1-05.俺たちは戦った
俺たちは戦った。
俺たちが石器文明に目覚めたのは三歳の時である
それからながらく石器時代にとどまっていた河原文明を進化させた原動力、土器様を破壊したバカどもご自慢だった森の中の秘密基地を襲撃、占領。
圧勝ですがなにか?
「戦いは数だよ、兄貴」
「ウヅキはえげつないなあ」
土器様は煮物をつくれる偉大なお方なのだよ。
それを破壊したバカども、およびバカどもに味方するような背教者からは、信仰の賜物である魚獲りの罠や網などの使用権をはく奪すると軽くアジっただけでございますことよ?
文明を否定するという蛮行で、子ども世代のほぼ全員を敵にまわした原始人どもに勝ち目なんてあるはずないじゃん。
蛮族ライフから脱し文明人になれとの熱意を込めた説得に、見よ、バカどもは感動に打ち震え涙を流しているではないか。
そのバカの前に、俺たちに割り込むようにおさげの少女が仁王立ちする。
「ヅキヅキッズを怒らせるなんて、あんたはほんとバカね」
「ねーちゃーん」
はい。バカの一人はシスティナの弟です。
俺ウヅキ、ミナヅキ、ハヅキのトリオをさしてヅキヅキッズなる不愉快な呼び名を最初に言い出したのはシスティナだ。
「ヅキヅキッズいうな」
「どうせならイレギュラーズと呼んでくれって何度も……」
「はいはい、こいつはあたしが叱っておくから。それよりご領主の若様たち帰ってくるんだから、出迎え行くわよ」
システィナは強引に話を変えた。
俺たちも、戦争に関してはここらが落としどころかと拳を下ろす。
いくら前世の記憶があろうが、俺たちはただの五歳児。ガキ大将を気取ったところで、この小さな村一つの運営にすら何かしらの影響を与えることもできない。
「だがヅキヅキッズは認めない。絶対にだ」
「自分、若様って見たことないです」
「あんたたちは生まれてないかも。あたしだって会ったことはあるはずだけど覚えてないもん」
若様とその従者は、騎士であるオットーおじさんが仕える伯爵様のもとで騎士見習いとして修行、いろいろ学んでいたのだという。
そんなこんなで俺たち五歳の秋、エンダー村に若様が従者と牛をつれて帰ってきた。
俺たちは牛を知らない。
いやもちろん知っているが、それは前世の記憶があればの話だ。
エンダーの村で生まれ育った五歳児としては、村にいなかった牛を知っているはずがない。
それにもしかしたら、若様の連れてきた生き物は牛ではない別種の生物かもしれない。
「うぉおおーなんだコイツ、馬っぽいけどツノあるぞ」
「うかつによるなウヅキ、魔物かもしれません」
「でも、若様が帰ってきたって?」
ちょっと、わざとらしかったかもしれないが、俺たちを筆頭に牛との遭遇に興奮する子どもの群れという状況をつくることには成功した。
推定牛な生物がなにものなのか、誰かが説明してくれるだろう。
「ははは、これは牛っていうんだ。馬よりも鈍いが、力はあるんだぞ」
期待通り、ざわめく子どもたちを制するように、村の主、オットーおじさんが進み出た。
「そしてカイアス、キルビスも、よく帰った」
「父上、騎士カイアス、ただいま戻りました」
村の衆の前で固く抱擁しあう領主親子。
若様とその従者が村を離れて伯爵様のもとに学びに行ったのは、俺たちの生まれる前か物心つく前か。
となると、最低でも三年、もしかすると五年以上、村を離れていたことになる。
「カイアス」
「兄上~」
奥様にチビ若様・末姫様まで、村の入り口にエンダー家の塊ができてしまった。キルビスと呼ばれた従者さんのほうも同様だ。
あぶれた牛さんはシスティナの親父さんが御している。
「オットーおじさんはともかく、奥様は村から出てないよね」
「数年越しの家族の再会。命が軽い世だけに、重みも違うみたいですね」
