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十六 諸行無常への反乱

 死霊たちは宙をすべり、あっという間に八雲をとり囲んだ。

 人間だ、生物だ、獲物だ、獲物だ!

 低く恐ろしい声がうねり、どす黒い呼気が八雲の周囲に充満する。どの死霊も殺気だっており、いまにもとびかかってきそうな勢いだ。

「皆さん、ちょいとお待ちを」

 花咲爺が死霊たちをかきわけるようにして進み出てきた。そして八雲の正面に立つと、その顔をしげしげと見つめる。対する八雲は無言でその視線に視線を重ねた。

 花咲爺は八雲をひとしきり観察した後、惚れ惚れとした声で言った。

「すばらしいぃ〜! これだけの死霊を前にしてもまったく動じないその度胸、眉一つ動かさない豪気、いやあっぱれですな」

 八雲はそんなことかと鼻で笑った。

「死物は見慣れているのでな」

「ほう、死者ではなく死物と申されますか。正しい名称を知っている人間はなかなかおりませんが、あなたは世の理をご存知のようですね。ただ者ではないとお見受けしました。よろしければお名前をお聞かせ願えますか?」

「除霊師、八雲だ」

 鞍馬寺の住職ではなく本職で名乗ったのは、その方がこの場に適切だという八雲の判断である。案の定、死霊たちからどよめきがおこった。

「「「除霊師!?」」」

 敵意をむきだしにして威嚇してくるもの、おびえてあたふたするもの、ただ奇声を発するもの、死霊たちはさまざまに動き回って騒然とした。

「まあまあ、皆さん、おちついて。気を鎮めて」

 花咲爺は興奮する同胞たちを両手で押さえるようにしてなだめ、八雲とむきあった。

「除霊師八雲殿、あなたにお伺いしたいことがあります。いまそこで私たちの話を盗み聞きしていたでしょう? この世を死物の世とするという、我らの目的を」

「ああ」

「さて、あなたはこれからどうなさるおつもりで?」

 八雲は髪をかきあげながらそっけなく答えた。

「どうもしないさ。おまえたちのやりたいようにやればいい」

「阻もうとしないので?」

「なぜ俺がそんなことをしなきゃならんのだ?」

「除霊師ならば、私たちに死物に対抗できる力があるではありませんか。そのご様子だと、先ほど私たちが人間の子供を喰らうところもご覧になっていましたね? なぜ見殺しに?」

「無駄なことはしない主義でな」

「ほう、無駄?」

 八雲は無惨な少女たちの(むくろ)に目をむけ、一切の感情を消した声で言った。

「いま助けたところでいつか死ぬだろ。誰であろうと生きているものは皆、必ず死ぬ。たんに早いか遅いかだけの違いだ。しょせんこの世は憂き世だ。生物が死物に喰われて滅びるならば、それもまた運命。俺一人がどうこうして変わるものでもあるまい……諸行無常というやつだ」

「しかし少なくとも子供三人の命、あなたの力で救えたでしょうに」

「赤の他人だ」

 花咲爺が腹を抱えて哄笑した。

「ほ〜〜っほっほっほ! いや、すばらしい! あなたは我らと同類ですね」

「同類? 生物と死物、明らかに異種だろう」

「いいえ、同じですよ。私どもと同様、あなたは死してもおとなしくあの世へ逝くようなご気性ではない。そうでしょう?」

 八雲はふっと笑った。

「なるほど。それは確かにそうかもな」

「八雲殿、我らのお仲間になりませんか?」

 花咲爺の勧誘に、死霊たちから再びどよめきがおこった。生物を餌としか見ない彼が、生物に対してこのように好意的に接するのは初めてのこと。自然、死霊たちの八雲に対する目が変わる。

 花咲爺は熱心に口説きはじめた。

「私はあなたのことが大変気に入りました。その性悪でひねくれた性格、死を目にしてもまったく動じないその肝の太さ……生物にしておくには惜しい。こうして出会ったのも何かの縁、ぜひお仲間に」

「死物の仲間になるには、死ななければならんのだろう?」

「もちろんでございます。あなたのおっしゃる通り、生きているものはいつか必ず死ぬ。いい機会ではありませんか。いつか死ぬなら、それがいまでも」

 花咲爺は腰元に下げている瓶の中から灰をすくいとり、掌にのせて八雲に見せた。

「これは『死灰(しはい)』と申します。死物に力を与え、生物を弱らせる効力があります。これを生物が大量に浴びれば、みるみる生気が衰えて死に至ります。苦痛もなく、安らかに死ぬことができますよ。これで死して仲間に。ねえ、ぜひそうしましょう」

 まるで物見遊山へいくかのように花咲爺は死へと誘う。身の毛のよだつような誘いに、八雲は変わらず薄い笑みをたたえたまま平然と質問した。

「いま死んで、何か得することでもあるのか?」

「ございますとも。あなたを我ら死物の主にお引き合わせいたします」

 八雲の目が鋭くつりあがった。

「死物の主……閻魔王か?」

「いいえ。閻魔はあの世の地獄を支配する主。我らが主は死した身でこの世に在らせられます。さしもの閻魔も、偉大なあの方をあの世へ連れていくことはできないのです」

「何者だ? その死物の主というのは」

 花咲爺は陶然とした顔で両手をひろげ、高らかにその名を(うた)った。

「白夜様でございます!」

 白夜様、白夜様、白夜様!

