夜の帳、崩れる静寂
夜は更けていた。
王都から遠く離れたこの町では、街灯もまばらで、辺りは深い静寂に包まれていた。〈蒼銀の剣〉の宿舎もまた、眠りについた者たちの安らかな気配に守られている──はずだった。
だが、ただ一人。
ユリウス・レインハルトだけは、静寂の中に佇んでいた。
彼は宿の屋上に立ち、吹きつける夜風に身を晒していた。遠くの街明かりが仄かに瞬き、満天の星々が夜空に浮かぶ。だがその光景も、彼の心を満たすには至らなかった。
「……やはり、お一人でいらっしゃったのですね」
背後から届いたのは、落ち着いた女性の声。
振り返ることなく、ユリウスはその声の主を理解した。
「シルヴィアか。……こんな時間にどうした」
「少し、眠れそうになくて。……あなたも、そうなのでしょう?」
彼女は隣に歩み寄り、無言のまま星空を見上げる。二人の間に言葉はなく、ただ夜の気配だけが静かに流れていた。
「……訓練の件、どう思った?」
ふいに向けられた問いに、シルヴィアは肩をすくめてから、小さく息をついた。
「率直に申し上げれば──不安、です。〈蒼銀の剣〉は確かに結束力が強く、人間関係も良好です。ですが……戦場では、それが隙になることもございます」
「……戦場では、か」
ユリウスは目を伏せ、口元にわずかな陰を落とした。
血に染まった戦場、届かなかった叫び、守りきれなかった背中──
過去の亡霊が、心の奥から這い出してくる。
「それでも……俺は信じたい。あいつらの“甘さ”も、“未熟さ”も、全部ひっくるめて、な」
「……本当に、変わらない方ですね。あなたは」
シルヴィアは呆れたように笑みを浮かべた。けれどその声音には、どこか懐かしさが滲んでいた。
「昔、あなたがおっしゃった言葉を、私は今でも覚えています。“人は力で守るだけではなく、心で支えるものだ”と──」
「そんなこと、言ったか?」
「ええ。確かにおっしゃいましたよ。……ですが、そのあなたが、一番ご自身の心を誰にも預けようとはなさいませんでした」
夜風に紛れて、小さな声が静かに落ちる。
それはまるで、懺悔のようであり、告白のようでもあった。
ユリウスは視線を夜空に戻したまま、ぽつりと呟く。
「……預ければ、壊れるからだ」
その言葉の奥底には、割れた硝子のような脆さが滲んでいた。
感情か、記憶か、あるいは──後悔か。
だが、その次の瞬間。
屋上の空気が、確かに震えた。
「……っ!?」
ユリウスとシルヴィアが、ほぼ同時に気配を察知する。
直後、南の空に爆発音が響き、黒煙が天を裂いた。
「今のは……!」
「……行くぞ」
ユリウスの瞳が鋭く光る。
腰に《蒼牙》を装備し、ひと息で屋上を蹴り、夜の闇へと飛び出した。
その背を追うように、シルヴィアも詠唱構えを取りながら駆ける。
──平穏を揺らす“火種”が、ついに動き出したのだ。
数分後、街の南区画。
崩れかけた商人通りには、〈蒼銀の剣〉と王都組の面々が続々と集まっていた。瓦礫が散らばり、空には黒煙が渦巻いている。地面には倒れた市民の姿も見えた。
「魔物……いや、これは違う。人工的な爆発の痕跡だ!」
リオが素早く地面を確認し、低く言い放つ。
「この魔力の残滓……間違いありません。誰かが意図的に起こしたものでしょう」
シルヴィアの声は張り詰めていた。
その表情もまた、教会魔導士としての冷静さと危機感に満ちている。
「……そこにいつ奴、姿を見せろ」
ユリウスが、月の浮かぶ空を睨みつける。
そこには、黒い羽根を広げた人影が浮かんでいた。
月を背にして、夜の帳に混じるように。
そして──物語は、次なる局面へと進み始める。
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