③
※2011年東日本大震災および津波の描写があります。
信号が赤になり、きめ細かで繊細にブレーキペダルが踏まれ、車はゆるやかに停止した。シフトレバーが気持ちのよい音を立てて動作し、サイドブレーキが引かれる。男は助手席に置いた鞄を開けて、中からサクマドロップの缶を取り出して、適当な飴を口に放り込んだ。飴の缶を後部座席に向けて振って、飴をすすめたが、彼女は首を振った。彼は残念そうに飴をバッグにしまった。
「ほんとうにひどいものだった。あの日のことを思いだすと、今でも気持ちが悪くなってくる」男は溜息をついた。そして言葉を継いだ。「日本中があの日を境に一変してしまったと、ぼくは思っているんです。政治も経済も、文化もいっさいがっさい全部きれいに変わってしまった。今まで当たり前だと思っていたものが、きれいさっぱり消えてしまったんだと思うんです」
「わたしはその日のことを知りません」彼女は言った。「部屋に閉じ込められていましたから」
「テレビも新聞にも、人の話にも聞かなかったんですか?」
「はい。そのころわたしは東京に住んでいましたから、大きな地震があったことは覚えています。ことを知ったのは、その日から二年後のことでした」
彼はコーヒーを一口飲んで言った。「あの日の惨劇について、あなたはどれくらい知っていますか?」
「この赤ちゃんくらい、何も知らないかもしれません。ニュースの記事や映像ドキュメンタリはできるだけ避けてきました。人が苦しむ姿はあまり見たくありません」
赤ん坊は時々首の向きを変えながら、静かに眠っていた。彼女は人差し指を小さな赤ん坊の手に握らせていた。
「でも」と彼女は言った。「津波に飲まれるとどうなるのかくらいは知っているつもりです。みつきさんはうまく高台まで逃げることができた。そういうことですよね?」
彼は黙ったまま首を振った。「それがわからないんです。修道院長と彼女が別れたきり、どこで何が起こったのかわからないんです。高台に避難した修道院の修道士たちは、津波に修道院が飲み込まれるのを目撃しています。波は濁流となってあたり一帯を更地にしていしまいました。修道院は石造りで丈夫な建物ではありましたが、建てられてもう70年以上が経過してします。土台だけが何とか残りましたが、修道院の中の一切合切は波にのまれてどこかへ消えました。そして彼女の姿も、その後見たものは誰もいません。皆、彼女はあのまま祈りを捧げ続けて、神のもとに召されたものと思い込み、罪の意識にさいなまれた修道院長は、避難所になっていた学校のグラウンドに膝をついて祈りを捧げ続けたといいます。修道院長にならって、他の修道士たちも我先に逃げ惑ったことを悔いて、グラウンドで皆で祈りをささげたといいます。その様子はテレビで特集が組まれたほどです。もっともテレビ取材では少しばかり脚色されて、あたかも彼女たちが震災で亡くなっり行き場をなくした魂たちのために祈っているかのように伝えられていましたが。まあたいした違いではありませんが」
「それで彼女はどうなったんですか?」
「半年後の夏、修道院から100キロメートル以上離れた新潟県の山奥のお寺の一角で発見されました」
「発見された? 変な言い方をしますね」
「そうとしか言いようがないんです。彼女は不思議な見つかり方をしましたからね」




