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温泉旅行 後編

 俺には一つ年下の後輩が存在する。


 温泉旅行に連れて来てくれるような良き後輩と思いきや、予想外のところで俺を弄って苦しめてくるような後輩。鬼畜とはまさに彼女のためにある言葉なんじゃないかと思うくらい、俺は彼女にえげつない仕打ちを受けていた。


「うぅ……気持ち悪い……」


「大丈夫天川君? お風呂はちゃんと時間を考えて入らないと駄目だよ」


「すいません……」


 温泉旅館のメインディッシュである温泉であるはずだったが、今日は運悪く露天風呂が混浴の日だった。そのためヒノちゃん達と顔を合わせてしまい、いいだけ弄られてしまった。


 弄りは半永久的に続けられ、忍耐力で負けた俺は湯の温度にやられて逆上せてしまった。そして今は部屋に戻って布団の上で横になり、由利村さんに団扇を扇いでもらっていた。


 パタパタという音と共に伝わってくる涼しい風が心地良い。少しずつだけど、徐々に身体の熱が収まっていくのを感じる。おまけに目の前には浴衣に着替えた由利村さんという目の保養になるお方もいて、身も心も安らぐ一方だ。


「うぅ……ごめんよ由利村さん。なんか君には迷惑掛けてばかりだよね……」


「ううん、気にしなくていいよ天川君。私は迷惑だなんて思ってないから。それに天川君が旅行に誘ってくれたお陰で、ヒノちゃん達とも仲良くなれたの。むしろ天川君には感謝してるよ」


 あぁ……この人は天使だろうか? または天使の生まれ変わりかもしれない。校内一のアイドル様は伊達じゃないわぁ。俺なんかが仲良くさせて頂いているのが烏滸がましいくらいだ。


 幸い、ヒノちゃんとミノちゃんはお土産コーナーに行っているので、今この部屋には由利村さんしかいない。休めるのは今だけだろうし、この少しの間だけでも休ませてもらおう。


 それから少しの時間が経過したところで、ようやく身体の調子が元に戻って来た。


「ありがと由利村さん、もう大丈夫。大分楽になってきたよ」


「本当? でも念のために水分補給はしておいた方がいいよ。今お水用意するから、少しだけ待っててね」


 由利村さんは立ち上がると、事前に冷蔵庫の中に用意されていた水入りペットボトルを取り出し、テーブル上に置いてあったコップの一つに中身を注いだ。ペットボトルごと渡してこない辺り、由利村さんの性格が出てるなぁ。


「はい、どうぞ」


「どうもどうも」


 コップを受け取って一気に中身を飲み干した。冷たい水が身体全体に染み渡る。よし、完全復活!


「ふぅ……なんていうか、本当に優しいよね由利村って。きっと将来は幸せな家庭を築くんだろうね……」


「大袈裟だよ天川君。それに私よりも、天川君の方が優しい人だと私は思うよ?」


「はははっ、それは買い被り過ぎだよ。流石に由利村さんの懐の広さには敵わないって。現に由利村さんは校内一のアイドルで、俺は特にこれといった特徴もない一般生徒だしね」


「そう言えば、それって前にも言ってたよね。私がアイドルってどういうことなの?」


 気になるようで、頭の上に疑問符を浮かべながら追求してくる。前は適当に誤魔化していたけど、別に隠すようなことでもないし、言ってもいいかな。


「実はね由利村さん。君はうちの高校の男子生徒から、アイドル的存在として崇拝されてるんだよ。俺も詳しくは知らないんだけど、なんでも由利村さんのファンクラブみたいな集団もいるらしいよ」


「えぇぇっ!? わ、私がアイドルって……なんでそんなことに? 絶対おかしいよそれ!」


「うーん……。いつからそんなことになったのかは知らないんだけど、俺としては由利村さんがそう思われても納得できちゃうんだよね。由利村さん本当に優しいから」


「うぅぅ……そ、そんなに褒められても困るよ。あぁ恥ずかしい……」


 耳を真っ赤にさせて両手で顔を塞いでしまった。そういう純粋な可愛さがあるからこそ、貴女はアイドル的存在なんだよ由利村さん。


「由利村さんはもっと自分に誇りを持った方がいいよ。俺と違って選ばれし人間なんだし」


「だからさっきから大袈裟過ぎるってば! 選ばれし人間って何!? 私は至って普通の女の子だよ!」


「普通じゃない人に限ってそういうことを言う。定番だよ由利村さん」


「むむむっ……そんなことないもん! それに私なんかより、天川君くんこそ自分をもっと誇って良いと思うよ!」


 俺に誇りを持てだって? はははっ、面白い冗談を言うなこの人。それができたら俺はこんなに苦労してないというのに。


 もし『貴方の長所はなんですか?』と聞かれた時にどう答えるか。俺の場合は『人の駄目な生き方のお手本になっているところです』と答える。それが俺という低能な人間だ。どうやら彼女はそれを分かってない。


