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心の中にも目の前にもいてほしい

作者: 豆腐は手の上で切れなくていい

むっちんが逃げたのは,徳郎の79回目の誕生日だった。むっちんはコツメカワウソの3歳で,徳郎はとても可愛がっていた。コーラス会の友達の誕生日会の誘いも断り,家で自分の誕生日を密やかにむっちんと祝おうとしていた徳郎は,小学生の時に楽しみにしていた遠足が雨で中止になってしまったような,そんな気分になっていた。むっちんは愛くるしく,ただでさえ庇護欲をくすぐるのだが,徳郎が我が子のように溺愛するのには,訳があった。

去年,妻のふみえが息を引き取って以来,徳郎は、ふみえの魂がむっちんに宿っていると思い込んでいるのであった。ふみえの死後,むっちんはふみえの不在に戸惑うことなく生活していたし,何しろむっちんといると,ふみえといるような安心感があった。また,「私は死んじゃってもよ〜くとくちんを見てるよ」というふみえの残した言葉も,徳郎の思い込みをもっともらしいことのように感じさせるのに十分だった。ふみえがむっちんと似ていないところを挙げるとすれば,むっちんの方が少しだけ,ふっくらしているということくらいだった。



徳郎が大学生の時にお笑いの練習をしていたスタジオでアルバイトをしていたのが,ふみえだった。ふみえを初めて見た時は,そのスレンダーで首が長く,黄みを帯びた肌色から,イタチ科の動物が連想された。だから,ふみえとイタチを掛け合わせた,ふみちというあだ名をつけて,よくからかっていた。

スタジオ代が出せない徳郎に,店長が締め作業の間なら月三千円で貸してやると言ってくれて,ふみえは,店の締め作業の片手間に,徳郎がお笑いをしている様子を録音してくれたり,感想を言ったりしていた。

徳郎は,ふみえがいつも,笑いながら,面白くなかったと言うのが好きだった。どうして面白くないのに笑うのかと聞くと,「とくちんといると,自分の話していることがなぜだか面白く聞こえるんだよねぇ」と,言うふみえに,自分といるとふみえはずっと笑っていられるんだ,と徳郎は勝手に嬉しくなった。そして,ライブの客が笑ってくれなくても,ふみえ一人が笑ってくれればいいと思った。自分はふみえしか笑わせられないことに気づくために,口を真一文字に結んだお客の前で,お笑いをやっていたんだとさえ思った。

だから,ふみえが短大卒業とともにアルバイトを辞めるときに,「とくちんといるとさ,変なんだけどさ,笑っちゃって,こんな反応とくちん以外では起こらないから,私とくちんともう会えなくなっちゃうのやなんだよね」とふみえに言われたときは,徳郎がふみえだけしか笑わせられないように,ふみえは徳郎といるときだけ笑えるんだ。恋愛において,パズルがはまるっていう比喩は,こういうことを言ってるんだな,とやけに冷静に思ったのだった。そして,ふみえが細い体で引き笑いをして,呼吸発作のようになっているのを,一生心配し続けたいという気持ちになった。



カワウソ用のケーキなど売っているはずもなく,徳郎はフェレットフードを白い皿に円形に並べ,真ん中に煮干しでhappybirthdayと文字を形作って用意していた。むっちんを探し回る気力はどこかに行ってしまい,徳郎がhappybirthdayのpまで順番に煮干しを食べたところで,娘から電話がかかってきた。

「あっおとーさーん? お誕生日おめでとうー。何歳だっけ,えっと私が46だから,79か。」

娘のさらは,ふみえの死後2ヶ月ほどは妙に興奮していて,お母さんの写真をもっと撮っておけばよかっただの,あんながめつい病院に行くから変な治療をやらされたのだの,寝る前によく鼻水をじゅるじゅるいわせながら電話をかけてきていた。しかしふみえの死から十一ヶ月が経った今では,彼女なりに死を受け入れたみたいだった。ふみえの旅行記録ノートをインスタで公開したら反応がすごい返って来たとか,ふみえが残したものから新しいものを生み出すことで,癒しを感じているようだった。徳郎はむっちんが逃げたことを真っ先に言うつもりだったが,もう何十年も一緒に住んでいないとはいえ,さらの聞き慣れた,日常に埋もれてしまいそうな声を聞いていたら,なんていうこともない世間話しかできなくなってしまって,結局むっちんのことは言わずにスマホを置いた。

