第34話〜雷雨の森の少女〜
「どうしますか、ルナさん? どれも大変そうな依頼ですけれど」
「雷狼の討伐に…盗賊団の制圧? どっちも私たちだけで依頼達成できるかな?」
冒険者協会の掲示板の前に立つとリーゼとマーヤは一様に眉をひそめた。掲示板には、様々な依頼書が掲示されているが、どれもこれも経験の浅い私たちには手が出せそうにない内容ばかりだった。
「そういう依頼ばかり…Eランク向けってないのかな…」
マーヤが肩を落としてつぶやくと、ルナは思わずため息をついた。私たち三人はまだまだ経験が浅い冒険者。ひとつひとつの依頼に対して慎重にならざるを得なかった。
「すみません! 失礼します!」
その時、受付嬢が慌てた足取りで駆け寄ってきた。長い金髪を揺らし、どこか焦った表情をしている。
「ラジエル様、いらっしゃいますよね?」
受付嬢は、私たちをすり抜けるようにしてラジエルの前に立つと、息を整えながら言葉を続けた。
「私がラジエルだけど」
「ギルドマスターが至急、お会いしたいと仰っています。どうか、ご足労を……!」
ラジエルは穏やかな微笑みを浮かべて頷いた。
「わかったわかった。とりあえず落ち着いて?」
受付嬢は安堵したように微笑み、私たちに視線を向けた。
「お連れの方もどうぞ。一緒にいらしてください、とのことです」
*
冒険者協会の奥、普段は立ち入ることのない会議室に案内されると、私たちは少し緊張していた。部屋の中央に置かれた長机の向こうには、ギルドマスターのアレンが待っていた。
「アレン支部長。ラジエル様とお付きの方三人をお連れしました」
「入ってくれ」
「失礼します」
私たちは扉を開けると、一人の五十代前半ほどの男性が見えた。アレンと呼ばれたその男性は、整えられた短い髪と鋭い目が印象的で、戦士のように筋肉質な体格をしており、その存在感だけで圧倒されそうだった。
「ようこそ、ラジエル。久しぶりだね、元気してたかい?」
「わざわざ挨拶をするためだけに呼んだのかい?」
「流石に今回は違うさ。かなり厄介なモノを頼みたい」
「どんな内容なのかな?」
アレンは私たちを見渡し、椅子に座るよう促した。
「今回、君たちに依頼したいことがあってね」
そう言いながら、アレンは地図を広げた。それは、ロンディムから南西に広がる平原の森を示していた。
「この森で、数週間前から異常気象が続いている。雷雨が止まず、村では行方不明者が相次いでいるんだ」
「雷雨が止まない……」
リーゼが地図を睨みながら呟いた。
「さらに、“ブラックドッグ”の目撃情報がある」
アレンの言葉に、私たちは息を呑んだ。
「ブラックドッグ?」
マーヤが首を傾げると、ラジエルが代わりに答えた。
「ブラックドッグは死者を求めて駆ける妖精。現れる場所には必ず災厄が付きまとう、だったよね」
アレンは静かに頷き、重い声で続けた。
「このままでは、さらなる被害が出るだろう。さらに、この森には唯一の生存者である少女がいると聞いている。彼女を保護することも、今回の依頼に含まれている」
「なるほど。それは天使が動かなければならない案件だね。この依頼、引き受けよう」
アレンは安堵したように頷いたが、私たちは驚きを隠せなかった。
「ラジエルさんが……直接?」
私は思わず問いかけた。ラジエルは基本的に私たちを見守る役目をしている。そのラジエルが天使として動くということは、私たちは今回の依頼に参加できないということだ。
「この事態は放置できない。天使の規定の中に、大セブンス島由来の災害に対してどんな事情があろうとも対応しなければならないという決まりがあるんだ」
アレンは深いため息をつき、頭を下げた。
「このロンディムの地、そして大セブンス島の未来のために、君たちの力を借りたい」
ラジエルは穏やかな微笑みを浮かべながらも、きっぱりと答えた。
「ただし、この三人も連れていくけどいいかい?」
「えっ、私たちが……?」
マーヤが驚きの声を上げる。
「大丈夫か? Eランクの冒険者だと聞いているが」
「サポートをさせるだけだ。それにヘルメス教団ルティナ支部の討伐経験もあるし、ルティナのギルドマスターからの推薦状もある」
「わかりました、ラジエルさんを信じましょう」
「ということだ。三人とも、明日出発するから準備をしておくように」
「わかりました」
リーゼがしっかりと答える。私もマーヤも頷きながら心を決めた。経験の浅い私たちだが、だからこそ、この依頼を通じて成長したいと強く思った。
*
翌日、私たちは雷雨に覆われた森の入り口に立っていた。黒雲が空を覆い、止むことのない雨がしとしとと降り続けている。雷鳴が轟き、大地が震えるたびに、心臓が跳ねるようだった。
「これが……依頼の場所…」
リーゼが言葉を絞り出す。
「ラジエルさん、本当にダメな時は頼みますね!」
声を震わせながらマーヤが問いかけると、ラジエルは微笑んで答えた。
「もちろん。でも、できるだけ自分たちの力で解決してみて」
ラジエルの言葉に私たちは改めて気を引き締めた。その時、突然、森の奥から聞こえる不気味な遠吠え。それは、今回の試練の始まりを告げているかのようだった。
「よし、行こう!」
私たちは足を踏み出した。冷たい雨が肌を刺し、湿った空気が全身にまとわりつく。進むにつれて、不気味な静けさが増していった。風が木々を揺らす音さえも聞こえない。ただ、遠くで雷鳴が響き渡っていた。
「ブラックドッグ…ブラックファングとは関係のない妖精…」
「妖精って御伽話の中だけの話だと思ってたけど、実際にいるんだね」
「妖精は良い存在だと思ってましたが、厄介な妖精もいるんですね…」
私たちが木々の間を進んでいくと、突然、震える一人の少女が現れた。
「君、大丈夫!?」
私は駆け寄り、少女に手を差し伸べた。びしょ濡れで泥だらけになったその少女は、怯えた目で私たちを見上げていた。
「名前は…?」
「エリス…エリス・レオンハート…」
彼女の髪は黒に茶色が混ざったようなポニーテールで、赤いリボンで結んでいた。淡い緑の襟足にダブルブレストの衣装に膝下まであるスカート、黒ベースに赤いリボンで結ばれている可愛らしいロングブーツを履いた少女は泥に塗れ、服の至る所が破けてボロボロになって木に座り込んでいた。彼女の琥珀のような瞳からは涙がこぼれ落ちていたのだった。




