双子の悪魔と楽しいハロウィン(※n回目)
「ねえ、ミア。今日は何して遊ぶ?」
ルウは隣に座るミアを覗き込んだ。
ハロウィンで賑わう街は、オレンジ色の灯りと楽しげな笑い声に包まれている。
仮装した人々が行き交う通りの片隅で、ふたりは仲良く肩を寄せ合って階段に座っていた。
ミアは、鮮やかな赤い髪を揺らしながら、通りを行き交う人々を眺めている。
左右で色の異なる瞳は、左目が青、右目が赤に染まっている。髪の間からは立派なツノが生えており、背中には黒いコウモリのような翼が畳まれ、腰の後ろでは鱗のついた大きく長い尻尾がゆらゆらと揺れていた。
人間の仮装にしては、ずいぶんと凝った姿だ。
けれど、彼女にとってはこれがいつもの姿だった。
「そうだなぁ……」
ミアが考え込む隣で、ルウは青い髪を揺らして首を傾げた。
右目は青、左目は赤。姉とは左右が反転した瞳を持っている。
髪の間から覗く立派なツノも、背中に畳まれた黒い翼も、腰の後ろで揺れる尻尾も、ミアとよく似た形をしていた。
顔立ちも、やはりよく似ている。
ミアはしばらく考え込んだあと、悪戯っぽく口角を上げた。
「町中の物、片っ端から叫ばせちゃう?」
「……っ、ふふ!」
ルウが吹き出した。
「なにそれ、どういうこと?! ミア、天才じゃん!」
「でしょ?♡」
ふたりは顔を見合わせ、声を潜めて笑い合う。
そのとき、通りの向こうから、ひとりの男が歩いてきた。
小脇には一冊の本を抱えている。買い物の帰りだろうか。
男は周囲を気にする様子もなく、のんびりとこちらへ向かってきた。
「ねえ、ミア。あの人」
「ふむ」
ミアの瞳がきらりと光る。
「じゃあ、あれにしよっか♡」
「うん!」
ふたりは物陰から飛び出すと、男の前にひょこっと顔を出した。
「Trick or Treat?」
「……は?」
突然現れたふたりに、男は怪訝そうな顔をした。
「お菓子ちょうだい? くれなかったら、イタズラしちゃうよぉ♡」
「いや、持ってないけど……」
「そっかぁ!」
ミアはにっこり笑った。
「じゃあ、イタズラだねぇ♡」
「えっ?」
ミアの指先から淡い赤の魔力の火花が走る。
バタンッ!
男の小脇にあった本が、突然ひとりでに開いた。
「ん?」
バタン、バタン、バタンッ!
本の表紙が、まるで大きな口のように開閉し始めた。
「ギャアアアアアアアッ!!」
「うわあああああっ!?」
バタンッ!
男は悲鳴を上げ、本を放り投げた。
しかし、本は地面に落ちると、そのまま表紙をパカパカと開閉させながら男を追いかけ始めた。
「ギャアアアアア!! ギャアアアアア!!」
「なんだこいつ!? 来るなああああっ!!」
逃げる男。追いかける本。
通りを行き交う人々が何事かと振り返り、次の瞬間には悲鳴を上げて道を空ける。
その騒ぎを眺めながら、ふたりは手をつないで笑い転げた。
「っ、あはははははは!!」
「ミアっ、見た!? 今の顔!!」
「見た見たっ! あははっ、最高なんだけど!」
「ミア、ちゃんと聞いたもんねぇ!」
「うん! お菓子くれなかったんだもん♡」
ミアはルウの肩に寄りかかり、笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭った。
ルウもまた、ぎゅっと手を握りながら、姉と一緒になって笑い転げる。
ハロウィンは、まだ始まったばかりだった。
**
それからふたりは、たっぷりと遊んだ。
店先に並ぶカボチャを一斉に歌わせたり、街灯にくしゃみをさせたり。
道端の石ころを跳ね回らせたときには、通りがかった子どもが大喜びで追いかけていた。
もちろん、喜んでくれる人ばかりではない。
