新第7話~焦がれる空と溶けた魔法~
「リーゼは今、何をしてるんだろう。今日会えたら良いな」
ハロウィン当日、私は街の賑やかな雰囲気に包まれながら散策していた。街全体が飾り付けられ、子供たちの楽しげな声が響いている。手に持ったパンプキンプリンと紅茶を味わいながら、その特別な雰囲気を楽しんでいた。
「うん、美味しい……」
一口ずつ味わいながら、幸せな気持ちに浸る。肩に乗っているミケも、尻尾を揺らして満足そうだ。
「ニャー♪」
「ミケも食べたいの?でもこれ、猫には甘すぎるかも」
「ニャー……」
ミケが少し残念そうに鳴く。その仕草が可愛くて、思わず頭を撫でてあげた。賑わっている街の様子を眺めていると、教会の子供たちが自分たちより少し大きめのカゴを持ちながらお店に入っていくのが見えた。お化けの仮装をする子や、御伽話に出てくるような悪魔を模した衣装を着る子供たち。その中に、一番後ろで楽しそうに微笑んでいるリーゼの姿を見つけた。
「リーゼ!」
心臓が急に跳ねる。――でも、その隣には。明るい茶色の髪をした、もう一人の修道士がいた。リーゼと並んで歩き、何か話しながら楽しそうに笑っている。 『……誰だろう』 少しだけ胸がざわついたけれど、リーゼが教会の子供たちと一緒にいるとわかると急いでプリンを食べ終わらせて、お店に向かって歩き出した。
「ニャー?」
「急がなきゃ!ミケ、しっかり掴まってて!」
ミケが私の肩にしがみつく。店に到着すると、私はドアを開けて中に入った。店内には、ハロウィンの飾り付けとお菓子の甘い香りが広がっていた。子供たちは楽しそうにお菓子をもらい、リーゼともう一人の修道士もその中で一緒に微笑んでいた。――やっぱり、一緒にいる。
「リーゼ、こんにちは!」
少し大きめの声で呼びかけた。リーゼは驚いたように振り向き、すぐににっこりと笑顔を見せた。
「ルナさん、偶然ですね」
その笑顔を見て、ほっとする。隣にいた茶髪の修道士も、穏やかな表情で私を見ていた。
「うん、偶然!それで、何をしているの?」
「ハロウィンの恒例行事です。お菓子をもらうイベントなんですよ。『Trick or Treat』って言って、大人たちからお菓子をいただくんです。ルナさんも一緒にやりませんか?」
「私もやりたい!着いていってもいい?」
リーゼが隣の修道士に目を向ける。
「フィリスさん、ルナさんも一緒でよろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです。ルナさん、よろしくお願いします」
フィリスと呼ばれた修道士が、丁寧に頭を下げた。肩まで長い明るい茶色の髪に、優しい黄玉の瞳。少し大人しそうな雰囲気だけど、笑うと目が細くなってとても穏やかな印象だった。
「私はルナ・ナナホシです!よろしくお願いします!」「ニャー♪」
ミケも元気よく挨拶する。フィリスは少し目を細めて微笑んだ。
「はい、存じ上げております。ルナ・ナナホシさん。いえ、魔法少女ビビット・マジカさんと呼んだほうがいいでしょうか?」
「え?」
思わず声が漏れる。
「リーゼさんから何度もお話を伺っています。裏路地で助けてくれたことや一緒に買い出しを手伝ってくれたことも。あと決闘試合でAランク冒険者に勝ったことも!」
胸がどきりと跳ねた。
「……な、何それ」
ちらとリーゼを見ると、彼女は少しだけ頬を赤くしている。
「フィリスさん……」
「とても勇敢で少し無鉄砲で、でも優しい方だと聞いております」
「ちょ、ちょっとリーゼ!?」
思わず声が大きくなる。フィリスはくすりと笑った。
「この街であなたのことを知らない人はいません。ずっとお会いしてみたいと思っていました。本当に……面白いお方なのですね」
からかうような響きはない。ただ穏やかで、まっすぐな声音だった。でも――リーゼの中に私の知らない"時間"があることを、その一言で急に実感してしまった。 するとリーゼが子供たちに目を向けた。
