第十二話
現在時刻は10:08。秒針が8を指したところ。
二時限目の時間。科目は体育だ。
この高校は進学校の癖にやたらと体育の時間が多い。
それでも生徒の大半には好評なのだが、僕としては反対票を出さずにはいられない。
体育の時間なんて面倒くさいだけなのだがな。
「では皆ペアを組んでストレッチをするように」
いつも通りの木島先生の掛け声、僕はいつも通りに木島先生とペアを組もうと腰を上げようとした時、不意に僕の肩に手が置かれる。
いつも通りじゃない、イレギュラーな事態。
要するに――――――――、
後ろを振り返ると崎宮がにっこりと笑みを浮かべて立っていた。
「上尾、一緒にペアを組んでストレッチをしようじゃないか」
その笑みを前にして僕は大きく溜息をつく。
わざわざストレッチを組みに僕の所まで来たのか。
なんて――――なんて迷惑な奴なんだ。
昨日までは僕の独りの世界は平和だったのになぁ。
「何でお前とペアを組まなきゃならん。僕には木島先生と言う先約がいるんだ。お前と組む義理は無い」
そう断り木島先生のところに出向こうとするが、
「何でも何も私と上尾は友達だろう。私が友達であるお前と組もうとするのに対して深い理由は何も要らない。ただお前と組みたいからここに来たんだ」
「お前がどうしたいかじゃない、僕がお前と組みたくないんだよ。昨日はお前の暴力に屈した形になったが今日からはそうはいかん。僕はまだお前を友達と認めたわけじゃ無いぞ」
「なんと! 私は上尾と友達じゃ無い…………と?」
「ああ! そう…………ちょっと待て崎宮。そこはマズ……ぐわああああああ肩が! 肩が裂けるように痛いいい!!」
地獄万力のごとく僕の肩を締め上げる崎宮。このまま締め上げられ続けたら僕は肩をしっかりと治してくれる優秀な医者を捜すために走り回らなくてはならなくなる。
「分かった! 分かったから! 僕とお前はトモダチ。トモダチなんだ」
「友達の部分が棒読みだったのが少し気になるが…………」
「じゃあTOモダチ」
「TOラブルが起こりそうな関係だな」
まあ良いだろう、と言いながら肩の地獄万力を外してくれた崎宮。
…………こいつに友達が出来なかったのは内面にも重要な欠陥を抱えているから、という気がしてきた。
「ほっほお! ついに友達が出来たのか? 上尾」
声がした方を振り向くといつの間にやら近寄って来た木島先生がそこには居た。
「木島先生! さっきまでのやり取りを見ていなかったんですか!?」
「いや結構前から見ていたが?」
「じゃあこいつが僕の肩を締め上げて脅迫しているシーンも見ていたでしょう? これが友達だとあなたは本当に言えるんですか?」
「そんなの軽いスキンシップだろうが。なあそうだろう? 崎宮」
「当たり前でしょう木島教諭。私と上尾は友達なんですから」
「「ねー」」
「…………僕はその“友達”と言う単語がていの良い脅迫用語に聞こえてきましたよ」
「そんなことは無いよ。友達は素晴らしい友情の言葉さ。そうだろう? 崎宮」
「当然ですよ木島教諭。いったい何を言い出しているのか上尾は」
「「ねー」」
「お前ら凄く癇に障るからその“ねー”って言うのやめろ!」
言うくらいなら死んでしまえ!
もしくはあの世でほざいてろ!
