リーマン✕親子
俺の名前はタカナシ テッペイ、その辺の一般企業に勤務しているサラリーマンだ。
繁忙期終盤というのもありここ最近は泊りがけの残業続きだったが、明日は久しぶりに休日をもらえたので今はかなり浮かれている。
「にしてもこれは流石に浮かれすぎたな。色々と買いすぎだろ……」
コンビニ袋にパンパンに詰まった、酒やらお菓子やらつまみやらを片手に呟く。連休前のこの夜こそが人生で最も幸福な時だと自負している俺は、その宴の時間を最大限楽しもうとして羽目を外しすぎてしまったのだ。
「しかもこれだけ色々買ったのに夕飯は買い忘れてるとか、何してんだ俺」
酒とお供なら大量にあるが、肝心の夕飯を忘れるという失態に一人馬鹿みたいに笑っていた。
と、そんな事を嘆いていると、どこからか物凄く美味しそうな香りが漂ってくる。
「お、あれはおでんの屋台か。へぇー、こんな所でもやってるんだな。せっかくだし夕飯はあそこで頂くとするか!」
小さな明かりに照らされたおでんの屋台を見つけた俺は、迷うことなくお邪魔することにした。
「なぁお客さん、お金持ってないってどういうことだよ?」
「す、すみません。でもこの子がもう丸一日何も食べてなかったから、どうしても何か食べさせてあげたくて……」
「ごめんなさい……」
「だからってやっていいことと悪いことがあるだろうが。親ならその辺しっかりしなきゃいけないんじゃないのか?」
「本当にすみません……」
屋台に近づくと、何やら揉めているような声が聞こえてきた。屋台の親父さんと、客は子供連れの母親か。なんかちょっとみすぼらしい見た目をしている。
「どうも、何かあったんすか?」
「ああいらっしゃい。実はね……」
屋台に入ると親父が事情を話してくれた。どうやらこの親子は食べたおでんを払える代金を持っていなく、無銭飲食になっているんだとか。
確かに申し訳ないけど、随分生活に困ってそうな見た目をしているからな。子供のために無理をしてしまったってところか。
「そうですか。じゃあここのお金は俺が持ちますよ」
「えっ?な、何を言っているんですか。見ず知らずの人にそんな……」
「でも払えなきゃあんた達も親父さんも困るでしょ?俺もこんな気まずい雰囲気の中おでんを食いたくはねぇし、残業続きで金には困ってないから気にしなくていいですよ」
子連れの親はその申し出を遠慮しようとしてきたが、有無を言わさず親父に金を握らせることで無理やり解決した。
今の俺は金銭面に余裕はあっても精選面に余裕はない。だから金で解決できる問題ならさっさと片付けて夕飯にありつきたいのだ。
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとうお兄ちゃん!」
「いえいえ、気をつけて帰ってくださいねー。親父、おでんいくつか見繕ってよ、あと酒も」
「かわった兄ちゃんだなぁ……あいよ!」
親子からのお礼をさらっと流した俺は、親父におでんを頼んでありつく。寒空の中で食うアツアツのおでんと焼酎が五臓六腑にしみわたった。
「美味いな~、ここのおでんは最高だよ親父」
「ははっ、俺も兄ちゃんみたいな面白い客に出会えて今日は妙な気分だぜ」
「ああさっきのこと?あんなのただの偽善だよ。まぁそれでも良いことをした後の酒は、いつもより少し美味く感じたけど」
「だろうな。また来いよ~」
「あーい」
食事を終え、親父と軽く雑談を交わした俺は再び帰路についた。少し酒が入ってフワフワとしたいい気分だ。今日はこのまま深夜遅くまでゲームでもやり込もう。
翌朝、と言っても昼の少し前という若干遅い時間に俺は起床した。何だろう、なにやらとてもいい香りがする。それでいてどこか懐かしい温かみのある匂いだ。
「あ、おはようございます。もうすぐ朝食ができますので少し待ってて下さいね」
「ああ、これはどうもありがとう――って誰!?」
匂いの正体について考えていると、突然何者かの声が聞こえてきた。無意識に返事をしたが、訳が分からなくてめちゃくちゃ怖い!
え?ちょっと待ってホントに誰?俺は一人暮らしだから同居人はいないし、朝食を作ってくれるような親しい関係の相手もいないはずだぞ!
「おはよーお兄ちゃん!」
「どわぁっ!」
見知らぬ女性の声が台所が聞こえてくるというホラー現象に心臓が止まりそうになっていると、突然何か小さいものが背後から飛びついてきた。
今のはやばい。本気で一瞬心臓が止まった!
「何なんだ一体!ってあれ?君は昨日の子ども、それにあんたは昨日の……!」
「うん、そうだよー」
「改めて昨日は本当にお世話になりました」
意を決して振り向き飛びかかってきた人物を引き剥がすと、そこにいたのは幽霊でもオバケでもなく、昨日屋台で出会った女の子だった。そして台所からはその親も顔を覗かせてくる。
幽霊じゃなかったのはホッとした。だがそれならば、何故この二人は俺の家にいるんだ?
