温泉旅行 前編
俺には一つ年下の後輩が存在する。
自分で言うのもなんだが、俺の心は意外とピュアだ。しかしその純粋な部分にやたらと漬け込んできて、もう勘弁してくださいと言わせるくらいに弄り倒してくる。年上の先輩に対してなんと失礼な接し方だろうか。まぁ、懐の広い俺はそれさえも受け入れてやっているのだが。
とまぁ、その後輩こと、ヒノちゃんを少々ディスるようなコメントをしていたが、実は悪いことばかりというわけではない。むしろ今回のように、良い出来事に巡り合うこともあった。
現在の場所はとある宿の前。俺達は立派な和風建築の温泉旅館へとやって来ていた。
「おっほ〜、これは見事な旅館ですなぁ。費用はいくらくらい掛かってるんだろ?」
今日も癖の強い毛を生やした黒髪セミロング少女。俺の妹であるミノちゃんは、温泉旅館を前にしてそんないやらしい発言をしていた。もっと他にまともな感想を言えないのかこいつは。
「ツム君ツム君」
慣れ親しんだニヤニヤ顔を浮かべるタレ目少女こと、ヒノちゃんが俺の背中を突っついてくる。
「うん? 何?」
「実はなんですけどね。この温泉旅館……出るらしいですよ」
またそういう新情報をここで……。そもそも何処で仕入れてくるんだそういうの? ネット? ネットか? これだから現代っ子というのは……。
「……何が?」
「ぷくくっ……言わないと分かりませんか?」
えぇ、分かりませんねぇ何も。出るらしいってただ言われても、そこに主語がなければ何にも全く分からない。決して“そういうもの”だなんて断定できないし、妙な言い方は止めてもらいたいなホント。
……足が震えてくるから。
「え、えっと……天城さん。そ、それってひょっとして……そういうことなのかな?」
強がりを見せる俺とは対称的に、青い顔になって身体を震わせる少女がまた一人。前は茶髪を一つに束ねて肩に垂らした髪型だったけど、今日はリボンを結んだカントリースタイルのツインテールだ。
彼女の名は由利村紫さん。ひょんなことから友達関係になり、俺の切実な願いによって共にこの場所へと来てくれた救世主のような人だ。
「だ、騙されちゃ駄目だ由利村さん! これもまたヒノちゃんの策略なんだ! 出るだなんてそんな……嘘に決まってるじゃないか!」
「そ、そうだよね!? 出るだなんてやっぱり冗談だったんだよね! そうだよね天城さん?」
「……いいえ、本当に出ますよ」
ヒノちゃんからいつものニヤ顔が消えて、突如その表情が暗いものへと変わる。やだ、止めてその顔! 真昼間なのに雰囲気出てくるじゃないか!
「これは最近の噂なんですけどね……。就寝する時間帯になった頃、とあるお客さんが布団の中に入って眠りについたんです。そして数十分が経過した時、外から妙な物音が聞こえてきたらしいんです。ガサガサ……ガサガサ……その物音は少しずつ近くなっていき、やがて物音は襖の目の前までやって来て止まりました……」
饒舌に語り出される唐突な怪談話。俺はまだ耐えられているが、由利村さんは耳を塞いで首を何度も横に振っていた。怖い話駄目なんだなこの人。
「お客さんは気になってしまいまして……襖の奥に何かが潜んでいるかもしれないと、警戒心を十分に張り詰めながら襖を開きました。するとすぐ目の前に……いたんですよ」
「止めて止めてぇ! 聞こえない聞こえない!」
「そう……一匹の野良猫が」
「何にも聞こえな――え? 猫?」
「そう、猫です。……ぷくくっ」
それはもう楽しそうに笑うヒノちゃん。そしてその後ろでは、吹き出すのを堪えて腹を抱えているミノちゃんもいた。
野郎……情報提供者はあいつだったってわけか。俺だけじゃなく、ついに由利村さんにまで魔の手が掛かってしまった! 不覚!
「駄目だよお二人さん。一体誰が幽霊の話をするなんて言ったんだい? いやぁ、本当に怖いのは人間の想像力というけど、まさにその通りですなぁ」
「……あのさ二人共。旅行中くらいは弄ってくるの止めない? 俺はここに癒されるために来たつもりだからさぁ……」
「弄る? ねぇヒノ、弄るって何? ワタシ、コノヒトガ、イッテルコト、ワカラナーイ」
テンション上がってるせいで、今日のミノちゃんは一段とまたウザい。このアヘ顔が心底癪に触る。こんなんだからいつまで経っても色気の一つも身に付かないんだろうなぁ……。
「まぁそう怒らないでくださいツム君。今のはちょっとした小話ですから。由利村先輩もすみませんでした」
「あ、あははっ……私は気にしてないから大丈夫だよ」
と、笑顔で言っているものの、身体の方はガクガクブルブルと正直だった。この人の前で怖い話はNGだな。二人には後で言い聞かせておこう。
「ほら、いつまでもここで止まってたら他の人に迷惑でしょ。さっさと部屋に行くぞ」
各々荷物を持って再び歩き出し、旅館の中へと入った。
旅館に入ってすぐ近くに受付場が見えたと思いきや、その場所から和服を着た一人の女性が近寄って来た。見たところここの女将さんっぽいな。
「ようこそお越し下さいました。私は当旅館の女将を務めてさせて頂いています、斎藤と申します。失礼ですがお名前をお聞かせ頂けますでしょうか?」
旅館の部屋を取る際に使った名前はヒノちゃんだったため、ヒノちゃんは皆より一歩前に出て一礼した。
「こんにちは、私は天城と言います。以前にチケットを使って予約したんですが……」
「天城様……ですね。お待ちしていました。それではお部屋にご案内しますので、私について来てください」
女将さんの後に続いて歩いていく。その最中、俺は無意識に女将さんの後ろ姿を見つめていた。
……良いな、和服。なんかこう……グッとくるものがある。日本独特な感じがする、みたいな? 和服を着ているからこそ感じる色っぽさ、みたいな?
「ツム君、鼻の下が伸びてますよ」
「え? 嘘? ホントに?」
「ぷくくっ……駄目ですよ、女将さんを見てやらしいことを考えては」
「んなっ!?」
皆に聞こえるように言うものだから、勿論それは女将さんの方にも聞こえてしまっていた。女将さんは俺を見て口に手を当てると、クスクスと笑っていた。
初っ端から帰りたくなって来た。何この羞恥プレイ? 求めてないよこんな失態!
