天才少年は缶コーヒーから量子力学を学ぶ
「なろうラジオ大賞4」応募作品です。
現代恋愛。ハッピーエンドではないです。
「……なるほど。つまり電子というのは人に観測されることによって自身の形態を波長から粒子に変えてしまうと」
「その通りだ。
視る、あるいは撮影するという行為が電子に影響を与えているのか、もしくは視るという光に干渉する行動が電子に何らかの影響を与えているのかはまだ分かっていない」
放課後の教室。
夕焼けに染まる白いカーテン。
二人だけの教室。
教師と生徒。
「光をもってでしか観測・記録ができない人類にはそれを証明するのは難しいですね」
「そうだ。だが、偉大な先人は電子のその状態を重なり合っていると表現した」
「……波の状態と粒の状態の現実が同時に重なるようにして存在しているということですね」
「そうだ。それが量子コンピュータの基礎原理だ」
「……なるほど」
一人は研究者としての将来を嘱望されながらなぜか中学校の教職を選んだ女教師。
一人は天才と言われ、放課後に特別授業を受けている中学生。
「……量子力学は奥が深い」
「……」
そう言って窓の外の夕日を眺める教師に彼は見惚れる。
それが気恥ずかしくなって教師に奢ってもらった缶コーヒーを口に含む。
苦いブラックコーヒーのはずが、今はなぜだか少し甘く感じた。
「……こうして君に特別授業をするのも、あと少しだな」
「……え?」
教師の突然の言葉に彼は缶コーヒーを傾ける手を止めた。
「結婚するんだ。
ここに、新たな命もいる」
教師は少し照れたようにそう言うと、彼が見たこともないような表情で自らの腹を撫でた。
慈しむ、という表現が最もしっくりくるなと彼は思ったりした。
「……」
教師がカーテンを引くと茜色だった教室が暗く染まる。
教師はすぐに電灯をつけたが彼の視界は暗いままだった。
「今日はもう終わりにしよう。
……あまり体を冷やすなとうるさくてな」
照れくさそうに語る教師の姿に、彼は誰がそれを言ったのか嫌でも分かってしまった。
「資料を片付けてくる。君ももう帰りなさい」
「……はい……あ、あのっ!」
「ん?」
荷物をまとめて教室を出ていこうとする教師を彼は呼び止める。
「……お。おめでとう、ございます」
「……ん。ありがとう」
うつむく彼に教師は嬉しそうに笑うと教室から出ていった。
「……」
彼は手に持っていた冷めた缶コーヒーを一口飲む。
「……にが」
それは、今までのどのコーヒーよりも苦く感じた。
「……今の僕が観測しているから、おまえは僕に苦味を感じさせたのか?」
彼の問い掛けに答えてくれるものはいなかった。