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<第一章>王都

王都の空に、鉄と煤の匂いが混じるようになったのはいつからだろう。8年前、勇者レオンが魔王を剣で打ち砕き、世界に平和が戻った。あの壮絶な戦いから時が流れ、人々は平穏な日々を取り戻したはずだ。だが、北西の島国から響く蒸気機関の低い唸りが、その平和に影を落とし始めていた。剣と魔法の時代は終わりを迎えたのか? これは、そんな移ろいの物語である。


午後の陽光が庭に差し込む。王都の片隅、レオンの家の庭で、剣が空を切り裂く鋭い音が響いた。汗が額を伝い、彼の鍛え抜かれた体が流れるように動く。魔王を倒したあの剣技は今も冴えわたるが、そのリズムにはどこか穏やかさが混じる。近衛兵候補生への指導を終え、家に戻ってからの鍛錬は、もはや彼の日課だ。だが、胸の奥に疼くざわめきが、剣を握る手を微かに震わせていた。あの戦いが本当に終わりだったのか・・・・・・?

その時、門の向こうから軽やかな足音が近づく。レオンが汗を拭い、振り向くと、そこに魔法使いエリナが立っていた。彼女は王立学校の教師服に身を包み、長い髪を風に揺らしている。疲れたような笑みを浮かべたその顔に、レオンは少年のような笑みを返した。「おかえりー」と声をかける。

「ただいまー」とエリナが応え、肩の鞄を下ろす。彼女の声には疲れと安堵が滲み、庭に漂う草木の香りに溶け込んだ。


レオンの鍛錬が一段落した頃、二人は家の縁側に腰を下ろした。エリナが持ってきた茶葉で淹れたお茶が湯気を立て、庭の草木の香りと混じり合って穏やかな空気を漂わせる。レオンは剣を脇に置き、湯呑みを手に持つと、エリナの方を見た。

「もう学園中が大変よ」とエリナがため息をつきながら切り出した。「ついに魔法科が定員割れしちゃってさ。今は蒸気機関を学びたい子ばかりみたい」

彼女の言葉には、どこか諦めと寂しさが滲んでいた。魔王討伐後、その実績を買われて王立学校の魔法科教師となったエリナだが、最近の学園は様変わりしていた。魔王討伐の少し前に新設された蒸気科が脚光を浴び、生徒たちの目はみなそちらを向いている。魔法科の教室は閑古鳥が鳴き、かつての活気は遠い記憶になりつつあった。

レオンは湯呑みを手に持ったまま、少し首をかしげてエリナを見た。「へえ、蒸気機関ってそんなに人気なのか?俺にはさっぱりわからんけどさ。あのガチャガチャ動く機械、魔法よりいいのか?」

彼の口調は軽いが、その視線にはエリナの心中を気遣う優しさが隠れていた。

エリナは苦笑いを浮かべ、湯呑みを口に運びながら答えた。「いいかどうかはわからないけど・・・魔法って、選ばれた才能がないと扱えないじゃない?でも蒸気機関は、真面目に操作を覚えれば誰でも使えるんだって。それでみんな、こっちの方が夢があるって言うのよ」

庭に吹き込む風が二人の髪を揺らし、一瞬の静寂が流れる。レオンは剣を手に持つ生活を、エリナは魔法を教える日々を、それぞれ続けていたが、そのどちらもが時代に取り残されつつあることを感じていたのかもしれない。

「でもさ」とレオンが突然口を開き、少し照れくさそうに笑った。「俺は魔法の方が好きだな。エリナが魔法使うとこ、かっこいいし」

エリナは一瞬目を丸くして、それからクスッと笑った。「お世辞が上手くなったね、レオン。でも、そう言ってくれるのは嬉しいよ」

縁側に座る二人の間には、魔王を倒したあの頃とは違う、穏やかで日常的な空気が流れていた。


だが、縁側に座る二人の間に流れる穏やかな空気は、すぐに変わることになった。レオンが湯呑みを縁に置き、少し真剣な顔つきでエリナを見た。彼の瞳には、普段の軽い雰囲気とは違う、重みのある光が宿っていた。