 死霊たちの大合唱が広大な葬送地に響きわたる。その唱和の中、花咲爺は声を熱く高めながら語った。

「我ら死物に力を与えてくださる尊いお方です。ただ死ねばお会いできるわけではありませんよ。選ばれたものだけが御前に拝謁することができるのです。あなたには充分にその資格があります。私がご推薦いたします。いまここで死んで白夜様の眷属になれば、老いも疲労も苦痛もなく、この世に永遠に息づくことができますよ。ねえ、すばらしいでしょう? 永遠の力を得て、偉大な白夜様の庇護のもと、共に生物を喰らっていきましょう!」

 八雲は大きくうなずいてみせた。

「なるほど。悪くない条件だな。その白夜様に、俺も会ってみたい」

「でしょう? では、さっそく死にましょう」

 手で灰をごっそりすくいとる花咲爺に、八雲は待ったをかけた。

「だが一つ問題がある」

「なんでしょう?」

「死に方が冴えない。ただ灰を浴びて死ぬというのは(おもむき)に欠けるし、なにより地味すぎる」

 花咲爺はきょとんとした。

「そうですか? 苦痛のない、いい死に方だと思うんですけどねぇ」

「死は一生に一度のこと、己の最後を飾る一世一代の晴れ舞台だ。俺は死に方にはこだわりたい。もっと華やかに、かつ派手に死にたいな」

 花咲爺は顎に手をあてて考えこんだ。

「死は一世一代の晴れ舞台……なるほど、確かに。あなたが死に方にこだわるお気持ち、わからんでもありません。いや、さすが八雲殿、おっしゃることが斬新ですな」

 八雲は死に方について考えるふりをしながら近くの岩に腰かけた。つられて花咲爺も近くの岩に座りこみ、死霊たちも周囲に浮きながら皆で考えはじめる。

「どこか目立つ木に縄をかけ、首をくくって死ぬというのはいかがですか?」

 死霊が提案してきた死に方に、八雲はう〜んと思慮するふりをして答えた。

「いまいちだな。ありきたりだ」

「では、五重塔から飛び降りるというのは?」

「死体がぐちゃぐちゃになる。美しくない」

「鴨川に身を投げて溺死しては?」

「おまえ、水死体を見たことないのか? あんな醜悪な死に方はないぞ」

 死霊たちが提案してくる死に方を、八雲は難癖をつけてことごとく却下した。これではいつまでたっても死なせられないことに誰も気づかない。皆、まんまと八雲の口車にのせられていた。

 八雲は困ったように溜息をついた。

「何かいい死に方はないものか……ちなみに花咲爺、おまえはどんな死に方をしたんだ?」

「処刑ですよ。都中を引き回された上、川原で首を刎ねられ、晒し首にされました」

 ほほう、と八雲は感嘆あふれる声で言った。

「それは最高にいい死に方だ」

「ほ? そうでしょうか……?」

「公衆の面前で、己の命を華々しくぱっと散華(さんげ)させる……桜のように美しく潔いではないか。その死に様は人々の記憶に刻みこまれ、永遠に語り継がれることだろう。それこそ俺の理想の死に方かもしれん」

 八雲は思ってもいないことを褒め言葉にして並べ、花咲爺をよいしょした。

 褒められて嬉しかったのか、花咲爺はぺらぺらと自慢げに話しだした。

「私もね、我ながらいい死に方だったと思いますよ。生きていた頃は死ぬのが嫌でかなり抵抗しましたけどね、今思えばもっと早く死ぬんでしたよ。死後がこんなに楽しいなんて、もうびっくり。まさに殺したい放題! 私を捕まえた役人たちも、都を引き回されたときに私に石を投げてきた奴も、私に唾を吐きかけた奴も、私の首を刎ねた奴も、一人残らず八つ裂きにして殺してやりましたよ。ざまあみろ〜! 処刑の罪状は強姦の罪とかで、手当たり次第に女を犯しまくってたら捕まっちゃいまして。犯しちゃ駄目だって言われたって困りますよねぇ、だってそれが趣味なんだから。人の女房も、嫁入り前の生娘も、通りすがりの尼も、母娘をまとめて犯したこともあります。二十人くらいまでは数えてたんですけど、やりすぎてもう何人犯したかわかんなくなっちゃいましたよ。被害者が歴代最多と言われまして。自慢じゃないですけど、ちょっとすごいでしょ?」

 さすが花咲爺、たいしたものだ、と周囲にいる死霊たちから声があがる。なぜかこの鳥辺野にいる死霊は男たちばかりだった。

「ちなみに八雲殿、あなたは女を抱きます?」

 八雲は奥歯を噛みしめ、何かを押し殺しながらつぶやいた。

「……あぁ」

 花咲爺は下卑た声でげらげらと笑った。

「そうですかぁ! そんな派手な格好しているからまともな僧侶じゃないと思いましたけど、やっぱりね! 私もとことん悪事を働いてきましたけど、僧侶なのに女を犯すなんてあなたも相当悪いお人だ! どういう女を犯すのが一番楽しいか、ご存知ですか? 私が思うに、一番はやっぱり幼女ですな」