突然叫び出した靴に追いかけられたおじさんは、二度とこの通りを歩かないと誓っていたし、勝手に文句を言い出した看板と怒鳴り合っている店主もいた。
けれど、ふたりは気にしない。
魔法はしばらくすれば解けるし、何より、楽しいのだから。
「ねえ、ルウ。次はあのお店の――」
「ミア」
ルウが、姉の言葉を遮った。
「……ん?」
「あっち」
彼が指さした先には、日のささない小さな路地があった。
その奥で、何か黒い影が蠢いている。
影はぐにゃりと形を変え、路地の壁を這い上がった。
やがて、ぎょろりとした目がふたつ、闇の中に浮かび上がる。
「あー……」
ミアは途端に、面倒くさそうな顔をした。
「魔物だねぇ」
「うん。魔界に帰ってもらわないと」
「えーっ。せっかく遊んでたのにぃ」
「お仕事だからね、ミア」
ルウはそう言いながら、当然のように姉の手を取った。
ミアはむぅ、と頬を膨らませたものの、握られた手を振りほどこうとはしなかった。
「……じゃあ、ぱぱっと終わらせちゃおっかぁ」
「そうしようねぇ」
ふたりは路地へと足を踏み入れた。
魔物は、ふたりの姿を見るなり低く唸った。
人間を食らう、危険な魔物だ。
けれど、ふたりは怯まなかった。
「Trick or Treat?」
ミアがにっこりと笑う。
魔物は答える代わりに、鋭い爪を振り上げた。
「ふぅん。お菓子はくれないんだぁ」
「じゃあ、帰ろっか」
ルウの声は、どこまでも穏やかだった。
ふたりは繋いでいた手をさらに強く握る。
握り合った手のひらから、赤と青の魔力が流れ出し、互いに絡み合っていく。
すると、ふたりの足元には小さな魔法陣が浮かび上がった。
赤と青の光が絡み合い、紫色の鎖となって魔物の身体を縛り上げた。
魔物が暴れ、唸り声を上げる。
しかし、鎖はびくともしない。
「はい、おしまい♡」
ミアが指を鳴らした。
魔法陣がまばゆく輝き、魔物の身体が光の向こうへと吸い込まれていく。
最後に残ったのは、魔物の悔しそうな唸り声だけだった。
「お仕事完了!」
ルウがぱっと笑う。
「やったぁ!」
ミアも笑顔を返した。
――しかし、彼女の笑顔はすぐにしおれてしまう。
「はぁ……もうめんどくさい。こんなことせずに、いつもみたいにおうちで沼地プリン食べてゴロゴロしたい……」
「……沼地プリン?」
ルウの瞳が輝いた。
「そう! あの、底のほうがちょっとねっとりしてて、ぷるぷるのやつ!」
「食べたい……」
「でしょぉ!?」
ミアは勢いよくルウの手を握り直した。
「帰ろうよぉ、ルウ! おっきい器のやつ、ふたりで半分こしよ!」
「えー、でもマザーに怒られるよ?」
「えー、だいじょうぶだってぇ。これくらい、なんとかなるでしょ?」
ミアは悪びれもせず、けらけらと笑った。
「……ミア」
「んー?」
「僕はもう、50年も離れ離れになるの嫌だからね」
その言葉に、ミアの笑顔が止まった。
脳裏をよぎるのは、あの50年間。
隣にルウがいないこと。
何か面白いことがあっても、一緒に笑えないこと。
ふとした瞬間に、いつも隣にいるはずの弟がいないと気づくこと。
――もう、あんなのは嫌だ。
「…………」
ミアはルウの顔を見つめ、それから、繋いでいた手をぎゅっと握り直した。
「……じゃあ、ちゃんとしなきゃねぇ」
いつものように笑おうとしたけれど、うまく笑えなかった。
「……」
「……」
ふたりは顔を見合わせた。
そして、ほとんど同時ににっこり笑った。
「じゃあ、お仕事をぱぱっと終わらせちゃおっかぁ♡」
「うん! 帰ったら沼地プリンだねぇ、ミア♡」
**
それからも、ふたりは街を歩き回った。
