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其之壱 来訪者

 山間にある守成かみなり村に銀子という名の旅の女が訪れる。銀子は彦兵衛ひこべえのもとでしばらく厄介になる。銀子の来訪をもっとも喜んだのは、村の少年たちにからかわれてばかりのみくにだった。銀の髪をした銀子と金の髪をしたみくに。ふたりはともに異国の者の容姿をしていた。才蔵は帯刀している銀子に不快感を示すが、彦兵衛とお春はみくにの母親にそっくりな銀子を歓迎するのであった。


 静寂が山道に張り詰め、土を踏みしめる音だけが辺りに響く。

 月明かりに照らしだされた大地はひどく寒々しい。

 落葉したカラマツの並びから射しこむ光が女の白い法衣をいっそう際立たせる。女の長い髪は風に揺れ、銀の輝きを放っていた。

 冷たい腐葉土の感触が足の裏から女へと伝わる。

 女はにわかに立ち止まり、夜空を見上げた。

「風が騒がしい。どこかでよからぬ者どもが動きはじめているせいか」

 独り呟き、まえを向く。

 停滞する大気を押し退けるように近くの茂みがざわめいた。

 影が三つ、茂みから跳びだし女を囲む。月夜に浮かび上がる彼らの姿はけっして人間のものではない。

「闇夜でなくとも烏が出るとはな」

 女が烏と呼んだ者どもは全身が羽毛に覆われており、背中には黒い翼を生やしている。耳元まで裂けたくちばしの三体はまるで化け物の様相。修験者のような装束を身に着け、腰には刀を差している。

