10話 空賊襲来
異変に気づいたのは、出港二日目の昼過ぎだった。
甲板で風に当たっていると、船長が船首から空を睨んでいるのが見えた。双眼鏡を外し、副長に何か告げている。副長の顔が強張った。
銀ランクの護衛パーティのリーダー——顎髭の男が、船長に歩み寄った。短いやりとりの後、男がこちらを向いた。
「鉄ランクの二人。来い」
船長室に集められた。護衛の銀ランク三人と、カイとリーネ。リーネの顔色はまだ青い。昨日よりはましだが、万全には程遠い。
「南西から接近する船影がある。三隻。航路を外れている。この空域で航路を逸れる理由は一つだ」
空賊。
船長が海図を広げた。レグノアとフォルジアの中間地点。周囲に島はない。助けを呼べる距離でもない。
「相手は小型の高速船。乗員は各船五人前後。合計十五人。武装は軽い。数で押すタイプだ」
銀ランクのリーダーが顎髭を撫でた。
「うちの三人で甲板の守りを固める。鉄ランクの二人は——」
「甲板に出る」
リーネだった。青い顔のまま、目だけが光っている。
「船室に隠れてろとは言わないでくれよ。あたしは護衛依頼を受けてるんだ」
顎髭の男がカイを見た。お前はどうする、という目。
「同じだ。甲板で戦う」
「……好きにしろ。だが足を引っ張ったら下がれ。銀貨二枚分の仕事でいい」
船長室を出た。リーネが壁に手をついて息を整えている。
「大丈夫か」
「大丈夫じゃない。でも戦える」
「無理はするな」
「無理しかしたことないだろ、あたしは」
否定できなかった。
◇
空賊の船が見えた。
三隻。細長い船体に黒い帆。浮遊石の出力を攻撃に振った高速船だ。通常の空路船より小さいが、速い。風読み号を三方から囲むように接近してくる。黒い帆に描かれた紋章はない。正規の航路を持たない、文字通りの無法者だ。
雲海の上に逃げ場はない。島も港もない空域で追いつかれれば、戦うか降りるかの二択。降りる先は雲海の底——喰海だ。選択肢は一つしかない。
甲板に全員が出た。銀ランクの三人が船首側。カイとリーネが船尾側。乗客は船室に退避済みだ。
隣で剣が抜かれた。炎は灯さない。
「灯さないのか」
「まだ距離がある。それに——酸素の話、覚えてるだろ。船の上で炎を使うと帆を焼く可能性がある」
冷静だ。船酔いで辛いはずだが、頭は動いている。
「炎は接近戦だけで使う。最小限に」
「分かった」
「あんたは?」
「必要ない。お前一人で足りる」
琥珀の目が細くなった。怒っているのではない。試されていると感じたのだろう。
「……上等」
空賊の船が横付けした。鉤付きのロープが投げ込まれ、甲板の手すりに食い込んだ。一隻目から五人が飛び乗ってくる。
軽装。革鎧に短剣。動きは素早いが、術式を持っている者は少ない。数で商船を制圧する戦い方だ。
船首側で銀ランクの三人が迎え撃った。重い金属音。戦刻の使い手が一人いるらしく、剣に光が走っている。
船尾側。五人が飛び乗ってきた。
赤い髪が踏み込んだ。
炎は使わない。剣だけ。鞘から抜いた片手剣が、最初の一人の短剣を弾いた。体重の乗った一撃。相手がよろめいた隙に、横から来た二人目の懐に入り、柄頭で鳩尾を突く。崩れる体を蹴り飛ばし、三人目に向き直る。
速い。だが——いつもより、半拍遅い。
足元がわずかに揺れるたびに、重心の修正が入っている。船酔いが完全には抜けていない。海賊の剣は不安定な足場でこそ真価を発揮するが、空の揺れは海の揺れと違う。体が知らない揺れ方だ。呼吸も浅い。全力の炎を出さないのは帆への配慮だけではない。体が許していないのだろう。
それでも三人を倒した。万全でないことを、相手に一瞬たりとも悟らせずに。鍛えた体と父親譲りの剣術で、足場の不利を、体調の不利を、技術で押し潰している。
強い。文句なく強い。だが——
残り二人。
二人が左右に分かれた。挟み込む形。リーネは右側の一人に向き直った。背中が左側に開く。
左側の男が、にやりと笑って短剣を振り上げた。
背後の気配には気づいているはずだ。だが右側の相手から目を離せば正面を取られる。振り返るか、正面を押し切るか——判断に一瞬を要する。
