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十八 十五年の願望

 草木も眠る丑三つ時。薄ぼんやりとした月明かりの下、人気のない都の周囲を天翔丸はとぼとぼと歩いていた。その後ろを少し離れて陽炎が無言でつづいている。

 歩きながら天翔丸は何度も溜息をついた。何度も。何度も。その瞳にはいつも明るさはなく、うつろに沈んだ色をしている。

 ーー母を護りたくば、都を去れ。

 晴明の忠告の後、天翔丸は後ずさるように友から離れ、都から出た。だが出た後も離れる決心がつかず、都の回りをさまようように歩きつづけている。

 天翔丸は石につまずき、よろけて地面に手をつき、そのまま座りこんだ。すりむいた手ににじんだ血は人間のように赤かったが、これは人間だという証明にはならない。

 この手から発せられる神通力。髪が赤く染まるようになったのも、瞳が金色に変色するようになったのも、すべてこの力が発現した日からだ。この力による強い生気を狙って、狂骨たちも襲ってきた。

(こんな力さえなければ……)

 自分の人生を狂わせた力。

 自分を人間でなくした忌々しい力。

 天翔丸は掌に爪が食いこむほどに強く拳をにぎりしめた。こんな力、捨ててしまいたかった。それで人間になれるのなら迷わず捨てる。だが捨て方もわからないし、そもそも捨てられるものなのかどうかすらわからない。

 もう、どうすればいいのかわからなかった。

 うなだれ座りこんでいると、静かな声が耳にすべりこんできた。

「あなたを待っていました」

 顔をあげると、目の前に黒衣の男が立っていた。欠けた月を背にし、月よりも鮮やかな色をした蒼い瞳でこちらを見下ろしていた。

 初めて出会った、あの満月の夜のように。

 陽炎はひざまずいて天翔丸と目線を合わせ、静かに語りだした。

「鞍馬山は滅びゆく山でした。あなたの父、先代の鞍馬天狗が墜ち……そのとき同時に、次代の守護天狗を産みだす手段を山は失ってしまったのです。ですが富士の大長が神託を下されたのです。『いつかはわからない。だが新たな鞍馬天狗は必ず降山する』と。ですから、私は山にとどまって待ちました。新たな鞍馬天狗を……あなたを、十五年、待ちました」

 一瞬、天翔丸は言葉を失った。

「十……五年?」

 いま自分は十四歳だ。十五年待っていたというのが本当なら、陽炎は生まれる前から自分を待っていたということになる。大長の神託とやらも信じがたいが、それを信じて十五年も待っていたという陽炎におどろかずにいられなかった。

「十五年待って、再び大長は神託を下されました。『新たな鞍馬天狗は都にいる。人から産まれ、先代の血を受け継いだ天狗、名を天翔丸』と。そしてあの日……私はあなたを見つけました」

 見つけた、と噛みしめるようにつぶやく陽炎の蒼い瞳に自分の顔が映っている。そのひたむきな瞳に飲まれそうになって、天翔丸は思わずうつむいて顔をそらした。

「あなたの神通力はとても強い。その輝きに惹かれて、これからさまざまなものたちが集まってくるでしょう。それゆえに、あなたは都はもとより、どの土地にもなじむことはできないでしょう。でも鞍馬山だけは違います。あなたの力を内包できる霊山です。鞍馬山だけがあなたの安住の地となりうるのです」

 夜闇によく通る静かな声に、天翔丸はうつむきながらじっと聞き入った。

 たぶん、この男が言っていることは本当だろう。

 陽炎は偽りは言わない。いつだってその冷たい声で最悪の事実を告げてきた。母の記憶を消したこと、もう都には住めないということ、そして自分が人間ではなく鞍馬山の守護天狗だということ。どんなことも歯に衣着せず、冗談の一つも言うことのない男だから、その言葉には真実味がある。

 本当に、十五年も待っていたのだーー自分を。

「あなたが必要なのです」

 胸がとくんと鳴った。

 それは前にも言われたことのある言葉だ。いきなり都から連れ去られて、鞍馬山を護るためには鞍馬天狗である自分が必要なのだと。あのときは冗談じゃない、ふざけるなと思った。