一人顔を赤くさせてとぼとぼ歩いていると、部屋に着いたようで女将さんが足を止めた。
「お部屋はこちらになります。お食事や温泉の方はご自由に使って頂いて宜しいので、他に何かありましたらお部屋内にある電話で従業員をお呼びくださいませ」
「はい、ありがとうございます」
「ふふふっ……それでは、ごゆっくり」
そして女将さんはまた一礼をすると、また俺の顔を見てニッコリと笑って去って行った。もうあの人と顔を合わせられる気がしないよ……。
「…………あれ?」
案内された部屋を見て、俺はあることに気が付いた。
部屋が……一つしかない。
「……ヒノちゃん。一つだけ聞いてもいいかな」
「何ですか?」
「まさかとは思うけど……部屋って一つしか取ってないの?」
「そうですよ。元々チケットがそういうものでしたからね。もしかして分かってなかったんですか?」
「いや分かってるわけないよね!? 今初めて聞いたんだもの!?」
嘘だろ? これこそ冗談だと言ってくれよ! 部屋が一つしかないってことは、この部屋を女の子三人と俺一人で一緒に使えってこと!? いやいやいや! 無理に決まってるだろそんなの!?
百歩譲ってミノちゃん一人ならまだ良い。兄妹なんだし、気を使う必要なんて全くない。しかし今回は兄妹旅行ではなく、ヒノちゃんと由利村さんがいる友人達との旅行だ。そうなると仕様がざっくり変わってくる。
「ほぅほぅ、部屋は中々広いときましたか。和室の畳って好きなんだよね私」
「本当だ。それに見て天川さん。こっちの縁側凄い綺麗だよ」
「おぉ〜、これはまた見事な。月見するには持ってこいですねぇ」
呑気なことに、あの二人は部屋に入ってわいわいと賑わいでいる。冷静に状況を見て欲しいんですけど。同室に男が混じってしまっている危うい状況に気付いてください。
「何をそんなに慌ててるんですかツム君? あっ、私ここに荷物置きますね」
「いや慌てるわそりゃぁ! 君達分かってんの!? 今日は俺もこの部屋に混じって寝ることになるんだよ!?」
「そうですね。それが何か?」
「何かって君ね……」
事実を知っておきながら、ヒノちゃんは平然とした様子で皆の荷物をまとめ出した。然りげ無く俺の荷物も取っていき、一段落したところでテーブルの前にある座椅子に座った。
「ふぅ……さて、これからどうしましょうか?」
「どうもこうもないわ! ねぇ良いの!? 俺ここにいて良い存在なの!? なんでそんなに余裕なの君達!?」
「決まってるじゃないですか。皆ツム君を信用しているからこそ、何も気に留めていないんですよ」
「お、おぉぅ……」
真顔で断言されてしまった。何この複雑な気持ち? 信用されてることは正直嬉しいけど、同時に「お前がそんな度胸ないチキン野郎だって知ってるし」と言われてるような気もして……。あぁ駄目だ。考えれば考える程もやもやしてくる。
俺が一人頭を抱えて悶えていると、鬱陶しい表情を浮かべるミノちゃんが肩に手を回して近寄って来た。
「細かいことはノンノンノン。こういう時は、男らしく堂々としていれば良いんだよツム兄。そのうじうじした性格を直さないと、いつまで経っても彼女なんてできないよ〜?」
「うじうじした性格って失礼だなお前。せめて気弱な紳士と言ってくれません? それと余計な一言が多いんだよ」
「まぁまぁそんな不機嫌にならずに〜。我らがアイドル紫先輩も困ってるっしょ?」
「え? わ、私は別に……」
気を遣って笑いかけてくれる由利村さん。今その配慮をされても、心苦しくしか感じられない。申し訳ない気持ちで一杯だ。
「私やヒノはともかくとして、紫先輩も大丈夫だよね? もし無理だったとしても大丈夫。いざとなったらツム兄は私が抱き枕として使うんで」
「おい、先輩相手だぞ。ちゃんと敬語使いなさい」
「まぁまぁそう固くならずに。今日は無礼講ってことでそういうのは無しで良いでやんしょ?」
「失礼山の如しか。つーかそのさっきから言ってる『まぁまぁ』っての止めろ。凄い腹立つから」
「まぁまぁ落ち着いて。お詫びに茶菓子でも食べる?」
反省の色無しどころか、テーブル上に置いてあった茶菓子を差し出すと見せ掛け、自分でパクリと食べてしまう。一発だけ殴ってやりたいが、後が怖いから殴るに殴れない。もどかしきこの葛藤よ……。
「あははっ。気にしなくていいよ天川君。全然気にしてないし、私も仲良くしてくれた方が嬉しいから」
「そ、そっか……。なら良いけど、俺の方は大丈夫なの?」
「…………う、うん、大丈夫。何も問題なんてないよ!」
嘘を隠しきれない人って本当に存在したんだなぁ。今の間で流石に気付かないわけがない。でもこれが普通の反応なんだよね。君は何もかもが正しいよ由利村さん……。
「ほら、分かっただろ二人共。由利村さんはまだ俺を信用し切ってないんだ。君達の当たり前を常識の範疇にしちゃいけないよ」
「ち、違うの天川君! 今のはそういうじゃないの! 大丈夫! 本当に大丈夫だから!」
「由利村さんも無理しちゃ駄目だ。この二人は君と違ってアブノーマルだからね。本当は君の判断が正しいんだ。間違ってない、間違ってないよ」
おかしいな。喋れば喋るほど涙が出てきそうになる。人に警戒されたのが初めての経験だからだろうか?
「……ちょっと外の空気吸ってくる」
「あっ!? ちょ、ちょっとまって天川く――」
由利村さんの声を背に受けながら、俺は静かに部屋を出て行った。
〜※〜
「あぁぁぁ……」
ツム兄が出て行った直後、紫先輩はテーブルに向かって崩れ倒れて俯いてしまった。やれやれ、ツム兄の鈍感さには呆れるものがあるねぇ。
「ごめんね皆……やっぱり来なかった方が良かったよね私……」
「そんなことないですよ。元気出してください由利村先輩」
自虐的になった先輩に対し、ヒノは先輩の頭を撫でて慰める。その人がヒノにとってどういう人なのかも知らずに、ホントお人好しだねぇこの親友は。
……いや、もしかしたら知って尚、仲良くしてる可能性もあるかも。ヒノだったらあり得ないとは断言できない。懐が広過ぎるというのも難儀な問題なのかねぇ?
