第31話〜試練と団欒〜
「うわあっ!危なかった…」
黒い影が目の前に迫ってきた。私は咄嗟に身を翻し、その巨体をかわす。魔物――獰猛な牙をむき出しにしたレッドベアが、再び爪を振り下ろしてくる。魔力結晶が尽きている今、私に使えるのは短剣とローブに残っている僅かな魔力だけだ。
「くっ…!」
短剣を手に、私はレッドベアの横を素早く駆け抜け、勢いよく斬りかかる。だが、その硬い皮膚はなかなか傷をつけることは出来なかった。ローブに溜まっているわずかな魔力を身体強化に使っているが限界が近い。連撃を繰り出すたびに、少しずつ魔力が減っていくのが分かる。
「うわ、固っ!?」
「ルナさん、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫、リーゼはどうなの?」
「私も大丈夫です!」
リーゼの声が遠くから響いたが、振り返る余裕はない。再度降り下ろされる爪を回避しながら返事をした。リーゼも今、別の魔物と戦っている。彼女も懸命に詠唱しながら、必死に魔法を放っている。マーヤはラジエルに基礎を教わっている最中だから今ここにはいない。だから今、私がこのレッドベアを、どうにかしなければ死んでしまう可能性があった。
「まだやれる…!」
自分に言い聞かせ、再び短剣を握り直す。身体強化の魔力が完全に切れる前にこの戦いを終わらせなければ。私はレッドベアの動きを読み、タイミングを見計らいながら再び攻撃を仕掛けた。
「そっちじゃないよ!」
レッドベアが爪を振りかぶった一瞬の隙を突いて、その背後に回り込んで抱きついた。短剣を握りしめ、思い切り顔に突き刺し抉った。レッドベアは激しい痛みに襲われ暴れ出す。抱きついたままの私はダメージが入ったことへの気の緩みのせいで吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。
「うぐっ…!」
目がチカチカする中、宿敵の状態を確認する。今再度攻撃されたら死ぬかもしれない。今私を動かしているのはこんなところで負けたくないという執念と死にたくないという恐怖だった。
「次喰らったら本当に死ぬ…だから次で決めなきゃ…!」
私はその裂け目をさらに広げるようにもう一撃を加える為隙を伺う。だがレッドベアの巨体がぐらりと揺れ、そして崩れ落ちた。息を切らしながらも、勝利の実感が湧き上がる。
「倒した…の?」
私は短剣を鞘に納め、一息つく。だが、まだ終わってはいない。リーゼも、魔物と戦っていたはずだ。
「リーゼ!大丈夫?」
私はリーゼの方へ駆け寄る。しかしリーゼの元に着いた頃には終わっていた。巨大な狼の姿をした魔物ブラックファングを相手に光の矢のような魔法が降り注いでいた。ブラックファングは全身に風穴が開き、ようやく力尽きたようだ。
「…なんとか、倒せました。」
リーゼは息を切らしながらも、誇らしげに微笑んだ。二人とも苦戦しながらも、勝利を手にした。
「やったね、リーゼ!」
私は笑いながら彼女に近づき、手を差し伸べた。彼女も笑顔でその手を握り返す。
「ルナさんもお疲れ様です。随分苦戦してましたね…」
「そうだね…。奥の手が使えない中での戦闘ってこんなにキツかったんだね」
「私も魔法詠唱と敵の攻撃の回避を常にしないといけないのでかなり厳しかったです…」
「魔石も手に入ったし、そろそろ戻ろうか」
「そうですね」
馬車の方へ戻ると、ラジエルとマーヤがすでに焚き火の前で夕食を作っていた。私たちはその光景にほっとし、二人で座り込んだ。
「お疲れ様。随分と長い戦いだったな」
ラジエルが微笑みながら私たちに声をかけた。
「うん、でもなんとか倒せたよ。魔石もゲットできたしね」
私は手のひらに転がる魔石を見せた。
「おお、じゃあようやく魔法結晶が作れるんだね」
「流石に今日は疲れたから明日に回すけどね。それで、今日は何を作ってるの?」
「シチューです…!ルナさんリーゼさんの為にたくさん作りました…!戦いの後にしっかり食べないと体がもたないとおもったので」
マーヤがほわんとした口調で言いながら、鍋をかき混ぜている。相変わらずのんびりした様子で、その落ち着きがなんだか安心感を与えてくれる。
「ありがとうございますマーヤさん、助かります」