「……ふっ」


「むぅ……その笑みはどういう意味かなぁ天川君?」


「別に何でもないよ。おかしな妄言に呆れているだけさ」


「妄言じゃないよ! 本当のことだよ! 天川君が気付いていないだけで、天川君の良いところは沢山あるよ!」


「ないない。むしろ俺はコンプレックスの塊のような人間だし」


「むぅぅ……そんなことないよ! 例えば――」


「いいですいいです言わなくて! 聞きたくないそんな同情!」


 咄嗟に由利村さんの口を抑える。しかし納得いかないご様子の由利村さんは俺の手を振り払おうと、か弱い力で抵抗してきた。


「無駄な抵抗はよすんだ由利村さん! そんなことしても何も得しないから!」


「そうはいきませあぶっ……天川君は自分を過小評価し過ぎもふっ……むしろ良いところの方が多いのにぐむっ……」


 くそっ、意味合いが違えど開いた口が塞がってくれない! この良心を封印するにはどうすれば!? ていうか、この体勢って端から見たら結構危なく見えるんじゃ……。


「ちょ、由利村さんもう少し大人しく――うわぁ!?」


「きゃっ!?」


 その時、俺は急激に嫌な予感を察していた。


 由利村さんが変にジタバタ動いていたせいで足を取られてしまい、バランスを崩して倒れてしまうと、同時に由利村さんも同じくバランスを崩して倒れてしまった。


 その時、絶妙なタイミングで部屋のドアが開けられた。


「お待たせしました。大分時間が掛かってしまってすいません」


「食べる物も買ってきたよ〜。皆で食べながら話を……」


 お土産が入った袋を持った二人が帰って来て、二人は俺達の状態を見て固まった。


 俺がうつ伏せに倒れて、その上に由利村さんが覆い被さっている。一目見たら誤解しか生まないであろう態勢になってしまっていた。


「……普通上下逆じゃね?」


「ち、ちちち違うのぉぉぉ!!」


 顔を真っ赤にさせた由利村さんはすぐさま俺から離れると、身振り手振り動かして慌て出した。


「意外と大胆だったんスね〜紫先輩。大人しく見えて抜け目ないとは……さてはお主、魔性の女ですな?」


「違う違う! 誤解だよミノちゃん! 今のはつい転んじゃって、そしたらあんな態勢になっちゃっただけなの! そうだよね天川君!」


 俺は固まったまま動けなくなっていた。短い時間ではあるが、由利村さんと密着したという出来事に呆気を取られているからだ。


 一瞬だけど、もの凄く良い匂いがした。しかも柔らかいものが背中に当たって……駄目だ、立ち上がれない。恥ずかし過ぎて顔を出せない。


「天川君? だ、大丈夫天川君!? また顔が赤くなってるけど、蒸し返しちゃったのかな!?」


「おっ、早速上手くいってる。いいよいいよ紫先輩。その調子でいこうよ」


「な、なん――あっ、そっか、そういえばそうだったよね……。いやでもやっぱりこれは駄目なような気がするよぉ……」


 訳の分からないことを言いながら縮こまる由利村さん。他人事だと思いやがって、何も良くないんだっつのあの野郎。


「ツム君大丈夫ですか? それと、可愛い女の子に襲われた感想はどうですか?」


「襲われてない! 事故だって本人が言ってるでしょーが!」


「うんうん、ちゃんと復活できたようですね。駄目ですよ? ちゃんと温泉は考えて入らないと」


「誰のせいで逆上せてたと思ってんだよ!」


 すぐさま立ち上がって無意識に手が出そうになったが、ヒノちゃんに触れる寸前で手を引っ込める。その一連の動作を見てニヤニヤと笑う彼女がもどかしい。くそっ、今日の内に絶対仕返ししてやる!


「折角の旅行なんですから怒らないでください。ほら、さっき買ってきたお饅頭あげますから」


「ふんっ、俺はもう子供じゃないんだ。食べ物で誤魔化せる程甘くは……あっ、美味しいねこれ」


「ぷくくっ……ご機嫌になってるじゃないですか」


「う、うるさいな。好きなんだよ饅頭。こしあんだから尚更」


「それは良かったです。美味しいですよねこしあん。私はつぶあん派ですけど」


「……それで言い争ったりはしないからね?」


「ぷくくっ……読まれましたか。流石に学習してますねツム君」


 隙あらば弄ってこようとしないで欲しいなぁ。今さっきまでのんびり休んでいられたのに、二人のせいで全てパーだ。妬ましい、妬ましいぞこの小娘達め。


「さてさて。ご飯も食べて温泉にも入った。そして部屋は布団一色。つまり次は何が行われるのか……皆分かるっしょ?」


 ついに来たかこの時間が。即ち、俺のやることは一つ。


「じゃ、今日はもう三人でガールズトークしてなさい。俺は縁側で月見しながら饅頭食べてるから」


「……させると思うマイブラザー?」


 縁側に避難しようとした結果、忍の身のこなしでミノちゃんに背後を取られた。


 馬鹿め……いつもの俺ならいざ知らず、今日の俺は簡単には流されん!


「ふっ!」


「おぉ?」


 後ろを振り向かずにミノちゃんの腕を掴む。そしてその軽い身体を持ち上げて一本背負を――


「聞いて聞いて紫先輩。実はさっき温泉で――」


 決める前に寸前で止めて、その場に蹲まって布団を叩いた。早速そのネタを乱用しやがって!


