第二十五話 変化の兆し
嵐の夜以来、空黎の容態は目に見えて改善していた。
往診に訪れた雪月花は、いつものように詠唱を唱えつつ空黎の胸元に手をかざしながら目を瞠る。
「……これは驚きだな」
「そんなにか?」
空黎がわずかに眉を寄せると、雪月花は半ば呆れたように息をつく。
「君自身が一番よく分かっているんじゃないのか?」
確かに、身体の変化は感じていた。
嵐の夜までは、一日起き上がっていると倦怠感に襲われていた。目を閉じていると意識が遠のきそうだったのに、今は常にはっきりとした意識を保てている。
手足の冷えも幾分か和らいで、食事も以前に比べて食べられる量がぐっと増えた。だが、何より大きく変わったのは――
「瞳の色だ」
雪月花が、じっと空黎の顔を覗き込む。
空黎は無意識に視線を落として、手近な水盆に映る自分の顔を見た。呪病が進行するにつれて濁った鈍色を帯びていたのが、わずかに色素が戻り、薄っすらではあるが元の琥珀色に戻りつつあった。
「これが何を意味するかは分からない……旧邸の環境改善と文緒ちゃんの献身的な看護ぶりは知っているけど、さすがにそれだけでは説明がつかないな」
雪月花の声に、空黎は目を伏せた。
(……それだけでは説明がつかない、か)
「本当に何か心当たりはないのか?」
空黎は首を振るが――本当は、薄っすらと記憶があった。
あの嵐の夜。割れるように頭が痛くて、気道が押しつぶされるように息苦しかった。もうこのまま死ぬんじゃないか、そう思った時――
不思議な光に包まれた。
胸の痛みが和らいで呼吸が楽になっていく感覚。
目を開けると、文緒がいた。
はらはらと涙をこぼしながら「よかった」と繰り返す姿が、今も目に焼き付いている。
(あの光は、いったい何だったのか)
夢だったのか、そうでないのか。文緒は何かを知っているのか――
けれどそれを雪月花に話すことはできなかった。
雪月花は気の置けない幼馴染の一人であるが、こと呪病においてはやや探求心が強すぎるきらいがある。確証のないことを話して、文緒を巻き込みたくはない。
それに――言葉にすれば、今起こっている変化が消えてしまいそうな気がした。
「何もない」
そう静かに答えると、雪月花は少しだけ視線を細めて特に追及はせずに診察道具をしまった。
「……何か言いたげだな」
「いいや別に。ただ、文緒ちゃんには《《何か》》がある気がするんだよね」
雪月花はかすかに笑みを浮かべて、ぽつりと呟く。
「それが何なのか、僕もまだ分からないけどね」
空黎はただ黙って、曖昧に目を伏せる。少しだけ考えるように唇を引き結んだが、やがて静かに溜息をついた。
「……なぜそう思う」
「医者の勘だよ」
雪月花は軽く笑うが、その瞳にはほんの少し探るような光が宿っていた。