「なぁ」とレオンが口を開き、少し声を低くして話を切り出した。「今、魔王を復活させようとしてる連中がいるって噂、知ってるか?」

エリナの手が湯呑みを持つ動きを止め、彼女の視線がレオンに固定された。「魔王を・・・復活?」と小さく呟き、その言葉を反芻するように眉を寄せる。

レオンは頷き、庭の向こうに目をやりながら続けた。「最近、王宮でもその噂がちらほら上がっててさ。国王陛下から直接、魔王に関していろいろ聞かれたんだ。あの戦いのこととか・・・。俺もちょっと心配になってきた。陛下の許可が出たら、魔王を倒したあの場所へ調査に出ようかと思ってる。もしかしたら1ヶ月くらい留守にするかもしれない」

彼の声には、勇者としての責任感と、どこか拭いきれない不安が混じっていた。8年前の戦いは確かに終わったはずなのに、再びその影が忍び寄ってくるような感覚が、レオンを落ち着かなくさせていた。

エリナは黙ってレオンの言葉を聞いていたが、彼が一息ついたところで視線を上げた。「調査かぁ・・・。確かに、噂が本当なら放っておけないよね。でも、1ヶ月って結構長いね」

彼女の口調は軽く聞こえるが、その目に浮かぶ心配の色は隠しきれなかった。

レオンは少し躊躇うように手を膝に置き、それからエリナをまっすぐ見つめた。「できるなら、エリナにも付いてきて欲しいんだ。昔の仲間がいると心強いからさ」

その言葉には、ただの依頼を超えた信頼と頼もしさが込められていた。魔王を倒したあの過酷な旅を共に戦ったエリナだからこそ、レオンにとって特別な存在だった。

エリナは一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。「心強い、ねえ。私、教師をやってるからそんなに簡単に休めないんだけど・・・。でも、レオンがそんな顔で頼むなら、断るのも悪い気がするな」

彼女は軽く肩をすくめ、冗談めかして続ける。「それに、魔王が復活したら、私の魔法科だってますます肩身が狭くなるだろうし。だったら、その前に一発くらい派手に魔法をぶちかましてやろうかな」

レオンはエリナの言葉にフッと笑い、緊張が少し解けたようだった。「おお、さすがエリナ。頼もしいぜ。じゃあ、陛下の許可が出たら準備を始めよう。昔みたいにさ、二人で切り抜けるんだ」

彼の声には、どこか懐かしさと期待が混じっていた。

縁側に座る二人の会話は、再び軽やかなものに戻ったが、その背後にはかすかな不穏な風が吹き始めていた。庭の木々がざわめき、遠くの空には薄い雲が広がりつつあった。



国王陛下からの許可が下りた翌日、レオンとエリナは情報収集のため城下町へと繰り出した。二人は賑わう通りを抜け、昔なじみの酒場へと足を踏み入れた。かつて勇者一行が旅立つ前、僅かな旅費を手に立ち寄ったこの店は、今や街の人々で溢れかえっていた。扉を開けると、笑い声とグラスのぶつかる音が一気に耳に飛び込んでくる。木のテーブルには労働者や商人、家族連れまでが肩を寄せ合い、壁に吊るされた油灯が暖かな光を投げかけている。蒸気機関のおかげで物資が豊富になり、街全体が活気づく中で、この酒場もまた明るい喧騒に満ちていた。

魔王討伐へ向かう頃は薄暗く静まり返っていた街だが、今は違う。通りには笑顔が溢れ、酒場には陽気な歌を口ずさむ者までいる。しかし、数多くの客が行き交う中、世界を救った英雄レオンとエリナに気づく者はほとんどいなかった。通りすがりの若者は彼らをただの旅人と見なし、商人たちは商売の話に夢中だ。だが、カウンターの向こうで忙しく立ち働く店主だけは、二人を見つけると目を細めた。

「おう、レオンじゃないか!エリナも一緒か、久しぶりだな!」と、髭面の店主がグラスを拭きながら声を張り上げた。客の喧騒にかき消されそうになりながらも、その声には懐かしさが滲んでいる。

レオンがカウンター近くの空いた席に腰を下ろし、「お前も賑やかそうだな!」と笑う。エリナも荷物を下ろして隣に座り、「すごい活気ね」と少し驚いたように呟いた。二人はこの酒場の雑多な明るさに馴染みつつあった。

店主が慣れた手つきで麦酒を注ぎながら話し始めた。「最近できた『鉄の道』のおかげでな、街に物資がどっと入ってくるようになったんだ。魚もスパイスも新鮮なまま届くし、客足が途切れねえよ」