「ふっふっふっ。私から逃げようとしたって無駄だよツム兄。大人しく今日も私達に弄られなさい」


「分かった……分かったから……せめて優しく介抱してください……」


「はははっ、慈悲はありませんので悪しからず」


 鬼だ、鬼がいる。こんな妹を持った覚えはないぞ俺。


「駄目だよミノちゃん。天川君が可哀想でしょ?」


「何甘いこと言ってるんだい紫先輩。それだとツム兄が……分かるでしょ?」


「うっ……そ、それはそうだけど……」


「頑張って紫ちゃん。ツム君の命は由利村ちゃんの手に掛かってるよ」


「ねぇ、さっきから何の話してんの?」


「極秘事項です」


 話す気はないってか。いいよもう……三人だけで秘密を共有してれば……。


「はいはいそれじゃ位置について皆。今日はのんびりお話……する予定だったのですが、急遽予定を変更してゲームをすることにしまーす」


 部屋の中心で輪になるように各々が座る。前に酷い目にあったばかりなのに、また始まるのかこの時間が。こうなったら意地でもこの場を使って反撃の狼煙を上げてやる。


「ゲームって……トランプすら持ってきてないのに、何ができるって言うんだよ」


「そこは私に任せて。ちゃんと密かに用意しておいたからさ」


 そう言うとミノちゃんは四つん這いで鞄のある所まで歩いて行き、ごそごそと中を漁って何かを回収してきた。


「ほら、これがあれば充分っしょ?」


 ミノちゃんが皆に見せるように差し出してきたのは、一本だけ先のところが赤く塗られている四本の割り箸だった。


 俺は出口に向かって駆け出した。


「ツ〜ム兄? おんせ〜ん」


 くそぉぉぉ!!


 ミノちゃんの呼び掛けに応じて元の位置に戻った。いつかはやることになるんじゃないかと思ってはいたが、なんでよりにもよって今日なんだ!?


「それじゃもうやることは分かってるよね? 私が持ち役になるから、皆は一本ずつ割り箸を掴んで」


「えっと……これってあれだよね? 王様ゲーム……」


「そうみたいだね。やったことないけど面白そう」


「で、でもこれって王様の命令は絶対なんだよね? 私そういうのはちょっと……」


「大丈夫だよ紫ちゃん。そんな変な命令はしなければいい話だから。ツム君がちゃんと自重をすれば……ですけど」


 チラッと俺を見てニヤリと笑うヒノちゃん。するわけないだろそんなこと。それは君が一番よく分かってるんじゃないの?


「それじゃ一回戦! 王様わーたし!」


「……は?」


 スポッとミノちゃんの手から割り箸が抜かれる。王様は今のコメント通り、余り物をそのまま引いたミノちゃんだった。


「はっはぁ! キングゲーッツ!」


「いや待てやコラ。明らかに不正だろ今の」


「いやいや何を言ってるんだいツム兄? 私はちゃんと好きな割り箸を引かせたでしょ? 今の掛け声はほんのジョークだよ。言い掛かりはやめて頂きたいですなぁ?」


「くっ……悪運の強い奴め」


 この中で一番王様になって欲しくない奴が開幕からとは、波乱の予感しかしない。


「それじゃまずは軽いジャブからっしょ。てことで、一番は肩肌露出させなさい。その状態でゲーム継続で」


「ジャブどころかストレートじゃないかな!?」


 思わず由利村さんがシャウトしていた。


 いきなりとんでもない命令し始めたよこいつ。しかも由利村さんが恐れていた命令の部類だよ。言語道断、問答無用、それがこいつのやり口だと?


「あっ、一番私ですね。では失礼して……」


「っ!?」


 一番を引いていたのはヒノちゃんだったらしく、特に抵抗を感じる様子を見せずに浴衣を緩めて肩肌を露出させた。


 見てはいけない。そんなことは重々分かっているのに、俺の首は横に振り向いてはくれなかった。肩肌が露出されているだけなのに、あのヒノちゃんが少しだけ艶かしく見える。


 ぶわぁっと大量の汗が出てきた。また逆上せてしまいそうなくらいに顔が異常に熱い。


「ぷくくっ……どうしましたツム君? 顔が真っ赤ですよ?」


「いやっ!? 別に普通ですけどっ!?」


「声裏返ってるよツム兄。役得した? エロスを醸し出すヒノを見れて役得した?」


「だ、誰がだ! ヒノちゃんからエロスだなんてそんな……有り得ないし!」


 エロとか今言うんじゃない! 敏感に反応しちゃうでしょーが! 何処が、とは言わないけどね!


「はわわわっ……は、恥ずかしくないのヒノちゃん?」


「大丈夫だよ。ここには邪な感情を抱く人は一人もいないから。ですよね、ツム君?」


「はははっ、当然じゃないか。そもそも邪な感情って何? 俺にはさっぱり分からないなぁ?」


「ぷくくっ……そうですね」


 落ち着け俺、今のはまだ序の口だぞ。最初からこんなテンパっていたら身が持たん。ヒノちゃんのことはジャガイモか何かと思……いや流石に無理があるか、くそっ!


「それじゃ二回戦いくよ。王様わーたし!」


 ミノちゃん以外の皆で再び割り箸を引いた。王様は――ミノちゃんだった。


「ふぇっふぇっふぇっ! アイアムキーング!」


「ちょっと待てやコラ。やっぱり不正だろこれ」


「はぃ〜? ならば証拠を提示してくれます〜? そしたら私も納得してあげるからさぁ〜?」


 くそうぜぇその顔! 今日ほどミノちゃんをぶっ飛ばしたいと思った日はないぞ! でも本当か嘘か分からないトリックが分からないから何も言えない!


「反論できないみたいなので、また私が命令するよ〜。そうだなぁ……それじゃ、一番と三番がくっ付いて手を繋ぎなさい。例の如く、そのまま進行で宜しく〜」


「あっ、私三番ですね」


 ……嘘だろ?