「うぅ……ありがとう天城さん。私って面倒臭い性格だから、実は仲の良い友達ってあんまりいないんだよね」
いや、それは違うよ先輩。貴女は校内で高嶺の花扱いされてるから、同性の人ですら近寄り難くなっちゃってるってだけだよ。実際に話したら普通の人なのに、いつからこんな扱いされるようになったんだろこの人?
「気にすることないですよ。仲が良い友達が数人いるなら、私はそれで良いと思います。私も基本はミノちゃんとツム君としかいませんから、似たようなものなんです」
「あ、ありがとう天城さん。すっごく良い子だよね天城さんって。なんだか羨ましいなぁ……」
「ふふっ……そんなことないですよ。それと私のことは良かったらヒノって呼んでください。皆からもそう呼ばれているので」
「だ、だったら私のことも良かったら紫って呼んで欲しいな! 敬語も使わなくて良いよ!」
「分かりま……うん、分かったよ。これからも宜しくね紫ちゃん」
「っ〜〜〜! うん!」
さ、流石ヒノ。相手が物腰柔らかい人だとはいえ、こうもあっさり親密な関係を築いてしまうだなんて。見習いたいねぇ、このコミュニケーション力。
でも、これはこれで余計にややこしいことになりそうな予感がする。仲良くなることは良いことだとは思うけど……うーん、難しいなぁこの辺は。ツム兄も早く決心したらいいのに、あの様子だとしばらくは無理そうなんだよねぇ。
「紫ちゃんって休みの日とかは何をしてるの?」
「色々してるよ〜。漫画の本を読んだり、音楽鑑賞したり、最近だとぬいぐるみ作りに没頭してるの」
「ぬいぐるみ作り……私と違って女子力高いなぁ」
「そ、そんなことないよ〜。ヒノちゃんはどういうことしてるの?」
「フッフッフッ……何をしてると思います?」
「え? な、何その笑みは? 怖い! 怖いよヒノちゃん!」
あらあら、気付けばガールズトークに花を咲かせてるよ。本当ならツム兄の後を追いたいところだけど……楽しそうだからこっちに混ざろ。
「聞かない方がいいよ〜紫先輩。ヒノはこう見えて、人に言えない秘密結社で裏の仕事に着手しているような人だからさ」
「えぇ!? も、もしかしてスパイさんなの!?」
……なるほど、これは面白い。ツム兄とはまた違った趣向が味わえそうだ。
ヒノにアイコンタクトで合図を送ると、ヒノはニコッと笑って後ろ手に親指を立てた。そのノリの良さ、愛してるぜ親友。
「実はね紫ちゃん。私、今日もある人から依頼を受けてこの旅館にやって来たの。ツム君を弄るだけ弄って赤面させろという依頼を……」
「そうだったの!? でもなんでそんな依頼が……?」
「それがね……今ツム君は、とある病気に掛かっているの。今日中に顔を赤くさせないと、一生肩凝りが治らなくなるという恐ろしい病を」
「そんな!? それは大変だよ! 事は一刻を争う問題だよ!」
「ぶっ……くくくっ……」
や、やばい! 面白過ぎるこの人! 純粋過ぎるが故に、冗談をスポンジのようにぽんぽん吸収しちゃってるし! こんなの笑うに決まってるじゃんか!
「くくくっ……そ、そうなんだよ紫先輩。今日中にツム兄を真っ赤にさせないと、ツム兄は一生肩凝りに悩まされて生きていかなくちゃいけないんだよね。しかも本人はそれに気付いてないから、私達だけでどうにかしないといけないってわけ」
「更にね紫ちゃん。この事実はツム君本人に知られてはいけないの。もし知られてしまったが最後、それでもツム君は肩凝りの餌食になってしまうという、少々厄介なことになってるの」
「そ、それはシビアな問題だね……。それで、何か作戦とかは考えてるの?」
「それなんだけど……ぷくくっ……ちょ、ちょっと待っててね。先にお手洗いに行きたいから」
「う、うん! 分かったよ!」
「くくくっ……わ、私もおしっこしたくなってきたから、一緒に行ってくるね」
そうして私達は一度部屋を出た。嘘はいけないから、本当に御手洗場にやって来る。
「……くくくっ……ニャッハッハッハッハッ!!」
私は堪らず笑い上げた。腹を抱えて倒れ込みそうになるのを我慢して。
「ヒ、ヒノぉ! 流石にあの設定は駄目だって! 私が笑いを堪えるのにどれだけ必死になってたと思ってるのさ!」
「ぷくくっ……だってそれが狙いだったんだもん。もう少しでミノちゃんを笑わせられるんじゃないかって思ったけど、もう少し語力が足りなかったなぁ」
「狙いは私だったんかぃ! こいつめ〜!」
ヒノの肩に腕を回して、ぷにぷにと頬を摘む。ん〜、相変わらず餅のような肌ですわ〜。家に飾って置きたい可愛さよのぅ。
「ミノちゃんを笑わせることができなかったけど……その代わりに面白い収穫があったね」
「くくっ……そだね。これは使えますわぁ。主に、今日のメインイベントの時に」
「ぷくくっ……そうだね。それじゃ紫ちゃんには悪いけど、今日だけちょっと協力してもらおっか」
「真実は言わないように、ね。楽しくなってきたねぇこりゃ〜」
主役様は癒されに来たと言っていたけど、それはあくまでツム兄自身の都合。折角貴重な旅行なんだから、癒しより楽しさを求めないと。主に笑う役は私達だけだけど。
「よっし。それじゃ紫先輩は私に任せといてーな。ヒノはツム兄を捜しに行って来て。きっと今頃拗ねてるだろうから」
「ふふっ……分かった。それじゃまた後でね」
悪戯するのもいいけど、今日の目的はそれだけに留まらない。ツム兄とヒノをできるだけ二人きりにさせること。それが実のところ、私の本当の目的だったりする。
普段と違う場所で二人きりになるのは、また違った視野で相手を見ることができる。それに旅行先で付き合うことになったカップルというのは良くある話だし、もしかしたらもしかする可能性も無きにしも非ず。
紫先輩には悪いと思うけど、私は私の親友を応援させてもらう。そのためにも、早くツム兄には正直者になってもらわないとね。そしたらヒノも幸せになれるだろうし。
……お節介が過ぎるのかなぁ、私って。ま、いいや。迷惑かけない程度に援護してやらないとね。それがヒノの親友である私の役目なんだからね!