むっちんはもう帰ってこない。徳郎の心の奥底には,確信に似たものがあった。だから探す気持ちも起こらないし,寂しさだけがきりきりと身に訴えてくるのだと,納得していた。

フェレットフードは一度出したものは湿気るから袋に戻すのは躊躇したが,もう餌も用無しな気がして,出した分を袋に戻した。ふと,ふみえがまずい飯を食べていたら可哀想だと思って,閉めたジッパーをもういちどパカリと空け,一つ食べてみた。固くて土とビーフジャーキーと貝が混ざったような味でまずかったが,カワウソの味覚ではおいしいと感じるのかもしれないと思った。ふみえの生前,餌はマレーシアから輸入したものを使っていたのだが,ふみえなら国産がいいと言うだろうと思って,ふみえがいなくなってからは,Amazonで1.5キロパックの国産フェレットフードを定期的に注文しているのだった。


むっちんがいなくなってから,徳郎は三時になるとフェレットフードを食べるようになった。餌を食べたら,ふみえと食卓を共にしている気持ちになれるかもしれないと淡い期待を抱くのだが,いつも自分の咀嚼音が脳裏にひびくだけで,ふみえもむっちんも,頭の中にさえ現れないのだった。だから,むっちんがいなくなってから一ヶ月経ったら餌を食べるのをやめようと思っていた。最初のうちはコーヒーをフェレットフードのお供にしていたのだが,日本茶が意外に合う,というかまし,なことがわかってからは,毎日日本茶と一緒に食べていた。いつだったか,ワインに凝って,週末になるとふみえを連れ出してテイスティングのイベントに行ったり,ワインに合う料理を研究しようと,洒落た表紙の分厚いうんちく本を買って一緒に研究していた時期があった。だから,フェレットフードと日本茶のマリアージュを発見してしまったよ,などと伝える相手がいないことが,徳郎を静かに,だがじわじわと確実に絶望的な気分にさせた。

むっちんの失踪後,徳郎は,自分の世話に何か落ち度があったのではないか,と振り返ることが多くなった。餌も十分あげていたし,おはようとおやすみを欠かすことはなかった。カワウソが好きそうな,色がはっきりしていてカワウソの身長くらいの目線の映像もさらのお古のタブレットで見せていたし,ゲージの掃除も三日に一回していた。はて。これは,むっちんにこんなに色々してあげている,という自己満足ではないだろうか。いつだったか前の上司から聞いた,旦那は時たまジュエリーやバッグをプレゼントしてくれるけど,ほんとに欲しいものはそんなんじゃない,料理を作ったらおいしいと言って欲しい,自分が出張で家を空ける時はリビングでテレビを見ながら目を合わせずにじゃなくて,玄関で行ってらっしゃいがんばってねと言って欲しい,そんな話を彷彿とさせた。当時は上司から旦那の愚痴を聞かされて面倒だとしか思わなかったが,今は,上司の声がふみえの声と重なって,自分の愚痴を言われているように感じた。

ふみえが喜ぶこと。一緒にお風呂に入って,順番に喉が疲れるまで歌いあうこと?それともその後に,オレンジジュースで乾杯してはしゃぎ疲れて寝ること?商店街の変なゆるキャラに名前をつけて一番それっぽい名前をつけた方が勝つゲーム?駒込駅に着いたら電話をすること?どれも,徳郎がむっちんとはやったことのないことだった。それに,どれもふみえと一緒でなければできないことだった。徳郎は,ふみえが喜ぶことをするのを諦めかけた。しかしふと,リビングに飾ってある,山梨のワイナリーにふみえと行った時の充実した表情の自分たちの写真を見て,ある考えがひらめいた。