いわゆる中世の徒弟的教育システムと思えば、上司にあたる伯爵家で騎士見習い修行というのもありがちだが、同時に人質という側面も否定できない。
ただし、あくまでも前世記憶に基づいてそう解釈、捉えているだけというのが俺たちの弱みだ。
「何事も、判断するための情報不足なんだよなあ」
「仕方ないとは思うんですが」
小さな田舎農村の中だけで育った五歳児。世界についても社会についても、ほとんどなにもわからない。折に触れ情報不足を痛感する。
情報収集よりも食料収集のほうが優先順位が高いことも地味な足かせにもなっている。
「しかしまあ牛なんて、高かっただろうに」
「そうでもなかったんだ。ここだけの話、こいつ牛痘にかかっててさ、子牛もチーズをつくるためにつぶしたとかで安かったんだ」
「歳もいってるみたいでっせ。なんで、収穫祭でつぶしてふるまうのに丁度いいんじゃないかって若が」
感動の家族の再会から村内に歩を進めながら、オットーおじさんと若様、従者の会話に聞き耳を立てる。
……牛痘か。
ヲタネタ、転生もの異世界ものの創作物のアレコレに通じるミナヅキを見ると、ヤツも頷いた。
「ハヅキ、合わせてくれ」
「ん? わかった」
オットーおじさんの「今夜はパーティーだ」宣言を聞き流しながら、俺たちは牛に近づいた。
システィナの親父から再び手綱を受け取っていたキルビスという従者に、子どもらしい遠慮なしの質問をぶつける。
「ねーねー、これおっぱい? でかくね?」
「牛っていうんですか?」
「そりゃおめえ、牛のおっぱいはでかいもんだぜ」
「マジかー、スゲー」
よし。ミナヅキが牛のおっぱいに張り付いた。
「あんちゃんもおっぱいでかいほうが好きか?」
「ガキのくせにませたこというべな。……そりゃまあ、でかいほうが好みだべよ」
「マジかー、スゲー」
おっぱい談義をきっかけにキルビスに質問を続ける。
いわゆる中世的感覚から、地位は世襲だと推定。さっきの家族の再会もあるし、オットーおじさんの腹心ポジのクルップおじさんとの縁を探ってみると、やはり親子だという。
「つまり俺は、次世代の領主様の腹心だべさ」
「マジかー、スゲー」
「乳でないよー?」
「ああこら、ご機嫌そこねたらあぶないべな。のけ、のけ」
次世代の領主様の腹心キルビスが、牛を引いてお館に向かうのを見送り、俺たちは森に入った。行先は、乗っ取ったばかりの秘密基地だ。
「やったか?」
「ああ、やりました」
「二人とも、何企んでたのさ」
俺とミナヅキはマイ石包丁で腕にひっかき傷をつくって、ミナヅキが牛さんからゲットしてきたぬるっとした液体、その正体は膿を塗り込んだ。
「ジェンナー、種痘法です」
「ん?」
「天然痘対策の、予防接種だよ」
俺はヲタだし、ミナヅキは俺以上にディープなヲタだ。
ゆえに転生ものの知識チートで定番ともいえる、牛痘による種痘法という存在を知っていた。
「ジェンナーとワクチンはなんとなく聞いた覚えはあるけど、二人とも詳しいねえ」
「まあなんだ、嗜みとして」
「転生・知識チートというジャンルでは鉄板ネタなんですよ」
ハヅキも俺たち同様、腕に傷をつけて膿を保有するミナヅキに差し出しかけて、途中で止めた。
「安全、なの?」
「……」
「……」
俺は、首をひねってミナヅキに顔を向けた。ヤツもまた、口を半分開いたままの何とも言えない表情で俺を見つめている。
「……確か、牛痘を人にうつしても重篤化しないってのがポイントのはずだよな?」
「逆に、天然痘に本当に効果があるかどうか、きちんと抗体ができるかどうかのほうが問題?」
「ああ、予防接種ですからね。抗体できるくらいきちんと発病するかどうかも問題なんですね」
ハヅキはぐいっと腕を差し出してきたが、今度は俺とミナヅキが戸惑ってしまった。
がんばれ俺とミナヅキのおぼろげな記憶。
「えーと、まず牛痘とはウイルス感染で、牛の乳房にウイルス入りの膿のたまったブツブツができるもの、でいいんだよな?」