「まあ何はともあれ友達が出来て良かったじゃないか」
「そんなことは全然無い。全く持ってそうは思っていない」
「そう言うなって、友達は良いものだぞ」
「なら木島先生が僕の代わりに崎宮と友達になってやって下さい」
さっきも結構息が合っていたようだし、少なくとも僕よりは良い友達になれるのではないだろうか。
「そうは言うがな、上尾。俺が崎宮と友達になった場合周りはどう思うだろうか」
「僕なら…………そうですね、援交だと騒ぎ立てますね」
32歳独身男性と女子高生が一緒に歩いている図はそうとしか思えない。
「素晴らしい洞察力だと褒めてやりたいが、騒ぎ立てるまではしなくて良い。それに若干俺は傷ついたぞ」
「甘いですね。僕は騒ぎ立てるだけに留まりません。写真を撮って教育委員会に送りつけ、木島先生の社会的信用を失墜させてやりますよ」
「悪魔かお前は!」
「そうですね。人間は悪魔よりも欲深く腹黒い…………そういう意味では人間は悪魔とも言えるのでは無いでしょうか」
「そういう妙な戯言は要らん」
むう。即興にしては良く練られた考えだと自画自賛していたものを…………。
「それにそう邪険に捉えることでは無いと思うぞ? 上尾」
「はい? どういうことですか、木島先生」
木島先生は僕の耳に顔を近づけ、崎宮には聞こえない小声でこう呟く。
「ストレッチをするという事は…………布を一枚隔てているものの、合法的に女子高生の体に触れられるということだ」
「聖職者とはとても思えない発想に僕は驚きです」
木島先生が結婚出来ない理由を垣間見た瞬間だった。
「ま、それは冗談だとしてもだ」
「すいませんが冗談では済みませんよ? 僕は今の発言の一部始終を崎宮に伝えて教育委員会に訴えさせ、木島先生には無職への道を歩ませて進ぜましょう」
「上尾、その時は貴様の五体がその体にくっついていると思うなよ?」
僕の言葉に対して返しの一言を呟く木島先生。なにやら凄い言い草だ。とても教師とは思えない。
「何はともあれ友情を深めるのはそう悪い行為では無い。頑張りたまえよ、少年」
そう言うと一人でストレッチをし始める木島先生。教師は一人でストレッチしても奇異の視線を向けられないから気楽なもんだ。
「ま、仕方無い…………か。それじゃあ僕も一人でストレッチを――――――」
「一人でストレッチを開始した瞬間、上尾には地面の砂の味を心ゆくまで堪能してもらうぞ?」
「さあ! ストレッチを始めようか崎宮!」
「うむ! 良い返事だ」
その言葉と共に座ると、僕に押してくれと促す崎宮。
さて、ここでだ。木島教諭の言葉を思い出す。
僕が押すべき背中にはそう――――――ブラが透けて見えているのだった。
ブラ。正式名称はブラジャー。主に第二次性長期以降の女性が胸部を支えるために着用する下着で、その胸部を支えることが基本目的である。
そう。夢にまで見た下着が僕の眼下に広がっている。
そう。夢にまで見た下着が遂に現実のものとなって僕に姿を現している。
ちなみに白い。清純だ。
なんということだ…………こんな日が来るなんて。
歓喜に僕の心は震えている。
震えるぞハート!! 燃え尽きるほどヒート!!
そうだ! 今だけは“友達”として崎宮を認めよう。
友達! 友達万歳! あはははははは!
これこそホテルを貸し切って盛大に宴を開くべきだ。
僕も今だけは独りで歩いていくことをやめ――――――、
「上尾、なんかお前から邪道な気配を感じるんだが…………気のせいか?」
「めっそうもございません、崎宮殿」
「何か物凄い悪寒が走ってたんだが…………気のせいか?」
「悪いモノでも食べたのでしょう、閣下殿」
「そして何故だろうか。お前に対して致死性のある攻撃を加えなければいけない気もするんだが…………」
「それは勘違いというものでしょう、女神殿」
「まあ良いや。続けてくれ」
我に返った僕は中断していたストレッチを再び開始した。
はて? 僕は何でストレッチを中断したんだっけ?
その前後の記憶が無いな。無いに決まっている。
そうだ! その時、僕の意識は別物だったのだ。そうに違いない。
だから今の僕とその時の僕を一緒にしないでくれよ?
か、勘違いしないでよね!
