第七話
現在時刻およそ10:10。秒針は4を丁度指したあたり。
今は二時限目、体育の授業。
というわけで、
「先生、今日も僕と一緒に組みましょう! さあ!」
「…………おまえはさぁ、どうしてこう、いつもいつもこんなムサいおっさんと友好を深めようとしてんの? 馬鹿なの? 俺、お前と12歳以上、干支一周よりも歳の差あるのに。どうせなら若い者は若い者どうしで友情を深めろよ」
「のっけから説教しないで下さいよ。良いじゃないですか、こうして若人が先生を慕って来てるんですよ? 喜ぶべき場面じゃ無いですか。感動こそすれ説教とは…………お門違いも良いところですよ」
「おめぇ見たいな男に慕われて何が嬉しいもんか。感動するわけが無いだろう」
「この野朗! 聖職者の癖に…………そんなに可愛い女の子と信仰を深めたいか。このロリコンめ」
「お前…………いきなり敬語やめる癖どうにか直せよ。それに友達さえつくる気のない馬鹿より美少女のほうが幾分マシだ」
「言うに事欠いて適当な事並べてんじゃねぇよ!」
「……いや少なくともお前が友達つくる気が無いのは本当じゃねぇか」
「そうでした」
こりゃ、うっかり。ついつい勢いに任せてツッコんでしまった。
上尾大知、一生の不覚。
「……いや、そこまで大袈裟に捉える必要は無いんだがな」
「じゃあ一瞬の不覚」
「一瞬で不覚を取れるスピードに驚きだな」
「そんなんで驚くなんて…………先生はまだまだですね。僕はその気になれば一瞬で不覚どころか嫉妬・憎悪・果ては絶望まで感情を抱くことが出来ますよ」
「…………何でラインナップが全部後ろ向きな感情なんだよ」
「仕様です」
「…………嫌な仕様だ」
まったくだ。そう言わざるを得ない。
「先生。つまらないことばかり言ってないで早くストレッチを始めましょう」
「お前は自分で話をややこしくしていることに早く気付くべきだ」
「僕が話をややこしく? 何を言って…………ああ、とうとう痴呆症ですか。なるとは思っていましたが意外と持ちましたね」
「何だその俺が今まで痴呆症じゃ無かったのが意外みたいな言動は! 俺はまだ32だぞ!」
「…………すいません。それはもう僕的には老人のカテゴリです」
「老人の定義広すぎるだろ! お前にとって一体何歳からが老人なんだ?」
「木島先生から死ぬまでです」
「……それだと俺は子供の頃から老人だという馬鹿げた理論になるが…………」
「え? …………ようやく…………気づいたんですか?」
「その理論を知っていて当たり前みたいに言うな」
「知っていて当たり前です」
「断言した!?」
「皆知っていますよ。教育現場の常識。言わば世界の真理です。学会でも正式に発表され、この理論については本が何冊も出ています」
「俺は教師なのにまったく知らなかったぞ!?」
「勉強不足ですね。これで社会に出ているんだからまったく…………呆れてものも言えません」
「俺、教師なのに教え子に知識の無いことを馬鹿にされている!?」
「いえいえ……馬鹿にしているわけじゃないですよ?」
「いや、馬鹿にされているとしか思えないが」
「死ぬべきだと言ってるんです」
「俺、教師なのに教え子に死ぬべきだと言われてる!?」
「それに先生、よく言うじゃないですか。無能は死ね、と」
「いつの間にそんな過激な世の中になったんだよ!」
「福沢諭吉先生もこう言っていますよ。天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。けれど無能は人では無い、と」
「福沢諭吉先生がそんな恐ろしいことを口にするか!」
まあ正しくは人の下に人を造らず、という文章の後に“けれども実際この世界では金持ちの人、貧乏な人、身分の高い人、低い人がいる。その違いは何だろう。それは学ぶか学ばないか、だ。人は生まれながらに貴賎上下の別は無いけど、学問に勤めて物事をよく知る者が貴人となり、富人となる。逆に無学な者が貧困となり下人となるのだ”と言ったような文章が続くのだが。
「何はともあれ要するに先生は無能ということですよ」
「それはさっきの言葉と照らし合わせると死ねと言っているようなものだぞ」
「…………………………」
「そこで黙るなよ!」
…………まあ全て冗談も冗談。決してそんなわけ無いのだが。
馬鹿な会話。それも大馬鹿な。
それが分かっていて木島先生はちゃんと的確なツッコミを返してきてくれる。
普通の大人はこうはいかない。どうあっても大人が子供を押さえつけるべきだと考えている大人が多い中でこうして冗談を言い合ってくれる。
やはり何だかんだで良い人なのだ。
だから木島先生を信頼している証としてこの言葉を告げる。
そう。この言葉を――――――。
「こんなことだから先生はいつまでたっても結婚出来ないんですよ」
「調子にのるなクズ、社会のゴミ、ダニ」
「…………すいません」
信頼の証を辛辣な言葉で返された。
結婚のことを話題に出した瞬間この反応。ある意味素晴らしいポテンシャルだ。
「ほら。いつまでも馬鹿やってないで早くストレッチ始めるぞ」
悪態をつきつつ毎回ちゃんと付き合ってくれる木島先生だ。
ストレッチで上体を左右に伸ばしている最中、今日もまた崎宮 雫が目に入った。
また、というか同じクラスなのだから目に入ってもしょうがないのだが。
当の崎宮 雫は今日も一人で準備運動に余念が無い。
その顔はまたもや憂いを秘めたような、そんなうかない顔をしている。
いや…………そう見えるのは昨日、僕が崎宮 雫は独りでいるのは憂鬱だ、などと勝手に認識したからだろうか。
あの僕が憂鬱そうに見えると勝手に決めたその顔は、見ようによっては真剣な顔に見えなくも無い。
「おい、上尾! そろそろストレッチ終わるぞ」
「……あ、はい」
木島先生に呼ばれたことにより妄想に近い考え事から現実に戻される僕。
そうだ。崎宮 雫に関して僕があれこれ考えても仕方無いじゃないか。
僕はストレッチを終え、引き続き木島先生とキャッチボールを開始した。