第十八話 空黎の変化
「朝餉をお持ちしてきますね」
五日目の朝。
毎朝の決まった挨拶のように文緒が言うと、空黎は小さく頷いた。
最初の頃のように、空黎が文緒を拒絶することはなくなった。
それどころか、以前なら冷たく突き放していた朝の挨拶にも、ほんの少しの温度が感じられるようになってきている。
それが嬉しくて、文緒は自然と笑みを浮かべながら御膳を運ぶ手に力を込めた。
温かい味噌汁と、細かく刻んだ具材で作った煮物。空黎の体調を考えて、消化の良いものばかりを選んでいる。
最初はひと口だけ口をつける程度だったおかずにも、今では少しずつその量が増えていた。今朝も同じように運んできた御膳を、空黎の前にそっと差し出そうとした。その時だった。
「……君の分は?」
静かな声が、ふいに文緒の耳を打つ。一瞬、何を言われたのか分からなくて動きを止めてしまった。
「私は、あとで自分のお部屋でいただきます」
だから気になさらないでください、の意味で伝えたのだけれど、空黎は僅かに眉を寄せた。
「せっかくなら……共に」
目を逸らしながら、ぽつりと確かにそう言った。
予想していなかった言葉に、文緒は思わず目を瞬かせる。というよりも、驚きですぐに言葉が出なかった。
「えっと、よろしいんですか…?」
信じられなくておそるおそる聞き返してしまう。
「君さえよければ。こんな部屋だが……」
空黎は、ほんのわずかだが気恥ずかしそうにしていた。
(もしかして……私と一緒に食べようとしてくれてる……?)
心の奥がじんわりと温かくなる。
「では……ご一緒させていただきますね」
空黎は何も言わず、ただ目を伏せたまま頷いた。
「すぐに取りに行ってきますので、先に食べていてください」
「……あまり急がなくても」
空黎が小さく咳払いをしながら、ぼそりと呟いた。
その言葉に、文緒の手が止まる。
「君はそそっかしそうだから、急ぐと膳をひっくり返しそうだ」
「っ、そ、そんなことはありません…っ」
からかわれたのだと分かって、自然と頬が熱を持つ。
空黎はその顔を見て、ほんの少しだけ口元を緩めると窓の外へと視線を向けた。
程なくして、二人分の御膳が並べられた。
御膳の上には、湯気の立つ味噌汁と、ふんわりと炊き上げた白米。塩で味付けした焼き魚に、口当たりの良い出汁巻き玉子。
温かい湯気が静かに部屋の空気を揺らし、その温もりが、ほんの少しだけ旧邸の冷えた空気を和らげているようだった。
向かい合って座る二人。
それは、まるで本当の夫婦のような光景だった。
お互いに言葉は多くない。
けれど、ゆっくりと箸を進めるたびに、部屋に静かな時間が流れていく。
文緒が食事をとる姿を、ふと空黎がじっと見つめていることに気づいた。文緒が何か言おうと顔を上げると、空黎はすぐに目を逸らした。
(……何だったんだろう?)
けれど、それを尋ねるほどの勇気はなく。
文緒もまた、何も言わずに再び箸を動かした。
わずかに揺れる湯気の向こうで、空黎の指が静かに箸を握り直したのが、文緒の視界の片隅に映った。