「けけけ、美味そうな匂いに惹かれてきてみりゃあ極上の女じゃねえか」

 女のまえに立ち塞がった烏がいやらしく笑みをこぼす。

 女は烏を見据えたまま微動だにしない。

 うしろの烏は女の横にまわりこんでその容姿を舐めるように確かめると、嬉しそうに小躍りして見せた。

「おいおい! なんだか妖気臭いと思いきや、こやつ、雪女ゆきめか?」

「確かに、全身真っ白だ」

 そう言った残りの一体も声をたてて笑う。

「髪も着物も白けりゃあ肌だって透き通るよう。こいつは思いがけないご馳走だなっ!」

 人ならざる者たちのそんな会話にも臆することなく、女は静かに烏の妖魔を睨む。

「おまえたちにはこの銀が雪女に見えるというわけか」

 小馬鹿にしたような女の口ぶりに、正面に立つ烏が息巻いた。

「知らん知らんっ! てめえが雪女かどうかなんざおれたちの関知するところじゃねえってんだ! 美味けりゃそれで十分さっ!」

 その声を合図に、女の両脇で構えていた二体が腰の刀を抜いた。素早い跳躍で宙を舞う。女が顔をうえに向ける間もなくふたつの影は女に重なった。

 白い残像が女の周りで円弧を描く。

 肉を斬り裂く鈍い音。

 生気を失ったふたつの肉塊は女の足元にぼとぼとと落下し、そのまま霧散した。

 始終を見ていた残りの一体は口を半開きにしたままだ。

 女は先刻より寸分たがわぬ位置に立ち、右手に小太刀を握っていた。白い残像はその小太刀を振るったものによる。

「烏も鳴かねば斬られぬものを……」

 女がそう吐き捨てると烏は周章狼狽、金縛りにあったかのように全身を強張らせた。

「一撃でふたりを仕留めやがるなんてよ……! てめえ、ただの女じゃねえなっ!」

 烏は両掌を顔のまえで合わせる。全身から放たれる妖気。大気は震え、女の袖が風になびく。

「神通力とはね」

 そう呟いた女は烏を一瞥。

「腐っても金翅鳥迦楼羅こんしちょうかるらの子供……といったところだな」

 女の言葉に烏はますます激昂する。

「黙れ黙れぃ! 烏天狗の力を見くびるなんざ一〇〇万年はえぇんだよっ!」

 翼を大きく広げた烏は大地を蹴った。

 交わる、烏と女の影。

「神通力にかかれば生兵法など役には立たぬ……?」

 大声で叫ぶ烏の首は、しかしすでに胴体から離れている。

「神通力も、通用しない、なんて……」

 くちばしからだらりと舌を垂らした烏の頭などには目もくれず、女は振り抜いた小太刀を鞘に納めた。腰に締めた瑠璃色の帯をぽんと軽く叩き、誰に言うでもなくこぼす。

「もうすぐ村に着くな、夜叉丸やしゃまる

 女はしばらく遠い夜空を仰いでいたが、やがて何事もなかったかのように山道を急いでいった。

 冷たい風が木々のあいだをひゅうんと抜け、女の頬を撫でる。

 遠くに梟の声がこだまする。

 懐かしい感覚が戻ってきた。



 天下分け目の大戦おおいくさから時は流れ幾十年。

 戦に勝利した東国の大名・武川の手により、世は安寧の営みを見せていた。因果もわからぬ病苦貧困とは無縁の日々。

 だが人々を震えあがらせる噂がどこからともなくささやかれはじめていた。うつし世にあらざる者どもが跋扈していると。

 誰しも人知を超えた存在に畏怖するもの。人々は押し寄せる不穏な空気に『黒い瘴気』というかりそめの名を与えることで、ひとまずの平穏を得ていた。

 それは山間にある小さな村・守成かみなり村とて同じこと。

「うわあっ、また怪力女が怒ったぞ!」

 少年たちはぎゃあぎゃあ騒ぎながら畑の脇を駆け抜ける。

「髪を引いたくらいで、よう飽きもせず暴れる女じゃい!」

 彼らを追いかけているのはひとりの少女。着物の裾を帯に挟みこみ、拳を振りかざして駆けている。

 少女の髪は金色こんじきに輝いていた。髪の色だけが特異なのではない。少女の瞳の色も、少年たちの黒いそれとはちがい薄い青緑である。

「誰じゃ! わしの髪を引っ張ったのはっ!」

 少女は涙声で叫ぶ。

「そんなにわしの髪がおかしいかっ!」

 畑に入っている年老いた農夫たちは作業の手を休め、祭りのようにはしゃぐ子供らの姿を物憂げに眺めていた。

 そのとき、道の向かい側からひとりの少年が、おおい、と声をあげて、皆のいるほうに駆け寄ってきた。

「南蛮人がきよったぞ! みくになんかよか、もっともっとすんごいのがきよったぞォ!」

 その声に、農夫たちは顔色を変える。

 駆けてきた少年は息急ききって言葉を続ける。

彦兵衛ひこべえのとこにやってきとる。とにかくすんごいのじゃ。皆も見てきい」

「なんじゃなんじゃ? みくにをいじるよりも一〇〇倍楽しそうじゃの!」

 少女から逃げていた少年のひとりがそう言うと、ほかの連中も顔を見合わせ一様に頷いた。そして南蛮人が訪れているという彦兵衛の茶屋に向かって一目散に駆けていった。

 少年たちを追っていたみくにという名の少女は独りへたりこむと、その場でわんわんと泣きだした。

 農夫たちは少女を見て見ぬふりをしながら冬支度の作業を続けている。

「彦兵衛の店にまたおかしなやつがきよったか。なんの因果で彦兵衛のところには次々と――」

 小声で誰かが呟くのを受け、ほかの誰かもそっと漏らす。

「まったくじゃ。余所者がくるのは決まって災いのもと。わしらの静かな生活をおびやかす以外の何物でもないわい」

 それから農夫たちは示し合わせたかように、道端で泣いている金髪の少女を見やる。

「異国の人間など、みくにひとりで手一杯じゃて」

 やがてみくには泣きやむとすくっと立ち上がり、着物についている土汚れを手で払った。それから口をぎゅっとへの字に結び、少年たちの走り去っていった方向に向けて歩きはじめた。村人たちとはまったく別世界の住人であるような白い肌に、すきっと通ったきれいな鼻梁。少年たちが彼女にちょっかいをかけるのも、まんざらではないのであろう。



