高鳴る鼓動、すれ違う思い
朝の光が差し込むスタジオ。
夏海は鏡の前に立ちながら、胸の奥がそわそわして落ち着かなかった。理由は分かってる。昨日の夜、陸から届いたあのメッセージ。
『明日の練習終わったら、少し話さない?』
ただそれだけ。
ただそれだけなのに、夏海の心は変に反応してしまった。
「……なんでこんなに気にしてるんだろ、私」
小さくつぶやいた時、背後から灯の声がした。
「夏海、今日早いね。なんかあった?」
笑って返そうとしたけれど、どこかぎこちない自分に気づき、夏海は急いで表情を整えた。
「ううん、なんでもないよ! 練習気合い入れたくてさ!」
灯は、夏海の“ほんの一瞬の揺れ”に気づいていた。
けれど、その理由までは分からない。それを聞いていい関係なのかも、まだ自信が持てない。
灯は言葉を飲み込みながら、夏海の横に立つ。
ふたりの距離は近いはずなのに、なぜかいつもより遠く感じた。
合同練習が始まると、講師の厳しい指導が飛び交う。
「夏海、リズム遅れてる!」「灯、表情固いよ!」
夏海は焦るほど動きが鈍り、灯は夏海を気にしすぎて自分のパフォーマンスが乱れる。
他のメンバーたちも次第にピリピリし始め、空気は最悪に傾いていく。
「……ごめん、ちょっと集中できてないかも」
休憩中、夏海がぽつりと呟く。
灯は声をかけたい。でも、どうかければいいのか分からない。
“何かあったの?”
“悩んでるなら言ってよ”
“俺、力になりたいから”
言葉はいくつも浮かぶのに、全部を飲み込んでしまう。
夏海の気持ちを強く揺らす存在が、自分ではない可能性が怖くて。
その沈黙が、夏海には“距離”に感じられた。
「灯、今日はなんか元気ないね」
「あ、いや…そんなことないよ」
お互いに胸の内を隠したまま、距離だけがじわりと広がる。
練習後、スタジオの外に出た夏海は、大きく息を吐いた。
「はぁ……ダメダメだったなぁ、今日」
手すりに寄りかかり、空を見上げたそのとき――
「夏海」
不意に声をかけられ振り向くと、そこに陸が立っていた。
柔らかい笑顔。いつもの余裕。けれど、どこか心に入り込んでくる距離感。
「今日、調子悪そうだったけど…大丈夫?」
「あ、うん。でもちょっと色々あって」
「色々、ね。無理すんなよ。夏海はさ、気合入れすぎるところあるから」
その言葉が思いのほか胸に響いて、夏海は陸を見つめ返した。
灯には言えなかった弱さを、陸には少しだけ見せられる気がした。
「ありがとう。……陸くんって、なんか分かってる感じするよね」
「そりゃ、夏海のこと見てれば分かるよ」
何気ない会話なのに、心臓が跳ねる。
陸の声色、距離感、その全部が特別に感じてしまう。
けれど胸の奥のどこかで、別の名前が痛むように揺れていた。
灯。
なぜかわからない。
ただ、陸に優しくされればされるほど、灯の表情が浮かんできてしまう。
その頃――少し離れた場所で。
街路樹の影に隠れるようにして、里奈がふたりの様子を目撃していた。
「……何あれ。めっちゃ距離近いじゃん」
思わず眉をひそめながらスマホを握りしめる。
陸の優しさなんて知ってる。彼が誰にでも優しいのも知ってる。
でも、今の夏海の表情は“誰にでも”じゃなかった。
「これは放っとけないかもね」
意味深な笑みを浮かべ、里奈はゆっくりその場を離れる。
そしてさらに、その少し後ろには――
「ふふっ…面白いもの見ちゃった」
美月が腕を組みながら、にやにやとその二人と、そして里奈の背中まで眺めていた。
「これはしばらく観察しても飽きなそう」
そう呟きながら、美月はふたりの後を追うでもなく、軽い足取りで別方向に歩き出した。
波はまだ小さい。
けれど、その波は確実に大きな“揺れ”へと変わり始めていた。




