそこまできているのでしょう」

「桜が咲いたら、また一緒にお花見をしましょう」

「ええ。楽しみですね」

 見ることのできない盲目の母のために、天翔丸は言葉を尽くして見つけた花がどんな色か、どんな形をしているか、どんなふうに咲いているかを語って聞かせる。母の息子の言葉にうなずきながら想像をひろげる。それがこの母子の花見であった。

 母はそれを喜び、息子もそれが楽しかった。

 天翔丸は桜から目を離し、さらに上を見上げた。

「今日はいい天気です。空が青くて、雲は一つもありません。あっ、母上、鳥が飛んでいます」

 澄んだ青空を悠々と飛ぶ二羽の鳥が見えた。見えたといっても豆粒くらいの鳥の影だったが、二羽は戯れあうようにして都の上空を旋回していた。

「二羽の鳥が、くっついたり離れたりして、仲良く飛んでいます」

 母はうなずいて言った。

「それはきっと『比翼』ですね」

「ひよく?」

「翼を並べて飛ぶ鳥のことです。互いを信頼し、どんな困難も力を合わせてのりこえ、つらいときも励ましあい、支え合って生きていく……鳥でなくても、そんなふうに仲の良い方々をそう呼ぶのですよ。心で深く結びついた比翼は、生涯を共にすごし、仲睦まじく添い遂げるといいます」

 ふぅん、と答えて天翔丸は空飛ぶ二羽の鳥を見つめた。たしかに、二羽で遊ぶように飛び回っている姿はとても楽しそうだ。

「あなたも比翼となれるような方と出会えるといいですね」

 天翔丸は母にひしっと抱きついて言った。

「私の比翼は母上です。ずっと、ずーっと一緒です」

 甘えん坊な息子の返答に母は少し困ったように首を傾けながらも、その頭をなで嬉しそうに微笑んだ。

「えっと、あの鳥の種類はですね……」

 どんな鳥か、母にもっとくわしく説明しようと思い、天翔丸は空を仰いで目をこらした。

 それにしても、鳥たちはずいぶん高いところを飛んでいる。

 背伸びをし、目をいっぱいに開くと、鳥の形状をうっすら見ることができた。

 天翔丸は目をぱちくりとさせた。手の甲で目をごしごしとこすり、もう一度目をこらして見直す。鳥に翼があるのは当然だ。だが、あの鳥は衣を着ていやしないか? おまけに人間のような手足がありはしないか?

「おーーい!」

 天翔丸は空にむかって声を張りあげ、手を大きくふりながら鳥に呼びかけた。

「おーーい! 鳥やーい! こっちに来ーーーい!」

 地上におりてきて、その姿をよく見せてほしい。

 しかし鳥たちは翼を羽ばたかせて上昇し、やがて空に溶けるように消えてしまった。

「あ〜ぁ、行ってしまいました」

 心底残念に思って、天翔丸は息をついた。不思議な鳥をじっくり見てみたかったのに。

「母上、あの鳥たちはどこへ飛んでいくんでしょう。空の向こうでしょうか」

「そうですね。空の向こう……天の果てまで飛んでいくのかもしれませんね」

「家はどこにあるんでしょう? 雲の上かな?」

「巣は山のどこかにあるんだと思いますよ」

「あぁ、そっか。そうですよね」

 あんまり高く飛んでいるから、てっきり雲の上にでも棲んでいるのかと思った。

 しかし空飛ぶ鳥も地上の生物。緑生い茂る山のどこかに帰る巣があるに違いない。

「あんなふうに高く飛べたら気持ちいいでしょうね。空から何が見えるんでしょう。見てみたいなぁ」

 人は空を飛べない。天翔丸は幼かったが、それくらいの常識は知っていた。かなわない望みとわかっていて、言葉ほどに望むこともなく思うことを口にしただけだったが、それを受けて母が不思議なことを言った。

「あなたにも見えますよ」

 見えない目でじっと息子を見つめるようにして。

「羽ばたきなさい、天翔丸」



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