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脱出  作者: にめむ
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 彼はバックミラー越しに微笑んで、彼女に尋ねた。「申し訳ないんだけど、コーヒーが空になってしまってね。飲み物を買いに行ってもかまいませんか? この話はもう少しだけ長くなってしまう。僕はね、話す時には定期的に喉を潤さないと、砂漠みたいに喉がカラカラに乾いてしまうんですよ」

 彼女は頷いた。車はマクドナルドのドライブスルーに入る。深夜の1時半。そこで三角チョコパイとホットコーヒー、それと彼女のためにバニラシェイクを買った。車は再び夜の道路を走り始める。ホットコーヒーを一口飲んで、彼は話の続きを始めた。


「その子の母親はお寺のある部屋で見つかりました。そこは曰くつきの部屋で、長い間何人の立ち入りも禁じられていました。お寺の住職さんは三代前の時代から、部屋の中に入ったものは誰もいないとのことです。今は誰も立ち入ることのない、お寺の別殿の二階に部屋はあります。そもそも別殿自体が、いまや物置みたいになっていました。二階に上がる階段も、ところどころの木が朽ちて、段がなくなっていました。実際、わたしもその部屋の入り口まで行ってみましたが、まあ、わたしには霊感めいたものを持ち合わせていないので、超自然的な次元のことはわかりませんが、部屋の扉は楢木の引き戸になっていて、もうはがされていましたが、扉と壁の間にはびっしりとお札が貼られていました。般若や修羅のような恐ろしい絵が描かれたお札がびっしり張られていましたからね。わたしも少し背筋がひんやりしたことを記憶しています」


 その部屋の窓や扉は、太平洋戦争が始まる頃にお札で封印された。一年に一度、お寺の住職はその部屋の扉のお札がはがれていないかを確認して、必要であれば新しいお札を貼った。三代前の住職が何らかの事情でその部屋を封じて以後100年近く、その部屋は現世から隔絶されていた。

 住職はある朝、別殿が火事で燃える夢を見た。火は本殿に燃えうつって、寺が全焼する夢。彼はその朝、別殿の周りをぐるりと散歩し、火のもとになりそうな落ち葉や枯れ木を片付けていた。陽光が完全に昇りきり、掃除も終えた頃、別殿から物音が聞こえた。重たい荷物が落ちたような、鈍いどすんという音であった。住職は本殿に戻って、事務所の金庫から別殿の鍵の束を取り、廊下で出会った弟子のひとりとともに別殿に向かった。別殿の玄関のカギを開け、一階を入念に点検したが、あたりは静寂と闇とほこりに包まれていた。古いコンピュータや書物や物置やタンス、それと着物の箱が背丈ほどまで積まれていた。住職は弟子に玄関に戻るように指示を出した時、二階からどすんと鈍い音が再び聞こえた。

 住職と弟子は懐中電灯の灯りを頼りに、階段を注意深く昇り、二階のあの部屋以外を調べたが、音の原因になりそうなものは見当たらなかった。あの部屋の扉に光を当てて、お札が破られていないことを確認して、しんと静まり返った扉に耳を当ててみた。

 住職は中に人の気配を感じた。中から人の吐息が聞こえてきたのだった。住職は三代にわたる禁を破るべきかしばらく悩んだ。部屋の中には明らかに人がいることを感じ取ったし、さりとて人が侵入できるはずがないこともまた明らかだった。中からくしゃみの声が聞こえた時、住職は決断し、一度扉の前で手を合わせて、お札を丁寧にはがした。そして部屋の扉を開けると、中に修道女が修道服を着たまま眠っていたのだった。


 住職は救急車を呼んで彼女を助けた。警察もまもなく寺にやってきて、あれこれと事情を尋ねた。その日の夕方、すべてが終わった後で、彼は部屋の内部を検討してみた。部屋の中には人のこぶしほどの石が三つほど転がっているだけで、他にはものというものはひとつもない。窓は分厚い雨戸とガラス戸が閉まっていて、お札が入念に貼られていた。もちろんお札は破られていない。天井や壁や床に穴もない。彼女がどうやって入ってきたのか、誰かが連れてきたのか、警察からも心当たりを何度も尋ねられたが、やはり彼には全くの謎だった。

 病院や警察の職員たちは彼女に質問をしたが、彼女は何一つ口を開くことはなかった。警察はその際着ていた修道服から仙台の修道院を見つけ、その管理者である男に連絡を取ったのだった。彼女が発見されてから一週間後、彼は病院の一室で彼女と面会をした。刑事二名立会のもとで、彼女にいくつかの質問をしたが、彼女はだんまりだった。


 そして病院の検査の結果、彼女が妊娠していることが明らかになった。もっとも彼女のお腹の様子を見れば、妊娠していることは明白であったが。彼女の健康診断等が住んだのち、正式に産婦人科にかかることができた。妊娠二五週。元気な女の子。それが医師の診断だった。二五週前、それはあの震災が起きた頃に合致していた。

 彼女が発見時に着ていた服と下着は、警察の科学捜査研究所に送られ入念に調べられた。彼女がいるはずのない場所にいることも、妊娠していることも、しゃべれなくなっていることも、すべて不可解な事象だったからだ。捜査の結果、何もわからないことだけがはっきりした。なんの証拠もでなかったのだ。衣類に彼女の足取りを明らかにすることのできる痕跡は見当たらなかった。また鑑識課が寺の部屋を念入りに調査したが、年季の入った女の長い髪の毛が数本見つかっただけで、どうして彼女がこの密室で見つかったのかを解明する手掛かりは見つからなかった。


 警察の捜査は二か月ほどで実質的には終了となった。彼女には身寄りがなかったため、修道院の管理者であった男が引き取ることになった。彼は彼女のために管理人付きのマンションの一室を手配し、そこに必要なものを運び込んだ。世話人もつけた。やがて彼女は子供を産んだ。元気な女の子だった。子供の面倒を彼女が見ようとはしない(抱こうともしなかった)ので、男が引き取り面倒を見た。病院で子供を聞き取るとき、看護師が冷たい目をして冷たい言葉を吐いた。生んだのに、抱こうともしない母親は初めて見た、母親として最低だ、もちろんそんな言い方はしないが、言いたいこととしてはそういうことだった。

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