人間を驚かせ、魔物を見つけては魔界へ送り返す。
何度も何度も、同じことを繰り返した。
やがて、街の時計が日付の変わる時刻を告げる。
夜空を見上げながら、ミアはつまらなそうに頬を膨らませた。
「……あーあ。もうすぐ終わっちゃうねぇ、ハロウィン」
「そうだねぇ」
ルウも、少しだけ寂しそうに呟いた。
楽しい時間は、いつだってあっという間だ。
もっと遊びたい。
もっと笑いたい。
まだまだ、ふたりでやりたいことがたくさんある。
ミアはしばらく考え込んでいたが、ふいに、ぱっと顔を輝かせた。
「……あっ!」
「ん? どうしたの、ミア?」
「ねえ、ルウ! ハロウィンが終わらなければ、ずーっと人間界で遊んでいられるんじゃない!?」
「……えっ?」
ルウが目を丸くする。
「だって、今日が終わっちゃうから帰らなきゃいけないんでしょ? だったら、今日が終わらないようにしちゃえばいいんだよぉ!」
「……あっ!」
ルウの顔が、ぱあっと明るくなった。
「そっか! 今日をもう一日続ければいいんだ!」
「そうそう! 天才じゃない!?」
ふたりは顔を見合わせ、楽しそうに笑った。
今日を、もう一日だけ繰り返す。
ただ、それだけ。
ふたりは当たり前のように肩を寄せ合った。
ミアがルウの腕に身体を預けると、ルウも姉の肩にそっと寄りかかる。
触れ合う身体を通して、赤と青の魔力が互いに流れ込み、少しずつ混ざり合っていった。
ふたりの足元で、鮮やかな紫色の魔法陣が広がっていく。
今日を、もう一日だけ繰り返す。
そのための術式は、ふたりの手によって完成した。
――ただし。
その魔法が、いつまで繰り返されるのか。
終わりを告げる条件を、ふたりはどこにも書き込んでいなかった。
**
魔界の家に帰ると、ふたりはさっそくソファに飛び込んだ。
「はぁ〜! 楽しかったぁ!」
「ねぇ! いっぱい遊んだね、ミア!」
「ふふふ。しかも明日もハロウィンなんだよぉ♡」
「そうだった!」
ルウが嬉しそうに手を叩く。
もう一日だけ遊びたい。
そんな何気ない願いから生まれた魔法は、ふたりの思惑どおりに働いている。
――少なくとも、ふたりはそう思っていた。
「ねえ、ルウ。沼地プリン食べよぉ!」
「やったぁ!」
ふたりは冷蔵庫から大きな器を取り出した。
黒緑色の表面には、紫色の泡がブクブクと浮かんでいる。
スプーンを入れると、ぷるん、と不気味なほど大きく揺れた。
「ん〜♡ おいしぃ!」
「このねっとり感が最高だねぇ、ミア!」
ふたりは並んで座り、夢中で沼地プリンを頬張った。
「明日は何して遊ぼっかぁ?」
「んー……昨日の本、もう一回叫ばせる?」
「いいねぇ! 今度はもっと大きな声で叫ばせちゃお♡」
きゃっきゃと笑い合いながら、ふたりは明日の計画を立てる。
明日もハロウィン。
明日もふたりで遊べる。
それだけで、十分だった。
**
そして、翌朝。
「……ん?」
ミアは、壁に掛けられたカレンダーを見て首を傾げる。
壁に掛けられた魔法のカレンダーには、今日の日付が浮かび上がっていた。
「ねえ、ルウ」
「んー?」
「今日って、何日?」
「え? 11月1日……じゃないの?」
ルウは寝ぼけ眼をこすりながら、カレンダーに目を向けた。
そこには。
10月31日。
ハロウィンの日付が、堂々と浮かび上がっていた。
寝ぼけたままのふたりは、しばらく黙ってカレンダーを見つめた。
「……あれ?」
「……あれぇ?」
ミアが窓の外を覗き込む。
魔界の空は、いつもと変わらない。
昨日と同じ朝。
昨日と同じ日付。
そして、昨日と同じように、ハロウィンの準備を知らせる魔界の鐘が鳴っていた。
ミアは、隣にいるルウを振り返った。
