氷の魔導士と春の気配
ギルド〈蒼銀の剣〉の大広間には、柔らかな午後の陽が差し込んでいた。
淡く揺れる光が木の床に模様を描き、窓際の席はぽかぽかとした静けさに包まれている。
ユリウス・レインハルトは、そんな一角に腰を下ろしていた。
湯気の立つ紅茶を口に運びながら、先程の模擬戦の感覚を、頭の中で何度もなぞっていた。
「……ふぅ」
小さく息を吐き、カップを受け皿に戻す。
紅茶の香りとともに、ふと脳裏をよぎったのは、カレンが差し入れてくれた手作りの弁当だった。
ぎこちないながらも、一生懸命に詰められたおかずの数々――不器用さの中に、真っ直ぐな想いが滲んでいた気がする。
それが少し、心の奥をくすぐった。
だが、その平穏は長くは続かなかった。
「ここにいたのね、ユリウス」
その声に振り返る。静かで、それでいて研ぎ澄まされた響き。
現れたのは、Sランク魔導士――ユノ・クレアヴェールだった。
長い銀髪をたなびかせ、氷の気配を纏った彼女の姿は、差し込む陽光の中でさえ凛とした存在感を放っていた。
「模擬戦、見ていたわ。あなたとレオンの戦い、興味深かった」
「……観戦者が多かったな。気配は察していたが、まさかユノまでとは思わなかった」
「面白いものは、見逃さない主義なの」
ユノは遠慮もなく、ユリウスの向かいに腰を下ろした。
その仕草ひとつひとつが、無駄を削ぎ落とした洗練さを帯びている。
だが、その瞳には、普段とは異なる光が宿っていた。
「あなた、以前より――少し“人間らしく”なった気がする」
突然の言葉に、ユリウスはわずかに眉をひそめた。
「……どういう意味だ?」
「前は、もっと冷たかった。感情を表に出さず、まるで剣そのもののようだった。でも、今のあなたは……目の奥に、誰かを守ろうとする意志が見える。気のせいかしら?」
ユノは言葉を選ぶように、紅茶に指先を添えた。
飲むでもなく、ただ香りを感じるように目を細めている。
ユリウスは、ゆっくりと視線を窓の外へ移した。
小鳥が一羽、枝の上で春を告げるようにさえずっている。
「……気のせいではないかもしれない」
短く、だが確かな答えだった。
しかしユノは、それで終わらせるつもりはなかった。
「その“誰か”って、誰? ギルドの仲間? それとも……」
「……」
沈黙が流れる。だがその沈黙は、拒絶ではなく、心の中を探るための時間だった。
「かつて……俺には、守れなかったものがあった。そういう後悔は、剣士には不要だと思っていた。だが、仲間と過ごす時間の中で、それが変わった」
ふとした風に乗って、過去の影が胸を掠める。
だが同時に、それを振り払うような柔らかな光も感じていた。
「なるほど。そうやって人は、剣を握る理由を変えていくのね」
ユノの声音が、ほんの少しだけ和らぐ。
それにユリウスは、わずかに目を細めた。
彼女もまた、氷のように見えて、その内側には確かな想いが灯っている。
それを、今の彼には感じ取ることができた。
「ユリウス。今度、私と組んで任務に出てみない?」
ユノは自然に、だがはっきりと切り出した。
「また、あなたと共に戦ってみたいと思っていたの」
「理由は?」
「興味。あなたの剣が、これからどう変わっていくのか、間近で見てみたい。……それに」
彼女は少しだけ言葉を区切り、紅茶の縁に視線を落とす。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「私も、“変わってみたい”と思ったのかもしれないわ」
その微笑みは、氷の向こうにある春の気配のようだった。
静かに、けれど確かに、ユリウスの胸に届いた。
「……ああ。いいだろう。次の任務は、君と行こう」
その答えに、ユノの瞳がわずかに揺れる。
それを見て、ユリウスもまた、かすかに笑った。
氷と剣――かつて交わることのなかった二人が、いま静かに歩み寄ろうとしていた。
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