「なぁ、何であんた達が俺の家にいるんだよ……?」
「え、忘れてしまったのですか?」
「昨日帰りにお兄ちゃんとまた会って、行くあてがないってリノが言ったら泊めてくれたんだよ」
「はぁ?そ、そうなのか?全然記憶にない……」
リノと言うのはこの女の子のことで、彼女曰く昨日は帰り道で再び出くわした際俺が家に誘ったのだとか。
そんな記憶は一切ないのだが、昨夜は相当浮かれて酔っていたからな。自分の記憶にはあまり自信がない。調子に乗ってそんな生意気なことを口走った可能性も十分有り得る。
「ごめん、悪いけど昨夜のことはあんまり覚えてなくて……」
「そうでしたか、では改めて自己紹介からですね。私の名前はイトウ チヨ、この子はリノです」
「俺はタカナシ テッペイです」
その後俺達は改めて情報交換をした。どうやらチヨさんは旦那のDVから逃れるために家を飛び出したが、その後所持金が尽きて働くあてもなくホームレスのような生活を送っていたらしい。
彼女は天涯孤独らしく頼れる親戚もいない状況で、俺の好意に甘えてお邪魔したんだとか。
しかしそう色々と話を聞いてもどうにもまだ信じられない。いくら酔っていたとはいえ自分がそんな無鉄砲な提案をする人間だったなんて。
「あの、やっぱりご迷惑だったでしょうか?だったら私達……」
「ああいや!大丈夫、ここにいていいよ。酔った勢いとは言え一度口にした言葉は取り消さない。しばらくは俺が面倒見るよ」
「本当ですか!ありがとうございますテッペイさん!」
「ありがとうお兄ちゃん!」
状況は訳が分からないが、それでもこうなってしまっては仕方ない。幸いにも今の俺には親しくしている人もいないので、当面は問題ないだろう。
厄介なのはDV夫だが、それも追い追い解決していけばいいさ。
「では私朝ごはんを作りましたので運んできますね」
「ああ、頂くよ」
チヨさんは嬉しそうに微笑み、パタパタとせわしなく朝食を用意してくれる。そんな家庭的な一面と幸せそうな笑みに、不覚にも俺は惹かれてしまった。
そうして、偶然出会った謎の親子と俺の同居生活は始まったのだ。
「じゃあ会社に行ってくるから、家のことはよろしく頼むよ」
「はい、行ってらっしゃいテッペイさん」
「気をつけてねーお兄ちゃん!」
チヨとリノに暖かく見送られたテッペイは、普段よりもやる気に満ちた表情で会社へと向かった。
「さて、ここまではうまくいきましたねリノ」
「そうだね~。あのお兄ちゃんがリノのパパなんだよね?」
「そうです、テッペイさんこそがあなたの本当のお父さんですよ」
テッペイが去った後、家に残った親子は二人顔を見合わせて薄い笑みを浮かべる。
家に転がり込んだのも、その前のおでん屋台で問答を繰り広げていたのも、全ては彼女達の企てた計画の一つに過ぎない。
「10年前、テッペイさんに出会って一目惚れをした私は、彼に薬を持って眠らせ既成事実を作ったんです」
「ってことは当時のパパはまだ高校生だよねー。ママのショタコ~ン」
「もう、仕方ないじゃないですか。たまたま知り合いの参加していた部活の大会を見に行った時、そこで試合に負けたのか悔し涙を流すテッペイさんを見つけたんです。あの時のテッペイさんの顔が私の心を狂わせ、そのまま私の初めてを捧げてしまったのですよ」
チヨはテッペイの悔し泣きする表情に嗜虐心を刺激され、そのまま近寄って彼の心を慰めた。
ただ知り合ったばかりの相手にこれ以上甘えるのはかっこ悪いと思った彼は、一旦その場を去ろうとする。
だが降って湧いた運命の出会いを逃してなるものかと、チヨはこんな時のために常備していた睡眠薬をテッペイに盛り、そのままリノを身籠ったのだ。
「それに当時の私もまだ20歳ですから、ちょっと年下好きな大学生ってだけでしょたこんではないですー」
「はいはい、そうですねー」
なんて冗談を言い合う二人には一切の明るさはなく、どす暗い影が顔を覆っていた。
「ただそのままテッペイさんに近づいても、私はただの強姦魔になってしまうだけですから、上手く取り入るためには計画が必要だったのですよ」
「そうだね、上手くいって一安心だよ」
彼女の言う計画、その第一段階はリノをもう後戻りができないところまで育てることだ。そうすることで罪悪感を芽生えさせ、その心に付け入るのである。
そして第二段階が昨夜のこと。おでん屋台で困っている親子を演じてテッペイの油断を誘い、守ってあげたいと思わせるか弱いポジションを確約させるのだ。
最後に第三段階は、テッペイの家に忍び込むというものである。泥酔し熟睡する彼の自宅に忍び込み、翌朝あたかもあなたが私達を招いたんですよと会話を誘導することで、弱みを握り一緒に生活するための口実を作り出した。
「でもおでん屋さんには悪いことしちゃったねー」
「ちゃんと口封じはしておきましたから、何の問題もありませんよ」
テッペイの油断を誘うために入念な下調べをしたチヨは、この日彼が夕飯目当てにどこかしらに入ろうとすることを予測した。
だから先回りをしておでん屋台の親父を脅し、あたかも困っている風を装ったのである。その後は予め、遅効性の睡眠薬を入れた酒を飲ますように促していたことで、夜中家に難なく侵入することに成功したわけだ。
ちなみに合鍵は当然のことのように取得済みである。
「ふふふっ、これからも計画はまだまだ続きますからね。リノもしっかりとこなして下さいよ?」
「もちろんだよ。大好きなパパを私達の沼に沈めてあげるっ!あったかいあったかい、極上の沼にね……」
全ての計画の初期段階が成功したことを二人は喜ぶ。これから先も更にテッペイお取り入るための計画は続いていく。
気づいた時にはもう抜け出せない。そんな状態までどっぷりとその沼に浸かる日は、もうすぐそこまで迫っていた。