「一番はどっちですか? ツム君? 紫ちゃん?」


「…………」


「ぷくくっ……ツム君ですね」


 読心術とは恐ろしい。何も言わずとも頭の中身を覗かれているような気分にされるから。まぁ、俺の場合は顔に出ちゃってるんだろうけど……。


「ほらほらツム兄、王様の命令は絶対よ〜」


「……慈悲は――」


「ないです」


 ですよね、分かってました。もうお前には今後一生期待しないよミノちゃん。


「それじゃまた失礼しますね」


 ヒノちゃんが四つん這いで近付いて来て、ぴったりと俺の右側にくっ付いて来た。この時点でもうアカン。なんか良い匂いしてきたし。


「あっ、ちなみに繋ぎ方は恋人繋ぎね。その方が面白そうなんで」


 面白そうってなんだよ!? こっちは何も面白くねーよ! 心臓バックバクで今にも爆発しそうだよ!


「ふむ……ならツム君から握ってください」


「な、なんで!?」


「こういうのは男の人の方から握るのが定番じゃないですか。なのでお願いします」


「ぐぅ……わ、分かった……」


 カタカタと誰から見ても分かりやすいくらいに震える手。手汗も滲み出てきて、できることなら一目散に逃げ出したい。しかしそれをさせてくれない鬼畜な妹がいるわけで、何が何でもやらざるを得ない。


 少しずつヒノちゃんの左手に俺の右手を近付けていく。その途中で『あれ? 今の俺って変態っぽくね?』と思ったが、頭を激しく振って雑念を振り払い、ようやくヒノちゃんの左手に触れて握った。


「ツム兄、それじゃ普通の繋ぎでしょ。ちゃんと恋人繋ぎしなさい」


「おぅえぅぅ……」


「ぶっ!?……く、くくくっ……」


 俺の謎な反応に吹き出しそうしなるミノちゃん。ヒノちゃんもヒノちゃんでニヤニヤしながら、動揺する俺の様子を伺っていた。


 くそっ……こうなりゃやけだ!


 勢いに身を任せてヒノちゃんの左手に指を絡め、痛くならない程度にギュッと握り締めた。


「おぉ、一気にいったね」


「…………いいなぁ」


「んん? 何か言った紫先輩?」


「え? う、ううん! 何でもないよ!」


 手が……手が小さいよ。そして凄い柔いよ。にぎにぎと握れば握るほど、気持ち良い感触が直に伝わってくるよ。


「ぷくくっ……手汗凄いですねツム君」


「ご、ごめん! 気持ち悪いならすぐに離した方が……」


「いえ、大丈夫ですよ。それにこれは命令なんですから、離しちゃ駄目ですよ?」


「そ、そっか……」


 離しちゃ駄目て……ち、違う違う! ルールの話だそれは! 決してそういう意味で言ってるわけじゃない! 馬鹿馬鹿しい勘違いをするんじゃない!


「それじゃどんどんいこっか。三回戦始めましょ〜。王様わ――」


「普通に言え。それと割り箸は俺が持つ」


「えぇ〜? 仕方無いなぁ……」


 ブーブー言いながらも素直に俺の言うことを聞いて、俺は人数分の割り箸を右手に持った。皆に見えないように後手で割り箸を混ぜて、皆の元に差し出す。


「はい、王様だーれだ」


 俺の掛け声と共に割り箸が引かれる。王様はミノちゃん――ではなく、ヒノちゃんの手に渡った。


「私ですね。それじゃ命令する前に……ツム君」


「な、何?」


「ツム君は何番ですか? 一番ですか?」


「何直接聞いてんの!? 言うわけないでしょーが!」


 ミノちゃんとはまた違った趣向で来たよ。俺を弄る気満々かこの娘。何を言われようと無言を貫き通してやる!


「一番ですか?」


「…………」


「二番ですか?」


「…………」


「三番ですか?」


「っ…………」


「……なるほど。では、次に紫ちゃん」


 え? 何? まさか今ので分かったの!? 今度は外に出さないよう顔に力を入れてたのに、何者なんだよこの後輩!? ていうか由利村さんにも同じことする気かよ!


「な、何かな?」


「紫ちゃんは……一番……いや、二番ですね?」


「え? ち、違うよ〜? 私は四番だよ〜?」


「ぷくくっ……なるほど」


 嘘下手っ! でもそこが由利村さんの良いところだということは否めない! 君は正直に生きればいいんだ由利村さん! 今はそれが仇になっちゃってるけど!


「では命令です。二番の人は三番の人を三十秒、後ろからハグしてください」


「「っ!!?」」


 なんつー命令してくれちゃってんのこの娘!? そんなことできるわけないでしょーが!?


「は、は、ハグ……ハグって……魔法の道具のことだよね!?」


「それは魔具(マグ)ね紫先輩。そんな可愛い誤魔化し方しても無駄よ無駄」


「あぅぅ……」


 二番の由利村さんは顔を真っ赤にさせて俯いてしまう。そして何故か、ミノちゃんが少し不機嫌になっているように見えた。当てられなかったことがつまらないとでも思ったんだろうか?


「では二番の紫ちゃん。三番のツム君を後ろからハグしてください。私は一度離れておきますね」


 ヒノちゃんがそっと俺の手を離して少しだけ離れた位置に移動した。なんかちょっと虚し……くねーしぃ!? むしろ身体が楽になったしぃ!!