「……そういえば昨日、ハロウィンが終わらないように魔法をかけたねぇ?」
「……あっ!」
ルウが、ぽん、と手を打った。
ミアの顔が、みるみるうちに輝いていく。
「……ほんとに、できちゃった!?」
「できちゃったんだよぉ、ミア!!」
次の瞬間。
「やったぁぁぁぁぁぁ!!」
「やったねぇぇぇぇぇ!!」
ふたりは手を取り合って、その場で飛び跳ねた。
「すごいすごい! ミア、ほんとにできちゃったねぇ!」
「でしょぉ!? 私、天才かもしれない!!」
「かもじゃないよ! 天才だよぉ!」
きゃっきゃとはしゃぎながら、ふたりは街へと駆け出した。
今日も、ハロウィン。
今日も、人間を驚かせていい。
今日も、ふたりで遊んでいられる。
最高だった。
最高すぎて、ふたりはまだ気づいていなかった。
時計の針が、ほんのわずかに震えていることに。
**
それから、ふたりは昨日と同じように遊んだ。
昨日と同じ通りで、昨日と同じようにお菓子をねだり、昨日と同じようにイタズラをした。
もちろん、昨日と同じ本を持ったおじさんにも出会った。
「Trick or Treat?」
「……ん?」
男は不思議そうに首を傾げたあと、抱えていた本を見下ろした。
「まあ、いいか。ほら、お菓子だよ」
男が差し出したのは、小さな包みだった。
「わぁ! ありがとぉ♡」
ミアは嬉しそうに受け取る。
「お菓子くれたから、今日はイタズラなしだねぇ!」
「うん! いい人だねぇ!」
ふたりは手を振って、その場を離れた。
――その直後。
男が、ふと足を止めた。
「……あれ? 俺、今、誰と話してたんだ?」
首を傾げながらも、男はすぐに歩き出す。
その手には、さっきまで持っていたはずのお菓子がなかった。
**
――そして、その夜。
ふたりが魔界の家に帰り、沼地プリンを食べていたときだった。
「……ねえ、ルウ」
「んー?」
「今度こそ、ハロウィン終わっちゃったねぇ」
「そうだねぇ。明日はおうちでゆっくりしよっか」
「うん! そうしよぉ♡」
ふたりは、そのままのんびりと沼地プリンを食べ終えた。
そして、いつも通りベッドの上でくっついて眠りにつく。
**
翌朝。
「……ん?」
ミアは、壁に掛けられたカレンダーを見て首を傾げた。
「……ルウ」
「……んー?」
「……今日って、何日?」
「……11月1日、じゃないの?」
ルウがカレンダーを見た。
そこには。
10月31日。
ハロウィンの日付が、またしても浮かび上がっていた。
「…………」
「…………」
ふたりは、じっとカレンダーを見つめた。
昨日も。
一昨日も。
確かに、10月31日だった。
けれど。
昨日は、魔法で延長したハロウィンだったはずだ。
今日は、何もしていない。
魔法だって使っていない。
なのに。
「…………えっ?」
「…………えっ?」
ミアとルウは、ゆっくりと顔を見合わせた。
「……なんか分かんないけど、またハロウィン来たねぇ?」
「……来たねぇ、ミア」
数秒の沈黙。
次の瞬間、ふたりは同時に叫んだ。
「やったぁぁぁぁぁ!!」
「やったねぇぇぇぇ!!」
――まだ、ふたりは知らなかった。
昨日かけた魔法が、今日も、明日も、その先も。
終わることなく繰り返されているということを。
**
それからも、同じ朝が繰り返された。
三度目も、四度目も、五度目も。
カレンダーには10月31日が記され、街にはハロウィンの灯りがともる。
ふたりは相変わらず人間を驚かせ、魔物を魔界へ送り返し、夜には沼地プリンを食べて眠った。
何も変わらない。
そう思っていた。
異変に気づいたのは、六度目のハロウィンだった。
「……ねえ、ミア」