「みなさん、お姉さんが着いて来たいそうですよ」
「お姉さん、一緒に行こう!」
「猫ちゃんも一緒だ!」
「ニャー♪」
ミケが子供たちに向かって元気よく鳴いた。子供たちは目を輝かせて、ミケに手を伸ばす。
「あ、あははっ。うん、一緒に!」
私たちは子供たちに手を引かれ、一緒にお店のスタッフに向かい楽しく『Trick or Treat』と声をかけた。スタッフがにこやかにお菓子を手渡してくれると、私は嬉しそうにそのお菓子を受け取るのだった。
「わあ、たくさんのお菓子!おばあさん、ありがとうございます!」「いえいえ。子供たちの天真爛漫さに私たち大人は元気をもらっているんだもの、このくらいはしてあげなきゃね?」「ニャー」
ミケも礼儀正しく鳴いて、おばあさんに頭を下げる仕草をした。
「まあ、この猫ちゃんも賢いのね!」
「ありがとうございます。また買いにきますから」
「そうしてくれるとありがたいわ。またリーゼちゃんの顔見たいしねえ」
*
「ばいばいおばあさん!また来ます!」
「はいはい、ルナちゃん頑張ってね」
子供たちと共にお店を出た後、私はすぐにリーゼにお礼を言った。
「リーゼ!私、こんなこと初めて!だから、ありがとう!」
「どういたしまして。今日は一緒に楽しみましょうね」
「うん、そうする!」
子供たちと一緒に他のお店にもお菓子を貰いに行った。次のお店では、パン屋が焼きたてのクッキーをくれた。
「Trick or Treat!」
「はいはい、元気な子たちだねえ」
パン屋のおじさんが笑顔でクッキーを配る。その時ミケが私の肩から飛び降りて、子供たちの間を器用にすり抜けていった。
「ミケ?どこ行くの?」
「ニャー」
ミケは店の奥を指差すように前足を上げた。よく見ると店の隅で一人、小さな女の子が寂しそうにしていた。両手をぎゅっと握ったまま、みんなの様子を見ている。声を出すタイミングを、ずっと探しているみたいだった。
「あ……」
私はミケの意図を理解した。リーゼも気づいたようで、優しく微笑む。
「ねえ、君も一緒に行こうよ」
私が声をかけると、女の子は驚いたように顔を上げた。
「え……でも、私……」
「一緒に行こう!ハロウィンはみんなで楽しむものだよ!そうでしょう、リーゼ?」
「はいっ、一緒に行きませんか?」
ミケが女の子の足元に歩み寄り、優しく鳴いた。
「ニャー」
女の子の表情が、ぱっと明るくなる。
「……うん!お父さん、ついて行ってもいい……?」
「ああ、いいよ。楽しんでおいで」
「やった……!……行ってきます!」
「よかった……。お名前を教えてくれますか?」
「……エマです」
「エマちゃんですね。覚えました。よろしくお願いします」
フィリスが女の子の名前を優しく尋ねた。その優しい笑顔に、エマちゃんは嬉しそうに頷いた。みんなと共に過ごす時間はとても楽しく、リーゼと一緒にハロウィンの特別な雰囲気を楽しんだ。リーゼが子供たちと一緒にいる姿が、私にはとても心温まる光景に映った。 次のお店、そのまた次のお店と、私たちは街を巡っていく。ミケは時々私の肩から降りて、子供たちと一緒に走り回っていた。
「ミケ、楽しそうだね」
「ニャー♪」
リーゼが優しく笑う。
「ミケちゃんも、子供たちに人気ですね」
「うん!ミケは本当に賢いから」
そして、甘い香りが漂う出店の前に差し掛かった時だった。
「わあ!いい匂い!」
「リーゼお姉ちゃん、あれ食べたい!」
「私も!」
リーゼとフィリスが顔を見合わせて、微笑む。
「では、みんなで買いましょうか」
「はい。子供たちの分は、私が数えますね」
フィリスが子供たちの名前を一人一人呼びながら、人数を確認していく。
「エマちゃん、トムくん、リリーちゃん……」
一人も漏らさず、丁寧に。その様子を見て私は少し驚いた。
「フィリスさん。今日会った子ばっかりなのに、もう全員の名前覚えたんですか?」「はい。大切なことですから」
