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嫁いだのは、余命一年の旦那様でした  作者: 綾瀬アヲ@2月初書籍発売


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第十四話 灯る火

 ◇◇◇◇


 部屋の窓辺から、薪を抱えて歩く小さな後ろ姿が視界に映った。


 華奢な腕で薪を抱えては、時おりよろめきながらも、一歩一歩確かな足取りで進んでいく。その姿はひどく場違いで、滑稽で……それなのに、不思議と目が離せなかった。


「いったい何を……?」


 思わず零れた問いかけに、隣りに座って診察の準備をしていた雪月花が穏やかに答える。


旧邸ここの台所を復活させようとしているんだよ」

「台所を……?」


 空黎は再び眉をひそめる。

 台所など、もう何年も使われていない。おそらくこの旧邸の中で一番埃にまみれている場所のはずだ。


「君のために温かい食事を作りたいんだって」


 その言葉に、空黎の表情が揺れた。


 驚き、困惑、苛立ち――様々な感情が入り混じって胸の奥で鈍い痛みになる。


「何を、考えているんだ……」


 彼女がここへ来たのは、政略結婚のためではなかったのか。

 たった一年足らずで終わる婚姻。自分が死ねば、いずれ綾羅城家の一員として扱われることすらなくなるというのに。


『私は…私の意思でこの縁談を受けると決めてここへ来ました』


 まさか本当に――彼女は自らの意思で、この呪われた場所に来たというのだろうか。


(……何のために?)


『私は、この梅の木が満開になるところを一緒に見たいです…見られると信じています』


 不意に、今朝の言葉が蘇る。

 梅の花が一番嫌いだと突き放した時、迷いなく返ってきた言葉。


 空黎の言葉をまるで意に介さないように、ただ純粋に信じようとしているみたいだった。来年も、そしてその先も、共に生きているのだと。


 窓枠に添えた手に、無意識に力が込められる。


「君の花嫁様はなかなか健気で興味深い人だね。あぁ、失敬。婚姻は結ばないんだったっけ?」


 窓辺に寄りかかった雪月花が静かに微笑む。

 わざとらしく挑発的な雪月花の声に、空黎は答えなかった。その代わりに、表情一つ変えずにただ視線を窓の外に向ける。

 さっきまでの分は旧邸ここへと運び終えたのか、また本邸に向かって走っていく小さな背中。


(――どうして、そんなふうに真っ直ぐになれる?)


 その答えを知りたくないような、知りたいような――言葉にならない感情が胸の奥に渦巻いていたまま、空黎はただ黙って見つめ続けていた。



 ◇◇◇◇



 台所の掃除を終えて満足げに見回していた文緒は、ふと重要なことに気付いた。


「あ、でも食材がない……」


 本邸から薪は分けてもらえたものの、さすがに食材までというのは無理なような気がする。

 どうして一番肝心なことを忘れていたんだろう。自分の見落としに今さらながら落ち込んでいると、楠上が静かに口を開いた。


「それならば、綾羅城家が贔屓にしている問屋に私が交渉して手配しましょう」

「え、でも…そんな勝手なことをして大丈夫なのでしょうか」

「私にもそれなりの権限はございます。それに」


 楠上は少しだけ考えるそぶりをしてから、微笑む。


「これまで本邸で用意していた食事をこちらで作るようにするだけなら単純に『本邸側の負担も減る』ことになります」

「つまり本邸側にも利がある、というふうに説得すると…?」

「そういうことです」


 文緒の心配そうな表情を見て、楠上は「無理やりにでも納得させます」と付け加えた。


「……ありがとうございます!」


 そして楠上の言葉通り、その日の夕方には旧邸の入り口に立派な木箱が置かれていた。中には新鮮な野菜や魚、調味料まで十分な量が入っている。


「よし…!」


 目の前にあるかまどは、長らく使われていなかったとは思えないほど隅々まで綺麗に磨き上げた。漆黒の炉口には煤が落とされて、自在鉤じざいかぎも錆を削ぎ落として、かすかに光を反射している。


(これで大丈夫……きっと使えるはず)


 文緒は袖を捲り上げると、薪を丁寧に組み上げた。

 そして、火打ち石を打ち鳴らす。


 鋭い音が台所に響く。しかし、最初の火花はすぐに消えてしまった。

 焦らず、もう一度――そしてもう一度。


 やがて、小さな火種が薪の表面にじんわりと移り、ぱちぱちと弾ける音がした。


「……ついたぁ」


 呟いた途端、ふわりと煙が立ち昇る。

 文緒は慌てて手で煽ぎながら、炎の行方を見守った。


 最初は不安定だったそれが、やがて薪にしっかりと燃え移り台所の空気がほのかに温まっていく。


「やった……!」


 炎が安定して燃え始めたころ、文緒の顔にぱっと笑みが広がった。

 たったこれだけのことなのに達成感があふれる。


(この火で、温かい食事を作ろう)


 文緒は火の具合を確かめると、すぐに献立を考え始めた。空黎が少しでも食べられるもの。胃に優しくて、負担のないものがいい。


「えっと…まずは清汁すましじるから」


 そう決めると、文緒は鍋に水を注いでかつお節と昆布を静かに入れた。

 徐々に広がっていく淡い香りに、自然と心が落ち着いていく。


 台所に立ち昇る湯気。

 温かな空気がゆっくりと漂って、冷え切っていた空間にかすかな温もりが宿っていくようだった。


 次に大根を用意して、ほんの少し厚めに皮を剥いていく。


(この料理が、少しでも空黎様の心を温めることができますように)


 丁寧に、慎重に――野菜を刻んでいく。

 包丁を握る手にそっと力と願いを込めながら。



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