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十三 化物

 遅れて結界から出てきた陽炎が天翔丸を叱りつけた。

「天翔丸! 知らない場所へ出るときは、そこが安全かどうかをきちんと確認してから出なさい!」

「そういうことは早く言えっ! よりにもよって、なんでこんな場所に出るんだよ!?」

 いわば敵地のまっただ中。しかもおもだった妖怪討伐の精鋭が勢揃いしている。

 ちょうど賀茂忠行と安倍晴明が、阿闍梨たちに奇門遁甲について説明をしているところだった。奇門遁甲から出てこられる者はいない、あの天狗は餓鬼に喰われてしまったと説明していたそのときに、奇門遁甲の土台である碁盤がまっ二つに斬れて天狗がとび出てきたのだからおどろくのも無理はない。皆、顎がはずれたようにあんぐり口をあけて固まっている。

 忠行があぜんとしたまま弟子に問う。

「せ、晴明……奇門遁甲の術、失敗したのか?」

「いえ……いいえ!」

 めったに表情がでないために能面と言われる晴明の顔にも、はっきりとおどろきが浮かんでいる。

「まさか、奇門遁甲を破界できるものがいるなんて!!」

 天翔丸もおどろいたが、僧侶や陰陽師たちのおどろきはそれ以上で、想定外の状況に一同反応できないでいた。

 その中で阿闍梨がいち早く反応した。

「悪しき妖怪め」

 強い殺気をむけられた瞬間、天翔丸と陽炎は同時に外へむかって駆けだした。

「逃がすな!」

 阿闍梨の号令で僧侶たちは己のなすべきことを即座に察知し、金剛杵を投げはなった。無数の金剛杵が天翔丸と陽炎を包囲するように床や壁に突き刺さり、僧侶たちはそろって唱和した。

「「「捕縛結界!」」」

 阿闍梨によって鍛え上げられた団結と連携で、天狗と他一名を結界内に完全に閉じこめた。

 陽炎は走る足を止めずに霊符を投げはなった。それが前方の宙でぴたりと止まる。見えない壁、結界に貼りついた。

「天翔丸」

「おうっ」

 要領はもうわかっている。

「結界、斬れろ!」

 天翔丸は目印の霊符めがけて、神通力をこめた七星をふりおろした。堅牢な結界は軽い一振りですっぱりと斬れ、天翔丸は斬りひらいた出口を突っ切って走りぬける。陽炎はその後につづきながら、背後から次々と放たれる金剛杵を錫杖で打ちはらった。

 僧侶たちは全力で走り追おうとするも、険しい山に鍛えられている二人の足にはとうてい追いつけない。

 建物を駆けぬけ、庭に走り出た二人の前に、今度は高い築地塀が立ちふさがった。

「陽炎っ」

「はい」

 天翔丸が七星を、陽炎が錫杖を、それぞれの鞘に収めたのがほぼ同時。

 陽炎が天翔丸を抱え上げ、天翔丸がその首に腕を回したのもほぼ同時。

 陽炎は天翔丸を抱えて跳躍し、塀を跳び越えた。効果的な役割分担とあうんの呼吸で、二人は僧侶たちの包囲網を一気に突破した。

 いくつかの塀を越えて出た大通りに人の姿はなかった。今は夜で人通りは途絶えており、このまま夜陰に乗じて姿をくらませば逃げきれる。

 そう思い、天翔丸が足を速めようとしたとき、前方の薄闇に大きな影が見えた。闇の中からぬっと出てきたそれには、側頭から牛のような角が二本生えている。

「また鬼ぃ!?」

 角があるという点では餓鬼と同種だが、その大きさが桁違いだった。長身の陽炎すら見上げるほどの巨体をした鬼が、天翔丸めがけて牛のように突進してきた。

「だあっ!」

 天翔丸は七星をぬき、横になぎはらうようにして鬼を斬り滅ぼした。瞬間、ぎくりとした。鬼は一体ではなく、突然側面から現れたもう一体の鬼が突進してきた。すぐに七星を戻そうとしたが間に合わない。

 すると天翔丸の背後から槍のようにのびてきた銀の錫杖が鬼の口の中に突っこまれ、そのまま頭部を貫いた。次の瞬間、鬼が消え、錫杖には破れた人型の白い紙きれがぶら下がっていた。

「なんだこりゃ!? 紙ぃ!?」

 陽炎は錫杖にぶらさがっている紙をはらい捨てながら言った。

「陰陽師の式神です」

 陰陽道には紙や木などの依代に霊力をこめ、それをさまざまものに変じて自在に操る術がある。天翔丸は幼なじみの真砂からそう聞いたことがあったが、実際にそれを目にするのは初めてだった。