〜※〜
「いける……そのまま……そのまま……よし! よし! よ……ぐわぁぁぁ!?」
居場所がなくなって旅館内を彷徨っていると、都合良くゲームセンターコーナーを見つけた俺は、現在UFOキャッチャーで悪戦苦闘していた。
これで失敗五連続目。あの狐に似通った可愛いマスコットキャラのぬいぐるみは、確かヒノちゃんが好きなキャラだったはず。それでどうにか取ろうとしているのだが、これがまた中々取れなくて腹が立つ。
「……って、何してんだ俺はぁぁぁ!?」
ついつい貴重なお金を使っちゃったけど、今の言い方はなんだ!? まるで『ヒノちゃんのためにぬいぐるみ取ってやるぜ!』みたいな言い方じゃん!
違う違う違う! 深い意味なんてない! そう、これはただの暇潰しだ! 決してヒノちゃんが喜ぶ顔を見たいとか、そういう疚しい気持ちは一切無い!
こんなものは気まぐれだ気まぐれ! そこに山があったら登ろうとする登山家と同じ! そこにUFOキャッチャーがあったら取りたくなるキャッチャー名人の俺というわけだ! 全然取れてないから名人なんて呼べるはずも無いけどね!
しかしまぁ事情がどうであれ、一度始めてしまうと取れないのが凄い腹立つ。ここまで来るともう意地だ。UFOキャッチャーという貯金箱に募金するカモと思われようが、そんなことはもうどうだっていい。絶対に取ってやるぞこの狐マスコット。俺がその密室空間から外へと解き放ってやる!
「よし……行くぞ!」
「なら私は奥を見てますね」
「分かった! それじゃまずは横を揃えるのをクリアして――ヒョッポゥッ!?」
百円を入れようとした瞬間、いつの間にか隣に立っていたヒノちゃんの存在に気付き、思わず奇妙な奇声を上げてしまった。忍者の末裔なのかこの娘は?
「ぷくくっ……凄い声出ましたね今。そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」
口を抑えながらクスクスと笑うヒノちゃん。そうだそうだ、何をそんなに慌ててるんだ俺は。何も驚く要素なんてないじゃないか。別に後ろめたい気持ちとか何もないしぃ? 特にこれといって何か考えていたわけじゃないしぃ?
「こんなところで遊んでたんですね。今はUFOキャッチャーの最中だったんですか?」
「ま、まぁね。それよりヒノちゃんこそ、こんなところに何しに来たのさ。他の二人はどうしたの?」
「ミノちゃんと紫ちゃんは部屋でお話してますよ。私は旅館内を探索中だったんですけど、今さっき偶然ツム君を見つけたので声を掛けたんです」
「ふーん……そう」
紫ちゃんて……いつの間に名前で呼ぶほど仲良くなったんだ? でも仲良くなってくれるのは俺としても嬉しいし、むしろ願っていたことだから良かった。
「そういえば、由利村さん何か言ってた? 俺が邪魔だとか、実は嫌々ここに付いて来たとか……」
「そう悲観的にならないでくださいツム君。大丈夫ですよ。さっきのは誤解ですし、むしろ紫ちゃんは楽しんでくれていますから。なのでもう気にする必要はないです」
「は、はぁ……。でもなんか気が引けるなぁ。今日はロビーのソファーで一夜を過ごそうかな……」
「そしたらミノちゃんに怒られますよ? それか執拗以上に弄られるかのどっちかですね、間違いなく。そしてそれは私も同じことです」
「うぐっ……」
腹を括るしかないのか……。今日は絶対寝られないな。一夜漬けの覚悟を今の内にしとかないと。それと理性を暴走させないための心構えも……ね。
「それで、やらないんですか?」
「……何を?」
「UFOキャッチャーですよ。見たところもう少しで取れそうですけど、チャレンジしないんですか?」
「あぁ……うん。それじゃやろうかな」
頭の中を切り替えろ俺。今はヒノちゃんよりも、この狐マスコットだ。今度こそ俺のテクニックで手に入れてやる!
百円を投入し、UFOキャッチャーが起動する。まず最初に横を合わせて移動させ……ストップ! よしよし、ここまではノルマ達成の通過点だ。
「上手く合いましたね。それじゃ私は横から見るので、ツム君は私の合図に合わせてボタンを離してください」
「了解! よし、今度こそ取ってやる……」
ヒノちゃんの協力を得て、縦方向のボタンを移動させる。何故かこのUFOキャッチャーは縦移動がかなり遅いから、合わせる位置に付くまで地味に時間が掛かる。故にこれは、かなりの集中力が必要だ。
亀の歩みの如く、キャッチャーマシーンが動いていく。少しずつ……少しずつ……。
「…………今――」
「っしゃぁ!」
「と言ったら離してくださいね」
「……え?」
機械音を鳴らしてマシーンが動く。結果は誰から見ても分かる通り、完全なる空振りに終わった。
「ぷくくっ……すいません。今のは間が悪かったですね」
「絶対わざとでしょ!? わざと言ったでしょ今!?」
こんな時でもそういうことしてくるか!? くそっ、警戒せず簡単に信用した俺が馬鹿だった!