「……幼……女?」

「幼い子供というのは警戒心がありませんからね。にっこり笑って手招きすれば、簡単に寄ってくる。寄ってきたところを捕まえて物陰に引っぱりこんで、あとは存分に嬲るわけです。最初は何をされるかわからずきょとんとこっちを見てるんですけど、その無垢な目がだんだん恐怖に満ちていくんです。か細い悲鳴を聞きながら小さな身体を引き裂くのが、もう楽しくって楽しくって」

 ふいに、八雲が両手で顔を覆ってその場に伏した。

「あれ? 八雲殿、どうしたんですか? ご気分でも悪いんですか?」

 八雲は答えなかったーー答えられなかった。肩を大きく上下させてぜえぜえと音をたてており、ふつうの呼吸すら困難になっている。

 理由がわからず、花咲爺は困って頭をかいた。

「あ、もしかしてご病気ですかぁ? だったら、死に方にこだわってる場合じゃないですよ。死ねば病の苦痛もなくなりますし、とりあえず、なんでもいいからさっさと死んじゃいましょうよ」

 それにも八雲は答えなかった。

 そのとき、殺された少女たちの骸から、燐火がぽっぽっと浮かび出た。

「あ、出ましたね、あの子たちの魂が」

 花咲爺は一つの燐火をひょいっとつまむと、口の中に放りこんで、ごっくんとのみこんだ。

 その瞬間、八雲の右腕に巻きついていた組紐がぶわっとほどけ、その先が槍のように花咲爺の顔面にむかい、攻撃した。

 花咲爺は反射的に首をひょいっと傾け、それをかわした。

「おっと、びっくりしたぁ。八雲殿、突然なにをなさるので?」

「……喰ったな」

 八雲がゆっくりと顔をあげた。長い黒髪の間から見えたその顔は、憤怒にゆがんでいた。

「少女の魂を……喰ったな」

「ええ、食べましたけど。それが何か?」

「死物に喰われた魂は転生できない……もう二度と、生を受けられないんだぞ?」

 ああ、と花咲爺は八雲の言葉にうなずいた。

「もちろん知ってますよ。一番のごちそうは生物の生気ですけど、死んじゃった魂も食べれば多少の糧にはなりますから。魂の一つや二つ、転生できなくなっても平気でしょ。いっぱいあるんだから」

 八雲は瞠目した。

「知っていて、おまえは……!」

「男の死霊は乱暴で(よこしま)でいい配下になるんですけど、女は泣いてばかりでほとんど役に立たないんですよ。だから私、女の死霊は食べちゃうことにしているんです」

 八雲は見えないものを吐きだした。激しい嫌悪がこみあげてきて、自分の中では消化できず嘔吐した。

「あらら、八雲殿、大丈夫ですか?」

 花咲爺がのばしてきた手を、八雲は強く打ち払った。

「さわるな、外道(げどう)! 汚い手で……俺に触るな……!」

 花咲爺は眉をひそめた。

「八雲殿、ひょっとして怒ってるんですか? ええぇ? なんであなたが怒るんですか? どうして?」

 八雲の怒りがまったく理解できず、花咲爺は首をひねる。八雲もまた、平然と少女の魂を喰らえるその神経が理解できず、声高に問いつめた。

「なぜあの少女たちだったんだ!? なぜあの子たちを喰ったんだ!?」

「なぜって、あの子たちがかわいかったからですよ。愛らしくて、とってもおいしそうな女の子が、たまたま私の前を通ったから。要するに、あの子たちは運が悪かったんですな」

「運が悪い……だから、死んだと?」

 花咲爺はにっこりと笑ってうなずいた。

「はい」

 八雲は地面に突っ伏し、獣のように吠えた。

 華やかな都においても死は日常にあり、多くの女たちが運に恵まれることなく虐げられ、ときに命を落とすのが現実だ。同じように幸運になど恵まれたことのない八雲には、彼女たちの嘆きが痛いほどによくわかった。

 運のない弱者は、運のある強者に踏みにじられる……この不条理。

 狂ったようにわめく八雲に、花咲爺は困惑した。

「なんだかよくわかりませんけど、そんなに興奮しないで。ちょっと落ち着いてくださいよ」

「落ち着いてなど、いられるかっ!」

 八雲が修行の身であったとき、高名な僧侶である師が言った。

 世の中は不条理に満ちている。だがそれに怒ってはならない。人は弱く、罪を犯してしまうもの。だから心穏やかに微笑んで罪を許せ、と。

 反吐(へど)が出た。

「これをどう許せというんだ……これを笑って許せるようになったら、もはや人間ではない、こいつらと同じ外道だ……!」

 ふだんは微笑みときらびやかな衣で隠している。だが平然を装っていても平気なわけではない。八雲の身体にも熱い血が脈打ち、その内には激しい怒りが渦巻いていた。

 八雲は地面に爪をたてながら、吐くようにつぶやいた。

「なぜだ……なぜ、なんの罪もない少女が泣きながら死に、外道が笑うんだ? なぜこんな奴らが死してなおこの世にのさばるんだ? なぜ……なぜ……神は何をしている? 仏はいないのか? なぜ、なぜ、なぜーー!」