 頭上から羽音が聞こえ、見上げると今度は大きな鷲が降下して襲いかかってきた。

「うわあっ!」

 その鋭い蹴爪をよけながら七星をふったが、それは空振りした。鷲は上昇し、上空をすべるように旋回して、またこちらへむかってくる。

「なんで鳥が襲ってくるんだよ!?」

「あれも式神です」

 陽炎が降下してきた鷲を錫杖で難なく打ちはらうと、それも人型の紙きれになった。

 式神はそれだけでなかった。

 前後の道にそれぞれ牛のような鬼が数体、上空にも何羽もの鷲が飛び回っている。

「陰陽師たちが放った追っ手か!」

「たち、ではありません。全式神から感じる霊力は同一のもの。これらの式神はすべて、一人の陰陽師によるものです」

 気をこらして気配を探ってみると、天翔丸にも感じとれた。すべての式神から感じる霊力は、奇門遁甲に落とされるときに感じたものと同じだった。

「あいつか、安倍晴明」

 式神一つ一つにたいした力はない。七星に神通力をこめるまでもなく、剣先や錫杖が当たるだけでただの紙きれになる。だが数が多い。走ろうとしても式神たちが進路をふさぎ、眼前や足元をたくみに飛びまわるため、思うように逃走ができなかった。足止めが目的であることは明白だったが、それをふりきれない。

 天翔丸は陰陽道について多くは知らないが、奇門遁甲といい、無数の式神を同時に操る能力といい、その術はどれも人並みはずれているように思えた。見た目は自分と同じ年頃の少年にしか見えなかったが。

(すごい陰陽師だ)

 式神に足止めをくっているうちに、無数の松明がせまってきた。

 阿闍梨と数十人の僧侶たちが駆けつけ、陽炎ともども包囲されてしまった。天翔丸は七星をにぎりしめるもその切っ先を上げることはできなかった。結界や式神は斬れても、人間を斬ることなどできない。

「都に仇なす妖怪よ。逃がしはしない」

 天翔丸は唇を噛んだ。

「阿闍梨、俺は母に会いに来ただけだ! 本当にただそれだけだ! 人を襲ったりなんか、絶対にしない!」

 懸命の訴えに阿闍梨たちは答えようともしなかった。まるで聞く耳をもたず、呪符や金剛杵を身構えて調伏術をはなつ体勢をとっている。

 その一方的な襲撃に腹が立って、天翔丸は怒鳴りつけた。

「話を聞けよ! なんだよ、人に護符とか言って呪符なんか渡しやがって! 卑怯だぞ!」

 阿闍梨は哀れむように天翔丸を見つめ、そして深くうなずいた。

「そうだな。呪符など渡さず、幼子のときにさっさと調伏しておくべきであったな。おまえが物怪の子だとわかったとき調伏するつもりでいたが、あの女が慈悲を求めてきたゆえ、力を封じる呪符をもたせることを条件に猶予を与えたのだ。あの女に情けをかけたのが間違いだった」

「あの女……?」

 阿闍梨が誰のことを言っているのか、まったく見当がつかなかった。

 何もわかっていない天翔丸に、阿闍梨は事の真相を明解に告げた。

「おまえに呪符をもたせるよう私に頼んできたのは、紅葉の君ーーおまえの母だ」

 その言葉は刃のように天翔丸の胸に突き刺さった。

「あの女は、おまえが天狗との間にできた子だと白状した上で、何も知らない子を殺めるのは憐れだと慈悲を求めてきたのだ。そして呪符をおまえにもたせて妖力を封印し、凶々しい力を発揮できないようにしてほしいと懇願してきた」

 次々と告げられる衝撃の事実を、天翔丸はただ呆然と聞くことしかできなかった。

 天狗の子……陽炎に何度言われてもずっと否定してきたことだが、産みの母がそう言ったのならもう否定はできない。やはりそうだったのかと思うと同時に、新たな疑問が湧いた。なぜ、母はそのことを、阿闍梨に言って息子本人に言わなかったのかーーなぜ?

 天翔丸はあまりの衝撃に言葉を失い、棒立ちになった。自分を支えていたものががらがらと音をたてて崩れていく。

 阿闍梨はさらに追い打ちをかけるようなことを言った。

「だが私は危惧していた。おまえはおとなしく封じられているような生半可な妖怪ではない、いつか必ず本性に目覚めて人を襲うときがくると。そう忠告すると、おまえの母は言った。『もし天翔丸が呪符の封印を破るような力をもったときは、阿闍梨の手で調伏してくださいませ』とな」

