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影の胎動

蠢く影が、石碑の奥から這い出してくる。姿形は定かでなく、目を凝らしても明確な輪郭が掴めない。ただ確かに“存在”している──そんな異質な何かが、広間の空気そのものを侵食していく。


「……なんなの、あれ……!」


ユノの声が震える。理屈では説明できない“恐怖”が、皮膚を這うように迫ってくる。


「視るな。意識を持っていかれるぞ」


ユリウスの警告に、ユノははっとして目線を逸らした。それでも、あの存在の気配は脳裏にこびりつくように残っている。恐怖を理性で抑え込み、魔力を制御しながら前へ出る。


──視線を向けた瞬間、精神が引きずり込まれるような感覚。


(こんなの……魔物じゃない)


ユノは改めて思う。


(これまで戦ってきたどんな敵とも違う。これは“災厄”……!)


「ユリウス、どうするの……?」


「動きを見る。まだこちらに敵意を向けてきていない」


確かに、それはただそこに“いる”だけで、攻撃らしい行動を見せてはいない。だがそれが、より不気味だった。


石碑の周囲にあった鎖は、もはや意味をなさない。次第に影はその存在感を強めていき、広間全体が低く唸るような振動に包まれた。


「……来るかもしれない。ユノ、後方を頼む」


「了解。魔術陣、展開中」


ユノが詠唱を始め、空間に淡い氷の紋様が幾重にも浮かぶ。冷気が空気を浄化し、わずかにだが影の瘴気を押し返す。


そのとき──


「……ッ! 魔力の奔流が逆流してる……!?」


魔力の流れが、影の中心から放射状に逆巻き始めた。重力とは異なる力が働き、ユノの氷陣が一部砕け散る。


「ユノ、援護に徹してくれ」


ユリウスが前へ出ようとするのを見て、ユノは思わず手を伸ばしたが、すぐに自制する。


(……ダメだ。私が動揺してどうする)


深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。恐怖は確かにある。でも──


(あの人は、私たちの前に立ってくれている。その背を、私が守らなくてどうするの)


魔力を込めた氷の矢が次々と形成され、ユノの周囲を浮遊する。彼女の瞳に宿るのは、確かな覚悟だった。


(私は、ユリウスの背を守る。それが、私の戦い)


影の中心から、瞳のようなものがこちらを見ている。殺意が広間を満たし、空気が軋むように唸る。


「構えろ!」


「わかってる!」


影が唸り、膨れ上がる。空間が捻じれ、魔力が濁流のように押し寄せてくる。


ユノは即座に氷壁を展開し、後方支援の準備を整えた。その冷気が影の一部を凍らせるも、すぐに黒い瘴気に飲み込まれていく。


(……ユリウス、頼んだわよ)


あの瞬間、ユリウスの背に感じたもの──静かなる覇気。恐れを知らず、ただ勝利のために前へ進む覚悟。


(あの人が本気になれば……きっと、どんな存在でも斬り伏せてくれる)


広間の空気は、まるで生き物のように蠢き始めた。ユノは、氷の槍をさらに生成しながら、前方のユリウスの姿を目で追う。


(負けないで。私も全力で、あなたを支えるから)

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