「鉄の道?」とレオンが聞き返すと、エリナが小さく頷いて耳を傾けた。

店主は目を輝かせて続けた。「蒸気機関で動く鉄の化け物が通る道だよ。港から荷物を運んでくるんだ。安定的に物資が届くってんで、街の連中は大喜びさ」

「へえ、そりゃすごいな」とレオンが感心する一方、エリナは少し眉を寄せた。「また蒸気機関か・・・」

彼女の声には、教師としての複雑な思いが混じっていた。


その時、酒場の隅から乱暴な声が響いた。「ちくしょう!・・・何だってんだ、くそっ!」

テーブルを叩く音が続き、数人の客がチラリとそちらを見やる。そこには、20代後半ほどの男が一人、ボロボロのローブをまとって酒瓶を握り潰さんばかりに持っていた。瘦せた頬に無精髭が生え、目は充血している。だが、賑わう酒場の明るさの中では、その声もさほど目立たなかった。

店主が小さくため息をつき、「またあいつか」と呟いた。

「あいつ、誰だよ?」とレオンが尋ねると、店主は少し声を潜めた。「トムスって魔法使いだ。転送専業の魔法使いだよ。街から街へ荷物を運ぶのを生業にしていた奴だ。トムスは元々真面目なヤツでさ。ただ、自分の魔法で人の役に立つことが何よりの誇りだった。あの誠実な性格がみんなに信頼されてたんだ。だが、『鉄の道』ができてからはその仕事を奪われちまってさ。今じゃ職を失って、人が変わったみてえに酒に溺れてる」

エリナがトムスを一瞥し、小さく呟いた。「転送魔法で人の役に立つ・・・。そんな誇りがあったのに、時代が変わっちゃったんだね」

レオンはトムスの方をじっと見てから、店主に視線を戻した。「なぁ、オヤジ。その『鉄の道』って、魔王の噂と何か関係あると思うか?最近変な話、聞いてないか?」

店主は少し考え込むように顎を撫で、それから首を振った。「さぁな。ただ、鉄の道を作ったのはクロムリッジの鉱山長って話だぜ。魔王の噂とは結びつくような話は聞いたことがねぇな」

トムスが再びテーブルを叩き、「鉄の道なんざ滅びちまえ!」と喚く声が響いたが、酒場の明るい喧騒にかき消されていく。レオンとエリナは顔を見合わせ、賑わう店内でかすかに芽生える不安を感じていた。


トムスの荒々しい叫び声が酒場に響く中、店主がカウンターから出てきてため息をついた。彼はトムスの方を一瞥すると、突然大きな声で呼びかけた。

「あぁ、もう見ちゃいられねぇ!おい、トムス、ここんとこ俺の店が忙しくて手が足りねえんだ。今からちょっと働いていけ!」

トムスが目を丸くして、「ええっ」と呆けた声を漏らす。だが、店主はそんな反応を意に介さず、まるで子犬でも叱るような勢いで続けた。

「すべこべ言うんじゃねぇ!少なくともツケてる分は働いてもらうぞ。ほら、さっさと立て!」

トムスは酔いが回った足取りでよろめきながらも、店主の腕に引っ張られて店の奥へと引きずられていく。「何!?待てって、オヤジ・・・!」と抵抗する声が聞こえたが、すぐに厨房のざわめきにかき消された。酒場の客たちは一瞬そちらを見て笑い声を上げ、再び自分たちの会話に戻っていく。賑わう店内に、トムスの姿はあっという間に飲み込まれた。

レオンはカウンターでその様子を見送りながら、苦笑いを浮かべて呟いた。「まぁ、あのオヤジさんなら酷いことはしないだろうさ。トムスも少しはマシになるかもな」

エリナも小さく頷き、「うん。あの店主、口は荒いけど面倒見はいいよね。彼にとってはいいきっかけになるかもしれない」と穏やかに答えた。彼女の視線には、どこかトムスへの同情と希望が混じっていた。

店主が店の奥に消える直前、ふと思い出したように振り返り、レオンに向かって声を張り上げた。「おい、レオン!そういや、あの日お前さんらが出発していった城門に、その『鉄の道』があるらしいぜ。そこに行けば何か分かるかもしれねえ。気をつけてな!」

そして、トムスの腕を掴んだまま厨房の扉の向こうへ姿を消した。扉の向こうからは、トムスの「離せってんだ!」という抗議と、店主の「うるせえ、皿洗え!」という怒鳴り声が漏れ聞こえてくる。

