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嫁いだのは、余命一年の旦那様でした  作者: 綾瀬アヲ@2月初書籍発売


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第四十九話 霊獣顕現

 ――(まばゆ)い。


 白銀の光が(ほとばし)った瞬間、百面の女の身体を包んでいた妖気は、風に吹かれた(すす)のように散り失せた。


 何が起きたのか、一瞬理解できなかった。

 だがこれだけは分かった。自分が放った妖気も、蔵の中全体に渦巻かせていた瘴気も、ことごとく掻き消されていることを。


 再び闇を編もうと手のひらに妖気を集めようとするも、それが叶わない。まるで自身の中から最初から存在しなかったかのように、何も湧き出てこない。


「……そんなこと、あり得ないわ」


 幾つもの貌が重なり合い、浮かんでは崩れる。

 嗤おうとしても、喉から声が出てこなかった。


 二年前は、人間どもは次々に膝を折り、錯乱し、我が貌に怯えて崩れ落ちていった。


 唯一、最後まで立っていたのが綾羅城空黎。

 己を楽しませてくれる、ただ一人の呪術師。


 だからこそ、彼を呪病という鎖で縛りつけた。

 その病に苛まれ命を落としても、なお逃れられない魂の呪縛を刻み込むために。


 綾羅城空黎は、まだ生きている。

 死を運ぶはずの呪病を抱えたまま再び目の前に現れた。


 彼ほどの力を持った呪術師なら、それはあり得ること。けれど、衰弱しきっているはずのその身からは、霊力が確実に増幅しているのを感じ取ってしまった。


 考えられる原因はただひとつ。


 囮として利用したはずの、あの娘。


 百面の女にとって、空黎をおびき寄せるための駒にすぎなかった女が、今や自分の妖気を打ち破り、光を顕現させている。


(………馬鹿な、)


 捨て駒が盤面を変えるなど、あってはならない。


「どうして……」


 口から零れ落ちた声は、かすかに震えていた。

 このような感覚は、永久とも思える(せい)の中で久しく覚えたことがなかった。


 封印されたあの夜でさえ、恐怖はなかった。ただ刻んだ呪病の力を使い、鎖をほどく機を待てばよいと嗤っていた。


 けれど今は違う。

 目の前に広がる光景は、まるであの夜の逆写し。


 闇が退けられ、人間どもが立ち上がる。

 その在り得ぬ現実が、初めて我が貌を凍りつかせた。


 幾重にも貌を重ねても、どの貌にも同じものが浮かんでしまう。

 動揺、狼狽、恐怖――――そして、敗北の予兆。



 白銀の光に呑まれた蔵の中で、静かに、しかし確かな霊力の流れが膨れあがっていく。


 文緒が呼び覚ました、月天の盾。

 その輝きに護られるように、空黎は文緒を自身の隣りへと導く。


 背に庇うのではなく、肩先がかすかに触れる距離。

 目線を落とせば、文緒の瞳が確かな意志を宿して自分を見上げている。その澄んだ光が、どんな術よりも強く胸を奮い立たせた。


「文緒……共に立ってくれるか?」


 低く告げた声に、彼女は小さく頷いた。

 

 空黎は深く息を吸う。

 喉奥から迸る言霊が、静寂を震わせる。


「召請。天地正位 五行四象 天地九垓 五府十二辰―――」


 印が結ばれ、地に走る紋が青白く輝き始める。


 それは、ただの詠唱ではなかった。

 天地を繋ぎ、森羅を束ねる呪句そのもの。数千年に渡り伝えられてきた封印の理。


 空黎の声音は確かに呪術師のものだったが、それ以上に祈りに近い、厳かで澄んだ響きを帯びていた。


「高天原に坐す霊獣・白澤はくたく、我らが願いを神前に捧ぐ。汝が眼で真を識り、汝が牙で虚を断て。今ここにあらわれよ――」


 祝詞のような響きが紡がれるにつれ、蔵の中の空気は一変する。

 漂っていた黴の匂いも妖気の残滓もすべて渦巻く光に飲み込まれ、やがてその光は一つの形を成した。


 霊獣・白澤が顕現する―――


 四足の影がくうより立ち上がり、純白の毛並みが風を孕むように揺れる。

 その姿は獅子にも似て、龍の気配を纏い、頭には角を戴いていた。毛並みの白はただの色ではなく、あらゆる穢れを拒む光そのもの。


 そして、その身には深い蒼色を湛えた無数の眼が輝いている。


 霊獣はゆっくりと首をもたげ、天を仰いだ。

 その喉奥から響く声は咆哮か、それとも祝詞か。


 轟音にも似たその声が蔵全体を揺るがし、空黎と文緒の髪を大きくなびかせた。


「……これは……」


 文緒の唇が震え、声が零れた。

 まるで神話の絵巻の一場面が現実に顕れたかのようで、恐怖よりも先に圧倒的な畏敬の念に包まれる。


 百面の女の貌がぐにゃりと歪む。


「馬鹿な、霊獣…!?人間風情が、この世にそれを顕現させるなど……!」


 空黎は隣りに立つ文緒の手を強く握り、静かに告げた。


「これが外界――五行ごぎょうを司る霊獣からその力を借り受ける、ということだ。今度こそ、二度と目覚めさせはしない」


 彼の声に応えるかのように、霊獣の足元に光の陣が幾重にも広がっていく。その輝きはもはや結界の枠を超え、蔵の壁も天井も透き通らせるほどの烈しさを帯びていた。


 文緒は震える胸を押さえながら、隣りに立つ彼の横顔を見つめた。


 その横顔には確かな決意と力強さが宿っていた。



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