 花咲爺はあきれはてたように言った。

「なぜって、そんなの、私たちが強いからじゃないですか。強いものが弱いものを喰らう、当たり前のことでしょう?」

 言いながら、花咲爺は残った二人の少女たちの燐火をも食べようと手をのばした。

 八雲は掌をひろげて声を張り上げた。

「蛍、撫子、出ろ!」

 八雲の左右の手から女の死霊二人がすべり出た。

 撫子が舞い踊るように宙を飛んで扇子で花咲爺の手をはらいのけ、その間に蛍が二つの燐火を両腕で包みこんで花咲爺から引き離した。

 二人は燐火を八雲の元まで運んだ。

「入れ」

 八雲の声で、二つの燐火がその手の中に吸いこまれた。そうやって八雲は少女たちの魂を保護した。

 花咲爺がおどろきをあらわに目を見開いた。

「なんと……八雲殿、あなた、女の死霊を飼っているのですか?」

 蛍は花咲爺に軽蔑のまなざしをむけ、凛と言い放った。

「下品な人は、やはり物言いにも品がありませんね。犬や猫じゃあるまいし、私たちは飼われてなどいません。私たちは自らの意志でこの世に残り、八雲様のお許しを得て御身に憑かせていただいているのです。お互いの合意の元に」

 蛍の享年は十二。この年頃の少女にしては少々物言いが固いのは、潔白な巫女として生きた生前の名残りである。意志の強さを物語る凛とした表情、背筋をぴんと張る姿勢にもそれは表れている。

 花咲爺は目をしばたたいた。

「合意? ではお嬢さんたちは、自ら望んで生物に仕えているということですか?」

 撫子がたおやかに微笑みながら言った。

「男女の間で仕えるなどとは堅苦しい。ご老人、あなたは女子の心が少しもおわかりにならないのですね。愛しいお方に寄り添い、その方に尽くしたいと思うのが女心。生きていようと死していようと女心は変わりませぬ」

 撫子の享年は十六。十二単をふわりとゆらし、貴族の女性らしいやわらかい口調と物腰で応対する。生前はそのたおやかさゆえに数々の男たちから求婚されていた。

 花咲爺は低くうなった。

「いけませんなぁ……これはいけません。死物は生物を虐げ、喰らっていかなければならないのに。協力しあうなど、あるまじき行為ですぞ。八雲殿、これはどういうことですか?」

「言ったところで、心のない外道には理解できん」

 吐き捨てるような八雲の言葉に、花咲爺のこめかみがぴくりと動いた。にこやかだった垂れ目が鋭利にすわり、八雲を射貫くように見た。

「さっきから外道、外道って、あなた、偉そうに人を非難できるんですか? あなただって女でさんざん遊んできたんでしょう? 僧侶のくせに女犯(にょはん)の罪を犯して」

「なにが女犯だ! 女とふれあうことを女犯と呼ぶことがそもそもおかしいのだ。誰もが女の腹から産まれ出たのに、なぜ女を穢れだと蔑む? なぜ女人禁制などと言って儀式や神聖な場から女をしめだす? 女に罪はないのに、男が己の欲を抑えられないのを女のせいにして、そういう奴らが女たちを虐げるんだ!」

「だから、それの何が悪いのです? 女は力が弱くて頭も悪い、だから男に犯される、そういうもんでしょ?」

「違う! 男はただ欲を吐き出すだけ、女こそがこの世に命を産み出すもっとも尊い存在なんだ! どいつもこいつも、なぜそれがわからんのだ!?」

 八雲の元には、数多くの女たちが集まってくる。暴力を受けたり、陵辱されたり、捨てられたりした女たちが。さめざめと泣きながら鞍馬寺の門をたたく音が途切れることはなく、それほどまでに男に傷つけられた女たちは多かった。

 そんな女たちを八雲はすべて受け入れて、日々懸命にいたわってきた。ぼろぼろに傷ついた彼女たちを癒すのは簡単ではない。泣き崩れる身体を助け起こし、長い時間をかけて話を聞き、ぬくみを求められれば肌を合わせて温めてやった。そんなふうに女たちに寄り添い、根気よく付き合って支えつづけてきた。女であることに罪などない、この世に必要な尊い存在なのだと、強く励ましながら。

 救うなどとおこがましいことではなく、ただ、女たちの嘆きを止めたかった。そのためなら破戒僧と蔑まれようと一向にかまわなかった。

 それなのにーー

「なぜ男どもは、女を虐げつづけるんだ!」

 花咲爺は顎のひげをいじりながら言った。

「なぜと言われましても、そうしたいからするとしか答えようがありませんな。要するに、みんな自分が一番なんですよ。自分のやりたいことをやりたいようにやって、赤の他人がどうなろうとどうでもいい。あなただってそうでしょう?」