 彦兵衛の茶屋は村のはずれ、山道の入口に程近いところにあった。

 みくにが茶屋についたときには、少年たちだけでなく多くの村人が集まっていた。

 戸惑うお春の姿も見えた。噂の南蛮人を一目見るべく店に闖入せんとする村人を必死に押しとどめている。お春はみくにに気づくと大きく手を振った。

「あら、みくに。ちょうどよいところに帰ってきたね。見てごらんよ。南蛮のお客さんがいらしたというだけで、この人の山。おまえさんも皆に帰るよう言っておくれよ」

 みくにはお春に返事をせぬまま、人の波をかきわけて茶屋に入る。

「じいじ、帰ったぞ。なんでも南蛮の客がきとると、さっき太一が言っておったぞ」

 奥の部屋を覗くと、彦兵衛と噂の南蛮の客人が囲炉裏端でなにやら話をしているところだった。

 村で茶屋を営む彦兵衛は還暦を迎えた爺である。

 店先で村人の相手をしているお春は彦兵衛の孫娘であり、みくにの義理の姉でもあった。

 みくには何処の出かも知れぬ孤児だった。

 年老いた彦兵衛は閉鎖的なほかの村人とはちがい、外の世界に対して寛容な人間だった。そんな彦兵衛の気質のおかげで、みくには飢えることもなくここまで育つことができたのである。

 みくには南蛮人の客を見た。まるで天女のようだと思った。

 女の髪は美しい銀で、目鼻立ちは希臘ギリシャ人形のように整っている。首や手足は細く伸び、純白の素絹がひどく似合っていた。

 これを南蛮人というのだろうか。みくには幼いながら考えた。同じ南蛮人と呼ばれようとも、自分とこの珍客とでは、まるでちがう人種ではないかと。たとえるならば、焔と氷のように。太陽と月のように。