リーゼは微笑みながらマーヤの頭を撫でるのだった。その後、四人で団欒しながら夕食を楽しんだ。
*
夕食を終えた後、私はローブの洗濯をしようと小さな川へ向かった。月明かりが川面を照らし、夜の静寂が心地よい。ローブを水に浸し、優しく擦りながら、私はひとり旅の疲れを忘れるように作業に没頭していた。しばらくして、背後から足音が聞こえた。
「ローブの洗濯、大変ですね。」
振り返ると、リーゼが立っていた。彼女は少し眠れないのか、私のところに来てくれたようだ。月の光が彼女の横顔を照らし、その表情はどこか儚げに見えた。
「まあね。でもこのローブ、大事なものだから頑張らなきゃね」
私は手を止め、微笑みながらローブを絞った。
「大事なもの?」
リーゼが少し興味を引かれたように聞いてきた。
「うん。これ、お母さんからのプレゼントなの。私が魔法少女になった記念に、特別に作ってくれたの」
そう話すと、リーゼの表情が一瞬曇ったように見えた。
「羨ましいですね。私にはお母さんがいないので、そういう思い出って憧れます」
彼女の言葉に、私は少し慌てた。
「あっ、ごめんね。辛いこと思い出させちゃった?」
「いいんです。もう慣れましたから。お母さんのことも、昔のことも…」
けれど、その笑顔は少し寂しそうだった。彼女は川辺にしゃがみ込み、夜空を見上げていた。その仕草に、私の胸が少し痛んだ。
「ねえ、リーゼ」
私は静かに口を開いた。
「私ね、実は魔法使えないんだ」
唐突な告白に、彼女は驚いたように私を見た。
「でも、ルナさん。魔法少女として戦ってるじゃないですか?」
「そうだよ。でもね、変身してる時だけなの。それ以外の時は、全然魔法が使えないの」
そう言って、私は少し苦笑いを浮かべた。
「だから、こうして普通に手で洗濯するしかないし、魔法で便利に何かすることもできないんだ」
リーゼは少し考え込むような顔をしてから、私に視線を戻した。
「でも、それでもルナさんはすごいと思います。変身してる時だけでも、あれだけ戦えるんだから」
「そうかな…でもやっぱり、リーゼみたいに自然に魔力を使えたらいいのにって思っちゃう」
私が素直にそう言うと、リーゼは少し照れたように微笑んだ。
「そんな風に思ってくれるなら、私の魔法でお手伝いしますよ」
「本当?じゃあ、お願い!」
私はローブを指差しながら、少し笑って見せた。
「洗濯は終わったけど、乾かすのが時間かかっちゃうからね。お願いしてもいい?」
リーゼは頷き、手を伸ばした。
「じゃあ、温風で乾かしますね」
そう言うと、彼女は静かに詠唱を始めた。すると、温かな風がローブを優しく包み込み、あっという間に乾いていった。
「さすがリーゼ、ありがとう!」
「いえ、それくらいお安い御用です。それに…ルナさんの大事なものですから」
彼女の穏やかな声に、私は少しホッとした。リーゼもどこか嬉しそうに微笑んでいる。月明かりの下、乾いたローブを手にしながら、私はふと考えた。魔法が使えない自分だけど、それを補ってくれる仲間がいる。この旅は、きっとひとりでは乗り越えられない。だからこそ、リーゼやマーヤ、そしてラジエルと一緒に歩むことが何より大切なんだ。
「よし、明日からも頑張ろう」
私はローブを抱え、夜空に輝く星々を見上げた。その輝きは、私たちの未来を照らしているように感じられた。
*
私とリーゼは馬車の方へ一緒に戻ると焚き火の光がまだちらちらと燃えていた。どうやらラジエルはまだ起きていたようだ。
「早く寝るんだぞ。明日も長い一日になるからね」
ラジエルの優しい声に私たちは素直に頷き、寝袋に包まれた。
「おやすみなさい、ルナさん…」
「おやすみリーゼ」
リーゼが隣で静かに言った。私は眠気に包まれながら、ぼんやりと彼女に答える。
「ルナさん。もう一つ聞きたいことがあって…」
リーゼが隣で声を落として話しかけているのが、ぼんやりとした意識の中でかすかに聞こえた。でも、私のまぶたはもう重たく、リーゼの声が遠く感じた。意識が薄れていく中で、私はリーゼの言葉を最後まで聞くこともできずにそのまま夢の中へと堕ちていった。
「機会があればでいいですね。おやすみなさいラジエルさん」
「ああ、おやすみ」
リーゼは小さくため息をつき、そっと目を閉じた。夜の静けさが私たちを包み込み、星々が静かに瞬いていたのだった。




