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グリモワール・コード  作者: 一条信輝


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3話 鉄ランクの日常

 鉄ランクの依頼は、はっきり言って退屈だ。


 害獣駆除。荷物運び。排水路の清掃。雲海から漂着したゴミの回収。レグノアの冒険者ギルドの掲示板には、そんな依頼が所狭しと貼られている。報酬は安く、名誉もない。だが路銀を貯めるにはこれしかない。


 マリスティアまでの空路船代は、二人分で銀貨十二枚。鉄ランクの依頼の日当が銀貨一枚。単純計算で十二日。途中の宿代と食費を入れれば、二十日は見ておく必要がある。


 三日目の朝。


 カイとリーネは、レグノアの北区にある農場に来ていた。


「依頼内容。畑を荒らす角兎の駆除。数は十匹前後。報酬、銀貨一枚」


 依頼書が読み上げられる。声に不満が滲んでいた。


「角兎」


「角兎だ」


「……俺一人でよかったんじゃないか」


「二人で受けたほうが完了が早い。早く終われば午後にもう一件入れられる」


 効率的だ。この女は戦闘だけでなく、金勘定も頭が回る。海賊の娘は商才もあるのか。


 農場の畑は島の中央寄りにあり、周囲を低い石垣で囲まれていた。石垣の向こうに、角の生えた兎が数匹見える。体長は猫ほど。額の角は短いが硬く、畑の柵をへし折る程度の力はある。農作物を食い荒らし、柵を壊し、放っておくと繁殖して手がつけられなくなる。


 鉄ランクの、典型的な依頼だ。


「で、どうする。あたしが追い込んで、あんたが仕留める?」


「逆だ。俺が追い込む。お前が捕まえろ」


「捕まえる? 殺さなくていいのか」


「依頼書には駆除としか書いてない。殺せとは書いてない」


 リーネが眉を寄せた。


「……細かい奴だな」


「無駄に殺すと依頼主の心証が悪い。家畜同然の魔獣を焼き殺した冒険者と、生け捕りにした冒険者、次に依頼を出すならどっちだ」


「……なるほど」


 納得はしたらしい。だが表情は複雑だ。戦闘向きの術式を持つ人間にとって、「殺さずに捕まえる」は得意分野ではない。


「俺が追い込む。見てろ」


 石垣を越えて畑に入った。角兎が十匹ほど、畑のあちこちで根菜を齧っている。こちらに気づいて耳を立てた。


 右手を軽く上げる。


「——摩擦係数、限りなくゼロに」


 角兎たちの足元の地面が、瞬時に氷より滑らかになった。


 十匹の角兎が、同時に脚を取られた。走ろうとして転び、跳ねようとして滑り、パニックになって暴れるほど余計に滑っていく。地面の上で角兎が団子のように固まり、互いにぶつかって転がり合う。


 五秒。摩擦が戻った。だが角兎たちはまだ混乱している。


「今だ」


 石垣を跳び越えた赤い髪が、畑に飛び込んだ。炎刃は使わない。鞘のまま剣の腹で角兎を叩き、気絶させていく。一匹、二匹、三匹——手際がいい。剣の重みの使い方を知っている。殴るのではなく、剣を落とすように振っている。


 五匹目を叩いたところで、残りが散った。畑の四方に逃げていく。


「逃げた」


「待て。三十秒」


 改行のクールタイム。リーネがちらりとこちらを見た。覚えていたらしい。「五秒で充分。あたしが三十秒稼ぐ」と言ったのは自分だ。


 赤い髪が風を切った。逃げる角兎を追い、石垣で跳ね返し、畑の隅に追い込んでいく。身のこなしが軽い。炎を使わなくても足と剣捌きだけで小型の魔獣を制圧できる。戦い慣れている、というより——体を動かすことそのものを楽しんでいる。


 三十秒が経った。


「——温度、金属部のみ六十度」


 残りの角兎たちの角——金属質の硬い角が、急速に熱を帯びた。額から伝わる熱に驚いた角兎が一斉に動きを止める。熱いが火傷はしない温度。角を地面にこすりつけて冷やそうとする間に、リーネが一匹ずつ仕留めていった。