 みくにはぼさぼさな自分の頭に手をやると無意識にうつむく。

 戸口に立つみくにの姿に気がついた彦兵衛は、部屋に上がるようみくにを優しく手招いた。

「これ、みくに。客人にご挨拶しなされ」

 みくには彦兵衛の横にちょこんと座り小さく頭を下げた。

 正対する長い銀髪の客人は落ち着いた口調でそれに応じた。

「我が名は銀子。所用で旅の途中、この村に立ち寄らせてもらった」

「ほほう、銀子とゆう名か。変わった名じゃのう」

 みくには身を乗りだすようにして銀子を見る。

「でもわしはその名が気に入ったぞ」

 彦兵衛は熱いお茶を淹れながらみくにに言った。

「お銀殿は亡くなったご友人の足跡をたどって各地を旅しておられるそうじゃ。律儀なお人よ」

 銀子はきれいな顔で微笑む。

 みくには少し照れながら、銀子に質問を投げた。

「銀子はたった独りで旅をしておるのか? 山賊にでも襲われたらどうするんじゃ?」

「そのときは――」

 銀子は少し考えた素振りをしてから答える。

「一目散に逃げるだけ」

 みくには小さく吹きだしてから声をたてて笑った。

「なんじゃ。やっぱりその帯に差しておる刀は飾りじゃったか」

 部屋で三人が談笑しているところにお春が顔を出した。少し疲れた様子だ。

「やっと皆、店から帰っていったよ。なんやかんや言うても、村の男衆、美人さんには興味津々だったわ」

 お春は銀子に会釈してからみくにの横に腰を下ろす。

「あら、みくに? あんた、また喧嘩してきたのかい? 着物が泥まみれじゃないか」

 みくには口を尖らせてそっぽを向いた。

 お春はみくにをたしなめる。

「あんたはね、女の子なんだよ。女の子がそんなに喧嘩ばかりしていちゃ駄目じゃないの」

 物言いたげな顔のみくにを見つめていたお春だったが、やがて溜め息をつくと、そうだ、と突然なにかを思いついたように手を打った。

「ねえ、彦爺。銀子さんにはわたしの部屋をいっしょに使ってもらったらどうかしら? けっして広くはないけれど、寒さ凌ぎくらいにはなるわ」

 彦兵衛はゆっくりと頷き、布団はいくつか予備があるから心配ないと言った。

 店先の戸が乱暴に引かれる音がした。

 四人とも一様に戸口のほうに目をやる。

 そこには身の丈六尺を超える男がひとり、不機嫌そうな顔つきで立っていた。

「なんだか騒がしい思うたら、やっぱりウチだったか」

 野武士のような風貌の男は才蔵という名で、お春と夫婦の仲にある者だ。

「原因はそこの女か」

 才蔵は部屋に上がると、威圧するようにして銀子の顔を覗きこんだ。

「あんた、いったいなにが目的でこの村にきた?」

 彦兵衛は銀子に代わり、みくにに説明したのと同じように才蔵に話す。

「彦爺は黙ってろ」

 才蔵は語気荒く言い放つとその場に座りこみ、じろりと銀子を睨みつける。

「友を偲んで旅してるだと? そんなわけあるか。その証拠にこの女、ただならぬ殺気を隠していやがる。彦爺やお春は騙せても、おれの鼻は誤魔化されんっ!」

 銀子は静かに目を閉じたまま、帯の刀に手をやった。

 才蔵は片膝を立てる。

 銀子は黒い鞘ごと小太刀を帯から抜きとると、才蔵の眼前に突き出した。

「そんなにこの銀が信じられぬというのなら、この小太刀、厄介になるあいだ、おぬしに渡しておこう」

「才蔵! お客さんに失礼じゃないの」

 お春が腰を起こして、才蔵をなだめにかかる。

 才蔵はふんっと鼻を鳴らしてから立ち上がると、左手をうなじの辺りにやった。

「とにかく、だ。少しでも怪しい真似しやがったらこのおれがただじゃおかねえ。いいか? 女とて容赦はしないぜ」

 ぶっきらぼうにそう言うと、才蔵は大きな身体をことさらに揺らしながら店を出ていった。

「お銀殿、才蔵はああいう性格じゃが悪いやつではない。許してやってくれ」

 彦兵衛はすまなそうに言い、それからみくにの背中をぽんと叩いた。

「そうじゃ、お銀殿。夕飯まではもうしばらく時間がかかる。それまではみくにが村を案内してくれるじゃろうて、そこらでもひとまわりしてきなさったらどうじゃ」

「銀子、いこう!」

 みくには元気よく立ち上がると拳を突き上げた。

 銀子もゆっくりと腰を上げ、彦兵衛に向かって小さく会釈した。

 お春はみくにに言い聞かせる。

「外は冬。夜も早くなってきているわ。暗くなるまえに戻ってくるんだよ。いいね?」

 みくには銀子の白い手を引きながら、うん、とお春に向かって相好を崩した。

 銀子に嬉々として話しかけながら部屋を出ていくみくに。

 お春はみくにと銀子のうしろ姿を見つめながら怪訝な面持ちで漏らした。

「この世には同じ顔の人間が三人いると言うけれど、ほんとに驚いたわ……」

「うむ、まるで一〇年まえのあの日に戻ったようじゃ」

 彦兵衛は相槌を打つ。

「これはわしの思い過ごしかもしれんが、お銀殿とみくにの母君のあいだにはなにかしら関係があるのやもしれんわい」

「銀子さんの古いご友人というのが、案外、みくにのお母様のことだったりしてね」

 お春は含み笑いをして立ち上がると、炊事場に向かった。



 銀子を連れたみくには、彦兵衛の茶屋から山の入口まで、村を案内しながらぐるりと一周する。

 ふたりの姿を目にした村人たちは皆一様に立ち止まり、あんぐりと口を開けていた。およそ村の人間には似つかわしくない容姿の異国の者がふたり。みくにには慣れているはずの村人たちだったが、四肢のすらりと伸びた銀子の美しい姿には戸惑いを隠せない。みくにをからかっていた少年たちはと言えば、そぞろに歩くふたりの様子を家のなかから窺っているのだった。

