第一話 綾羅城家へ嫁ぐ
洋館と和風建築が混在する街並みを、馬車は穏やかに揺れながら進んでいく。
文緒が窓の外を眺めると、遠くにはひときわ高い時計台が、その向かいには最近開通したばかりの蒸気機関車の白い煙が立ち昇っていた。
通りに目を移せば、洋装と着物姿の人々が行き交う。小袖に長靴を履き、洋傘を手にした女性たちの姿。そしてすれ違いざまに、下駄の音を響かせながら着物姿の商人が走っていく。
異国の影響を受けながらも、独自の発展を遂げた帝都の日常の光景。
けれどこの帝都には、市井の人々の目には映らない世界――いわば裏の帝都が存在している。
この国は、災いをもたらす禍津神を鎮める血統を持つ『帝』が統治する神権国家だ。
帝の存在によって帝都の霊的均衡は保たれ護られている。
十五年前の政変を機に、異国文化の流入とともに政府機関も近代化が進んだが、帝の血筋は依然としてこの国の『中枢』として機能している。
古来からこの血筋を色濃く受け継ぎ、その帝を補佐し帝都を守護するのが『呪術界』であり『呪術師』と呼ばれる存在だ。
帝都の中心――帝の住まう御所を半径五粁以内の範囲で、三大呪術家それぞれの屋敷が三角形を描くように構えている。
まず北東に位置するのが蒼月家。
もともとは天文学を生業としている呪術師の家系だ。彼らの呪術は月や星の巡りを観測しながら、それらと密接に繋がっているといわれている。
次に南東に構えるのが刹那家。
呪術医療を専門とする家系で、妖との戦いで呪詛に冒された呪術師の祓いや治療、そして『呪病』の研究もおこなっている。
屋敷には広大な薬草園が広がり、何百年も前から受け継がれてきた呪術医療の知見は、妖と戦う呪術師にとっては命綱のような存在でもある。
最後に―――
西の地に聳えるのが、帝都呪術界の頂点とされる綾羅城家だ。
最強の結界術と封印術を継承する家系であり、妖との戦いでは呪術師たちを統率し最前線に立つ。
その役目は代々受け継がれ『もしも綾羅城家が揺らげば帝都も揺らぐ』とさえ、まことしやかに囁かれているほどだ。
呪術界は、この三代呪術家を頂点とする階層構造を成している。
各々が受け継がれてきた役割を果たしながら、帝都を霊的な災厄――すなわち妖や物怪の脅威から帝都を護る役目を担っている。
ただし、呪術界の中にあっても代々強力な霊力を持たない家系もある。
文緒が育った本條家が、その一つだ。他の呪術家への『後方支援』や『記録』を担うことが主な役目であり、帝都の守護にも、妖討伐にも直接的に関わることができない。
どれだけ強力な霊力を持ち、多くの呪術師を輩出しているかが評価に値する呪術界においては、家柄としての地位は著しく低くなる。
それでも、文緒も本條家の娘として呪術界の一端を知って育った。
たとえ地位は低くても厳しい躾の中で育てられたし、文緒は本條家で育ったことを誇りに思っている。
文緒の乗る馬車は、今まさに西へ――綾羅城家へと向かっていた。
揺れる車輪の音が一定の調子を刻む。気がつくと、通り過ぎる街並みからは人影がまばらになっていた。華やかな中心街から徐々に離れていき、帝都の中でも特に格式ある家々が立ち並ぶ区域へと入っていく。
そして、視界の先にやがて壮麗な屋敷の姿が見えてくる。
(あれが、綾羅城家のお屋敷……)
帝都において最も強大な呪術の名家。
遠目にも威圧感を放つ、漆黒の巨大な門。随所に施された呪符の刻印は、代々続く名家の力を象徴するかのように蒼く刻まれていた。
そしてその奥に広がる大きな白亜の屋敷に、文緒は思わず背筋を伸ばした。
ここが、これから自分が身を置く場所――そして、綾羅城空黎が待つ場所なのだ。文緒は窓の外の光景を見つめながら、無意識に胸元の振袖をぎゅっと握りしめた。
―――本当に、ここで生きていけるのだろうか。
不安がないわけではない。
けれど、これは自分で選び取った道だ。
(大丈夫……私は後悔しない)
文緒はそう自分に言い聞かせる。
涼やかな風が馬車の窓から入り込んで、文緒はそっと目を閉じて深く息を吸った。馬車は、静かにその門をくぐっていく。
その時――馬車が石を踏んだのか一度大きな音を立てて揺れる。
文緒は驚いて、思わず振袖の下に忍ばせていたお守りを強く握った。
馬車が静かに止まり、わずかな振動が文緒の足元に伝わる。扉が開かれて馬車を下りると、目の前の屋敷を見上げて息をのんだ。
白亜の大理石で造られた壮麗な西洋館は、まるで異国の城のようだった。
幾何学模様の施された窓硝子や色硝子が太陽の光を受けて、そのきらめきに思わず目を細める。
帝都で最も美しいと謳われる迎賓館にも引けを取らないほどの、豪奢な建物だった。
(すごいお屋敷……)
近寄りがたいほどの威圧感に、思わず文緒は言葉を失う。
高く聳える館は、自分を迎え入れるのではなくまるで試すような――お前はここに相応しい人間なのか?と問われているような錯覚を覚える。
「それでは、私はここまででございますので」
従者が、穏やかながらもどこか躊躇いがちに声をかける。
「はい、ありがとうございました」
「お嬢様……どうか……」
その先の言葉を、従者が飲み込んだのが分かった。
言葉になるはずだったそれは、ただ気遣わしげな視線となって彼女に向けられる。
(どうして皆、そんな顔をするのだろう…?)
まるで、自分がこの先不幸になることが決まっているとでもいうかのような。
心の中に湧き上がる疑問を押し込めるように、文緒は微笑んだ。
従者は深々と頭を下げる。
文緒は振り返ることなく、一歩、また一歩と綾羅城家の玄関へと歩みを進めた。




