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嫁いだのは、余命一年の旦那様でした  作者: 綾瀬アヲ@2月初書籍発売


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第四十話 邂逅

 ◇◇◇◇


 昼餉を空黎の自室へと運んだあと、文緒は膳を整えて一礼してそのまま部屋を出た。


「せっかくなら共に」と空黎が言ってくれた日から、同じ卓を囲むことがささやかな習慣になっていたけれど、今日は向かい合って座る勇気がどうしても持てなかった。


 そして、空黎からも引き留めてもらえなかったことに、またちくりと胸が痛む。


 廊下に出てから、胸の奥に溜めていた息を長く吐き出した。

 せめて外の風に当たれば気持ちも晴れるかもしれない。気分転換に庭を散歩しようと思い立って、文緒は廊下を進んだ。

 そして玄関の引き戸を開けたところで、不意に人影と鉢合わせた。


「あ、楠上さん……」


 姿勢を正して立っていたのは楠上だった。

 思いがけぬ遭遇に、文緒は足を止めて小さく会釈をする。


「おや、ちょうど昼餉の時間では?」


 柔らかく問いかけられて、文緒は言葉に詰まる。


「そうなんですけど、ちょっとあまり食欲がなくて…」

「左様ですか?どこかまた具合でも」

「いえそうじゃないんです、ちょっと特訓で疲れたのかもしれません。楠上さんはどうされたんですか?」

「それが――」


 これから買い出しに出かけようとしていた最中(さなか)、本邸からの急な呼び出しで出向かなければならないという。

 買い求める品々が書き記されている紙片を手に、困ったように眉を寄せた。


「そういうことなら、私が代わりに行ってきますよ」

「いえ、文緒様にそのようなことは、」

「大丈夫です。ちょっと気分を変えたいと思っていたところなので…それに本條家にいた頃はよく任されていましたから」


 一瞬ためらった楠上は、やがて深く頭を下げる。


「……恐れ入ります」


 そう言って紙片を手渡す時、楠上は一瞬ためらいがちに文緒の顔を見た。何かを察したようなその眼差しに、文緒は思わず小さく笑みを返す。


「それでは行ってきますね」

「はい。では、どうかお気をつけて」



 買い出しの支度を整え、文緒は漆黒の表門を抜けて外に出た。

 吹く風が肌を撫でて、胸に溜め込んでいた淀んだ息が抜けていく気がする。


(まずは商店に行ってから、酒屋で調味料を買って……)


 文緒は手元の紙片を確かめながら、石畳を踏みしめる。

 しばらく歩いていると、不意に、聞き慣れた声が耳を打った。


「――あら、文緒ちゃん!」


 顔を上げると、そこに立っていたのは義姉の睦美(むつみ)――兄・義之よしゆきの兄嫁だった。

 睦美はいつものように柔らかな色合いの小紋をまとい、気さくな笑みを浮かべている。思いがけぬ再会に驚きつつも、一瞬で胸の中に懐かしさが広がった。


「久しぶりに会いたくなっちゃって、近くまで来たの。どう?元気にしてる?」

「はい、元気にしています。お義姉様は?父や母たちも元気ですか?」

「ええとっても。せっかく会えたからいろいろ話したいわ。そうだ、お屋敷に連れて行ってもらえる?」


 本條家を出る時「またお茶しましょう」と約束したことを思い出す。


 けれど、今の言い方にはどこか引っかかるものがあった。

 睦美は明るく天真爛漫な性格であったけれど、たとえ義妹の嫁ぎ先とはいえ、あの綾羅城家の屋敷に連れて行ってというのは、唐突すぎる気がした。


(会うのが久しぶりだし、気のせいかな…)


 文緒は違和感を振り払うように笑みを作った。


「実はちょうど買い出しに行くところなんです。その後でよければ、甘味(かんみ)が美味しいお店でお茶でもしますか?」


 空黎のいるあの旧邸に睦美を案内するわけにもいかない。それならどこか外で、と思ったのだが。


「いいえいいわ。私、甘いものは好きじゃないから」

「え……?」


 思わぬ返答に文緒は心底驚いてしまった。睦美は甘いものが、特に舶来菓子(カステラ)には目がないくらい大好物だったはずだ。


「それよりも、空黎様はご一緒じゃないの?」

「え?……はい」

「そう。最近ご容体がすっかり良くなったと聞いたから、お目にかかりたかったのよ」


 ――おかしい。


(……空黎様の容態が良くなったなんて、そんな話を一体誰から……?)


 文緒の中で違和感がどんどん膨らんでいくと同時に、次第に不安と恐怖に変わっていく。


「……あなたは、誰なんですか……?」


 本能が告げていた。

 目の前にいるこの人は――睦美ではない。


 文緒の問いかけに、睦美はにっこりと口角を上げた。

 次の瞬間、その貌にぴしりとヒビが入ったかのように、微笑みが裂けて崩れていく。


 白い肌が剥がれ落ちるようにずるりと形を変え、見知らぬ女の貌が覗いた。かと思うと、次々と仮面を剥ぐように容貌が移り変わっていく。


「っ……!」


 大切な義姉の顔が、無数の見知らぬ女たちの貌に食い破られていく。

 その光景に文緒は恐怖に突き動かされ、思わず後ずさった。


 やがて貌はひとつに定まり、吊り上がった唇がにたりと嗤う。

 ぞわりと冷たい気配が肌を這った瞬間、女はこちらへと手を伸ばしてきた。


(これは……誰……?)


 悲鳴を上げようにも、どうしてか声が出ない。

 逃げようと足を動かすより早く、白い手が視界を覆うように迫った。



 そして視界が大きく揺らぎ――文緒の世界は、ぷつりと暗転した。



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