徳郎が楽しそうにしている時は,ふみえも楽しそうにしていた。むっちんを家に迎えてからは,ペットホテルに預けるのも面倒だし,むっちんが可愛くて,旅行をしなくなっていた。一度だけ船橋のさらの家にむっちんを預けて蔵王温泉に行ったことがあったが,二人ともむっちんが今頃どうしているかが気になってしまって,終始早く家に帰らなくてはと思っていた。だが,ふみえもむっちんもいない今,フェレットフードさえきちんと消化してしまう,体だけは丈夫な徳郎は,旅に出ることにした。自分が楽しく過ごしていれば,きっとふみえも生前毎日そうしていたように,けらけら笑ってくれるはずだ。目的地を決めるのに,迷いはなかった。むっちんを迎え入れる少し前にふみえと行った新潟に,もう一度行こうと思った。徳郎はむっちんがもし帰ってきた時のために,通気孔を開け,家を出た。


徳郎に,ふみえとの思い出をなぞるようなセンチメンタルジャーニーをする気はなく,足は真っ直ぐに市内のマリンピア日本海に向かっていた。水族館に到着してチケットを買うと,ペンギンの散歩道や子供たちがヒトデに触っている体験ラグーンに目もくれず,水辺の小動物ゾーンへと向かった。いた。ラッコだ。



ここに来たことがきっかけで,ふみえは”水辺の小動物”に心奪われたのだった。エビやシャコのゾーンでは,これ食べれるのかなあ,でも食べたら体痒くなりそうだなあ,とかおしゃべりだったのに,ラッコの水槽に来た途端,加齢ですっかり濁ってしまった瞳が,トルマリンのような輝きを放ち,ラッコに見入っていた。

しばらくすると,家にこんな子がいたら嬉しいね,とふみえは言った。見て見てとくちん,みんなさ,犬とか猫飼うけどさ,ラッコ以上に可愛い動物いないよね,新潟まで来てよかったーと言って,徳郎の肩に満足げに首を乗せたのだった。ふみえはスーベニアショップでラッコのぬいぐるみを買って帰り,さら夫婦にお土産を買うのを忘れた。

家に帰ってきてからもふみえのラッコ熱は冷めず,徳郎もふみえの話を聞いているうちにラッコのファンになってきて,ラッコを飼うのは無理だから,せめて,陸にいるラッコ,カワウソを飼おうということになったのだった。カワウソに名前をつける時に,ふみちの”みち”からとって,徳郎はみっちんにしようと提案した。だがふみえは,みっちんは可愛すぎる,ラッコが世界で一番可愛いんだから,カワウソはラッコ の一個下のレベルの可愛さなんだと言って,律儀に「み」の一個下の「む」ならいいと言ったのだった。むっちん。いいかもね。病院で,萩原むっちんさんて呼ばれるんだよ,と言って,二人は笑い合った。



気づくと徳郎は泣いていた。ラッコは泣くことはあるのだろうか。泣いても,涙はすぐさま海水に溶けてしまい,自分が泣いていることに気づかないのかもしれない。自分はさっきまでラッコだったのか。徳郎がラッコに目をやると,ラッコの目が心なしか潤んでいるように見えた。

用が済んでしまった徳郎は,帰りの新幹線までまだ時間があったので,寒さ凌ぎも兼ねて,新潟市美術館で時間を潰すことにした。草間彌生の企画展をやっていたが,原色ばかりの作品を見ていると,水族館で感傷的になった心をかき乱されるようで,足早に通り過ぎてしまった。結局,コレクション展の方を見て,東京の狭い美術館とは違ってスペースの使い方が贅沢だなあ,むっちんを放したら喜んで駆け回るだろうなあと空想した。むっちんがいないとむっちんが家でどうしているかは気にならないが,どうしたってむっちんが喜ぶことを考えてしまうのだった。


家に帰ると,そこには,少しばかり痩せてスタイルの良くなったむっちんがいた。その日から徳郎は,むっちんをふみえと呼ぶことにした。もう徳郎は,フェレットフードを食べていない。


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