「えぇい! 邪魔をするつもりなら退いてなさい! 俺一人で取ってやる!」
「ぷくくっ……怒らないでくださいツム君。今度はちゃんと真面目にやりますから」
「ホントだな? 絶対だな? お金掛かってるんだから本気でやってよ?」
「分かりました。でも真面目にやって失敗しても怒らないでくださいね?」
「それはまぁ……俺の責任だし、流石にそんな八つ当たりみたいなことはしないよ」
「ふふっ……それじゃ、今度こそ取りましょうか」
「お、おう! やってやんよ!」
なけなしの百円を投入。ヒノちゃんは元の位置にスタンバイして、俺は横方向ののボタンを押して……止めた。
横合わせは既に慣れた。問題はこの縦方向だ。頼むぞヒノちゃん……。
また先程と同じようにマシーンが動いていく。ゆっくりと慎重に、少しのズレもできるだけ避けるように眼を凝らす。
「…………っ!」
「よし!」
ヒノちゃんがタイミングを見計らって右手を上げた瞬間、同時に俺はボタンから手を離した。見た感じは位置的にばっちり合っている。
ピロピロピロと機械音を鳴らしてマシーンが少しずつ下に下がっていき……キャッチ。上手い具合に掴まれたぬいぐるみは、俺の想像通りに固定されてくれた。
「お、おぉ!?」
そこで予想外の事態が発生した。狙っていたぬいぐるみと、他のもう一匹も一緒になってキャッチされたのだ。二匹同時取りって本当に存在したのか!
「よし……よし……そのまま……そのままだぞ……」
順調にマシーンが元の位置へと戻っていき、多少揺れてもぬいぐるみは運良く落ちることはなかった。ここのクレーンのアームは思っていたより頑丈にできていたようで、二匹掴んだことによって上手い具合に挟まって固定されてるようだ。
そしてついに元の位置にまで戻ってくると、アームが真横に開いてぬいぐるみが穴の方へと落下した。
「よっしゃぁ! 人生で初めて取れたぞ俺!」
ヒノちゃんが無表情でUFOキャッチャーの中を黙って見つめている中、俺はお気楽な気分で取り出し口を覗き込んだ。
……ぬいぐるみは落ちていなかった。
「あ、あれ? どういうこと? 確かに落ちたはずなのに……」
「ツム君ツム君」
「ん?」
ヒノちゃんが呼んでくると、UFOキャッチャーの穴の方に向けて指を差した。その方向をよく見てみると、二匹のぬいぐるみが穴の途中で挟まっていた。
「なんでじゃぁぁぁ!?」
落としたじゃん! ちゃんと二匹落としたじゃん! 欲張りはいけないってか? 貪欲に生きるのは駄目だと神が告げているのか!? これくらいすんなりくれたっていいじゃないか! 何の悪戯だこれは!?
「くそぉぉぉ……。何なんだよこれぇ……? まさに天国から地獄に落とされた気分だよ! もう!」
「ぷくくっ……凄いですねツム君。こんな奇跡は滅多にないと思いますよ? むしろこの予想外の展開を喜びましょうよ」
「微塵も喜べないよ!? お金掛かってるって言ったじゃん! 折角取れたと思ったのにさぁ……」
がくりとその場に両膝をついて項垂れる。自分でもオーバーリアクションだと思うけど、でもやっぱりこれは悔し過ぎる。勝利目前で無残に敗退だなんて、現実って思ってた以上に残酷なんだね……。
一人でしょんぼりしていると、ヒノちゃんが俺の肩に手を置いてきた。
「大丈夫ですよツム君、安心してください。この場合は店員の人に言えば、ちゃんと二匹貰えるはずですから」
「え? 嘘? ホントに?」
「本当ですよ。ちょっと呼んできますね」
そう言ってヒノちゃんは何処かに行ってしまうと、一分も掛からない内に店員と共に戻って来た。
ヒノちゃんが事の流れを説明すると、店員の人はUFOキャッチャーのショーウインドウを開けて途中で詰まっていた二匹を取り出し、ヒノちゃんに差し出して去って行った。
どうにかぬいぐるみは無事に確保。あぁ良かった。これで貰えなかったらキチガイ並みに発狂していたところだったぞ。
「良かったですねツム君。はい、どうぞ」
ヒノちゃんはニコッと笑い、二匹のぬいぐるみを差し出して来た。
「いや、俺はいいよ。ヒノちゃんにあげるよそれ」
「え? でもこれが欲しくてやってたんですよね? 可愛いですもんねコン太君」
「コン太君って言うんだそれ……。いや、別にそういうわけじゃなかったんだよ。確かこれってヒノちゃんが好きなキャラクターだったなぁって思っただけで……あ゛っ」
懲りずにまたやらかした。
「……へぇ」
ヒノちゃんがニヤニヤと笑い出した。病気か? 病気なのかこの口の軽さは?
「つまり私のためにコン太君を取ろうとしてくれてたってことですか? そうなんですか? どうなんですか?」
「ち、ちげーし! 今のは適当に理由を付けただけだし! なんで俺がヒノちゃんのためにここまでしなくちゃいけないのさ? 俺に役得なことなんて何もないのに、そんなお人好しなことを俺がするわけないじゃないか!」
「ぷくくっ……なんでそんなに焦ってるんですか? それこそ適当な理由だったりしません? 本当はもっと別の理由があったり……?」
「そんなことないですぅ〜! 今のが本当の理由ですぅ〜!」
「そうですか。それじゃそういうことにしておきますね。それと……はい、どうぞ」
あげると言ったのに、二匹のうちの一匹を差し出して来た。狐ではなく、偶然取れた狸のようなマスコットだ。
「コン太君は私が貰うので、ツム君はタヌ吉君を貰ってください。折角ツム君が頑張って取った物なんですから」
「そ、そう? それじゃお言葉に甘えて……」
タヌ吉君と言うらしいぬいぐるみを受け取り、ジッとタヌ吉君を見つめた。よく見たら可愛いなこれ。家に帰ったら目覚まし時計の近くに飾っておこう。
「ふふっ……お揃いですね」
「え? お揃い?」
「そうなんです。実はこの二匹、恋人同士という設定があるんですよ。コン太君が女の子で、タヌ吉君が男の子ですね」
「ぶっ!?」
思わず吹き出してしまった。いやいや落ち着け俺、恋人同士なのはぬいぐるみ達だけだ。お揃いとはいえ、そこに深い意味なんて何もない! 妙な想像力を膨らませるな!
「ぷくくっ……顔が真っ赤ですよツム君。何を考えてるんですか?」
「はぁ!? 別に赤くないし! 何も考えてないし! ヒノちゃんこそ、何か思うところがあったりするんじゃないの〜?」
「そうですね。ちょっと思うところはあるのかもしれません」
「はぃっ!?」
仕返ししてやろうと思いきや、見事にカウンターで返された。くそぅ、意味深なこと言いおって! またそうやって俺を弄ぶとは、なんて性格の悪い娘なんだ! いや決して悪い娘ってわけじゃないけども!