「全部で十一匹。依頼書より一匹多い」


 気絶した角兎を麻袋に詰めながら、赤毛の相棒が言った。額に汗が光っている。


「お前さ」


「何だ」


「わざと弱く見せてるだろ」


 その問いは予想していた。遅かれ早かれ聞かれると思っていた。


「弱くは見せてない」


「嘘つけ。摩擦を消すとか、角だけ熱くするとか——あんた、岩殻蜥蜴を島の外まで吹っ飛ばせる力があるのに、わざわざ一番地味な使い方してる」


「地味なんじゃなくて、適切なんだ」


「どう違う」


「包丁で果物を剥くのに、刃渡り一尺の剣を使う奴はいない」


「例えが微妙だな」


「そうか」


 角兎の最後の一匹を麻袋に入れながら答えた。


「改行は五秒しか持たない。クールタイムは三十秒。本気を出せば反動がある。なら、最小の書き換えで最大の効果を出すほうが合理的だ」


「合理的、ね」


 麻袋を肩に担ぐ姿に、十一匹分の重さへのたじろぎが見えた。だが意地でも顔には出さない。


「それだけじゃないだろ。あんた、力を見せたくないんだ」


 答えなかった。答える代わりに、麻袋の片方を持った。


「……重いなら半分持つ」


「重くない」


「嘘が下手だな」


「お前に言われたくない」


 二人で麻袋を運びながら、農場を出た。


 ◇


 午後。二件目の依頼。


 レグノアの港近くの倉庫で、空路船の積荷が崩れて通路を塞いでいるという。行ってみると、木箱が十数個、折り重なるように倒れていた。一つ一つは大人二人で抱えてようやく動かせる重さだ。倉庫番の老人が困り果てた顔でこちらを見ている。


 隣で腕まくりが始まった。


「力仕事か。嫌いじゃない」


「待て」


 木箱の山を見た。一番下の箱が斜めにずれている。これが崩れた原因だ。上から順に降ろすと時間がかかる。半日仕事だ。だが——


「——重力方向、二十度傾斜」


 木箱の山全体の重力がわずかに傾いた。自重でゆっくりと、箱が整列していく。五秒後に重力が戻ったとき、木箱はほぼ元の配置に収まっていた。完璧ではないが、残りは手で押せば済む。


「……あのさ」


「何だ」


「あたし、腕まくりまでしたんだけど」


「悪い」


「悪いと思ってないだろ」


「少し思ってる」


 睨まれた。それから、吹き出された。


「お前、たまに面白いな」


 面白いと言われたのは初めてだった。何と返していいか分からず、黙って倉庫を出た。


 ◇


 夕暮れ。ギルドで報酬を受け取り、帰り道。


 銀貨二枚。今日の稼ぎだ。あと十六日分。先は長い。


 通りに並ぶ露店から、焼き串の匂いが流れてくる。リーネの足が、わずかに遅くなった。


「……食うか」


「え」


「焼き串。経費にはならないが」


「いいのか。路銀が」


「一本くらいなら誤差だ」


 二人で焼き串を一本ずつ買った。通りの端の石段に腰を下ろして、並んで食べる。三日前、登録証を眺めたのと同じ石段だ。あのときは一人だった。


 香辛料の効いた肉。旨い。島の東側で飼われている山羊の肉だと露店の主人が言っていた。隣で無言で頬張っている赤い髪を見た。戦闘中の鋭い目つきはどこにもない。ただの十八の女の顔だった。


「お前、普段は何を食ってたんだ。一人の頃」


「パンと干し肉。たまに酒場の残り物」


「酷い食生活だな」


「お前は」


「似たようなものだ」


 隣で焼き串の最後の一切れが口に放り込まれた。


「マリスティアに着いたら、もっと旨いもの食えるぞ。海の島だからな。魚が旨い。父さんがよく——」


 言いかけて、止めた。


 串を持つ指が、少しだけ強くなった。一瞬。すぐに緩む。


「……まあ、そのうち分かる」


 カイは何も言わなかった。串の残りを食べ終えて、空を見上げた。


 レグノアの夕空。雲海が橙に染まっている。島の縁の向こうに、南の空路が霞んで見えた。あの先にマリスティアがある。


 隣の女は、あの島に帰りたいのだ。父が残したものを見つけるために。喰海に沈みゆく故郷を、もう一度見るために。


 それが自分とどう関わるのか、まだ分からない。分かりたいのかどうかも、分からない。


 ただ——焼き串は旨かった。誰かと並んで食う飯は、一人で食うより旨い。それだけは確かだ。

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