フィリスは穏やかに微笑んだ。その笑顔は、とても優しくて――少しだけ、手が冷たそうに見えた。
「私も頼もうかな。すみませんー!」
「ルナさん」
「リーゼ、どうしたの?」
「今日は私に払わせてください。ルナさんはお客様ですから」
「いいの?」
「はい、いつも助けていただいていますし。今日は、私たちからのお礼です」
「えへへ、ありがとー!」
屋台に着くとリーゼが革袋から硬貨を取り出し、私の分を含めた人数分頼んだ。焼きたての菓子と、琥珀色の茶をひとつずつ受け取る。表面にまぶされた砂糖が、夕陽を受けてきらめく。少しだけ焦げた端が、思いがけずほろ苦い。子供たちは口のまわりに砂糖をつけたまま、無邪気に笑っている。
「美味しい!」
「あったかい!」
「ルナさん、お口に合いましたか?」
フィリスが優しく尋ねてきた。
「はい!とっても美味しいです!」
「それはよかったです」
リーゼが紅茶をひと口飲み、ほっと息をつく。
「温かいですね」
「ええ。冷えてきましたから」
フィリスは両手で茶を包み、白い息を吐いた。
「フィリスさん、寒いんですか?」
「少しだけ。でもこのくらい慣れっこですから」
そう言って、今度はちゃんと私を見て笑った。子供たちが菓子を食べ終えると、また駆け出していく。足元でくつろいでいたミケもその後を追い、鈴のような声が響く。
「ニャー♪」
私も追いかけようとして――ふと足を止めた。少し離れた場所で、リーゼとフィリスが何か話している。二人とも笑顔で、時折頷き合っている。その様子は、とても自然で――息が合っていて。胸の奥が少しだけ熱を持った。温かい紅茶のせいじゃない。喉を通った温もりとは違う、名前の知らない熱だった。
「ニャー?」
ミケが戻ってきて、私の足元で心配そうに鳴いた。
「大丈夫だよ、ミケ」
「さあ、次のお店に行きましょう!」
リーゼの明るい声に、私は我に返る。
「う、うん!」
「ニャー……?」
ミケは「大丈夫?」と心配してくれているかのように小さく鳴いた。まるで見透かされているように感じた。
「大丈夫だよ、ミケ」
――私は、何を感じているんだろう。リーゼと一緒にいるのは楽しい。子供たちと過ごすのも楽しい。なのに、どうして――
「さあ、次のお店に行きましょう!」
リーゼの明るい声に、私は我に返る。
「う、うん!」
私はミケを抱き上げて、みんなの後を追った。ミケは私の腕の中で、じっと私の顔を見つめていた。
「ニャー……」
その鳴き声は、いつもより少しだけ優しかった。
*
日が傾き始め、空が橙色に染まりはじめた頃。
「それでは、順番にお家まで送りましょう」
リーゼがそう言うと、子供たちは元気よく返事をした。私は自然とその列の後ろに回る。最初の家に着くと、小さな男の子が振り返った。
「リーゼお姉ちゃん、今日は楽しかった!」
「それはよかったです。帰ったらちゃんと手を洗ってくださいね」
「はーい!」
玄関から出てきた母親が、深々と頭を下げる。
「いつもありがとうございます、リーゼさん、フィリスさん」
「いえ、とんでもありません。皆さんが楽しんでくださるのが一番ですから」
柔らかく微笑むリーゼ。フィリスも、穏やかに頷いている。そのやり取りは慣れていて、自然で。私は少しだけ離れた場所から、その光景を見ていた。――ちゃんと、信頼されてるんだ。 二軒目、三軒目。どの家でも同じだった。子供たちはリーゼとフィリスに手を振り、大人たちは感謝の言葉を伝える。リーゼは一人一人の名前を呼び、今日の様子を少しだけ添えて返す。フィリスは、子供たちの小さな変化にも気づいて、優しく声をかけていた。
「エマちゃん、今日はたくさん笑っていましたね」
「うん!楽しかった!」
「それはよかったです。また一緒に遊びましょうね」
私は気づいた。今日一日、私は"遊びに来た人"だった。でもリーゼとフィリスは――ここに、ちゃんと根を張っている。街の人にとって必要な存在で、守る役目を持っていて。みんなのリーゼ。みんなのフィリス。最後の子を家に送り届け、扉が静かに閉まった。