ルウが、空を見上げていた。
「んー?」
「あそこ、昨日も割れてなかった?」
指さした先。
満月のすぐそばに、細い亀裂が走っていた。
ガラスにひびが入ったような、奇妙な裂け目。
その向こうには、夜空とは違う色の闇が覗いている。
「……ほんとだぁ」
ミアは目を細めた。
「なんだろうねぇ、あれ」
「うーん……」
ふたりはしばらく空を眺めた。
やがて、ミアがぽん、と手を打った。
「ま、いっか!」
「そうだねぇ!」
ふたりは、何事もなかったかのように歩き出した。
――その瞬間。
空の亀裂が、ほんの少しだけ広がった。
裂け目の向こうから、黒い爪が一本、ゆっくりと伸びてきた。
**
――もう何度目のハロウィンだろうか。
空にはいくつもの亀裂が走り、街灯の光が不規則に明滅している。
路地の奥からは、聞き覚えのない魔物の唸り声が響いていた。
人々は悲鳴を上げながら逃げ惑い、仮装のための衣装を脱ぎ捨てて走っていく。
そんな街の真ん中で、ミアとルウは立ち尽くしていた。
「…………」
「…………」
ふたりは、空を見上げる。
裂け目から、次々と魔物が這い出してくる。
小さなものもいれば、家ほどの大きさを持つものもいた。
そのすべてが、本来なら魔界にいるはずの存在だった。
「……ヤバいねぇ、ルウ」
「……そうだねぇ、ミア」
ふたりは、ぎゅっと手を握り合った。
いつものように笑うことは、できなかった。
これは、ただのイタズラではない。
自分たちが引き起こしたことなのだと、ようやく理解した。
「……どうしよう」
ミアが、小さく呟く。
ルウは、姉の手を握り直した。
「……僕たちで、なんとかしよう」
その言葉に、ミアは顔を上げた。
赤い瞳と、青い瞳が交差する。
ふたりは、もう一度、しっかりと手をつないだ。
「……うん」
ミアが頷く。
「私たちで、なんとかしよう」
**
「とりあえず、あの魔法を止めなきゃだよねぇ」
ミアは空を見上げながら言った。
「うん。でも、まずはかけた魔法がどんな魔法だったのか確かめなきゃ」
「えー……」
ミアは露骨に顔をしかめた。
「もっと簡単にできないのぉ?」
「できたら、とっくにやってるよぉ」
「むぅ……」
ふたりは、あの夜、ハロウィンを延ばすために術式を組み立てた場所へと向かった。
石畳には、今もかすかに紫色の光が残っていた。
ミアがしゃがみ込み、地面に指先を触れさせる。
すると、彼女の魔力に反応するように、魔法陣が浮かび上がった。
「……あった」
ルウも隣にしゃがみ込む。
ふたりは術式を覗き込んだ。
赤と青の魔力が複雑に絡み合い、ひとつの命令を繰り返している。
今日を、もう一日繰り返す。
今日を、もう一日繰り返す。
今日を、もう一日繰り返す。
何度も、何度も。
そして、そのどこにも。
終わりを示す命令は存在しなかった。
「…………」
「…………」
ミアが、そっと顔を上げた。
「……ルウ」
「……うん」
「……私たち、やっちゃった?」
「……やっちゃったねぇ」
ふたりは、しばらく黙り込んだ。
それから。
「……ごめんねぇ」
ミアが、小さく呟いた。
ルウは驚いたように姉を見た。
ミアが、自分から謝ることは珍しい。
けれど、今はふざけている場合ではなかった。
「……ううん。僕も一緒にやったんだから」
ルウは、姉の手を握った。
「ふたりで、なんとかしよう」
ミアは一度だけ頷くと、再び術式へと向き直った。
「……うん!」
**
ふたりは、術式の修正を試みた。
ループの繰り返しを止める命令を加える。
しかし、魔法陣は一瞬だけ光ったあと、何事もなかったかのように元の動作を続けた。
「……えっ?」
ミアが瞬きをする。