「それで結局のところ、ツム君は何を考えてたんですか?」
「掘り返さんでええわぃ! ほら、さっさと部屋に戻るよ!」
「ぷくくっ……はい」
俺は無意識にタヌ吉君を離さないようにしっかりと手に持ち、ヒノちゃんもまた、大事そうにコン太君を抱えて持ってくれた。
……苦労して手に入れたものだから、せめて大切に取っておいてくれたらいいな。
〜※〜
温泉旅館と言えば何か。その名の通り、温泉を想像するのが殆どじゃないだろうか。
食事場にて夕食を済ませて少し休んだ後、皆で温泉がある浴場へと向かい、男と女に別れて暖簾を潜った。その前にヒノちゃんが「ツム君もこっちに入ります? ぷくくっ……」と言ってきてイラッとしたが、その一時的な苛立ちもここで全て洗い流してしまおう。
服を脱いでタオルを巻き、浴場へと入っていく。
ふむふむ、流石は温泉旅館と言うだけあって、中は広くて設備も綺麗に整えてある。無論、外に続く露天風呂もあるし、しかも運の良いことに周りに人がいない。貸し切り状態とは願っても無い。
先に身体と頭を洗い流したところで、まずは泡風呂に入る。ぶくぶくと下から無数の泡が発生し、身体全体がマッサージされているような心地良い感覚に包まれる。
そう、これだよこれ。こういう癒しを求めていたんだよ。いつもいつもあの二人に振り回されて、心休める機会が全く無かった。しかし今は違う。こうして一人になって、何にも邪魔されることなく湯に浸かっていられる。こりゃ明日の早朝に入るのも決定だな。
ゆったり浸かった後に、また他の湯に移動する。そしてまた次の湯、次の湯と満遍なく温泉を堪能していく。
さてと、そろそろ本日のメインディッシュといこうじゃありませんか。温泉に来たからには絶対に欠かせない露天風呂を!
「……あれ?」
露天風呂に向かおうとしたところ、何故か入り口が二つに分かれていた。
取り敢えず左側の方を開けようとしたが、ドアには鍵がかかって入れなかった。
マジかよと思ったが、幸い右側は開いてくれたので、露天風呂を堪能できなくなるなんていう悲しき事態にはならなかった。多分あっちは係員専用の入り口だったのかな?
湯気が酷くて視界が悪いが、そう遠くない距離に露天風呂があった。結構な広さに少し高揚感を抱くと、冷える身体を摩りながら湯に浸かった。
「あ゛ぁ〜……」
やはり露天風呂は別格中の別格だ。外の空気を同時に味わえる湯の気持ち良さと心地良さ。ずっとここでこうしていたいと依存症になってしまいそうだ。そんなことしたら干からびて死ぬけど。
来る前はどうなるかと心配していたが、どうやらそれは杞憂に終わってくれたみたいだ。この温泉に入るだけでここに来て良かったと思える。
たまには良いことしてくれますねぇヒノちゃん。常にそうしてくれていたらどんなに嬉しいことやら……。
「おぉ〜、露天風呂も広い広い。プールまでとはいかないけど、十分に泳げるスペースあるんじゃないこれ?」
「駄目だよ天川さん。誰もいなかったとしても、マナーは守らなくちゃ」
「冗談だよ冗談。というか紫先輩? 天川さんじゃなくて、ミノと呼んでと言ったよねぇ? 学習しないとおっぱい揉んじゃうよ? うぅん?」
「ご、ごめんなさいミノちゃん。あははっ……」
……いやちょっと待って。何で聞こえてくるはずのない声が聞こえてくるんだ? しかも凄い近くから。
底知れない嫌な予感を抱き、丁度良く近くにあった岩陰に身を潜めた。暖かい湯に浸かっているはずなのに、どうして俺の身体はこんなにも震えている?
まさか……ここの湯って……。
ちゃぽんと数人が温泉に入ってきた音が聞こえ、同時に俺は湯気で隠れていた一枚の看板を視界に捉えた。そこにはこのように書かれてあった。
『3の付く日は混浴日!』
何処のスーパーセール!?
馬鹿げてやがる! なんでこれが外に立ててあるんだよ!? 普通入り口付近に置いてあるもんだろうが! ま、まさかさっき左側が開かなかったのって、今日が混浴日だったから!? 本来は左側が男湯限定の露天風呂だったと!? 余計な配慮しやがって!!
「ん〜、気持ち良い。誰も使ってないなんて運が良いなぁ私達」
当然の如く、ミノちゃんや由利村さんだけでなく、ヒノちゃんも温泉に入って来ていた。まずいまずいまずい。これは今日まで生きて来た中でも最大の窮地だ。
ここは混浴。合法的に女の子達と温泉に浸かることができる夢のような場所。ただ、それはあくまで肩書きだ。本来ならば、ここに男が入るだなんてナンセンスだ。
というか、普通なら混浴ってのは老人の人達が使う場所だ。そこに俺のような若者が乱入したらどうなるか。恐らく、ヒノちゃん達からはこんな風に思われることだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ツム君って実はオープンスケベだったんですね。やっぱりツム君もそこら辺の男の人達と同じ、獣だったということですか。正直幻滅です」
「ツム兄、流石に今回ばかりは引くわぁ。いくら彼女ができないからって、姑息な法律に乗っかって覗きとか……。妹として恥ずかしいわぁ」
「天川君……まさか天川君がそんな人だったなんて思わなかったよ。折角友達になれたと思ったのに、こんなことするなんて……。もう私の前に顔を出さないで欲しいな……」
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なるほど。もしも皆に見つかった時、俺は社会的にも人間的にも精神的にも抹殺されるってわけか。やばい、今にも吐血しそうだ。絶対に見つかるわけにはいかなくなったぞこれは。
今から俺は空気だ。気配そのものを消し、存在自体を無き者として立ち振る舞え。何も感じず、何も見ず、何も聞かず、地蔵の如くその場に固まれ。
しゃがんだ状態のまま両手を握りあわせる。早く出てって頼むから……。
「にしてもヒノ、また大きくなったんじゃない?」
「そうかな? 自分じゃ全然分からないよ」
「羨ましい体型ですわぁ。別に気にしてるわけじゃないけど、せめて私もBは欲しかったんだよねぇ」
「まだまだ間に合うよミノちゃん。カルシウム沢山取ればきっと……」
「あ〜、止めてくれます紫先輩? 貴女にそういうこと言われると嫌味にしか聞こえないんで」
「えっ!? ご、ごめんなさい……」
「謝るなら分けてくだされその巨乳成分。吸えば良い? 吸えば貰えるその成分?」
「ちょ、ちょっと待ってミノちゃん! ひゃん!?」
聞いちゃ駄目なはずなのに、何故俺の手は耳を塞いでくれない? 何故耳ではなく鼻を塞ごうとする? まるで今にも鼻血を出そうとしてるみたいじゃないか。
ミノちゃんから由利村さんにじゃれ合いにいっているようで、ばしゃばしゃと湯が跳ねる音と共に、由利村さんの“アレ”な声が聞こえてくる。
……これなんて拷問?