 だがいまはーー陽炎のその言葉に強く胸を打たれた。行き場をなくして気落ちしている今このときに、なぜこの男は一番欲しい言葉を言うのだろうか。

 天翔丸は衣を握りしめてつぶやいた。

「でも俺……何もわからない。主って何なのか……鞍馬天狗って何なのか……」

「それはこれから学んでいけばいいのです。わからないことがあったら何でも聞いてください。私が知りうることはすべて教えます。私にわからないことがあっても、見識の高い黒金や、この世のあらゆることに通じている雲外鏡がいますから、あなたが欲する知識はすべて鞍馬山で得られます。まずは神通力を自在に使えるように修行しましょう。あなたの意志に反して暴走することのないように。あなたならきっとすぐにできるようになります。あなたなら、必ず立派な鞍馬の主になれます。私が手を貸しますから……そのためなら、どんなことでもしますから」

 言葉が重ねられていくごとに、胸の高鳴りが増していくのを天翔丸は感じた。かけられる言葉そのものよりも、陽炎の懸命さが伝わってきて、心がゆさぶられる。

「天翔丸」

 名を呼ばれて、天翔丸は下げていた目線をそろそろと上げ、陽炎の瞳を見た。

 初めてこの目を見たときは人間離れした目だと思った。見たことのない色、少しの温かみも感じられない冷たい碧眼。同じ目なのに、なぜか今はまったく違って見えた。深い、深い蒼は少しの濁りもなく澄みきっている。夜闇の中で見ると、より映える。

 こんなきれいな瞳が他にあるだろうか。

 天翔丸はその美しさに見とれた。

「帰りましょう。鞍馬山へ」

 陽炎がうやうやしく手をさしのべてきた。

 蒼い瞳は夜道を照らしてくれる月のようだった。どこまでも追ってくる月。

 天翔丸はにぎりこんでいた手を開き、浮かせた。

 先の見えないこの闇の中、寒さで凍えながら行くあてもなくさまようのはもう嫌だった。照らしてくれる光、すがりつく手が欲しかった。

 それが目の前にある。

 手に手が吸い寄せられるように近づいていく。二人の手が重なろうとした、そのとき。

 何かのいたずらか、一陣の風が吹いて、天翔丸の髪をなぶった。

「あ……」

 風に吹かれて長い髪が目にかかり、天翔丸はとっさに浮かせていた手を戻して髪をはらいのけようとした。が、それはできなかった。

 いきなりその手を陽炎につかまれた。ただ髪をはらおうとしただけだが、戻そうとした手を拒否と思ったのか、それとも待ちきれなかったのか。

 蒼い双眼を見て、天翔丸はぎくりとした。先ほどまでとは表情が一変し、美しさは凄みとなっていた。月光を受けてより蒼く鋭く研ぎすまされて、その奥に小さな炎が見えた。

 それは、執念。

「……離せ」

 天翔丸の訴えとは逆に、手をにぎる力は強まっていく。

「離せ!」

「どこへ行くというのですか? 鞍馬山以外に帰る場所などないのに」

 その冷たい声に、天翔丸は完全に正気に戻った。

 どうかしていた。身も心も疲れて弱気になっていたせいで、思わずさしだされた手に寄りかかりそうになった。こんな境遇に落としこんだ張本人の手に。

「離せよ!」

「あなたは鞍馬天狗です」

「なりたくてなったんじゃない!」

「それでもあなたは鞍馬天狗です。一度降山したら生涯をもって山に棲み山を護る、それが主たるものの義務です。逃げることは許されません」

 言い逃れを許さない厳しい断言は、もはや脅迫だった。

「そんなの知るかよ!」

「他にあなたの道はありません」

「なんで俺なんだよ!? 天狗は全国の山に大勢いるんだろ!? 鞍馬天狗が必要なら、そのへんにいる天狗の中から適当なのを連れてくればいいじゃないか!」

「他山の天狗の中になど鞍馬天狗はいません。鞍馬の主は、代わりのきくものではないのです」

「だったら、俺の次の鞍馬天狗が現れるのを待ちゃいいだろ!」

 天翔丸が勢いで発したその言葉に、陽炎の顔が大きくゆがんだ。何かを噛みしめてこらえ、けれどこらえきれずに苦しみがにじみ出る。天翔丸の腕をつかむ手にぐっと力が加わった。