…………………………。
「ようやく終わったか。やけに長いストレッチだったな」
「そんなこと無いだろ! うん! 無い、無いぞ!」
「…………何をそんなに必死に否定してるんだ?」
「そ、そんなささいな事はどうでもいいだろ!? さあ次は僕の背中を押してくれよ」
そう告げると地面に腰を下ろし、先程の崎宮と同じように押してくれ、と促す。
「まあ良い。では押させてもらうぞ」
「あ、ああ。宜しく頼む」
「…………ふむ。そう言えば上尾」
「何だ?」
「私は男子の背中をこうやって触るのは初めてだ」
「そうなのか? まあ異性の背中なんて触る機会はほとんど無いからな」
「上尾よ」
「何だ?」
「私は…………殿方に初めてを奪われてしまったな……」
「お前、いったい何言っちゃってんの!?」
こいつ、いったい何がしたいんだ!? 先程の思考と合い間って、何か変な想像しちまうじゃねぇか!
「私…………ポッ」
「この状況で顔を赤らめるんじゃねぇ!」
ヤバイ! とんでもなく恥ずかしいことをしている気分になる!
「――――――なんて冗談を言ってみたが……どうだった? 面白かったか?」
「…………殺意が沸きました」
…………恥ずかしい気持ちと残念な気持ちが一気に押し寄せて来たよ!
「なんでだ? 友達とは冗談を言い合える仲だと話に聞いたのだが?」
「それは概ね合っているが…………世の中には立ちの悪い冗談というものがあるということをお前は知るべきだ」
「お前の言っていることはよく分からん」
「…………僕はお前がよく分からん」
…………今までどんだけ人付き合いをしてこなかったらこんな不器用な奴が出来るんだろう…………。崎宮 雫、驚くべき対人スキルの無さだった。
この後ストレッチは何事も無く終了。木島教諭の一声によりキャッチボールに移る。
「上尾。当然このキャッチボールも私と一緒にやるぞ!」
「……はあ……もう好きにしてくれ」
僕としてはこれ以上人間関係を深くするのは極力ご遠慮願いたいものなのだが…………あそこまでやる気の崎宮をどうすれば止められると言うのだろうか。
火に注がれた油を取り除くのは不可能なのだ。今の崎宮は正にそれ。
…………まあ百歩譲ってグラウンドの地に横たわるよりはマシと言ったところかな。
「…………っと!」
崎宮の投球に咄嗟に反応する僕。思ったよりも鋭い、男子も顔負けの球威だ。
本当にこいつは何でもそつなくこなすから驚きだ。こいつの神経やら細胞やら脳の構造やらを調べたら論文に発表できるのは無いだろうか。
「っと、ほら!」
「っ! ……ほう、上尾。案外良い球を放るじゃないか」
「何だその下手な青春ドラマに出てきそうなくさいセリフは」
「良いじゃないか青春。我ら高校生に最も相応しい言葉だ」
「…………青春ね」
青春に友情はつきものだ。
これは木島先生と七海の言葉。
僕は決してそうは思わないのだが。
ふと考えた。
“友達”これはどんな関係になれば友達と言えるのだろうか、と。
僕と崎宮のこの関係。少なくとも今の僕はこいつを友達とは認識していない。非情にも聞こえるかもしれないが僕がそう思っているんだ。仕方無い。
ではどこからが友達と言えるのだろうか。
相手の事を何でも知っていたら友達か。
相手と一緒にいても息が詰まるような事無く楽しくいられたら友達か。
それとも知り合ったら誰でも友達になり得るのだろうか。
“友達”の友達足りえる理由。
“友達”の境界線、定義なんてあいまいだ。僕には分からない。
どうでも良いことかもしれない。
でも本当にどうなんだろうな。
…………目の前でとても楽しそうにキャッチボールをしている崎宮を見ていると僕は本当にそう思うんだ。
本日の更新はこれで以上となります。お付き合いして戴いた皆様、誠にありがとうございます。
残りは明日、更新予定です。もし宜しければ明日もどうぞお願い致します。