その一瞬。
左側の男の短剣が——砂になった。
刃が砂粒のように崩れ、柄だけが手に残った。男が目を丸くする。自分の武器が消えた意味を理解できていない。
甲板の端に座ったまま、右手を下ろした。
「——金属結合、解除」
五秒の改行。金属を構成する原子の結合を解いた。鉄を鉄たらしめている力を、一瞬だけ消した。剣は剣であることをやめ、砂に戻った。ただそれだけのことだ。
男は柄だけを握って呆然としている。五秒が過ぎ、法則が元に戻っても、砂に戻った金属は元の剣には戻らない。書き換えは五秒だが、壊れたものは壊れたままだ。
右側の男が斬り伏せられ、振り返った刃が武器を失った左側の男を叩き倒した。二人とも甲板に転がる。
船首側も片付いたらしい。銀ランクの三人が残りの空賊を縛り上げている。三隻目の空賊船は戦況を見て撤退した。
戦闘終了。
◇
大股で詰め寄ってくる赤い髪。琥珀の目が怒っている。
「黙ってやるな。声かけろ」
「かけたら驚かないだろ」
「驚かなくていいんだよ! 背中に味方がいるなら、そう言え! あたしは振り返るかどうかで一瞬迷った。あの一瞬で死ぬこともあるんだぞ」
正論だった。完全に正論だった。
「……次からは声をかける」
「当たり前だ」
蹴りが飛んできた。脛に当たった。痛い。
「それと」
「まだあるのか」
「『必要ない、お前一人で足りる』って言ったよな」
「言った」
「足りてなかっただろ。手を出したじゃないか」
「……足りていた。あの男が剣を振り下ろすまでに、お前は振り返れた。間に合ったと思う」
「思う?」
「八割は」
「二割で死ぬんだよ!」
もう一発蹴りが来た。同じ脛。同じ場所。正確だ。戦闘中と同じ精度で蹴ってくる。さっき空賊を倒した脚力がこちらに向いている。
「あのな。連携ってのは信頼の上に成り立つんだ。黙って助けるのは連携じゃない。ただのお節介だ」
「お節介か」
「お節介だ。次は声をかけろ。『後ろ、やる』の一言でいい。それだけであたしは正面に集中できる」
「分かった。次からはそうする」
「約束だぞ」
「ああ」
間が空いた。甲板の上で、縛り上げられた空賊がうめいている。銀ランクの三人が後始末をしている。風が吹いている。
「でも——ありがと」
小さい声だった。蹴りの後に来る言葉ではない。
「お前一人で足りる、って言ってくれたのは。嬉しかった」
そう言って、船室に消えた。まだ船酔いが辛いのだろう。入口で一度よろめいて、手すりを掴んでいた。
甲板に一人残された。
脛が痛い。二発分。明日には青痣になるだろう。
銀ランクの顎髭の男が通りがかりに、「仲がいいな」と言った。否定しようとして、やめた。否定する理由が見つからなかった。
夕暮れの甲板に座って、脛をさすった。痛い。だが悪い痛みではない。人に蹴られたのは、孤児院以来かもしれない。あの頃は恐怖で蹴られた。今回は——怒りと、心配で蹴られた。
違うものだ。同じ痛みでも。
◇
夕暮れ。
フォルジアの島影が、前方に大きくなっている。赤い島。溶鉱炉の煙が夕陽に染まって、空の半分を橙色に塗っていた。
明日の朝にはフォルジアに着く。あの島で空路船を乗り換え、マリスティアへ向かう。
レグノアを出て二日。空賊を退け、雲海を越えた。
十日前、あの島のギルドで水晶球を壊した。広場で魔獣を飛ばした。赤い髪の女に見つかった。
あれが始まりだった。
今、その女は船室で船酔いと戦っている。脛には二発分の痣が残っている。
旅は、始まったばかりだ。
お読みいただきありがとうございます。
第1章レグノア編、完結です。
空賊戦での「金属結合の法則を書き換える」、お楽しみいただけたでしょうか。黙ってやるのがカイらしさです。
ここまでの10話でカイとリーネの関係が「仲間」として固まりました。
次の島フォルジアでは、新たな出会いが待っています。眼鏡の鍛冶師の娘──カイの改行を見て「最高の素材だ」と目を輝かせる少女です。
第2章フォルジア編、始まります。
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