「俺は貴様らとは違う!」

「いいえ、同じですよ。だってあなた……あの子たちを見殺しにしたじゃありませんか」

 息を止めた八雲に、花咲爺が顔を寄せてささやいた。

「本当は恐かったんでしょう? 私たちが」

 八雲の目が動揺に大きくゆれたのを見て、花咲爺はにやりと笑った。

「へたにとびだしていってはあなたの方が殺されてしまいますからねぇ。あなたは自分の命惜しさに、あの子たちを見殺しにした。そうでしょう?」

 言い返そうとする八雲をさえぎって、花咲爺はその心中を代弁するかのようにはしゃぎわめいた。

「だってここは葬送地! 死物の巣窟! いくら除霊師だからって、こんな大勢の死霊を一人で相手にするのは不可能だから! 頑張って倒しても、死物はうじゃうじゃ無限に湧いてくるし! だから見て見ぬふりしちゃお〜っと!」

「お、俺は……!」

「あなた、震えてますよ」

 八雲ははっとし、小刻みに震える自分の手を握りしめた。だが爪がくいこむほどに強く握りしめ押さえても、震えは止まらない。

 花咲爺の言うとおり、あのとき、とっさに計算が働いた。少女たちを助けることができたとしても、その後、これだけの数の死霊と戦いながら、少女たちを連れてこの場から無事に逃げきることができるのか。

 答えは、否、だった。

 だからせめて今後のために、死物たちからできる限りの情報を聞き出し、隙をみて逃げ、ここは生きのびて体勢を整えて出直すつもりだった。だからーー今後のために、いま、少女たちを見殺しにした。

 八雲は震える手を握りしめながら、経を唱えるようにぶつぶつとつぶやいた。

「この俺にどうしろというんだ? 助けたくても助けられない……助ければこっちが殺される……なぜ神は俺をこの場に居合せさせたんだ? 試されているのか? 仏はなぜこんな仕打ちを……!」

 自分は天才だと虚勢をはっても、人よりうまく除霊術を使えても、相手を惑わせられる話術があっても、しょせん生身の人間にすぎない。できることには限界がある。

 震えを止められない八雲に、花咲爺が優しく声をかけた。

「いいんですよ、八雲殿。人間、誰しも自分の命が一番大事、みーんなそうなんですから。死を恐れるのも当たり前、処刑される前の私もそうでしたから、よーくわかります。だからぁ……死んじゃえばいいんですよ」

 びくっと八雲の肩が動いた。

「生きているから死が怖い、だからいっそ死ねばいいんです。死んだらもう何も怖いものなんかありません。死の恐怖からも、良心の呵責からも解放されて、楽になれます」

 花咲爺が死灰を見せびらかすように八雲の目の前にさらさらと落とした。

「楽になりたいでしょう?」

 八雲は真っ白な灰を食い入るように見た。

 この灰を浴びれば、死ねる。気が狂いそうな恐怖からも、終わりの見えない苦悩からも、すべてから解放される……ーー。

 八雲の目が死灰に釘づけになっているのを見て、花咲爺はにんまりと笑った。

「でもその前に、一つけじめをつけてもらわないといけません。八雲殿、あなた、さっき私を攻撃しましたよねぇ? いえいえ、別に怒ってなんかいませんよ。私は心が広いですから、謝ってくれれば許してあげます」

 花咲爺は八雲にささやいた。

「さあ、謝ってください。花咲爺様、攻撃しちゃってごめんなさいって。ね? 簡単ですよ、両手をついて、頭を下げて、自分が悪うございましたって言うだけです。ほら、言ってごらんなさい。言ってーー外道に堕ちましょ」

 もはや反論することも、逃げ出すこともできなかった。八雲はその場にうつぶせて震えながら唸った。

「う……うぅ……うぅぅ……!」

 地に伏して打ち震える生者を、死者たちは冷ややかに見下ろしている。

 蛍と撫子も、背後からその姿を静かに見つめていた。

 突然、八雲は腹の底から叫んだ。

「うあああああああああああああああああああああああああああーーっっ!」

 咆哮のような絶叫が鳥辺野に響きわたり、こだまする。

 花咲爺が頭をぽりぽりとかいた。

「あら〜〜、恐怖のあまり、とち狂っちゃいましたかねぇ」

 絶叫の余韻が消えると、八雲はゆらりと立ち上がった。そして懐から竹筒をとりだし、それに入っていた酒を身体にかけて、身を清める。

「ーーこれより、葬儀をとりおこなう」

 八雲は法衣と袈裟をはためかせて乱れを直し、両手首に巻かれていた組紐をすべてほどいて地に投げ打った。

「この地で数多(あまた)の女たちが嘆き絶望しながら命を断たれ、魂を喰われ、来世への希望を断たれた。その無念を晴らすため、女たちの魂を弔うためにーー花咲爺、貴様をこの手で地獄へたたき落とす!」

 その目からは恐怖が消え、ゆらぎもなくなっていた。

 恐怖、苦悩、悔恨、迷い……そんな雑念を絶叫とともに吐き捨てる、八雲の精神統一法である。煮えたぎる怒りは静かに研ぎすまされ、闘志となって刃のように鋭くその目に宿っていた。