「ミノちゃんどうどう。女の子の魅力は胸だけじゃないんだから、そんなに焦ることないよ」
「ぶぅ……なら私の魅力って何さ? 言ってみヒノ」
「色々あるよ。例えば、一緒にいて楽しいとか」
「うんうん。他には?」
「他? そうだね〜……料理が上手でしょ? それと人のお世話も上手だよね。頭も良いし、運動神経も良い。きっと良いお嫁さんになれるよね。後は――」
「あの、ちょ、ストップストップ。もういいわヒノ。これ思ってたより恥ずかった」
あのミノちゃんをマジで照れさせるとは、恐るべしヒノちゃん。親友だから良い所を沢山知ってるんだろうけど、確かにこれは恥ずかしいな。しかも直接言われてるから余計に。
「私のことはもういいよ。こういう時はツム兄を話題に振ってあげよう。ここにツム兄がいないからこそ、話せることもあるっしょ?」
いるんだよここに! がっつり話を聞いちゃってんだよ! なんでよりにもよって俺を話題にあげるんだよ!? 間が悪いにも程があるわ!
「そう言えば、私達だけの時ってあんまりツム君の話ってしたことないよね。ちょっとしてみよっか」
「こんな機会はあんまりないからねぇ。紫先輩も言いたいことがあるなら、ここで全部吐いていっちゃいなYO〜」
「天川君の話……うん、良いよ。実は私も色々聞いてみたかったの」
止めてくれよ! 絶対陰口叩かれるパターンだよこれ! あぁもうテンション下がるわぁ……。悪口とか心折れるわぁ……。
……だけど気になってしまうのは、俺の性分だろうか? 一体人からどういう目で見られているのか、俺はそれがとても気になる性格なので、逆にこれは良い機会なのかもしれない。悪口出た瞬間に百パー寝込むことになるだろうけど。
「そうだねぇ……。ヒノとはたまに話してるからいいとして、ぶっちゃけ聞くよ紫先輩? 紫先輩から見て、ツム兄ってどんな人なんだい?」
まずは由利村さんへの質問か。どストレートなこと聞きやがってあの野郎……。
「天川君は……第一印象は優しい人だと思ったかな」
「これまた月並みな回答ですなぁ。どうしてそう思ったの?」
「えっとね。実は天川君とはあんまり接点が無かったんだけど、人目の付かない所で色んなことをしてるのを偶然見掛けたことがあったの。誰も手入れしてない花壇に水をあげてたり、掃除当番をサボられて困ってる人の手助けをしていたり……。それを見て親切な人だなぁ、って思ったから……かな」
おぉぉ!? 止めてくれ由利村さん! なんで知ってるんだよそういうの!? ヒノちゃんにですら隠し通せていたことなのに、どうしてバラしちゃうかなぁ!?
「へぇ、そんなことがあったんだね。でも意外とは思わないかな。ツム君はツンデレだから」
「そだね。ああ見えてツム兄をお人好しだし。ツンデレだけど」
誰がツンデレだ! ただ単に恥ずかしくて素直になれないだけだ! 決して俺はデレてなんていない!
「え? 天川君ってツンデレなの? 私はそんな感じはしなかったけど……」
「紫ちゃんは私達と違って純粋だからね。だからツム君も抵抗を感じないんじゃないかな」
「純粋って……そんなことないよ? それにヒノちゃんもミノちゃんも良い人だと思うよ?」
「ん〜、良い人とはまた別の話なんだよねぇ。性分って言えばいいのかな。私とヒノはツム兄を弄ることに生き甲斐を感じてるところあるからさ。紫先輩にはそういう概念なんて無いっしょ? つまりはそういうことだよ」
言っちゃったよ。俺を弄ることが生き甲斐って言っちゃったよ。後で覚えてろよあの野郎。
「一度だけでいいから、紫先輩もツム兄のこと弄ってみなよ。案外ハマるかもしれないよ?」
「あ、あははっ……私は遠慮しておくよ。もしかしたらそれで嫌われちゃうかもしれないし」
「大丈夫だよ紫ちゃん。もし一度弄っただけで嫌われるなら、既に私達は嫌われてるはずだから。でも私は本当に嫌われちゃってるかもしれないけどね」
「違っ――っ〜〜!!」
やっべぇ!? 思わず少しだけ声が!
「ん? 今なにか聞こえなかった?」
「気のせいじゃないかな? 私達以外に誰もいないんだし」
セ、セーフ! ホントに少しだけだったから、運良くバレずに済んだ! もう鼻血は大丈夫そうだし、ずっと口を抑えとこ。
「……あり? なんかあそこに看板がある」
「本当だ。この温泉の効能とか書いてあるのかな?」
「ほほぅ、私ちょっと見てくる〜」
一難去ってまた一難。三人の内の一人、ミノちゃんが湯を掻き分けて近付いてくる音が聞こえてきた。くっ、ここは湯の中に潜るしかない!
幸いこの温泉の色は真っ黒だから、潜れば容易に身を隠すことができる。不幸中の幸いとはこのことか!
俺は息を大きく吸い、咄嗟に湯の中に潜った。
それから後にミノちゃんがすぐ隣の方へ移動して来た。バレるんじゃないかという危機感を感じて、心拍数が早くなるのを感じる。
下手に震えちゃ駄目だ! 一部分の湯が揺れてるところを見られたら不自然に思われてしまう!