「今、直したよねぇ?」
「直したはずなんだけど……」
ルウが術式を確認する。
ふたりが追加した命令は、すでに次の繰り返しに飲み込まれていた。
時間が巻き戻るたび、修正した結果まで巻き戻されてしまうのだ。
「……うそでしょぉ」
ミアが頭を抱えた。
「じゃあ、どうしたらいいのぉ!?」
ルウは唇を噛んだ。
時間のループを、術式の修正だけで止めることはできない。
繰り返される時間の中で、魔界と人間界の境界は少しずつ壊れていたのだ。
もう、時間を巻き戻す魔法を解除できても意味がない。
ふたりは、ようやく理解した。
必要なのは、壊れてしまった世界を、元の状態に戻すことだった。
**
そのとき。
頭上から、ひときわ大きな唸り声が響いた。
ふたりが振り返ると、空の裂け目から巨大な魔物が姿を現していた。
黒い身体は雲を覆い隠すほど大きく、無数の目が街を見下ろしている。
魔物が腕を振り下ろした。
轟音とともに、建物が崩れ落ちる。
「……っ!」
ミアは反射的にルウに抱きついた。
すると、ふたりの周囲に魔法障壁が展開され、降り注ぐ瓦礫を弾き飛ばす。
けれど、障壁に大きな亀裂が走った。
「ミア!」
「ルウ!」
ふたりは抱き合って、同時に魔力を放つ。
赤と青の光が絡み合い、巨大な紫色の鎖となって魔物へと伸びた。
鎖が魔物の身体に巻きつく。
しかし、魔物は唸り声とともにそれを引きちぎった。
「……うそぉ」
ミアの声が震える。
これまで、ふたりの魔法が通じなかった相手など、ほとんどいなかった。
それなのに。
魔物は、ふたりの魔力を吸うようにして、さらに巨大化していく。
時間の歪みから溢れ出した魔力が、魔物に流れ込んでいるのだ。
「……ルウ」
「……うん」
ふたりは、顔を見合わせた。
ここで負けるわけにはいかない。
このままでは、人間界だけでは済まない。
魔界も、そしてふたりの帰る場所も、すべて壊れてしまう。
ミアは、ルウの手をぎゅっと握った。
「……ねえ、ルウ」
「なに、ミア」
「……絶対、一緒に帰ろうね」
ルウは、一瞬だけ目を見開いた。
それから、いつものように笑った。
「うん。約束だよ、ミア」
**
ふたりは、魔物から距離を取ると、静かに目を閉じた。
これまでの魔法とは違う。
イタズラのためでも、魔物を追い返すためでもない。
世界そのものを修復するための魔法。
そのためには、ふたりの魔力を完全にひとつにする必要があった。
ふたりの魔法は、互いの精神と身体が近づくほど強く結びつく。
世界そのものを修復するほどの魔力を生み出すには、これまで以上に強く、互いをひとつにする必要があった。
ミアは、ルウの胸元に顔を寄せる。
ルウはミアの背中に腕を回し、包み込むように、ぎゅっと抱きしめた。
互いの身体がぴたりと重なる。
触れ合った場所から、赤と青の魔力が一気に流れ込み、ふたりの境目をなくすように混ざり合っていった。
ふたりの背中で畳まれていた黒い翼が、大きく広がった。
そのまま赤い魔力と青い魔力が、翼の縁をなぞるように走り、紫色の光となって重なっていく。
ふたりの魔力が完全にひとつになった瞬間、足元に巨大な魔法陣が展開した。
街を包み込み、空を覆い、世界の果てまで広がっていく。
ミアは、そっと顔を上げた。
「……ルウ」
「うん、ミア」
「……大好きだよ」
ルウは、少しだけ笑った。
「僕も大好きだよ、ミア」
ふたりは、額を寄せた。
そして、そっと口づけを交わす。
その瞬間。
紫色の光が、世界を満たした。
空に走った亀裂が、ゆっくりと閉じていく。
崩れた建物が元の姿を取り戻し、魔物たちは光に包まれて、それぞれの世界へと帰っていった。