 だが、この楽な身体はこの短い時間だけの話。由利村さんは一度立ち上がって俺の背後に移動して、またちょこんと座った。


「ぷくくっ……ちょっとじゃ駄目ですからね。ちゃんとハグしないと無効になるのでお気を付けて」


「余計なこと言わんでえぇ! 由利村さんも止めておきなって! 今の俺、汗でぐっしょりしてるから! 絶対気分悪くするって!」


「……ううん、大丈夫だよ。大丈夫だから……」


 俺と同じく動揺した様子を見せながらも、なんとなく今の由利村さんから真剣な雰囲気が伝わってきた。何を考えてるんだ由利村さんよ……。


「そ、それじゃ……し、失礼します!」


「っ!!?」


 覚悟を決めたのか、由利村さんは少しずつではなく、一気に飛びついて来て背中に抱き着いて来た。瞬間、俺の身体が一度だけ異常に揺れた。


 さっきのヒノちゃんとよりも密着した身体。ヒノちゃんとはまた違った女の子独特の柔らかさが伝わってきた。


 ……主に、背中に思い切り当たっている“アレ”が。


「っ〜〜〜!! ぶがぁっ!?」


 三十秒が経過する前に精神に限界が訪れ、頭、口、耳といった部分全てから湯煙が噴き上がり、由利村さんから離れて前のめりに倒れ込んだ。


 顔が熱すぎてやばい。脱水症状になってもおかしくない熱さだ。それだけ由利村さんからのハグにインパクトがあったということだろう。恐るべし成長期真っ盛りの女の子……。


「っ〜〜〜!! うぅぅぅ……」


 俺に続いて由利村さんも頭から湯気を発生させて、こてんと横に倒れて布団の中に潜り込んだ。ミノムシのように身体を丸めていて、またその様子が女の子らしくて可愛らしい。


「ありゃりゃ、ダブルノックダウンしちゃったよ。やり過ぎじゃないヒノ?」


「ぷくくっ……二人にはちょっと刺激が強かったかな?」


 最後に残ったタチ悪組の二人が俺達を見て笑うのを尻目に、王様ゲームは部屋の中を熱気でほかほかにさせたところで幕を閉じた。


 もう二度としない、こんなゲーム。




〜※〜




 ひんやりした気持ち良い空気が漂うよう真夜中。皆が寝静まったところを見計らい、俺は一人で縁側に出て饅頭を肴に月見をしていた。


 木でできた柱の一本に背を預けて、小さな饅頭をゆっくりと味わう。色々と騒がしい旅行だったけど、この時間だけは確保できて良かった。


 黄昏たいというわけではないが、やっぱり今みたいな静かな夜が一番落ち着く。皆と一緒にいる時も好きだけれど、こうして一人でいるのも結構好きだ。誰にもツッコまなくていいし、何より疲れないから。


 にしても、あの王様ゲームは本当にやばかったなぁ。ヒノちゃんの肩肌を見せ付けられ、更に密着して手を繋いだりして、最後には由利村さんから抱き着かれるという始末。もし俺の友達に知られたら最後、俺はこの世から葬られることになるだろう。冗談と言いたいが、あの高校には由利村さんのファンクラブがあるし……気を付けよう。


 ……喉乾いてきたな。水飲んでくるか。


 饅頭の入った器を床に置いて立ち上がり、静かに襖を開いて部屋の中に戻る。


 部屋には不規則な体勢で眠っている三人の女の子達がいた。ミノちゃん以外は綺麗な姿勢で寝ているが、真っ直ぐ布団の上に横になっておらず、各々自由な位置で熟睡している。


「……ったく、風邪引くっていつも言ってるだろ」


 だらしない体勢で眠っているミノちゃんのうえに布団を掛ける。すると、むにゃむにゃと口を動かしながら聞き取れない声で何かをボヤいた。幸せそうな顔しやがって羨ましい奴だな。


 起こさないように頭を撫でてやると、口元が歪んでにへらっと笑った。


「ツム兄ぃ〜……見て見て私のロケットパンチ〜……」


 どんな夢見てんだこいつ……。


 ミノちゃんから離れて、水が置いてある冷蔵庫の方に向かおうと立ち上がる。


 そして歩き出したその瞬間、不意にミノちゃんが寝相の悪さで足を動かして、俺の片足が見事に取られた。


「やべっ!?」


 バランスを崩したまま少し前の方に進み、そのままの勢いで前の方に身体が倒れていく。その先には運悪くも、ヒノちゃんが眠っていた。


「っ!!」


 ヒノちゃんに向かって倒れ込む寸前に手足を布団に付いて、ギリギリのところで最悪の事態を回避する。後少し遅れていれば、俺はボディータックルをヒノちゃんに放っていたところだった。


 ……ていうか、この体勢も普通にまずい。由利村さんと一緒に倒れてしまった時のように、今度は俺がヒノちゃんの上に乗っかって四つん這いになっている。誰かに見られれば一発アウトの光景再びだ。


 だが、その心配はなかった。その代わりに――


「……夜這いですか?」


 本人に見られることとなった。パチッと間近で目が合い、俺の頭の中は一瞬で沸騰した。


「ち、違っ――ぐむっ!?」


 否定しようとした寸前のところでヒノちゃんに手で口を塞がれ、人差し指を立ててくる。


「しっー……駄目ですよツム君。二人共寝てるんですから静かにしないと」


「うっ……ご、ごめん」


 こんな状態でありながら注意される俺って……我ながら情けない男だ。


「ま、待ってね。今退けるから」


「……待ってくださいツム君」


 起き上がって避けようとすると、ヒノちゃんに背中に手を回されて止められた。


「な、何? 早く避けないと誰かに見られたりしたら……」


「それよりもツム君。ちょっと目を瞑ってくれますか?」


「……は?」


 なんて言った今この娘? 目を瞑れって言ったのか?