 目の前が真っ暗になった。

 調伏してくださいませーー非情なその言葉が、母の声で頭にこだまする。

 あの激痛をおよぼす調伏術を、母が、阿闍梨にやれと……息子を殺せと、言った。

「憐れな天狗の子よ。せめてもの慈悲、苦痛なく引導を渡してやる」

 阿闍梨が呪符を身構えたのに習い、僧侶たちも手に呪符をにぎった。

「一撃でしとめるぞ! 全法力をこめよ!」

 僧侶たちが気迫充分に応と答え、一斉に呪符を放った。

 黒衣の男が錫杖で呪符を打ちはらうが、いくら高い能力があっても多勢に無勢。防ぎきれなかった呪符が棒立ちになっている天狗の子に次々と貼りついた。

 阿闍梨と僧侶たちが合掌し、唱和した。

「「「悪鬼調伏!」」」

 声と共に呪符に法力を送り、厳しい修行と仏の加護をうけて得たその尊い力によって、悪しき妖怪を死にいたらしめる……はずだった。

 だが法力が効果を発揮する前に、なぜか天狗に貼りついた呪符がはらりはらりと枯れ葉のように地面に落ちてしまった。

 僧侶たちは目をしばたたいた。

 呪符が風で吹きとばされたのだろうか? だがあたりに風は少しも吹いていない。何よりおかしいのは、呪符に墨書されていた『妖怪調伏』の文字が消えてただの紙切れとなっていることだった。

 標的である天狗はうつむいて立っているだけで、微動だにしていない。

 調伏術が失敗したことは誰の目にも明らかだったが、なぜ失敗したのか、僧侶たちにはまったくわからなかった。わからないことに不安を感じ、指導者に目をむけて答を求める。

 しかし求められた方もわからなかった。阿闍梨は戸惑いながらも再び呪符をにぎった。

「もう一度だ! 悪鬼調伏!」

 呼吸を合わせて、阿闍梨と僧侶たちは呪符を一斉に放った。だが呪符は、今度は標的に届くまえに力尽きた。地面に落ちた呪符の文字はまたしても消えている。数十枚の呪符が、一枚残らず、すべて。

 この異常事態に、さすがの阿闍梨の顔にも動揺がうかんだ。

(いったい何だ? この現象は……)

 阿闍梨はもちうるすべての知識と経験をかき集めて考えた。

 呪符の文字は法力をこめながら書きつけたものである。それが消えるということは、どういうことなのか?

 生きているものは肉体のもつ力の他に、目に見えない力をもっている。あるものは霊力、あるものは法力、あるものは妖力と呼ぶ。種類も性質も多種多様であるが、どんな力であれ、強い方が勝つのが理だ。

(まさか)

 いままでどんな物怪も、自分と仲間たちの法力によって調伏してきた。手強い妖怪も、皆の法力を合わせれば倒すことができた。だがもしも、全員の法力を合わせてもなお、それを超える妖力をもつ妖怪がいるとしたら。

(い、いや、しかし……!)

 前に調伏術をかけたときは確かに効いていた。それがなぜ、いまは効かないのか。なぜ?……なぜ!?

 やがて天狗に変化が現れた。風もないのに赤い髪が音をたててざわめき、まるで火の粉を巻き散らす紅蓮の炎のように闇の中でうねっている。その身がうっすら光をまとい、その光から膨大な力を感じた。

 連れの黒衣の男が「天翔丸!」と何度もその名を叫んでいるが、天狗は聞こえていないのか無反応だった。ただ力が、信じがたいほどの強大な力がその身から噴き出している。

 円覚の数珠が警告するように激しく点滅した。

「あ、阿闍梨ぃ!」

「阿闍梨、これはいったい!?」

 弟子たちが動揺し、すがるように何度も呼んでくる。

 阿闍梨は苦しまぎれにもう一度呪符を放ったが、手を離れた直後に文字が消えて足元に落ちた。僧衣で覆われた背にどっと冷や汗が出る。法力が効かないどころではない、呪符がその身にふれることすらできない。

「……嘘だ……」

 低くつぶやきながら顔をあげた天狗を見て、阿闍梨はぎょっとした。茶色だった双眸が鋭利につり上がり、黄金に変わっていた。

「嘘だああああぁぁぁぁーーーーーーーっ!」

 天翔丸の全身から噴きだした閃光が夜の闇を裂いた。

 神通力の爆発をいち早く察知した陽炎は地に伏せるように身をかがめ、さらに霊符で身を防御してその直撃をさけたが、それでも衝撃を防ぎきれず、身体がいくらか後方へもっていかれた。

