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深淵の核心

「──ッ!」


黒霧が渦を巻くように空間を侵食し、まるでこの世界そのものが悲鳴を上げているかのように、軋みと歪みが耳を打った。


中央に浮かぶ巨大な“瞳”──禍々しい赤黒の光を放つそれは、無機質なはずの存在でありながら、確かな“敵意”と“意志”をもってユリウスとユノを睨み据えていた。


「……核が、変質している」


ユノが息を呑みながら呟く。氷のように冷えた声には、ほんの僅かに戦慄が混じっていた。


瞳の周囲に集束する黒霧は、通常の魔物が持つ魔力とは異なる、異界由来の負の魔力で構成されている。そこには理も秩序もない。ただ、破壊と侵蝕の本能がうごめいていた。


「──《霧刃・壱ノ型》──『瞬閃』」


風が裂ける音と共に、ユリウスが駆ける。

踏み出しの一歩で視界を捨て、二歩目で加速、三歩目には既に斬撃が解き放たれていた。


だが──その切っ先が巨大な瞳に届く直前、黒霧が壁のように隆起し、凶悪な弾力を伴ってそれを受け止めた。


「……っ、硬い……!」


まるで生き物のような影の防御。それは物理的な斬撃さえも捩じ曲げる、不可視の鎧だった。


刹那、ユリウスの背後に異様な気配。

黒霧の中から、数えきれぬ“影の腕”が蠢き、彼を掴み取らんと襲いかかってくる。


「──《霧刃・肆ノ型》──『返刃』!」


身をひねり、剣を回転させて払い上げる。

一振りで三本の腕を切り落とし、二歩目の後退で残りをかわす。


「ユノ、奴の魔力が強まってる。これは長期戦になったらまずい……早めに潰す!」


「了解。……私も、本気で行く」


ユノの目が鋭く光り、冷気を帯びた魔力が掌から迸る。

その周囲の空気は音を失い、氷の結晶が静かに浮遊を始める。


「《氷葬魔術・極式》──『凍結葬矢フリージング・リクイエム』」


生成された三本の氷の矢は、どれも雷鳴のように空気を震わせ、常温では到底存在できないほどの冷気を纏っていた。


矢が放たれる。

その軌道は、美しさと死を伴う螺旋。


それを見た“瞳”が吠えるような波動を放ち、周囲から無数の影の腕がせり出す。防ぐ気だ。


──だが。


「──《霧刃・伍ノ型》──『裂旋』!」


ユリウスが、氷の矢の直進軌道に飛び込む。


右足で地を裂くように踏み込み、渦を描く斬撃が霧と影の壁を切り裂いてゆく。

螺旋の一撃が通路を作り出し、直後に氷の矢がその狭間を駆け抜ける。


──直撃。


三本の氷矢が瞳を貫いた瞬間、世界が一瞬、静止したように感じた。


「……やったか……?」


結晶化した氷が爆ぜ、波紋のように広がる冷気が黒霧を拘束する。


瞳が白濁し、動きを止める。周囲に漂っていた黒霧も凍りつき、まるでこの空間すべてが“封印”されたようにすら見えた──


だが──次の瞬間。


「──ッ!? 逃げろ、ユノ!」


瞳が赤黒く光りを放ち、内部から爆裂音と共に炸裂する。

強烈な爆風。圧縮された黒霧が解放され、暴風となって空間を飲み込む。


「くっ……!」


ユノが即座に魔力障壁を展開するが、吹き飛ばされる。


「ユノ!」


「大丈夫……!」


風と霧の奔流の中、ユリウスが踏みとどまっていた。

衣服は裂け、腕に浅い裂傷を負っていたが、剣を離さず、眼光はなおも鋭く敵を見据えている。


──だが、瞳は消滅していた。

爆風と共に、空間の中心に現れたのは──


「……人型……?」


そこに立つ“影”は、人間のような輪郭を保ちながらも、全身が黒霧で構成され、顔も手も曖昧なままだった。


その存在が、まるでこの空間の支配者であるかのように、静かに立っていた。


「……なに……あれ?」


ユノが一歩退く。その直後──


その影が、口のようなものを開いた。


「……還レ……我等ノ……深淵……ニ……」


空気の振動ではない。頭蓋の内側から響く“声”。

思考を侵食するような、異質な“言語”が二人に語りかけていた。


「……意思を持っている。これは、ただの魔物じゃない……」


ユリウスが呟いたその瞬間、影が腕をゆっくりと掲げる。


ズゥン──


地面が傾くような重圧。

空間が軋み、重力が反転したように、天地の感覚すら歪む。


「来るぞ、ユノ!」


「わかってる……!」


二人は、同時に前へ踏み込んだ。

恐怖を振り払い、信頼だけを武器にして。


──《霧刃》と《氷葬》。

対極の技が、今、最深の闇へ挑む。


深淵との最終戦、その幕が、静かに、そして確かに、上がろうとしていた──。



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