第十五話 心を込める
文緒は手際よく、次々と料理の準備を進めていった。
竈の火は穏やかに揺らめき、鍋の中では昆布と鰹節からじっくりと旨みが抽出されている。澄んだ一番出汁を漉し取ると、透き通った琥珀色の液体が器に流れ込んだ。
「うん、いい香り…!」
文緒は出汁の香りを確かめると、塩と醤油をほんの少し加えた。あくまで控えめに――空黎の弱った身体に負担をかけないよう、優しい味わいに仕上げる。
(少しでも、食べてくれるといいのだけれど……)
心の中で願いながら、文緒は次の料理に取りかかった。
次は鍋の中で大根を煮る。しっかりと出汁を含ませて口の中でほろりと崩れるくらいに柔らかく煮上げる。
味を染み込ませるため、一度火から下ろしてしばらく置いておく間に、魚を焼く。脂の少ない白身魚を強すぎない火加減で丁寧に。
パチパチと焼ける音。火の加減に注意しながらそっと魚の皮を箸で押さえると、香ばしい香りが広がった。
細かく刻んだ人参にほうれん草、椎茸はさっと湯がいて、出汁と醤油で軽く味付けする。優しい味わいが染み込んだ野菜は、食べやすいように小さな器に盛り付けた。
最後はおかゆ。
お米をしっかり研いでから小さな土鍋を用意する。
体調の悪い空黎が少しでも口にしやすいように、水加減を調整しながら柔らかく炊き上げていく。土鍋の蓋を少しだけ開け、米の炊き上がりを確かめる。
湯気がほわりと立ち上り、ほのかに甘い米の香りが鼻をくすぐった。芯もなくとろりと柔らかく仕上がったことを確認すると、ほっと安堵の息を漏らした。
すべての料理が完成すると、御膳に丁寧に盛り付けていく。
「やっと完成した……」
竈の火はまだ温かく、台所には料理の香りが優しく漂っている。
湯気の立ち昇る御膳を見つめると、小さく頷いた。
◇◇◇◇
「すみません、少し遅くなってしまいました」
文緒は温かな料理を載せた膳を抱えて、空黎の部屋に入った。
本当は日暮れまでに用意するつもりだったのに、思いのほか時間がかかってしまい、今はすっかり夜になっている。
空黎は入ってきた文緒を一瞥し、また窓の外へと視線を戻した。闇に沈んでいく庭を、物思わしげに見つめている。
「あ、すみません、雨戸も閉めますね」
「いや…まだこのままでいい」
「そうですか?じゃあおやすみになる前に閉めにきますね」
文緒は御膳から一つのお椀を持ち上げた。
湯気が立ち上る様子に、少しだけ希望を感じる。
「夕餉です…あの、これは汁ものですが」
出汁とほんの少しの調味料で優しく味付けした清汁。
けれど空黎は、差し出されたそれをただ見つめたまま受け取ろうとはしなかった。
「雪月花に聞いた。旧邸の台所を使えるようにしたと」
「はい、温かい食事なら少しでもお召し上がりになれるのではないかと思って」
空黎は目を逸らした。
その横顔には、何かを押し殺すような影が浮かんでいる。
「下げてくれ、必要ない」
冷ややかな声が、部屋の空気を凍らせた。
文緒は言葉を失う。そして直後に、言いようのない胸が痛むような思いに襲われる。
けれど、「どうしてですか?」という問いは必死に飲み込んだ。
これは自分が勝手にしたこと。
これなら食べてくれるかもしれないと期待した。
その結果が違ったからといって、それを空黎にぶつけるのは間違っている。
「分かりました。では、私も部屋で食事をとってきますので、終わったら下げにきますね!」
懸命に明るく言って立ち上がろうとした時。
「どうして、」
空黎からかすかに発せられた言葉に、文緒は足を止めた。
「え……?」
振り返ると、空黎が苦しそうに眉を寄せている。
文緒は思わず息をのむ。
空黎の方が深く傷ついているような――その表情が今にも崩れ落ちてしまいそうにも、砕けてしまいそうにも見えた。