「小さな村じゃろ?」

 前方を歩いていたみくには銀子を振り返る。

「銀子はずっと旅をしておるのか?」

 そうよ、と銀子は優しく言う。

「西から東まで、都も小さな村も、銀はあちこちをまわってきた」

「ずっと、独りで?」

 そうよ、と銀子は先程と同じように繰り返した。

 みくには眉をひそめて銀子に歩み寄る。

「寂しくないのか? 家の者や、ともに旅する仲間はおらんのか?」

「銀はずっと独り。もう慣れっこだから寂しくなどない」

「ふうむ……、銀子はすごいのう。わしも村の皆から、からかわれてばかりで友達などひとりもおらんが、じいじやお春、それに才蔵もおるから、寂しくはないぞ」

 ふたりは並んで歩き、山の奥から流れてきている小川に架かった橋を渡る。

 川面が西日を眩しく反射させ、みくには手の甲を額に当てた。

「才蔵はのう、見た目は無粋じゃが、ほんとはすんごく優しいんじゃぞ」

 みくにはさらに言葉を続ける。

「それにな、才蔵はこんど、父親になるんじゃ! すごいじゃろ?」

「ほう。それはめでたい」

「才蔵とお春の子供じゃ。いったいどんな子じゃろな?」

 ゆっくりと橋を渡りきったところで、銀子はみくにに尋ねた。

「才蔵とやらはこの村の者ではないと見たが、どうであろう?」

「ほんとに銀子はすごいのう! まさにそのとおりじゃ。才蔵はかつて都でお侍をしていたという話じゃ。あるときひどい怪我を負って村のはずれで倒れておってな、お春が介抱したのがきっかけでいまのような夫婦の仲になったんじゃて」

「侍?」

 銀子は思わず訊き返す。

「そのわりには都の侍の雰囲気など、いまやまったくないものだな。あの物言いではまるで――」

 まるでならず者のようだと銀子は言いかけて、やめた。

 立ち止まったままの銀子を見つめていたみくには満面の笑みを浮かべた。

「うわあ、白い着物がきらきらと輝いて、銀子はまるで天女様のようじゃあ!」

 みくにの言葉に銀子も頬を緩めた。



 ふたりが茶屋に戻って程なく、外は夜の帳に包まれた。

 みくにと銀子、それから彦兵衛、お春、才蔵と、五人そろっての夕飯をとる。

 お春がカブの実と青菜の入った雑炊を皆にとりわけていると、銀子が不意に尋ねた。

「ところで銀は、厄介になる礼として彦兵衛殿に幾ら払えばよいだろうか?」

 お春がきょとんとして銀子の顔を見ていると、彦兵衛が笑いながら答えた。

「お銀殿、礼には及ばんよ。世では貨幣が律法のように振る舞っておるが、わしらにとってはどうでもよいことじゃ。それよりも旅先でのいろいろな話を聞かせてくれるほうが、よっぽど嬉しいわい」

 みくにもうんうんと頷く。

 隅であぐらをかいていた才蔵はちっと舌打ちしてからぶっきらぼうに、

「そんなだからおれたちの暮らしは貧しいままなんだよ、彦爺。これからは金が物言う時代なんだぜ?」

 と言って、なぜか銀子を睨む。

「じゃが、才蔵や、食うには困らんじゃろ? わしゃあそれで十分じゃと思うておる」

 彦兵衛は大きな声で笑い、雑炊に口をつけると美味そうにそれを食べた。

 その対面に座る銀子も温かいカブを口にして、おいしい、と小さく呟いた。

 それを見ていたみくにはとびきりの笑顔で銀子に言った。

「お春とじいじの作るモンはどれも天下一品じゃ! そうじゃっ! 銀子も茶屋の名物・草団子を食うてみぃ。一度あれを食えば、もうほかの団子なぞ食えなくなるぞォ」

「そう」

 銀子もみくににあわせて笑みを漏らした。

 この日初めて出会ったというのに、みくにたちと銀子はまるで長年そうしてきた間柄のように心穏やかな一夜を過ごした。

 そんな守成村にも夜闇に紛れて黒い瘴気が流れこんできていることを、みくにや彦兵衛が知る由はなかった。

 夜空には大きな月が昇り、山麓の散村を絵画のように浮かび上がらせている。

 狼の遠吠えが冷たい風に乗って村に届くも、ぐるぐると村のなかを巡るうちに、やがて夜の静寂に吸いこまれてしまうのだった。

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