「十五年……十五年、待ちました。待ちつづけました。また待てと言うのですか」

「い、痛……!」

 天翔丸はたまらずその手から逃れようとする。だが陽炎は力をゆるめず、もう片方の腕もつかんだ。

「あなたの望むことはなるたけ意に沿うよう、できうる限りの譲歩はします。でも、もうーー」

 凄みのある声が強い感情で震えた。

「もう、待つのだけは嫌だ」

 天翔丸の身体がふわりと浮きあがり、陽炎の肩にかつがれた。

「う……わあっ!? 何すんだよ!?」

「鞍馬に帰ります」

 その強引なやり方に、天翔丸は腹が煮え立った。やはりこいつはこういう男なのだ。さも諭すような口ぶりだったが、結局はこちらの都合や気持ちなんてまったく考慮しない。どう答えようと、はじめから鞍馬山へ連れ帰る気だったのだ。

 あの月蝕の夜にそうしたように、無理やり、力づくで。

「や、やだ! 離せっ、離せよ!」

 黒衣の背を拳でたたき、足をばたつかせ、天翔丸は力いっぱい暴れて抵抗した。

 陽炎はかまわず天翔丸をかついだまま北へとむかう。

「離せって言ってんだろ!?」

 めちゃくちゃに暴れる天翔丸が陽炎の肩からずり落ちた。天翔丸は地面を這って逃げようとするが、陽炎に足をつかまれて引っぱり戻された。

「どこへ行くのですか!?」

「どこだって俺の勝手だろ!」

「いいかげん己の宿命を受け入れなさい! もうわかっているのでしょう!? 逃げても何にもなりません!」

「うるさい! おまえの指図は受けねえっ!」

 天翔丸は手足をばたつかせて抵抗し、陽炎はその手足をつかんで押さえつけ、取っ組み合いの喧嘩のようになる。しかし力の差は歴然としており、いつものように天翔丸は陽炎にねじ伏せられた。

 そのときだった。

 突然、陽炎が立ち上がって錫杖をぬいた。天翔丸を背にして身構え、暗闇を見据えながら戦闘態勢をとる。

 そのただならぬ雰囲気を感じて、天翔丸は暴れるのをやめて陽炎の視線の先を追った。

 ひらり。目の前を白っぽいものが横切って落ちた。

 それは淡紅色の花びらだった。桜の花びらが一枚、また一枚、風に吹かれて宙を舞っている。さわさわと吹く風は天翔丸にむかって吹きつけ、風にのって花びらと共に声が流れてきた。

「枯れ木に花を咲かせましょう〜!」

 あいの手を入れるように、ワンワンと犬の鳴き声がした。

 吹きまく風が桜吹雪となり、天翔丸の視界を桜色に染める。その向こうに、一人の老人とその飼い犬の姿が見えた。花咲爺は楽しげに踊りながら灰をまき、灰をかぶった枯れ木が次々と勢いよくそそり立ち、枝をのばし、花を咲かせた。

「枯れ木に花を咲かせましょう〜! 咲かせた花を愛でながら、今宵は宴をひらきましょう〜!」

 灰がまかれるたびに狂い桜が咲いていく。華やかに、そして凶々しく。

 花咲爺は天翔丸と陽炎から少し離れたところで立ち止まり、その横にちょこんと柴犬が腰を下ろした。

「こんばんは、坊や」

 花咲爺はにこやかに会釈し、優しい声で話しかけてきた。

「どうです? 美しいでしょう? 見事な花でしょう? 坊や、あなたのために咲かせたんですよ」

「俺のため……?」

「そうです。あなたの死出の旅路を飾るための、(はなむけ)の花です」

 ぞくりと背が粟立った。こちらを熱く見つめる花咲爺のたれ下がった目、昼間はわからなかったが、夜闇の中で爛々とした鋭い眼光が見えた。昼行する人間の目はこのように光らない。それは人間ではない夜行の目だった。

「う〜〜〜ん、すごいっ! 本当にすごいですねぇ、坊やは。見れば見るほどすばらしい。遠く離れていてもわかっちゃうくらい、全身から生気がほとばしって、きらきら輝いて……なんておいしそうなんだあああぁぁぁぁぁ!」

 花咲爺は笑いながら皺だらけの手をのばし、猛然と走ってきた。老人とは思えないものすごい速さで走り、信じがたい跳躍力で地面を蹴って跳ねると、すくんでいる天翔丸に上空から襲いかかった。

「う……あっ!」

 だが皺だらけの手が天翔丸に届くことはなかった。銀の錫杖が一切の容赦なく花咲爺を殴りとばし、強烈な殴打でふっとばされた小柄な身体が地面にたたきつけられて転がる。ふつうの老人なら間違いなく命を落とすほどの一撃であったが、それをまともに受けても花咲爺は悲鳴一つあげず、何事もなかったかのようにむくりと起き上がり、また天翔丸に目をむけた。