「多分。実際、膿はとれたし、大きく間違ってはいないはず」
「ふむふむ」
「で、牛痘は人間にも感染するが、牛痘に感染したことのある人間は天然痘にかからない、だよな」
「ああ、確かにジェンナー関係でそんな記述があったような……」
「乳しぼりしてた人の間では常識だったものを、ジェンナーが近所のガキで人体実験して確かめたとかいう話だったはずです」
科学の進歩に犠牲はつきものとはいえ、牛痘にかかった人が本当に天然痘にかからないのか、当時の人にとって生きるか死ぬかの天然痘ウイルスを使って直接効果を確かめたという逸話には、わりとドン引きした覚えがある。
「この世界で、牛痘と天然痘との関係が同じかどうかはわかりませんし、牛痘だって、自分たちの知る牛痘ではない可能性もありますが、そこはもう、割り切って負うしかないリスクでしょうね」
「あー、そういう可能性もあるのか……」
「牛痘、ワクチン、知識チート、で突っ走っちゃったんだな、俺たち」
「天然痘対策に、少々のリスクはあっても、このチャンスは逃せないと思って、それで……」
がっくり肩を落とす俺とミナヅキに対して、ハヅキは強く強く、自らの腕を突き出した。石包丁でひっかいた傷には血がにじんでいる。
「どのみち二人はもう塗り込んじゃったんでしょ? いまさら自分だけ仲間外れは御免です」
ミナヅキが、牛痘ウイルス入りの膿をハヅキの傷に塗り込む。
これで俺たちは三人そろって牛痘に感染するはずだ。
「ちなみに、ミナヅキの言ってた『少々のリスク』ってなんでしょう?」
「えーと、熱は出るはずなんです。あと、あばたがちょっと残るかも」
「そういやどれくらいで発症するのかな」
おぼろげな記憶が悪いのか、定番知識チートではそこまで描写されていなかったのか、俺たちに答えはなかった。
もうすでにウイルスを塗り込んでしまった以上、どんな結果になっても甘受するしかないのだが、それはそれとして、何の変化もないのも落ち着かないものである。
やきもきすることだいたい一週間。三人そろって熱を出した。
俺は、熱あるなーという微熱程度だったのに対し、ミナヅキはあからさまにヤバイ感じで、隔離一歩手前だった。
あと一日熱が引くのが遅ければ、悪い病として生きたままウェルダンの危険もあった。が、必死のピンピン・ケロリ・アピールに、熱を出したのが俺たち三人だけだったということもあり、寒くなってきたのに川遊びで身体冷やしたせいというカバー・ストーリーでなんとか収まった。
ちなみにハヅキは、熱が出たその日は乗っ取った秘密基地で夕方まで寝ていて、翌朝にはすっきりした顔をしていた。
個体差と言っていいのか、それとも塗り込んだウイルスの量が違ったのか、確認しようもない。
これで本当に、天然痘にかからないのかも、そも天然痘が存在するのかも、確認できない。
つくづく、俺たちのやっていることは、真っ暗闇の中、手探りで歩いているようなものなのかもしれない。
とはいえ、じゃあ情報収集するにも、生存のための食料確保優先な五歳児にできることというと、手詰まり感がある。
冬の迫る中、手下たちも総動員してドングリ集めに精を出していたところ、従者を引き連れた若様がやってきた。
「おまえたちがヅキヅキッズか?」
「違います」
即答である。
【※注意】
ジェンナーと種痘法に関する記述は、あくまでも三人のうろおぼえ知識による。
【メモ】
ジェンナー以前でも、天然痘は一度かかると二度とかからないことは経験的に知られており、天然痘の膿を用いてわざと天然痘にかかることで予防しようという手法は存在した。ただし、成功率はお察しだったらしい。
ジェンナーによる牛痘の種痘法は、天然痘にも効果のある抗体が作られるうえに症状が重篤化しないことがエポック。