静寂のあとに蠢くもの
信じられないほど、静かだった。
先ほどまで吹き荒れていた魔力の奔流が、嘘のように消えている。耳に届くのは、冷たい空気が石壁に触れて生むわずかな風音と、胸の鼓動だけ。
ユノはその場に立ち尽くし、空気の匂いを嗅いだ。鉄と焦げた魔素の、微かな残り香。
目を閉じると、さっきまでの光景が鮮明によみがえってくる。
──ユリウスの戦い。
異形との接近戦、空間が捻じれるような剣閃、雷と氷が交差する斬撃、爆ぜる魔力の渦。
一瞬たりとも目が離せなかった。むしろ、まともに追えなかった。
(私が止めきれなかった異形を……彼は、あっさりと……)
悔しさはない。それ以上に、胸に湧いてくるのは圧倒的な畏敬と、わずかな嫉妬。
どれほどの技量と制御力がなければ、あれほどの剣術を成立させることができるのか。
風を裂く加速、雷を纏った踏み込み、氷の魔術と連動する剣筋。
全てが自然で、滑らかで、しかも致命的だった。
(やっぱり……私たちとは、格が違う)
ユリウス・レインハルト。
ギルド〈蒼銀の剣〉に所属する剣士。その強さについては、何度も耳にしてきた。AランクやSランクの冒険者でさえ「別格」と口を揃える存在。
けれど、実際に隣で戦ってみると、それが決して誇張ではなかったと痛感する。
「……」
ふと視線を上げると、彼は封印陣の中央──かつて異形が現れた場所に立っていた。剣を納め、表情に乱れはない。ただ、何かを感じ取っているように目を細めている。
ユノも歩み寄り、封印陣を見下ろす。表面に刻まれた魔術式は、一見して機能を停止しているように見えた。だが──
「脈動してる……?」
「……ああ。表層は消えている。だが、下層に何かある」
ユリウスが低く呟く。彼の声に迷いはなかった。まるで、ずっと前からそれを知っていたかのように。
「どういうこと?」
「三重封印だ。ここの陣はただの抑制。異形は“鍵”に過ぎない。……本命は、もっと深くにいる」
その言葉に、背筋が粟立った。
異形が“鍵”? あれだけの存在が、まだ“前座”だったというのか?
(じゃあ、もしユリウスがいなかったら──)
ぞっとした。あの異形ですら、ユノにとっては抑え込むのがやっとだった。だというのに、その先があるという。
「……ギルドに報告する?」
「その前に、下を確認する」
ユリウスはそう言って、一歩前に出る。封印陣の中心に手をかざし、わずかに魔力を流し込む。
すると──
ゴゴゴ、と鈍い音を立てて、床が沈み始めた。中心に刻まれていた魔術式が割れ、回転しながらゆっくりと開いていく。
現れたのは、暗く沈んだ石造りの螺旋階段。
その奥から吹き上がってきたのは、明確な“気配”だった。
重く、湿っていて、無機質なはずの魔力に、なぜか悪意のようなものが混じっている。
「……まるで、生き物みたいな魔力」
ユノが呟くと、ユリウスは静かに頷いた。
「封印されていた理由が、ようやく分かってきたな。あれは、“置き去り”ではなく、“隔離”されていた」
「つまり──この奥にいるのは、もっと危険な何か」
「たぶん、そうだ」
ユリウスは階段を見つめたまま言う。彼の表情には、警戒と、ほんのわずかな決意の色が浮かんでいた。
「……私も行くわ」
「ユノ。お前は消耗が──」
「回復魔術なら使ったわ。まだ動ける」
そう言って、彼の隣に並ぶ。冗談めかして、少しだけ微笑みながら付け加える。
「あなたを一人で突っ込ませたら、クラウスさんに怒られるからね」
ユリウスは、わずかに目を細めた。
それが苦笑だったのか、肯定だったのか、ユノにはわからなかったけれど──
次の瞬間、彼は一歩を踏み出した。
地下へと続く、深淵の階段へ。
ユノも後に続く。
冷たい気配が、彼女たちを迎え入れるように押し寄せてくる。
闇の底に蠢く、“何か”が、彼らの接近を感じ取ったかのように──
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