第二十八話
走って三時間。ほとんどノンストップで走り続けたお陰で早くも志木崎病院に到着。
走ってきた勢いそのままに入り口に向かって突進し、崎宮のいる507号室の場所を病院の全体図で調べ、エレベーターなど待ってられないとばかりに階段を一気に駆け上る。
途中で“病院では静かに”という張り紙を見かけたが、まったく気に掛けることなく病院内を騒がしくも駆け抜ける。病院関係者の皆様、誠に申し訳ありません。
そして、ようやく――――、
「…………あった」
志木崎病院、507号室。それすなわち崎宮がいるという病室に辿り着いた。
息は荒く、汗は滝のように出ているがそれを気にすることは無い。
「……良しっ!」
そして僕は躊躇という言葉を知らない猛牛のごとくドアを凄い勢いで開いた。
だが僕は忘れていた。走ってきたことでテンションが上がっていたのかも知れないし、走った疲れで正常な判断が利かなくなってしまっていたのかも知れない。
とにかく忘れていたのだ。
――――――――――――――ノックという人類最高クラスの礼儀作法の存在を。
「……………………………………」
居たよ、居た。崎宮は確かにその部屋に居た。
崎宮 雫は確かに志木崎病院、507号室の中に居た。
…………着替え途中だったのだろう、下着姿で。
「……………………………………」
「え!? あ……う……わ、悪い、崎宮! 着替えている途中なんて知らなくてさ! ……その、あの、うう…………」
「上尾」
「……はい」
…………怖いよ、崎宮。悪かったから。僕が悪かったから、その…………人を射殺すような視線をやめてくれ。
地雷を思い切り踏んだ僕は次にどんな恐ろしい展開になるのかと覚悟していると、今までジト目で僕を睨んでいた崎宮が何故か朗らかな笑顔を僕に見せてくれた。
「おお! 久しぶりだな上尾。よくぞ来てくれた! さぁ、ここに座ってゆっくりしていってくれ!」
人当たりの良い笑顔を見せたまま、崎宮はおそらく自分のであろうベッドの隣にある椅子を指差している。…………その笑顔、今は逆に怖いぞ崎宮。
「……あ、いや、いいよ。僕みたいな輩はここで立っている方がお似合いだから」
「良いから、良いから。上尾、早くここに座ってくれ」
「…………いや、ちょっと待て。それよりも早く服を着るべきじゃ……」
「良いから早く座ってくれ。…………なにせ」
「この椅子の位置が私にとって一番、最高の一撃を叩き込むのに絶好のポジションなんだからな」
「…………………………………………………………………………………………」
どうしよう。冷や汗が止まらない。
「どうした? 上尾。それとも何か? 怪我人である私にそこまで歩かせて……それで殴られようというのか?」
「待て! 待ってくれ! 僕が殴られるのを前提で会話するのはやめてくれ! 冷静に!冷静に話し合おうじゃないか!」
「何だ? 殴られるのは嫌か?」
「あ、当たり前だ」
「調子に乗るなよ、覗き魔が」
「……………………」
怖いよ崎宮さん…………その笑顔の裏にある隠し切れない怒りのオーラが物凄く怖いよ。
「しょうがない、では私から第二の提案を出してやろう」
「……だ、第二の提案というのは?」
「安心しろ。お前が殴られる以外の提案だ」
「そ、そうか。それは有り難い」
それを聞いて、一応の安心感を覚える僕。
あと、どうでもいいかも知れないが、どうして今だに下着姿でいるのかな、崎宮さん?いや、どうでも良く無いか。この姿の所為で崎宮から発せられる不気味なオーラが一層増しているように思えるし、それに何より…………目のやり場に困る。
「して、その第二の提案というのは何でございましょうか?」
だが僕は崎宮の下着姿よりも今から自分の運命を左右するだろう第二の提案というものの方が気になる。
…………いや、決して崎宮の下着姿を見続けたいわけじゃ無いんだよ?
「じゃあ第二の提案を述べさせて貰おう」
その言葉に僕はゴクリと喉を鳴らして二の句を待つ。
「この提案は――――私が今ここで叫ぶ。次にナースやらドクターやらがここに駆けつけてくる。最後にこの状況を見た者達は十中八九お前を変態扱いして警察に通報する。お手軽簡単スリーステップ。低コストで社会的に死ねるプランだ。どうだ上尾、この提案は?」
「どうだも何も僕は人生をここで終わらせたくは無い!」
こいつ……もしかしてこの提案のために今まで服を着けなかったというのか?
だとしたら何という奴。羞恥心よりも相手の破壊を優先するとは…………。
ヴァルキリーか、お前は。
「お気に召さないか。では最終プランと逝こう」
「待て! 字が! 字が違うと思うぞ!?」
「うん? …………ああ、これは、これで合ってるぞ」
「最悪だ!」
「では最後……出口はこちらだ、飛べ」
崎宮が指差した先は開け放たれた窓。青く澄み切った空が広がっている。
「……………………」
「ユー、キャン、フラーイ」
「…………崎宮」
「何だ? 上尾」
僕は崎宮のベッド近くに移動しながら言う。
「今からでも椅子に座るプランを選んで良いですか?」
考えてみればこれが一番、被害が少ない。
しょ、しょうがないよな! そう! 罪に対しては罰。甘んじて受けよう。
…………痛いのは嫌だが。
「好判断だ。…………では歯を食い縛れ」
僕は最後の悪あがきと言わんばかりだが……一応言っておくことにする。
「い、痛くしないでね」
「だが断る」
「即断!?」
死兆星が見えた…………気がした。




