3.High-Priestess
本作品はフィクションです。
登場する人物名や曲名は実在するものとは関係ありません。
というのを最初に書くのを忘れていました。
『ここのメンバーには先に話しておこうと思って』
私たちの中ではほぼ日課になりつつあった夜の雑談放送で、Ruiさんがそう切り出してきたのは私が大学4年になった春、GWが過ぎたばかりのある日のこと。
『まだ正式にでは無いけど今度、Yamさんとコラボすることになりました』
「「えええええええええっ!?」」
その日の放送を担当していたタツキくんが驚きの声を上げるのと、私たち他のメンバーがチャット字幕で驚きの声を送信するのはほぼ同時だった。
Yamさんといえば圧倒的な声量で人気アニソンをカバーしてヒットし、それを皮切りに有名無名問わず気に入った歌い手さんと歌ってみたコラボを何作も発表してそれが毎回、数万再生近くを叩き出す大物歌い手さんだ。
それに対してRuiさんは1年ちょっと毎月投稿して精力的に活動はしていたものの、1つあたり1000再生に届く動画が何本かあるか無いかのまだ『無名』と言われるレベルに居たのだから、皆が驚くのも無理はない。
でも私からしたら、『Ruiさんならそういう事だってあってもおかしくない』と思っていた。
【イケボ】と呼ばれる艶のある低音域や、【両声類】と呼ばれる男女どちらとも取れる中性的な声を出せる歌い手さんたちが持て囃される中でRuiさんの歌声はそれらとはちょっと違う、勢いのあるカッコよさがあった。それはこの動画サイトの中では万人受けする感じではなかったけれど、逆に彼と同じ様な歌声の持ち主は他に居なかったから「この声を好きな人には刺さる!」ってずっと思っていたんだ。
だから、報告してくれるRuiさんの嬉しそうなコメントに、ようやく念願が叶ったんだなって見ているこっちまで嬉しい気持ちでいっぱいだった。
『まだ選曲とかイラスト・動画を誰に頼むかとか色々決めないといけない事が多いから、もしかするとだいぶ先の話になるんだけどね^^』
それでも、RuiさんがYamさんとコラボしてる動画が公開されれば。きっと今までにRuiさんの声の魅力に気付いていなかった人たちにも届くだろう。私はその日を楽しみに待つ事にして、翌日の就職希望者向け合同説明会へ向けて早めにログアウトすることにした。
ただ、それからの日々は私にとって本当に多忙を極めた時期だった。
私の住んでいた雪の多い地方では、希望する企業の合同説明会やOB訪問を受けられるのが1月~2月ではなくこの5月、6月に集中する。そこに卒論の日程や面接なんかも入ってきて、短い春が終わったのも夏が来て足早に過ぎ去ったのもいつだったか気付かないぐらい、毎日に追われていたんだ。
「ねえ、最近すごく忙しそうだしニッコリも全然ログインしてないっぽいけど、Ruiさんの新作って聴いた?」
姉の茉由が遠慮がちにドアをノックして話しかけてくれたおかげでソレに気付けたのは、10月も半ばを過ぎた頃だった。
『【Rel書き下ろし新曲】High-Priestess 歌ってみた【Yam/Rui】』
というタイトルで動画が投稿されたのは4日前で、もう既に2万再生以上を突破して歌ってみた動画のランキング1位に躍り出ていた。ここ半年間の活動は全然観れていなかったから知らないけれど、これまでのRuiさんの動画再生回数に比べたらとんでもない数字だ。でも……
「なに……コレ!?」
ただ……すごく久しぶりに聴いたRuiさんの歌声には、これまでのような勢いと力強さを前面に押し出した魅力は無かった。
機械音声のように加工されたソレはYamさんの歌の裏側で鳴っているだけの楽器みたいな役割しか果たせておらず、Yamさんがほぼ独唱のような形でほとんどのパートを歌い尽くしていたのだ。
しかもそれなのに『Yamさんは良いんだけど、もう一人がねw』『Ruiとかいう奴、マジ空気w』『不協和音でしかないし要らなかったんじゃね?』なんていうコメントが並び、Yamさんだけを褒め称えてRuiさんを邪魔扱いするような意見ばかりが後に続いている。
姉に訊いた話では、Ruiさんがここ数カ月で投稿した他の動画にもYamさんの信者からと思われる『Yamさん効果で売名お疲れ様でーすwww』や『こんなド下手がYamさんに取り入っても仕方ないじゃんw実力差思い知れよwww』『そうまでして売れたいのかよwプライドもへったくれもねーのなw』といったコメントが書き込まれたり【売名系歌い手(笑)】というタグを付けられたりしていて収拾がつかないので、幾つかの動画は削除する事態に追い込まれているのだという。
私はその事に対して怒りに近い嫌悪感しか抱かなかった。叩いた奴らにRuiさんの、何が分かるというのだろう? どれだけ歌う事を大切にしていて、ここまでそれを丁寧に投稿した歌に込めてきたのか。それをこんな風に心無い中傷で塗りつぶされて、どんな風に思うのか。
だけど、同時に気付いてしまった。それが分からないのは私にしても同じ事だと。
タツキ君やenaさんと雑談するのにばかり夢中になっていてRuiさんの挑戦している同じ方向を向くわけでもなく、ここしばらくはリアルの方が忙しくてRuiさんの動向すら全く分かっていなかった。
一番弱っていてそれを吐露したいかもしれない時期に、それが届く範囲に居る事すらできなかった私に何が出来たのだろう? 結局のところ、何もできなかった私には怒る権利すら持っていないのだ。
そして私が暗い感情を押し殺してあれほど好きだった動画サイトも見ないようになり、淡々と卒論や就職活動や、そこから内定後の入社前研修に追われる日々を終えた2月の頃……Ruiさんは全ての投稿動画を削除して、この世界からひっそりと姿を消してしまった。