時間の歪みがほどけていく。
繰り返されていた一日が、ようやく終わりへと向かい始める。
そして。
世界は、元の姿を取り戻した。
**
魔界大法廷。
そこは、魔界の歴史に刻まれる大罪を裁くための場所だった。
天井は遥か高く、黒曜石の柱が何本も連なっている。
壁面には古代の魔族たちの姿が刻まれ、床には複雑な魔法陣が幾重にも描かれていた。
頭上では、青白い炎が音もなく燃えている。
広間の中央には、被告人を見下ろすようにして、巨大な裁判席が設けられていた。
その中央に座すのは、魔界と人間界のすべての始まりとされる始祖――通称、マザー。
左右には、異形の裁判官たちが並んでいる。
いずれも、幾千年もの時を生き、数え切れないほどの罪を裁いてきた存在だった。
その視線が、一斉に広間の中央へと注がれる。
そこに立つのは、ミアとルウ。
世界の時間を狂わせ、魔界と人間界の境界を破壊しかけた罪人である。
広間には、重苦しい沈黙が満ちていた。
やがて、裁判長席のマザーが、ゆっくりと口を開いた。
「――被告人。ミア、ルウ」
低く、よく通る声が広間に響く。
「あなたたちは、自らの魔法によって時間を無限に循環させ、世界の均衡を崩壊させました。その結果、両界の境界は損なわれ、無数の魔物が人間界へ流入。人間界は未曾有の危機に陥りました」
マザーが言葉を切る。
左右の裁判官たちが、重々しく頷いた。
「これは、魔界の歴史においても看過できない重大な罪です」
沈黙。
ミアとルウは、俯いたまま立っていた。
ふたりの手は、しっかりと握られている。
「……それでは」
マザーが、裁判官たちを見渡した。
「判決を――」
「ごめんなさいマザーーーーーーッ!!」
厳粛な法廷に、場違いな叫び声が炸裂した。
裁判官たちの動きが、一斉に止まった。
「もうしないからぁぁぁ!! お願いだから怒らないでぇぇぇ!!」
ミアはルウにしがみつき、ぼろぼろと涙をこぼしている。
「僕たち、もう絶対こんなことしないからぁぁ!!」
ルウもまた、姉の服をぎゅうぎゅうと握りしめ、しゃくり上げながら泣き叫んでいた。
「離れ離れになるのだけは嫌ぁぁぁぁ!!」
「僕もぉぉぉ!! ミアと離れるのは嫌だよぉぉぉ!!」
ふたりは、法廷のど真ん中で抱き合った。
わんわん泣いている。
それはもう、世界の危機を引き起こした大罪人とは思えないほどの泣きっぷりだった。
左右の裁判官たちは、揃って沈黙していた。
仮面の裁判官は、無表情のまま首を傾けた。
石像のように動かなかった裁判官のひとりは、ゆっくりと目を閉じた。
誰も、口を挟まない。
挟める雰囲気ではなかった。
「……静粛に」
マザーの声が響く。
しかし。
「やだぁぁぁ!! マザー、ごめんなさぁぁい!!」
「お願いぃぃぃ!! ミアと一緒にいさせてぇぇぇ!!」
「……静粛に、と言っています」
マザーの声が、わずかに低くなった。
ふたりは、ぴたりと泣き声を止めた。
顔をくしゃくしゃにしたまま、そろそろと裁判長席を見上げる。
広間に、再び沈黙が戻った。
マザーは額に指を添え、深々と息を吐いた。
「……まったく。あなたたちは、本当に……」
その声には、怒りだけではない、長年の付き合いからくる疲労が滲んでいた。
「今回、あなたたちが引き起こした事態は、決して軽いものではありません。過去にも同様の過ちを犯し、その際には私が世界を修復しましたね」
「……ひっく」
「……ぐすっ」
「以前、お前たちは『あの街の人間をすべて魔物に変えてしまえば、魔物を魔界へ送り返す仕事もなくなるから』と、対象の範囲を指定し忘れた結果、人間界のすべての人間を魔物に変えた」
「…………」