レオンは店主の言葉を聞いて、少し目を細めた。「城門か・・・。鉄の道がそんなところにあるなら、確かに何かありそうだな」

エリナが立ち上がり、荷物を肩にかけ直しながら言った。「だったら、明日に行ってみる?魔王の噂と関係あるかもしれないし、放っておけないよね」

「おう、行くか」とレオンも立ち上がり、剣の柄に軽く手を置いて気合いを入れる。二人は酒場の喧騒を背に、薄暗い出口へと足を向けた。


その頃、厨房ではトムスが渋々ながら皿を手に持たされていた。店主が横で腕を組んで見張る中、彼は酔いが醒めるにつれて少しずつ動きがしっかりしていく。

「ったく、こんな仕事・・・」と文句を言いながらも、トムスはどこか昔の自分を思い出したように、皿を丁寧に洗い始めた。店主はそんな彼を見て、「お前、まだやれるって顔してるじゃねえか」と小さく笑った。トムスに返事をする余裕はなかったが、その手つきには、かつて転送魔法で人々の役に立っていた頃の誠実さが、ほんの少しだけ戻りつつあった。

一方、レオンとエリナは酒場を出て、夕暮れに染まる城下町の通りを歩き始めた。道中は酒場の灯りが暖かく揺れている。トムスにとっての小さな救いと、魔王の噂を追う新たな旅の始まりが、この賑わう街で静かに交錯していた。


レオンとエリナは翌朝早く、街中の乗合馬車に乗り込んだ。馬車は商人や旅人で満員で、ガタガタと揺れながら城門へと向かう。朝日が昇り始めたばかりの空の下、馬車の車輪が石畳を叩く音と、乗客たちのざわめきが混じり合っていた。

馬車に揺られながら、レオンが窓の外を眺めつつ、何気なく口を開いた。「しかし、転送魔法しか使えない魔法使いもいるんだなぁ」

隣に座るエリナが、荷物を膝に置いたままレオンをチラリと見て、少し呆れたように笑った。「何を言ってるの、レオン。魔法使いって、ほとんどがそういう人たちよ。転送魔法だろうが、炎だろうが、一つでも使いこなせれば立派な魔法使いなんだから」

彼女はそこで少し胸を張り、得意げに続けた。「あなた、あの旅でポンポン私に『転送魔法でこの街に連れてって!』とか『炎で焼き払え!』とか『風で吹き飛ばせ!』とか命令してたけどさ、それに応えられる魔法使いなんて、この国に10人もいないわよ。私って実はすごいんだからね」

エリナの口調には、どこか自慢げな響きと、レオンへの軽い皮肉が混じっていた。


彼女はそこで少し寂しそうな顔をして話を続けた。「何年も魔法を勉強して、結局手で持てるくらいの重さの物を二、三歩先にしか動かせない人だってごまんといるのよ。それだけでもすごいんだけど、それじゃ食べていけないよね。・・・魔法って、上手くできなかった時に失うものが多すぎるから、余力のある貴族出身の魔法使いが多いんだ」


レオンは目を丸くして、「えっ、そうなの!?」と驚きの声を上げた。馬車の中が一瞬静まり、他の乗客が何事かと二人を振り返る。慌てて声を潜め、「いや、だって・・・お前が全部やってくれるから、俺、みんなそんなもんかと・・・」と頭を掻きながら言い訳した。

エリナはフンと鼻を鳴らし、「でしょうね。あなたってほんと無自覚よね。8年前のあの旅、私がどれだけ頑張ったか、今さら気づいた?」と半ば冗談めかして肩をすくめた。

「でもさ」とレオンが少し真面目な顔に戻り、「トムスみたいに一つしか使えないのが普通なら、あいつがあそこまで落ちぶれるのも・・・なんか納得いかねえな。あの真面目そうな感じ、悪いヤツには見えないよ」

エリナは一瞬驚いたようにレオンを見たが、すぐに柔らかい表情になり、小さく呟いた。「そうね・・・。酒場の彼、きっとその身ひとつで魔法を習得したんだろうね。貴族みたいに失敗してもやり直せる後ろ盾がないから、死にものぐるいで魔法を勉強して、自分の魔法で人の役に立つことに誇りを持ってたんでしょう。それが鉄の道に取って代わられて、自分の居場所がなくなっちゃった。余計に気の毒だわ」

エリナはとても寂しそうな顔をして窓の外を眺めていた。

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