 花咲爺はあきれたように息をついた。

「そんなことしたって何も変わりませんよぉ? あなたも言ってたじゃないですか、この世は憂き世、諸行無常だって」

「女を踏みにじる外道がのさばることを諸行無常というのなら、俺はそれに反乱する」

 八雲は死で穢された大地を踏みしめた。まともな神経をもつ人間なら誰もが逃げだす葬送地で、誰も通らない道なき道を歩む決意をもって。

 花咲爺は溜息をつきながら首をふった。

「そうですかぁ……残念です。どうやら私の見こみ違いだったようですね。いいお仲間になれると思ったのに」

「何があろうと、貴様と仲間になることなど絶対にない」

 そうですね、と花咲爺は肩をすくめ、勧誘をあきらめた。

 そして獲物を見る狩人の目で八雲をひたと見据えた。

「八雲殿、あなたは私が語る白夜様の話をお聞きになった。生きて帰すわけにはまいりません。もちろん白夜様に会えるという特典もなし。赤の他人のために私たちに挑むなんて、そんな莫迦な人に白夜様に会う資格なんてありませんから。あなたにはここで死んでもらいます。その身を八つ裂きにし、生まれ変わることのないように魂まで消滅してもらいます」

 八雲の周囲は、すでに男の死霊たちでひしめきあっていた。殺せ、殺せ、殺せぇぇ……死ね、死ね、死ねぇぇぇ……野太い声でわめき散らし、威嚇してくる。

 四方八方から浴びせられる呪怨にも、八雲の闘志は微動だにしなかった。

「たわごとは地獄でほざけ。俺の全霊をもって、貴様ら全員、一匹残らずこの世から駆逐する」

 高まる霊力でその身が青白く光った。

 蛍が兎のようにぴょんと跳ね、八雲の右側にうれしそうに身を寄せた。

「さすが私たちの八雲様ですわ、そうこなくっちゃ!」

 撫子は舞うように宙をすべり、八雲の左側にしゃなりと寄り添った。

「つつしんでお伴させていただきます」

 八雲は叱りつけるように二人に言った。

「莫迦を言うな。死物に魂を喰われればおまえたちも転生できなくなるぞ。さっさと逃げろ」

 蛍が少し怒りながら言い返した。

「八雲様、その発言は侮辱ですわ。そう言われて、私と撫子さんがあなたを放って逃げるとでも思っているんですか? 見損なわないでください」

 撫子は愛に満ちたまなざしをむけた。

「八雲様、わたくしも蛍ちゃんも、あなたの生き様を見届けたくてこの世にとどまっているのです。どこまでもご一緒いたします。あなたの命が燃え尽きる、その瞬間まで」

 二人は八雲を支えるようにその両脇に寄り添った。死霊である彼女たちにぬくみはない。手をのばしてもその身にふれることはできないが、八雲は二人を抱き寄せるように腕を回し、抱擁した。

 生物と死物がふれあうのは禁忌とされている。死物は生物に害をおよぼすものであるからだ。だが彼女たちの存在は、確かに、八雲の生きる力となっていた。

 八雲は前方を見据えた。

「蛍、撫子、いくぞ」

「はい」

「はい」

 八雲は組紐を、蛍は御幣(ごへい)を、撫子は扇子を、それぞれの霊具を身構え、死霊の群れを迎え討つ姿勢をとった。

 花咲爺は忌々しげに舌打ちした。

「これだから女は……すぐ情にほだされて、肝心なことをないがしろにするんだから。生物と死物が情を交わすなどあってはならないこと。皆さん、こやつらめを三人まとめて始末いたしましょう」

 応と答える男の死霊たちの野太い声が葬送地に響きわたり、破戒僧とそれにはべる二人の女死霊に一斉に襲いかかった。

 この世のものではない死物の呼気は、もろに浴びれば生物にとって毒となる。死霊たちは獲物にむかって一斉に毒気を吐きつけた。

 蛍は神祭用具である御幣をしゃんとゆらし、撫子は華やかな扇子をばっとひろげ、それぞれ振りあおいだ。彼女たちの軽い一振りで突風のような風がおこり、濃い毒気を吹き飛ばした。

 死霊たちがひるんだ瞬間、八雲が合掌し経を唱えた。

「ノゥマクサマンダ バザラダン カン!」

 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、細い糸を寄り合わさってできた色とりどりの組紐が八雲の霊力でうねりだした。美しい組紐が蛇のように宙を走り、無数の死霊を次々と正確に貫いていく。死霊たちが串刺し状態になったところで八雲は印を結び、鋭く声を発した。

封果(ふうか)ーーオン!」

 組紐に貫かれた死霊たちの躰がみるみる縮まり、凝縮して、黒い胡桃ほどの大きさの固まりとなって地に転がった。組紐にこめた霊力で死霊を圧縮し、『霊の実』にして封じこめるーー八雲独自の除霊術である。