「これで全員ですね」
リーゼが小さく息を吐く。
「お疲れ様」
そう言うと、リーゼは少し驚いた顔をしてから、優しく笑った。
「ありがとうございます。ルナさんも、最後まで付き合ってくださって」
「はい。ルナさんのおかげで、子供たちも喜んでいました」
フィリスも、穏やかに微笑む。その笑顔を見て、胸がまた少しだけ締めつけられる。私は今日、楽しかった。でもリーゼとフィリスにとって今日は"仕事"でもあった。守る立場。支える立場。――すごいな、リーゼ。茜色に染まり始めた空の下、私たちは教会へ向かって歩き出す。その途中で、私はようやく気づいた。独り占めできなかったから寂しいんじゃない。リーゼが、こんなにも大きな存在だと知ってしまったから。その世界に、私はまだ半歩しか踏み込めていない。それが――少しだけ怖かったんだ。
「今度は、私がリーゼを送る番だよね?」
「いえ、私がルナさんをお送りします。今日は付き合っていただいたのですから」「だめ。リーゼ、今日ずっと頑張ってたでしょ? だから最後くらい、私にさせて」
一瞬だけ目を丸くしたあと、リーゼは柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます。では、お願いしますね。私の英雄さん」
その呼び方に、胸の奥がくすぐったくなる。そうして教会に至る階段が見えてきた。
「では先に司祭様に報告してきますね」
「私も行きます」
「リーゼさんはまだやるべきことがあるはずです。それではルナさん、ごきげんよう」
フィリスが丁寧に頭を下げた。
「フィリスさん、今日はありがとうございました!」
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました、ルナさん」
フィリスは優しく微笑んで、階段を登っていった。昼の賑わいは遠ざかり、足音だけが石畳に残る。それはきっと、今日という"夢"の終わり。何かが終わってしまう気配は、どうしてこんなに寂しいんだろう。――まるで、魔法が解ける時間みたいに。 初めてお母さんに聞かせてもらった御伽噺は十二時の鐘が鳴る瞬間、魔法のドレスが消えてしまうという話だった。今日という特別な日も同じだ。夢のような時間はいずれ終わる。少しだけ切なくて、でも確かにあたたかい帰り道だった。
「今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました、ルナさん」「うん、私も!」
本心だ。嘘じゃない。
「また……会えるよね?」
「もちろんです。また一緒に遊びましょう」
ほっとした。なのに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
「それでは、また」
リーゼが階段を登っていく。手を振ろうとして――手が、重い。
「……うん。また」
扉が閉まる。胸の奥に、ぽつんと小さな空白が残る。その味は焦げたキャラメルのようにほろ苦かった。肩の上でミケがすっかり眠り込んでいる。いつから寝ていたのだろうか、小さな寝息が静かな夜に溶けていく。
「帰ろう、ミケ……」
空は完全な黄昏に変わり、街に長い影を落としていた。灯籠にひとつ、またひとつと火が燈る。昼の賑わいは嘘みたいに遠ざかり、静かな冷えが足元から忍び寄る。肩の上でミケがすっかり眠り込んでいる。
「なんだ、寝てるんだ……」
リーゼは、きっと今も教会の中で誰かの名前を呼んでいる。誰かに必要とされて、誰かに笑いかけている。私は知ってしまった。あの人の世界は、私がいなくても回るのだということを。雲が最後の茜を飲み込んでいく。今日の月は、姿を見せない。私は教会を背に歩き出す。胸の奥に残ったそのほろ苦さに名前もつけられないまま。




