第二話
現在時刻は10:23。秒針は9を越えたところにある。
三時限目の授業時間。科目は数学。
性懲りも無く時間を分単位どころか秒単位で正確に把握しているのは時計を意味も無く見ていたからだ。
だが別に授業について行けなくなって現実逃避の要領で時計を見ていたわけではない。
別に僕は勉強が苦手なわけでは無いからな。
僕は比較的得意教科である数学の練習問題を早めに解き終わっており、こうして余った時間を自由に使うことが出来る。
少なくとも時間を秒単位で正確に把握しているくらいには自由のつもりだ。
ま、……要は時間を持て余しているという訳なのだが。
とはいえ僕が勉強を得意としているか、と言うと決してそうでも無い。
先に行った実力テストでは総合得点換算でクラス12番目の成績だった。
何故僕がこんなにも正確にクラス順位を把握しているかを述べると、この志木崎高校ではテスト順位が貼り出されるので自分が今クラスでどの位置にいるのかを把握することが出来る。
競争意識を高める、その名目で行われているこの制度だが、欠点が一つ。まあこれは制度自体の欠点では無く僕達側からしてみれば、の話だが。
それはこのテストの結果次第では晒し者になると言うことだ。
ビリですら少しの配慮も為されること無く、白日の元に点数を晒されるこの制度は一部の人間にとっては恐怖の対象らしい。
らしい、と言うのはそもそも僕はそれなりに頭が良いのでビリとは縁遠い学力をキープしていて、恐怖とは対象外の存在だからだ。
しかしなんだ…………生徒の学力向上のためとはいえ随分と恐ろしいことを行ってくれるもんだうちの高校は。
この制度のお陰で自主退学をした生徒が大勢いるとかいないとか…………まあ結局は僕の知ったことでは無いが。
さて少し話が逸れてしまったな。
つまりはこういった理由で自分の成績順位を把握することが出来るのだが…………僕のクラスの人数は40人なので、12番目という僕の成績はだいたい中の上くらいになる。
中の上。そんな僕の微妙な学力レベルには少し理由がある。
例えばだ、もしも僕が勉強を全然出来なかったとする。
その時は――そう。解らないところは先生や周りのクラスメイトに聞かないといけない。
少しばかりでも対人関係を持たないといけなくなる。
それは僕にとってかなり鬱な展開だ。
だからと言ってそれを解らないままにして置くと成績がどんどん悪くなって赤点必至。そんな頭の悪い生徒は先生に目をつけられることは確実。補習やら特別授業への参加を余儀なくされ、嫌がおうにも何かしらの対人関係を持つことになる。
更にテストで悪すぎる点を取れば晒し者確定。
そんなことになってしまえば僕は自主退学も辞さないだろうと容易に想像出来た。
だから復習や予習はこまめにやって、最低でも一人で問題を解ける程度には学力をキープしている。
しかし勉強は普通に嫌いなので得意になることは決して無い。
せいぜいクラスでも10番程度。かなり微妙な成績順位だ。
ま、それによって目立つことも抑えられるので僕にして見れば一石二鳥の万々歳。
……とは言ったものの、問題を早めに解きすぎるというのもやはり退屈なものだ。
良し、ここは僕の暇つぶし技術の一つである“人間観察”を行うことにしよう。
人間観察っていうのはこれでいて中々面白いものである。
内容はただただ人を見ているってだけなんだが…………人っていうのは意外と見ていて面白いものなんだ。
例えば前から二番目、右から三番目に座っているかなり眠そうなあいつ。名前は…………あれ? なんだっけ?
田中だったか…………それとも鈴木? …………いや玉木だった気もするし……。
駄目だ、全然分からん。
まあ別に構わないか。クラスメイトの名前なんて覚えていなくとも別に困らないし、と眠そうに座ってるクラスメイトに対して興味があるのか無いのか分からない僕だった。
「よ―し。皆そろそろ問題は出来たかぁ」
唐突に(しかしよく考えてみれば、今は授業中なので大して唐突でも無い)教室に響き渡る数学教師の声。
そんな呼びかけに教室中はそれぞれの反応を見せる。
自信満々に教師を見ている者もいるし、挙動不審に先生と目を合わさないようにする者もいる。
いつものことだった。
だが若干難しかったのでどちらかと言えば否の反応が多いようだ。
僕も予習をしていなければ危なかっただろう。
「では誰か解いてもらえないか……出来る奴は……」
そんな教師の声にすぐに反応を見せる者が居た。
背筋をぴんと伸ばし自信満々に手を挙げる少女。長く綺麗な黒髪がさらりと揺れる。
「ではいつも通りお前にお願いしようかな」
はい、と綺麗で響く声を上げ、黒板の前に素早く移動し、これまた素早く問題の答えを黒板に書いていく。
「……良し、正解だ。ありがとう崎宮」
この声を聞き終わるや否や素早く自分の席に戻る少女。
この光景は何度も見たことがある。デジャブに近い。
つまりはこれもいつものことだった。
彼女の名前は崎宮 雫。
クラスメイトのほとんどの名前を覚えていない僕でさえフルネームで覚えている。
それほどに凄い存在感を放つ少女だった。
成績は超がつくほど優秀。試験の結果では学年で常に3番以内。
スポーツでは超々がつくほど万能。先の校内陸上競技大会で並居る部活生を押しのけて(彼女は帰宅部)、100m走校内一位、400m走校内一位、400mリレーではアンカーを務め、バトンが渡った際に五位だった順位をいっきに一位にまで押し上げ、結果的にクラスを総合優勝に導いたことは僕の記憶に強烈に残っている。
容姿は超がつくほど端麗。長く綺麗な黒髪に整った顔立ち、背は比較的高めで足が驚く程長く、意思の強そうな瞳は何処か凛とした佇まいを思わせる少女。高校生がスタートして最初の頃は告白が絶えず、噂では数々の男達が交際を申し込んだらしい。
そんなパーフェクトな超人の名前を覚えていないわけが無い。
僕とはまるで正反対の世界で生きている住人。
そんな少女を視界に捉えながら僕は考える。
正反対の世界とはいったいどういった景色なのだろう、と。
僕らのいる、とは違ったモノが見えるのだろうか。
あの何処か物憂げな表情をした少女の瞳には何が映っているのだろうか。
凡人の僕は無駄とは思いつつもそんな世界のことを少し考えていた。