 ……いや……いやいやいや!? 何言ってんのこの娘!? まさか寝惚けてるとかそういう感じ!? いやでもヒノちゃんは間違いなく起きてるし……な、何が起こっているというんだ!?


「いや……な、なんで?」


「……言わないと分かりませんか?」


 ヒノちゃんはニヤニヤといつものように笑わず、微かに頬を赤らめて俺の目を真っ直ぐに見つめてきている。なんでこんな時にそんな真面目になってるんだよ。こういう時こそニヤニヤと笑ってくれよ……。


 ヒノちゃんの言ったことに従ったわけではないが、心底恥ずかしくなって思わず目を瞑ってしまった。


「そのまま動かないでくださいね」


 すると、少しずつヒノちゃんの顔が近付いてくる気配がした。嘘? マジで? これは本当に現実なのか?


 ゆっくり、ゆっくりと近付いてくるヒノちゃんの気配。俺はぷるぷると震えてずっと目を瞑り続ける。


 そして――頬に何かが触れた感触がした。


 俺はゆっくりと目を開いた。すると目の前には、何かを指に摘んでニヤついているヒノちゃんの顔があった。


「お饅頭。食べカスが付いてましたよ」


「……っ〜〜〜!!」


 うあ゛ぁぁぁ!!もう何から何まで恥ずかしいっ!! 何を一人で勝手に勘違いしてたんだぁ!!


「ぷくくっ……どうしましたツム君? もしかして私が何か違うことをすると思っていましたか? できればそこを詳しく教えて欲しいんですが」


「ち、違っ――います……別に何も思ってません……」


「説得力ないですよ。ほら、一体何を考えていたんですか? 教えてくださいよ。……ぷくくっ」


「やか――ましいわぃ……退けるから手を離してくれますか……」


 ヒノちゃんが俺の背中を離してくれたところで、すぐさま俺はヒノちゃんと距離を取った。未だにドクンドクンと激しく動く心臓を抑えて、布団に手と頭を付けた。


 また弄られて……いや、からかわれてしまった。しかも今のは完全に騙された。雰囲気に流されて妙なことを考えてしまった俺のミスだ。


 ……妙な雰囲気ってなんだ。そんなものに流されてねーし! 今のはちょっとした出来心だし! 思わず見惚れていたとかあるわけねーし!


「ぷくくっ……大丈夫ですかツム君?」


 ヒノちゃんが布団から出て起き上がって来た。まさか此奴、始めから起きていたな? 先の先まで油断ならない娘だなぁホントに。


「別に何も問題ないですけど何か?」


「いえ、大丈夫ならいいんです。それよりまだ起きてたんですか?」


「まぁ……ね。饅頭食べながら月見してたんだよ。その最中に喉が乾いて部屋に戻って来たんだけど……」


「なるほど。それで私に夜這いをして喉を潤そうとしたんですね」


「んなわけないで――しょーが……ミノちゃんに足を掛けられて転んじゃっただけだよ。でもまぁ、起こしちゃったなら謝るけど……」


「お構いなく。最初からバッチリ起きていましたから」


「……そうですか」


 最後の最後まで俺を弄りおって、憎たらしい後輩め。しかも結局、今日のうちに何も仕返しできなかったし。また一方的に弄られて終わりとは、これじゃいつもと変わらないじゃないか……。


 冷蔵庫の前まで来て水が入ったペットボトルを取り出し、何度か飲み込んで喉を潤した。よし、さっさと戻ろ。


「また月見しに行くんですか?」


「うん。ヒノちゃんも早く寝なよ。明日起きるの早いからね」


「私は常日頃から早起きしてるので大丈夫です。それより私も一緒に月見していいですか?」


「……弄ってこないなら良いよ」


「ぷくくっ……なら、からかうのは有りってことですね?」


「おやすみヒノちゃん。勝手に良い夢見てなさい」


「冗談ですよ、怒らないでくださいツム君」


「全く……最初からそう言いなさい」


 正直気乗りしないが断るのも気が引けたため、ヒノちゃんを連れて縁側の方に戻った。


 また木の柱に背を預けて座り、ヒノちゃんは俺のすぐ傍のところに腰を下ろした。


「ふぅ……夜風が気持ち良いですね」


「……そだね」


 チラリとヒノちゃんを見てみると、夜風に髪を靡かせて目を細め、物思いに耽っているような様子で月を見上げていた。その姿を見てドキッとしたような気がしたが、それは間違いなく気のせいだ。


