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輝夜の花嫁~嫁いだのは、余命一年の旦那様でした  作者: 綾瀬アヲ@2月初書籍発売


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第二十二話 本邸との距離

 文緒(ふみお)綾羅城(あやらぎ)家にやってきて、二週間ほどが経った。


 最初は重く感じたこの旧邸の空気も、窓を開けて光を入れ、少しずつ整えることで、どこか柔らかくなった気がする。


 朝になれば、文緒は決まって空黎(くれい)の部屋を訪れて朝食を届ける。

 以前のように拒絶されることはもうなく、今では「少しだけ」と言いながら、きちんと箸を手に取るようになっていた。


 昼間は文緒が旧邸の掃除や整頓をし、台所を使えるようになったことで、温かい食事を作ることも習慣になった。

 そうしているうちに、二人で過ごす時間も増えていき自然と何気ない会話をかわす機会も増えていった。


 たとえばある日の午後。

 文緒はお茶を淹れながら何気なく口を開いた。


「そういえば昨日、楠上(くすがみ)さんにお味噌の種類を増やしてもらったんです」

「味噌の種類?」

「はい。米味噌もあるのですが、麦味噌や豆味噌も試してみようかと思いまして。空黎様はどれがお好きとかありますか?」

「……どれでもいい」


 そう言いながらも、ほんの少し考え込んだように視線を落とす空黎。


「……昔は赤味噌を好んでいた気がする」

「では、次は赤味噌のお味噌汁にしてみますね」

「勝手にすればいい」


 そんな風にそっけなく言うけれど、文緒は分かりましたと笑顔で返す。


 初めの頃なら突き放されていると感じていたような返事も、今では少々のことでは動じることもない。むしろ、これは空黎なりの肯定であると文緒は理解できるようになっていた。


 こうして何気ない会話が日常になりつつあり、特に用事がない時でも空黎の部屋で過ごす時間が増えていく。


 文緒がそれを嬉しく思う一方で、空黎はそんな自分に違和感を覚えていた。

 食事をすることも、人と会話をすることも、いつの間にこんなに当たり前に戻っていたのか。


 この二年間、誰とも深く関わることなくただ静かに死を待つつもりでいたのに――と。



 ◇◇◇◇



 穏やかな日々の中で、文緒にはひとつ気がかりなことがあった。


 それはいまだに綾羅城家の当主――つまり空黎の父に挨拶すらできていないままであることだった。綾羅城家にやってきて二週間が経つというのに、顔を合わせる機会は一度もない。


 文緒はそれとなく楠上に相談してみたこともある。


「あの、そろそろ一度当主様にご挨拶をしたほうがよいのではないかと思っているんですけど……」


 すると楠上は決まって眉を寄せて「お忙しい方ですので…申し訳ございません」とだけ答えた。

 それ以上の詳しい説明はなく、話はそれきりだった。


(お忙しい……確かに、そうなのかもしれないけれど)


 楠上の様子は、どこか言葉を選んでいるようにも見えた。もしかして本当に、自分に会うつもりはないのだろうか。

 もしくは、そもそも旧邸に嫁いできた自分のことなどどうでもいいと思われているのか。


 当主ともなれば多忙なのは当然なのかもしれない。それにしても、ここまで無関心を貫かれるとはあまりにも不自然で、このことを考え始めると言いようのない不安が胸の奥に広がるのも事実だった。


 そして、もうひとつ奇妙なことがあった。


 禁じられていた窓も開け放ち、掃除をして旧邸での暮らしを整え、食事を作り、空黎のお世話をする。これほど自由に動いて好き勝手にいろいろやっているにも関わらず、内心覚悟していたお叱りや咎などもなかったことだ。


 台所を使えるようにしてから、本邸からあの冷めた食事を届けてもらうことはやめてもらっている。少なくともそのことは耳に入っているはずだ。

 それでも、時おり見かける本邸の使用人たちも、一度姿を見せた暗夜(あんや)すらも何かしてくる様子はなかった。


 旧邸で何をしていようとどうでもいい、そういうことなのかもしれない。そう思うと、胸が少しだけ痛くなった。


 初めは、当主が空黎をこの古びた旧邸に隔離したのは苦渋のことだったのかと思おうとしていた。

 呪術師だけが罹る病ならば、呪術界を統括する立場である綾羅城家が過剰な対応をするのもやむをえなかったのかもしれない。


 掃除が行き届かないのも、冷めた食事しか出されないのも、使用人たちが病に怯えているがゆえに仕方のないことなのかもしれない、と。


 でも、結局一度も見舞うどころか、何の関心も寄せていない。

 呪病を患っていようと、当主にとって空黎は自分の子供であるはずなのに。どうして。


 けれど、いくら考えても答えが出るものではなかった。


(今は……それよりも空黎様のことだけを考えよう)


 文緒は洗濯をする手を止めて顔を上げた。

 旧邸の裏手からは、庭木の向こう側に白亜の本邸が半分ほど見える。


(当主様のことは、いずれ必要になれば向こうから声がかかるはず…)


 それまで、私は私にできることをしよう。

 文緒はそう決意すると、たらいの中の汚れた水を流して、新しい水を汲むべく立ち上がった。




 その日の午後、襖の向こうから軽やかな足音が響く。


「往診に来たよ、空黎」


 気安い声とともに、刹那雪月花(せつか)が部屋へと入ってきた。


「変わりは?」

「……ない」


 いつものやり取りに雪月花はおかしそうに笑いながら、手早く診察を始める。手首の脈を診ながら、空黎の手の甲に目を留めた。


「さらに肌艶も良くなってきた。以前は血の気がなかったが、今は頬の色もだいぶ戻っている」


 そう言いながら、雪月花はちらりと文緒の方へ視線を向ける。


「やっぱり食事をきちんと取るようになったのが大きいな」


 空黎は目を伏せ、何も言わない。


「そもそも僕はずっと言い続けていたことなんだけれど。ちゃんと食べろ、体を動かせ、人と話せと。それを全部無視していたのはどこの誰なんだろうね?」

「……うるさい」

「文緒ちゃんの言うことなら聞くのだね」


 からかうような雪月花の言葉に、空黎の眉間に皺が寄る。


「そういうわけではない」

「はいはい、そういうことにしておくよ」

「……お前はそれで本当に医者なのか?」

「医者だよ。それも、君の主治医だ」


 くつくつと笑う雪月花に、空黎は明らかに不機嫌そうな表情を向ける。

 その様子を、文緒は微笑ましく見ていた。


 二週間前とは明らかに違う。

 食事も、会話も、空黎様の表情も――少しずつ、少しずつ、確かに変わっている。


(このまま、穏やかな日々が続けばいいのに)



 けれど、そのささやかな願いは届かなかった。


 嵐の夜がやってきたのだ。


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