 その顔を見て、天翔丸は総毛立った。

 錫杖の攻撃でその顔の皮膚がはがれて、顔の骨が見えていた。なのに、花咲爺は少しも痛がらず、傷口から一滴の血も流れていない。

「あーあ、なんて乱暴な方でしょう。か弱い老人に、ひっどいですねぇ」

 花咲爺はぷんぷん怒りながらはがれてしまった皮をつまみ、顔にくっつけようとした。だが皮は力なくぺろんとたれ下がり、何度やっても元には戻らない。

「あらら、治らないじゃないですか。困りましたねぇ。この顔じゃあ、もう人間のふりをして都を歩けないじゃないですか」

 しょうがない、と溜息を一つつくと、皮をめくれたまま放置して残忍な目で陽炎を見据えた。

「坊やのお連れさん、あなたのせいですよ。人に怪我をさせたからにはきっちり責任をとってもらいますよ。目には目を、歯には歯を……皮には皮を。あなたを殺してその皮を剥ぎ、私の皮とさせていただきます」

 かたわらに座っている飼い犬の頭をなで、陽炎を指さして言った。

「ポチや、あれが今夜の獲物だよ。ーー狩っておいで」

 飼い犬のポチもまた、ふつうの犬ではなかった。

 鋭い牙を剥き、尋常ではない速さと跳躍力をもって、吠えながら陽炎に襲いかかった。異常なのはその動きだけではない。花咲爺と同じく、錫杖に強打されても痛みを感じないのか鳴き声ひとつあげず、皮膚がめくれても骨がむきだしになっても、平然と攻撃をつづけた。

 しかし陽炎の動きはポチを上回っており、その牙が届くことはない。

 花咲爺が髭をなでながら感嘆の声をあげた。

「ほほう、これはこれは、すばらしい〜! ポチの牙をかわすとは、かなりの武術の達人とお見受けしました。坊やは滅多にお目にかかれない上等の獲物ですが、あなたもなかなかいい感じですね。なんて……ーー殺しがいのある」

 花咲爺は嬉しそうに舌なめずりをし、準備運動をするように首や肩をごきごきならしてほぐした。

「う〜〜ん、燃えてきましたぁ! 弱いものいじめも楽しいですが、あなたのような強い生物をねじ伏せて殺すのもまた楽しいもんです。見てるだけじゃもったいない、ポチや、一緒にいくよ」

 今度はポチと花咲爺が同時に陽炎に襲いかかった。

 花咲爺は猿のような敏捷な動きで、ポチは牙をがちがち鳴らしながら常識を超えた速さで、前後左右から絶え間なく獲物に跳びかかる。

 そんな激しい襲撃にも、陽炎は冷静に対処した。天翔丸に目を配りその身の安全を確認しながら、花咲爺とポチの腕や牙を錫杖ではじき、巧みに防御する。さらに防御に徹することなく、攻撃に転じた。陽炎は跳びかかってきた花咲爺をかわし、一瞬見えたその背に霊符を放って貼りつけた。

「浄炎!」

 陽炎が声を発した瞬間、霊符から炎が噴きあがった。死の穢れを焼きはらう炎がごうごうと音をたてながら花咲爺を包み、燃やしにかかる。激しい火炎にその衣が、白髪が、皮膚が焼け落ちていく。

 むごたらしい光景に天翔丸は目をそむけようとして、しかし見たまま硬直した。

 様子がおかしかった。

 紅蓮の炎に包まれているというのに、花咲爺にはまったく苦しむ様子がなく、倒れもよろけもしない。水浴びでもしてるかのように、笑いながら心地良さげに炎を浴びている。灼熱でその肉が溶け、骨がむきだしとなった。

 身についていたものがすべて焼け落ち骸骨となった花咲爺は、肩と首のこりをほぐすようにこきこきと鳴らした。

「ほっほっほ、ぬるい炎ですこと。でもちょうど良かったですよ。いらない皮を脱ぐ手間がはぶけて。おかげで身軽になりました」

 そう言って、調子を確かめるようにとび跳ねた。その骨は弓のようにしなり、柔軟で、弾力がある。眼窩にはまっている目玉をぎょろぎょろと動かし、肉色の舌をひらひらさせながらしゃべっている。

 動く骸骨ーー明らかとなったその正体を、天翔丸は叫んだ。

「狂骨!!」


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