 無数の黒い霊の実が力なくころころと地面に転がった。

 花咲爺は髭をなでながら悠長にその術を眺めた。

「ほほう、なるほどなるほど。口先だけでなく、実際なかなか優れた除霊術をお使いになられるようですね。ではこれはどうです?」

 花咲爺は手近にいた男霊三躰に死灰をバッとまきかけた。すると三躰の男霊がみるみるふくらんで巨大になり、その死気を増大させた。死灰によって力を得た三躰が、八雲たちに襲いかかった。

 二躰を蛍と撫子は御幣と扇子ではじき飛ばす。

 残る一躰は八雲へとむかい、八雲は身にまとっている袈裟をはためかせ、それを盾にして死霊をはじいた。

 はじかれ無防備となった三躰に組紐が襲いかかり、霊の実にされて転がった。

 花咲爺が眉をひそめた。

「んんん〜? その袈裟、ただの袈裟ではありませんね。なんですかそれは?」

「これは女たちの心ーー俺の護符だ」

 八雲の袈裟は、女たちの手によって作られたものである。御身が護られますように、災いがふりかかりませんように……八雲の身を案じ、その無事を祈りながら、女たちはひと針ひと針に思いをこめて縫いあげた。

「人の強い思いは祈りとなり、祈りは災いをはねのける力になって護りとなる……これをまとっている限り、俺は負けん」

 袈裟だけではない。八雲が身につけている装飾は、すべて女たちからの贈り物だ。それが増えに増えて、八雲の装いは華やかにあでやかに、きらびやかにきらめいてーーそのものが強固な護符となった。

「なるほど、護りは鉄壁というわけですか。しかしあなたには決定的な弱点があります」

 花咲爺は八雲をびしっと指さして指摘した。

「あなたの弱点は『生きている』こと。生物には疲労があります。対して、私たち死物には疲労はなく、夜闇であればなお精力盛んになります。除霊術は霊力をひどく消耗する術、しかも夜明けにはまだほど遠い。あなたは夜明けを待てずに疲れ果て、やがて力尽きてしまうでしょう」

 蛍と撫子が八雲の前で、身を盾にするように衣をひろげた。

「そのような弱点、八雲様にはありませんわ」

「わたくしたちがお護りいたしますもの」

 花咲爺は二人を蔑視し、鼻で笑った。

「小娘ごときが生意気言うんじゃありませんよ。たかが女二人で、いったい何ができるというのです?」

 男の死霊たちは残酷で好色な顔で、二人の女霊に突進していく。

 それを蛍と撫子は微笑みをもって迎えた。

 二人は襲いくる野獣たちの牙をするりとかわし、御幣と扇子をあおぎながら華麗に宙を舞い踊る。咲き誇る花のように、羽ばたく蝶のように。

 舞いが終わったときには、無数の男霊たちはこの世から消え失せていた。蛍と撫子は八雲の力を借りずに、彼女たち自身の力で男霊たちを霧散させて、すべて返り討ちにした。

「……なんと」

 思わずぽつりとおどろきの声をもらす花咲爺に、八雲は冷ややかに言い放った。

「小娘だから、女だからとなめるからだ。花咲爺、おまえは女というものをまるでわかっていない。女より男の方が使えるからと、男の死霊を率いてさもそれが最善であるかのようにふんぞり返っているが、それは大きな間違いだぞ。勘違いもはなはだしい」

 花咲爺はぴくりとこめかみを引きつらせながら、問いかけた。

「……それはどういうことで?」

「生きているときの肉体的な力は、確かに女より男の方が強いかもしれん。だが死して肉体を失ったらどうだ? 肉体の力など無意味、あとは霊力と精神力の差が物を言う。潜在的な霊力の強さ、頭を切り替えの速さ、ねばり強さ、ここぞというときの度胸、すべてにおいて女の方がまさっている。総じて、男の死物より女の死物の方が有能だ」

 それを実証してみせた二人の女霊が、誇らしげに八雲の左右に浮いている。

「そして数多いる女霊の中から俺が厳選し、選びぬいたのがこの蛍と撫子だ。死物にも力の差、格の違いがある。この二人はおまえの配下たちとは格が違う。何人むかわせてこようが、勝ち目はない」

 花咲爺はせせら笑った。

「勝ち目はない? さぁて、それはどうでしょう?」

 花咲爺は瓶に入っている死灰をごっそりと手にとり、歌いながら大量に葬送地にまき散らした。

「眠りし死者よ、目覚めましょう〜!」

 死灰は葬送の大地に沁みこみ、新たな男霊たちが地から大量に浮き上がってきた。

「多勢に無勢という言葉をご存知ですか? いくら強くても所詮は死霊二匹と人間一匹。私どもはいくらでも湧いてくるのです。無限にね」

 途切れなく襲いかかってくる死霊たちを、蛍と撫子は御幣と扇子で次々と吹き飛ばす。八雲はその後方で、合掌し経を唱えて、組紐をまっすぐ上空にのばした。高く天にむかってのびていく組紐に、死霊たち、そして花咲爺の目がいった。

 それが八雲の狙いだった。

 雑魚は蛍と撫子にまかせ、組紐に注意をそらせて、自分の手で親玉である花咲爺を直接攻撃する。八雲は大きく踏み出し、死霊の群の切れ目をすり抜けて、花咲爺との距離を一気につめてその額にぴたりと指先をあてた。

