第六話 雪月花の診察
◇◇◇◇
「やあ、空黎。来たよ」
軽やかな声が、薄暗い部屋に響いた。
部屋の中にいる空黎の了承を得るよりも早く、雪月花は遠慮なく襖を開けて部屋へと入っていく。
「………来たのか」
寝台に寄りかかるように座っていた空黎が、疲れたように目を細める。
「毎週来てるじゃないか。まぁ、今日はいろいろと用事が立て込んでてこの時間になっちゃったけどね」
さらりと言いながら、まるで自分の家のように迷いなく歩を進めた。
雪月花の動きや物言いには一切の躊躇いがない。それは長年の付き合いゆえなのか、彼本来の性格ゆえなのか文緒は計りかねた。
「発作が出たって連絡を受けたけど、顔色は少し戻ったのかな?」
雪月花が覗き込むように観察する傍らで、空黎の視線がふと、雪月花の後ろに立つ文緒に向けられた。
空黎の目が、ゆっくりと動く。
「……なぜ一緒にいる」
「廊下で偶然会ったんだよ」
雪月花は肩をすくめながら、どこか楽しげに答えた。
「君のことを心配していたようだったから、一緒に来てもらったのさ」
そう言って、雪月花はちらりと文緒に視線を送る。
「偶然でも会えてよかったよ。君の花嫁様をちゃんとこの目で見たかったからね」
「…………」
明らかに不機嫌な色を帯びた空黎の瞳が、静かに細められる。突き刺さるような冷たい視線がじわりと染み込んでくるようで、知らず知らずのうちに息を詰めてしまう。
(やっぱり、自分はいないほうがいいのかもしれない…)
そこにいること自体が不快だと言わんばかりに注がれる視線に萎縮して、文緒はそっと一歩下がった。
「……あの、診察の邪魔になってはいけないので……」
文緒は小さく声を落として、誰に伝えるわけでもなく呟く。この隙にさりげなく退出してしまおうと考えていたところで、雪月花が振り向いた。
「君はこのままここにいていいよ。空黎の妻になるのなら、容態は知っておいてもらったほうが僕も安心だからね」
「婚姻など結ばないと言っただろう」
矢よりも早く、冷たい否定の声が放たれる。
けれどそれを聞いても動じることなく、雪月花はやれやれと言いたげに肩を竦めた。
「まぁ、君がどう言おうと主治医は僕だからね。病に関する一切のことは僕に従ってもらうよ」
主治医という言葉には空黎も反論できないのか、諦めたように目を伏せた。
そして、診察が始まった。
雪月花は白衣の袖を軽くたくし上げると、手際よく空黎の手首を取る。
文緒はじっと見守りながら、その動作がただの脈診ではないことに気づいた。
(あれは…何を診ているんだろう…?)
雪月花は脈の奥深くへと探りを入れていくように、指先を移動させていく。しばらく沈黙が続いたあと、小さく眉を寄せた。
「………くなっているな」
何ごとかを低く呟いてから、今度は空黎の瞳を覗き込んだ。
かつて美しい琥珀色だった瞳は、今はその色素が薄れてぼんやりと濁っている。輝きを失って鈍色を帯びたその瞳はどこか痛々しくて、目を背けそうになるのをぐっと堪えた。
雪月花は診療鞄の中から小さな透鏡のようなものを取り出した。通常の診察では見たことのない、特殊な形状の診察器具。
「まっすぐこっちを見ろ」
雪月花はそう指示すると、円盤の中心に刻まれた呪符がわずかに輝く。何らかの呪術が発動しているのだ。そして透鏡ごしに、じっと空黎の瞳の奥を観察する。
何かを見極めるようにしばらく沈黙が続いて、やがて小さく息をついた。