「楽しかったですね温泉旅行。私達だけで旅行に行くのは初めてでしたけど、ツム君はどうでしたか?」


「俺は……楽しかったかな。君の弄りが無ければ完璧だったけどねぇ?」


「ぷくくっ……照れ隠しですか?」


「照れてないわ! むしろ疲れたわ!」


「でも元気じゃないですか。お盛んなんですねツム君は」


「その言い方止めてくれない? 違う意味に聞こえるから」


「違う意味? それは一体どういう意味ですか?」


「……おい」


「ぷくくっ……すみません、つい」


 約束したばかりなのにこれだ。最早ヒノちゃんにとって俺を弄ることが癖になっているのかもしれない。なんて迷惑な癖だろうか。


「君はもう少し自重するということを学びなさい」


「ちゃんと学んでますよ。ただ、ツム君の前では自重する必要がないと思ってるだけです」


「人種差別? 俺にも優しくしてくれよ!」


「ぷくくっ……ちゃんと優しく弄ってるじゃないですか」


「そういう優しさはいらないから! 俺が求めてるのは純粋な優しさだから!」


「あっ、美味しいですねお饅頭」


「露骨に話逸らすな! あぁもう君って奴は……」


 なんだか頭が痛くなってきた。月見くらいゆっくりさせてくれてもいいじゃないか……。


「ぷくくっ……嫌いになりましたか?」


「えぇ、そりゃぁもう。ヒノちゃんなんて嫌いだ嫌い」


「そうですか。私はツム君のこと好きですけどね」


「…………」


 いつものことだ、深く考えるんじゃない! これは定番の弄り方だ! そう何度もヒノちゃんの筋書き通りに合わせられてたまるかってんだ!


 ここでもし俺が『どういう意味だよ』と聞けば、ヒノちゃんは間違いなく『どう思います?』と切り出してくるはず。安易に口を滑らしてはいけないことは、今までの経験でよく理解してるんだよ。


「それってどうせ、先輩としてってことでしょ。そう何度も騙されないよ俺は」


「……なら、そうじゃないって言ったらどうしますか?」


「っ!?」


 質問し返さずに断言したように言ってみたが、また新しい切り返し方をされてしまった。しかしまだ俺は折れるわけにはいかない。


「そうじゃないって……言わないでしょ君は」


「……その根拠は?」


「根拠……そ、それは別にないけどさ……」


「なら断言はできませんね。で、どうですか? 私の好きはどういう意味だと思います?」


「うぐぅ……!?」


 立ち位置がいつもの場所に戻されてしまった。そんなの俺の口から言えるわけないじゃん!


 ……いや、本当は難しい質問じゃないはずだ。NOだと言えば済む話なのだから。ただそれだけなのに、何でだろうか。それを言えない……いや、言いたくないと思ってしまう自分がいる。


 なんで? 別にヒノちゃんにどう思われてようが関係ないでしょーが。た、例えその……“そういう好き”だったとしても、何も気に止めることはない。そう、ない! 何もない!


 でもそこまで分かっていながら、やっぱり答えが言えない。後から後から体温が上がっていくだけだ。くそっ、胸の中がもやもやする……。


「……饅頭美味いね」


「そうですね。で、どっちだと思います?」


「自分は棚に上げたくせに! ズルいよヒノちゃん! あんまりだよ!」


「ふふっ……すいません、冗談です。また少し興が乗ってしまいました」


 慌てまくる俺を見て楽しそうに笑うヒノちゃん。いつも楽しそうにしてるヒノちゃんだけど、今は特に楽しそうにしてるような気がする。やっぱり旅行だからか、ミノちゃんと一緒でテンションが少し高いのかもしれない。


「なんか機嫌がいいねヒノちゃん。今回の旅行中に何か良いことでもあったの?」


「そう見えましたか? でも……そうですね。良いことは沢山ありました」


「ふーん……例えば?」


「例えば……こうしてツム君と二人でお喋りしていること、ですね」


「っ〜〜〜!!」


 一度だけ思い切り木の柱に頭を打ち付ける。どうしてこの娘はこう、懲りもせずに誤解を招く発言を何度もするかなぁ……。


 違う! 違うぞ! 嬉しくなんてない! 嬉しがってなんてない! 確かに少しだけ……ほんの少しだけ楽しいとは思ってるかもしれないけど、それは嬉しい気持ちとは別の話だ! 喜怒哀楽という言葉で喜と楽が分かれているのが何よりの証拠だ!


「ぷくくっ……ツム君は一つ一つ反応してくれるから面白いです。恥ずかしがり屋芸人として上京でもすれば、結構売れるんじゃないですか?」


「斬新な芸人だね……絶対ならないけど」


「そうですか。でも確かにそうですね。どちらかと言えばツム君は、耳フェチ芸人の方が合っているでしょうからね」


「それ芸人じゃないから、ただの変態だから。そもそも芸人になる気すらないから」


「え? ツム君は変態じゃなかったんですか?」


「……泣いていい?」


「ぷくくっ……冗談ですよ」


「さっきから冗談多過ぎるわ! そろそろ俺の心のケアに徹してください!」


「それは私の気分次第ということで」


 鬼だ、ここにも鬼がいる。あの(おに)の性格が伝染してしまったというのか。まるで寄生型ウイルスだ。


「さて、私はそろそろ寝ますね。ツム君も夜更かしは程々にしておいた方がいいですよ」


「え? う、うん……」


「ふふっ……それでは、おやすみなさい」


 ニコッと笑うと、ヒノちゃんは立ち上がって部屋の方に戻って行く。


「あっ……ちょ、ちょっと待ってヒノちゃん!」


 そこで何故か俺は、咄嗟にヒノちゃんを止めていた。


「ん? どうしました?」


「いや……えっと……」


 止める理由もないのに何故止めた? 何がしたいんだ俺は……。で、でも止めてしまった以上は何か言わないと不自然に思われてしまう。


「あ〜…………そ、そうそう。今回の旅行の件だけど、お礼は何が良いかな?」


「お礼……ですか?」


「う、うん。俺にできる範囲なら何かしてあげたいんだけど……」


 咄嗟に出た言葉にしては、中々良いことを喋ることができた。いくら弄られたとはいえ、この旅館にやってこられたのは全てヒノちゃんのお陰だ。そのためか、少しでもその恩を返してあげたいと素直に思った。