「地獄へおちろ。ーーオン!」

 指先に全霊力をこめて、花咲爺にぶつけた。

 だがーー花咲爺には何の変化も見られなかった。死霊に限らず、死物ならどんなものも粉々にふっとばせるほどの一撃を放ったのに、何事もなかったかのように花咲爺は笑っている。

 八雲は動揺しながらもそれを抑え、もう一度唱えた。

「オン!」

 やはり駄目だった。花咲爺は防御の姿勢すらとらず、手を腰の後ろで組んで、平然と笑みをたたえてこちらを見ている。

「……!」

 八雲の顔が動揺で大きく引きつった。

 花咲爺は呵々と笑った。

「残念でしたぁ〜! いくらあなたが腕の立つ除霊師でも、しょせんは人間。人間に、白夜様から力をいただいた私は倒せませーん」

 花咲爺は瓶から死灰をすくいとると、それを八雲にむけて投げつけた。

 八雲はとっさに後方へ跳びのきながら、組紐で壁を作り、袈裟で身を護る。だが飛んできた真っ白な灰は組紐の壁を溶かし、袈裟をただれ落とし、八雲はもろに灰を浴びた。

「う…ぐ……!」

 瞬間、激しい呼吸困難に陥った。目がくらみ、耳鳴りが耳をつんざき、全身から力が抜け落ちる。生気を大きく削がれて、八雲の身体が崩れおちた。

「八雲様!」

「八雲様!」

 蛍と撫子は倒れる八雲に駆けつけ、身を添わせて助け起こした。

 好機とばかりに、死霊たちが雪崩をうって三人にわっと襲いかかる。

 八雲は地に膝を立てながら急ぎ残っている組紐を引き戻し、周囲に張り巡らせた。懸命に呼吸しながら、霊力をしぼりだして声をはりあげる。

「け……結界!」

 宙に円を描く組紐で結界を張った。蛍と撫子が内側から手をそえ、結界に力をそそぎながらそれを支える。

 死霊たちは数にまかせて次々と結界にとびかかった。噛み付いたり、引っ掻いたり、毒気を吐きつけたり、体当たりしたりしながら、結界を破界しようとのしかかる。そのあまりの数の多さに死霊で小山ができた。

 攻勢から一転、八雲たちは防戦を強いられた。

「ほっほっほ、すごいすごい。そのまま夜明けまでもちこたえられますかねえ?」

 もちこたえられるわけがないと言外に言いながら、花咲爺は嘲笑した。

 八雲も、蛍も撫子も、それに言い返す余裕はなくなっていた。大量の死霊に押されても強固な結界が崩れることはなかったが、次第にあちこちが小さく音をたてて軋みはじめた。

 花咲爺がぽんと手を打った。

「おぉ、ひらめいた! 八雲殿、あなたにふさわしい、とってもいい死に方を思いつきましたよ。除霊師が死霊の群に惨殺されて非業の死を遂げるーーね、これですよ!」

 花咲爺はさらに大量の死灰をまき散らした。

 地中から、また新たな死霊が大量に浮かびあがってきた。死灰によって呼び起こされた死者たちは、黒い毒気を吐きながら、ゆらりゆらりと八雲の結界にむかっていく。

「これまでさぞかし多くの死霊を除霊なさってきたことでしょう。その報いを存分に受けてくださいね」

 花咲爺は八雲にむかって合掌し、南無阿弥陀仏、と唱えると、配下の死霊たちに言った。

「では皆さん、あとはよしなに。宴の途中で申し訳ありませんが、私はこれにて失礼しますよ。実はとってもおいしそうな獲物を見つけましてね、ちょっとそれを狩ってきます。ごきげんよう、さようなら〜〜」

 手をひらひらふって小躍りしながら去っていく花咲爺の背を、八雲は絶望的なまなざしで見送った。

(嗚呼、この世には神も仏もいない……本当に)

 無様に怒り狂って己をさらけだし、全身全霊をかけてはなった攻撃がまったく通用しないとは。人間の力で倒せないのなら、これからまた罪のない多くの人々が犠牲となるだろう。

 頼みの綱は、死物たちが天敵と恐れる存在だ。

 だがその精神はあまりに幼稚で浅はかで頼りない。人が切望しても得られない力をもっていながら、自分のことしか考えていない。ようやく現れた主を傷つけたくないのか陽炎は過保護にもつきっきりで護衛しているが、それでは生ぬるい。保護者から引き離して命の危険にさらされればさっさと目覚めるだろうと、いらだちをぶつけるようにちょっかいを出してきたのだが。

 いつまでも母を恋しがっている場合じゃない、復讐など無意味なことに気を取られている余裕などない、その動向にはこの世の存亡がかかっている。

(陽炎……早く、その莫迦を何とかしろ!)

 たまらず心で叫ぶが、その祈願が届くはずもない。

 結界の周囲で死霊たちの力がさらに大きくふくれあがるのを感じた。

 刻一刻と闇は深まっていく。生気が衰え死気が高まっていく夜は、まだまだこれからだった。


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