「……あのときは、ごめんなさい……」
ミアとルウは、そろって小さくなった。
「あの一件では、お前たちに100年間、互いに会うことを禁止する処分を下しました。……その後、不本意ながら50年に減刑しましたが」
当時も、ふたりは泣き喚きながら謝り、もう二度としないと何度も誓い、どうか刑を軽くしてほしいと必死に懇願した。
あまりにもしつこい謝罪と懇願に、最後にはマザーが折れる形となったのだった。
「ひっ……」
「もう、あんな思いはしたくないよぉ……」
ルウはミアの手をぎゅっと握る。
「ですが、今回は違います」
マザーの声が、ほんの少しだけ和らぐ。
「あなたたちは、自分たちが引き起こした事態を、自分たちの力で収束させた。世界の崩壊を食い止め、両界の境界を修復したことは、確かに評価に値します」
ミアとルウは、涙で濡れた顔を見合わせた。
「……じゃあ」
ミアが、おそるおそる口を開く。
「……離れ離れには、ならない?」
「……ミアと、一緒にいられる?」
マザーは、しばらくふたりを見つめた。
そして、裁判長としての厳格な声音で告げた。
「――今回、あなたたちを離れ離れにする処分は下しません」
「…………!」
ふたりの顔が、ぱあっと輝いた。
「やったぁぁぁぁぁ!!」
「よかったぁぁぁぁ!!」
ふたたび抱き合うふたり。
法廷に、歓喜の声が響き渡った。
裁判官たちの視線が、ゆっくりとマザーへ向けられる。
マザーは、こめかみを押さえた。
「勘違いしないでください。罪が消えたわけではありません」
「ひゃいっ!!」
「今回の時間の反復によって、人間界と魔界を隔てる境界に、歪みが生じている可能性があります」
左右に並ぶ異形の裁判官たちが、ざわりと身じろぎした。
「境界の脆弱化を放置すれば、今後、意図せず二つの世界が繋がる恐れがある。魔物が人間界へ流出するだけでなく、人間が魔界へ迷い込むこともあり得る」
ミアとルウの顔から、わずかに笑みが消えた。
「よって、お前たちには、境界の全域を調査し、歪みや損傷を発見した場合は、完全に修復することを命じます」
「……ぜ、全域?」
「そうです。すべての調査と修復が完了し、境界の安全が確認されるまで、この任務は終わりません」
「そ、そんなぁぁぁぁぁ!!」
ミアが頭を抱えた。
「ルウぅぅぅ! 境界ってどこまであるのぉ!?」
「わ、分かんないよぉぉぉ! 僕だってそんなに詳しくないもん!!」
「お前たちは、境界を歪めるほどの魔法を使ったのです」
「ごめんなさぁぁぁい!!」
「反省しているなら、泣く前に働きなさい」
厳粛な広間に、双子の泣き声が響き渡った。
並み居る裁判官たちは、誰ひとりとして口を挟まない。
ただひとり、仮面をつけた裁判官だけが、ほんのわずかに顔を背けていた。
「……なお」
マザーの声に、双子はぴたりと泣き止んだ。
「境界の修復に際しては、必ず二人で行動すること。お前たちの魔法は、互いが近くにいるほど強くなる。今回の修復でも、それが重要になるでしょう」
「……二人で?」
「そうです」
ミアとルウは顔を見合わせた。
それから、そっと手を握り合う。
「……じゃあ、ずっと一緒?」
「やったぁ……!」
「喜ぶところではありません!!」
マザーの一喝が、広間を震わせた。
双子は慌てて背筋を伸ばしたものの、つないだ手だけは決して離さなかった。
広間の隅で、仮面の裁判官が、そっと顔を背けた。
笑ったのかどうかは、誰にもわからない。
ただひとつ確かなのは。
魔界大法廷の長い歴史において、世界の存亡を揺るがす大罪の審理が、これほど騒がしいものになったことは、おそらく一度もなかったということだった。