 だけどヒノちゃんは、そんな俺の想いとは裏腹に横に首を振って苦笑した。


「別に構いませんよ。今日のは私が好きでしたことですから」


「そうかもしれないけど、何か返さないと俺の気が済まないというか。些細なことでもいいから、何か願望とかないかな? 俺にできる範囲だから結構限られちゃうけど……」


「そうですねぇ……なら一つだけお願いを聞いてもらえますか?」


 ヒノちゃんのお願いだから少し怖いが、言い出しっぺの俺に断る義理はない。


「う、うん。何かな?」


「……ふふっ」


 するとヒノちゃんはまた俺の元に近付いてきたと思いきや、俺の耳元に顔を近付けてきた。


「またツム君と一緒に旅行に行きたいです」


「っ!」


 囁くように伝えられたお願い。それは至って単純で、また大きな誤解を招くような言い方だった。


「……分かった。今度は俺から誘うよ」


「っ! ふふっ、ありがとうございます」


 照れながらもそう言ってあげると、ヒノちゃんは少し驚いた顔をした後にニッコリと笑った。一瞬だけその笑顔に目を奪われたが……深い意味はない。絶対にない。


「こんな機会滅多にないですし、良かったら一緒に寝ませんかツム君?」


「寝るわけないでしょーが。ええから早よ寝んかい。もう十二時過ぎてるし」


「ツム君はまだ起きてるんですか?」


「うん、もう少ししたら寝る」


「そうですか。なら私もまだ起きてます」


「……分かったよ、俺も寝ますよもう。でも離れて寝てよ? 何が何でも離れて寝てよ?」


「ぷくくっ……フリですか?」


「違うわっ!」


 俺達の会話が夜空に溶け込んでいき、夜が明けてしまう前に俺達は二人同時に眠りについた。でもミノちゃんの寝相が悪すぎて理不尽な暴力を受けたため、俺一人だけはロクに眠ることができなかった。


 ……楽しかったな温泉旅行。夏になったらまた皆で何処かに行こうかな。




〜※〜




 〜後日談〜


「ねぇヒノ、ちょっと聞いてもいい?」


「ん? どうしたのミノちゃん?」


「ほら、最近温泉旅行に行ったじゃん? その時のことも関連してるんだけどさ。ヒノって紫先輩のこと、ぶっちゃけどう思ってる?」


「どうって……良い人だよね。それに可愛くて、今まで出会った人の中で一番純粋な人だと思ってるかな」


「ま、まぁそうなんだけどさ。そういう意味じゃなくて……ほら、分かるっしょ? あの人って明らかにツム兄のこと好きみたいだから……」


「あっ、そういうこと? ツム君にとっては良いことだよね」


「いやいや呑気過ぎるって親友。あの人は学園アイドルなんだよ? ツム兄の言い方からして、ツム兄も紫先輩のこと良く思ってるみたいだし、もしかしたら……ね?


「ありがとうミノちゃん。私のこと心配してくれてるんだよね」


「当たり前でしょーが。ヒノのためなら私は裸になることすら躊躇しないし」


「ふふっ……ミノちゃんは本当に良い人だね。でも私は大丈夫だから。それにね、私は私で思うところがあるんだ」


「思うところ?」


「うん。確かに紫ちゃんはツム君のことが好きで、私もツム君のことが好き。だからいつかは対立してしまうのかもしれない。けど、それでも私は紫ちゃんのことを嫌いになりたくないの。少なくとも紫ちゃんは、ツム君のことを優しい人だと思ってくれてる良い人だから」


「そ、そうだけど……」


「それに、誰かが誰かを好きになることは自由なことでしょ? 私の好きな人が誰かと被っちゃったとしても、私がその人を責める資格は無いよ。そうでしょ?」


「う、うぅ〜ん……そうなんだけどさぁ……ならもし紫先輩とぶつかるようなことになったら、ヒノは一体どうするつもりなのさ? まさかツム兄を譲っちゃうの?」


「……ううん、それは流石にできないよ。その時は私も真正面から向き合うつもり。もしそれで紫ちゃんから嫌われてしまったり、ツム君と離れ離れになっちゃったとしても……後悔はないよ」


「……珍しい。ヒノの嘘なんて初めて聞いたよ」


「あははっ……やっぱりバレちゃった?」


「当たり前だっつーに。一体何年一緒にいると思ってんのさ。百歩譲って紫先輩に嫌われるならまだしも、ツム兄と離れ離れは流石のヒノでも堪えられないと思うけど?」


「うん、そうかも。きっと凄く落ち込むと自分でも思う。でもねミノちゃん。不思議なことに、不安な気持ちは殆ど無いの」


「ほぅ……それは何故?」


「うん、とても簡単なことだよ。それはきっと、ミノちゃんも同じことだと思う」


「あぁなるほど……“信じてる”ってことね。こんな可愛い女の子に信頼されてまぁ、贅沢な立場だねぇツム兄も」


「ぷくくっ……そうだね。これは近いうちにちょっとしたお仕置きが必要だったり?」


「その時は私に全て任せなさいな。あのシャイボーイに私が柔っこい鉄槌を下してあげるからさ」


「うん、ありがとうミノちゃん。お手柔らかに宜しくね」


「にししっ、お任せあれってね」

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