 強大な神通力の光は稲妻のごとくあたりを一瞬だけ照らし、そして消え失せた。

 天翔丸はひどいめまいに襲われて両手で顔を覆った。疲労がのしかかってきて倒れそうになったがどうにか踏んばり、肩で息をしながら怒鳴った。

「調伏……しろ、なんて! は、母上が……俺の母上が、そんなこと言うわけないだろ!? 阿闍梨、でたらめを言うなっ! 嘘だと……言えっ!」」

 懸命の訴えに返答はなかった。返事もしないのかと苛つきながら顔をあげた天翔丸は、目の前にひろがる光景に硬直した。

 阿闍梨たちは道に倒れていた。自分を中心にして全員が竜巻になぎ倒された木々のように外側へむかって卒倒している。

 天翔丸はごくりと唾をのみこみ、阿闍梨たちに声をかけた。

「お、おい……どうしたんだ? 大丈夫か?」

 誰も答えず、そして動かなかった。阿闍梨たちがどうして動かないのかわからなかった。雪の残る道で寝転がって冷たくないのだろうか。ぴくりとも動かないその様子は、まるで死体のようだ。

(死…体……?)

 自分の思考に天翔丸は全身が震えた。

 もしかしたら死体のようではなく、あれは本当に死体なのではないか。動かない。動いていない。

(お、俺が阿闍梨たちを……人間を、殺したのか?)

 天翔丸の顔からざっと血の気が引き、手から七星がぬけ落ちた。

 剣をふるってはいない。人間に刃をむけることなど絶対にできない。勝手に力が……自分の中にある力が暴走してしまった。

 ーー人を襲うのが化物の本能だ。本能には逆らえん。

 阿闍梨の言葉が頭に大きく響きわたった。

 ーー化物め。

 天翔丸の全身を恐怖がつらぬいた。傷つけるつもりなどなかったのに。命を奪うつもりなんて、ぜんぜんなかったのに!

「あ……あぁ……!」

 絶叫したつもりだったが、声にならなかった。喉がひきつって呼吸もうまくできない。苦しくて、ただ苦しくて、天翔丸は自分の喉に爪をたてた。

「天翔丸」

 陽炎は背後から天翔丸の両手をつかみ、痙攣するその身体を包みこむように抱きしめて拘束した。そうやって自傷行為をとどめ、声がしっかり届くよう耳元に口を寄せて、一言一言をゆっくりと注ぎこんだ。

「大丈夫です。彼らはしばらくすれば目を覚まします。命に別状はありません」

「で、でも! 誰も動か……動いてな……っ!」

「動いています。そこに横たわっている阿闍梨をよく見てごらんなさい。胸のあたりが上下して動いています。ちゃんと息をして、口から白い息も出ています」

 え、と天翔丸は陽炎の顔を見た。間近で見た澄んだ蒼い瞳に一切のゆらぎはない。でたらめを言っているようには見えなかった。

「おちついて、自分の目でよく見て確認してください」

 陽炎が腕の力をゆるめ、見るよう促した。

 天翔丸は倒れている阿闍梨に恐る恐る目を運んだ。

 陽炎の言うとおりだった。阿闍梨の胸元が、かすかだが確かに上下している。口から呼気が出ているのも見えた。

「横の僧侶も、その横の僧侶も、皆、生きています。彼らは神通力を浴びて気を失っているだけです。暗い所で突然まぶしい光を見て目がくらんでしまったような状態です。目が覚めれば何の後遺症もなく、今までと同じように動けます。あなたは誰の命も奪ってはいません。誰一人、傷つけていない」

 大丈夫です、と陽炎はくりかえした。

 その言葉で天翔丸はようやく理解することができた。皆……大丈夫なんだ。

「ゆっくり深呼吸を」

 天翔丸は大きく息を吸い、全身に巡らせて、深く息を吐いた。陽炎につかまりながら何度か深呼吸するうちにおちつきを取り戻し、ようやく身体の震えが止まった。

 天翔丸は疲れの色濃い声でぽつりとつぶやいた。

「……この力は、何なんだ?」

 恐怖の余韻がまだ胸に残っている。以前にも、無意識に七星をふるって鞍馬山の木々や山肌を斬り消したことがある。そんなことをするつもりなどなかったのに、力が勝手に動いた。

 自分の意志を超えて噴きだすこの力が恐くてたまらなかった。

「なんで俺にこんな力があるんだ……?」

 阿闍梨の言うとおり人間離れした恐ろしい力だ。化物と言われても、もう否定できる自信がなかった。

 うつむく天翔丸の前に陽炎がひざまずき、その顔を見上げた。

「神通力はあなたに必要だから備わっているのです。鞍馬天狗の力には重要な意味があります。その力をもって成すべき役目もあります」

 天翔丸は重い溜息をついた。

「鞍馬山を護れって言うんだろ?」

「それだけではありません」

 陽炎が居を正し、いつになくかしこまった様子で言った。

「天翔丸、あなたのその力はーー」

 陽炎はふいに言葉を切って、右に目を運んだ。

 その視線を追って天翔丸が見ると、薄い月明かりの中に一人の陰陽師が立っていた。


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