第十三話 今できることを
本館へと向かう道すがら、文緒は改めて周囲の違いに気づかされる。
手入れの行き届いた庭には美しく剪定された松や桜の木が並び、磨かれた石灯籠や石塔が存在感を放っている。旧邸とはまるで別世界だった。
それを横目に見ながら、文緒は白亜のお屋敷に辿り着いた。
薪小屋はどこだろう。
たぶん裏手だろうと思い、館の周りをぐるっと回るように歩く。
角を曲がると、突然、目の前に本邸の女中たちの姿が現れた。
「あ……」
向こうも予想外の人物と遭遇したかのように、戸惑った顔をした。そしてすぐにお互いの顔を見合わせると何か言いたげに目配せしあっている。
「あの、薪小屋はどちらでしょうか?」
ますます困惑した表情の女中たちだったが、薪小屋の場所はきちんと教えてくれた。文緒はお礼を言って丁寧に頭を下げると、小走りで先を急いだ。
やがて、本邸の薪小屋にたどり着いた。
そこにいた下男に「薪を分けていただけないでしょうか?」と頼み込んだ。
初めは、頑なに断られた。
「申し訳ありませんが、ここにあるものは本邸のためのものですので」
それはもっともな理由だった。けれど文緒もそれではいそうですか、と諦めるわけにはいかない。
「お願いします、どうしても必要なのです」
根気強く真摯な眼差しで切々と訴える。旧邸の冷たい空気と冷えた食事を思い浮かべながら、文緒は再び口を開いた。
「せめて少しだけでも構いません。あそこには、火を焚けるものが何もなくて……」
言葉を重ねるたびに、下男の表情がわずかに揺らぐ。そして、とうとう――
「……仕方ありませんね」
最初は戸惑いの色を見せた下男も、諦めずに何度も何度も頼み込む文緒にとうとう根負けして、結局かなりの量の薪を譲ってもらえることになった。
「ありがとうございます」
抱えきれないほどの薪を前に、文緒は何度も往復することになった。一抱えの薪を両腕に抱え、旧邸と本邸の間を黙々と行き来する姿に、本館に従事する人たちは一様に好奇の目を向ける。
好奇と戸惑い、そして少しの困惑が入り混じった視線があちこちから文緒へと注がれる。
けれど彼女自身は気にすることなく、ただ黙々と薪を運び続けた。
「これは随分と珍しい光景だね」
朗らかな声が響いたのは、ちょうど文緒が三度目の、本邸から薪を抱えて旧邸へ向かおうとしたときだった。
足を止めて振り向くと、そこには白衣をまとった雪月花が立っていた。
相変わらずの穏やかな笑みを浮かべているが、その黒曜石色の瞳はどこか驚いたように細められている。
「雪月花さん……!」
文緒が少し息を整えながら名前呼ぶと、彼はゆっくりとした足取りで近づいてきた。
「僕はてっきり、本邸の女中たちが薪でも運んでいるのかと思ったけれど……まさか君がやっているとはね」
そう言って、抱えきれないほどの薪を両腕に収めている文緒を上から下まで見渡している。
「君のような立場の人が、そんなことをするなんて」
その言葉に文緒は少し首を傾げてから、にこりと笑った。
「見つかったんです。自分にできることが」
「へぇ、それはどんなこと?」
「旧邸の台所を使わせていただこうと思いまして。空黎様に温かい食事を作って、少しでも食べていただきたくて……」
文緒は膨らんだ袖口を直しながら答える。
それを聞いた雪月花の微笑みが、わずかに深まった。
「……なるほどね」
ゆるりとした仕草で腕を組むと、興味深げに文緒を眺める。
「僕の知っている名家のお嬢様なら、台所に立つなんて考えもしないだろうけどね」
「それは、私がそんなに上品じゃないからでしょうか?」
文緒が小さく笑いながら冗談めかすと、雪月花もくすくすと喉を鳴らした。
「いやいや、むしろ逆だよ。君は『本当に良い家のお嬢さん』というのがよく分かる」
その意味を測りかねて文緒が首を傾げると、雪月花は肩を竦めながら言った。
「本当に良い家の人間っていうのはね、立場や名誉に縛られないものだから。でもくれぐれも無理は禁物だよ。旧邸の世話人は楠上だけのはずだし、手伝ってくれる人も少ないだろう?」
「……ええ。でも、少しずつでも変えていきたいんです」
それを聞いた雪月花は、しばらくじっと彼女を見つめたあと、ふっと口元を緩めた。
「うん、いいね」
「え?」
「そういうの、嫌いじゃないよ」
穏やかで、それでいてどこか楽しげな笑み。
まるで、面白いものを見つけた子供のような瞳だった。
「じゃあ僕はこれから往診に行くから、君はその薪を抱えて頑張るといい」
「…えっと、手伝ってはいただけないんですね?」
「手伝ってあげたい気持ちは山々なんだけれど、あいにく診療鞄より重い物は持てないんだ。ごめんね?」
悪戯っぽく目配せすると、雪月花はひらひらと片手を振った。そのまま軽やかな足取りで旧邸のほうへ向かって歩き出した。
文緒は雪月花の背を見送りながら、静かに深呼吸する。
(やっぱり、雪月花さんって掴みどころがないというか不思議な人だなぁ……)
それでも彼の飾り気のない言葉や態度は、どこか人の心をほぐすような力を持っているのだから不思議だ。
「無理はしないように、か…」
そう言われたけれど、それはできそうにない。
空黎のために自分にできることを――そうして少しずつこの環境を変えていきたい。
文緒は再び腕の中の薪を抱え直して、旧邸へと歩みを進めた。