「えーっと何々……ありゃりゃ、ここって混浴だったんだ。一応バスタオル巻いといてよかったやんけ」
ちっ、俺の存在はバレていないが、ここが混浴だと気付かれてしまったか。これは余計にバレるわけにはいかなくなったぞ。
「二人共〜。ここって実は混浴らしいよ〜。男の人が入ってくる前に上がった方がいいんじゃないかねぇ〜?」
「えぇっ!? こ、こここ混浴!? ここって混浴だったの!?」
「へぇ、本当に混浴ってあったんだね。もしかしたらツム君もここに入って来るかも」
「あ、あま、あまあま天川君が!? ご、ごめん二人共! 私もう先に上がってるからぁぁぁ……」
赤面してるであろう由利村さんは、慌てて露天風呂から出て行った。
よしよし、照れ屋な由利村さんには堪えられなかったようだな。この調子で二人もとっとと出て行くんだ!
「混浴か〜……もしかしたら本当にツム兄も入って来るかもね」
「そうかな? ツム君の場合は恥ずかしくて入って来られないと思うけどなぁ」
「うーん、確かにそうだけど……でもそれを知らずに入って来てる可能性があるんじゃない? ほら、現に私達もここに入って気付いたんだし」
「あっ、そっか。だとしたら本当に入って来るかもね」
「くくっ……だったらさヒノ。この岩陰に上手く隠れて、ツム兄のこと待ち伏せしよ。それで驚かしたら絶対面白い反応するでしょ」
「ぷくくっ……確かにそれは面白そう。それじゃ私もそっち行こうかな」
ヒノちゃんも離れた場所から近付いてくる気配を感じた。更に災いが降り掛かり、男湯の入り口から隠れるようにするため、ミノちゃんも動いて俺の方へ近付いて来た。
俺は慎重にミノちゃんから逃げるように岩陰に沿って移動した。やがてミノちゃんが満足の位置に付いたところで、俺も動きを止めた。
だが、そこでまた災いに災いが降り掛かる。左側に座っているミノちゃんだけでなく、右側からヒノちゃんが近付いて来たのだ。
『やべぇ!?』と内心かなり焦った……が、ヒノちゃんは俺にぶつかる寸前のところで動きを止めて、岩陰に背を預けた。いちいち心臓に悪いんだよこの娘達!
しかし、これはこれで非常にまずい。完全に二人に挟まれてしまった。これじゃ下手に身動きが取れない。しかもそろそろ息が限界に近付いてきやがった。
この弄りコンビめが! 無駄なことしてないでとっとと出て行けよ! 出て行ってくださいよ! 割とマジで頼んでますよ今!
「遅いねツム君。もしかしてもう上がってるんじゃないかな?」
「いや、それはないわ。ツム兄は温泉に来たら必ず露天風呂に入る人だからさ。私達がここに来てまだ間もないし、そろそろ入りに来る頃合いだと思うよ」
「そっかそっか、流石ミノちゃん。ツム君のことは何でも知ってるんだね」
「そりゃぁ唯一無二の兄ですからねぇ。ていうか、ツム兄のことに関してはヒノも詳しい方でしょ。私が知らないことも知ってるだろうし」
「ふふっ、そうかもしれないね。ならツム君が来るまで、ここで情報交換でもする?」
「おっ、いいねぇそれ」
よくねーよ!! 出てけよ早く!! 息が苦しいんだよこっちは!!
「それじゃ言い出しっぺの私からね。そうだなぁ……ツム君の好きなバストサイズはCらしいんだけど、ミノちゃん知ってた?」
「え? マジで? それはツム兄にしてはレアな情報だねぇ」
なんでそんなこと知ってんだぁぁぁ!?
「結構最近の話なんだけど、ツム君が男友達とそういう話をしてるところを偶然見掛けたの。『一番触り心地が良さそうだよね〜』って、顔を赤くしながら言ってたよ」
「あははははっ! ツム兄むっつりだなそれ〜! 今度そのネタでからかってやろ〜っと」
はははっ……それを聞かれてたとか、マジで死ねるんですけど。現に窒息で死にそうだし今。
「なら今度はこっちの番ね。これは昔の思い出話なんだけどさ。小学二年生辺りの時に、ツム兄と二人で銭湯に行ってさ。男風呂の方に入って身体を洗った後、お風呂内を探索してたら珍しくも露天風呂があったことに気付いて、一緒に入りに行ったんだよね。で、隅っこの方に並んで座ったんだけど……ツム兄が座った真下のところに排水坑があったみたいで、それで玉袋を思い切り吸われたらしくてさ。それでツム兄が号泣したという話……くくくっ……」
「ぷくくっ……あははははっ!!」
いっそ殺してくれぇぇぇぇぇ!!!
「ごはぁぁぁ!!」
ついに息が限界に達し、精神的にズタズタにされた状態のまま飛び出してしまった。
終わった。俺の威厳とか、人間性とか、何もかも全てが。
「あっ、ようやく上がって来た。よく耐えたねツム兄」
「げほっ! げほっ! ……は?」
「一分以上は息を止めていたんじゃないですか? 凄い肺活量ですねツム君」
……嘘だろ? まさかこういうオチ?
「い、いつから気付いて?」
「私はこっち側に来て看板を見た辺りからだよ。私の察知能力を甘く見てもらっちゃ駄目だよツム兄」
「私はその後すぐにアイコンタクトでミノちゃんから教えてもらいました。笑いを堪えるのに必死でしたよ」
「酷い! あんまりだ! またそうやって俺を……っ〜〜〜!!」
そこでようやく俺は事態を理解し、咄嗟に二人に背を向けた。
忘れていた。今の二人はバスタオルを巻いているとはいえ、ほぼ裸であることに変わりはないということを。
「あれあれ? どうしたんだいツム兄? もしかして恥ずかしいの? 美少女二人の裸を前にして恥ずかしいの?」
ニヤニヤしながら真横から近付いて来るミノちゃん。こっちに関しては何ら動揺する要素はない。だって妹だもの。
「自惚れるなよミノちゃん。お前に照れるほど俺は落ちぶれてないんだよ」
「ほぅ……? つまり、今ツム兄が照れている要素はヒノの存在ということかね?」
「うぐっ……!?」
否定したいができなかった。他に誤魔化せるような要素が何も見つからなかったからだ。この目で見なくても、今ヒノちゃんがどんな顔をしているのか容易に理解できた。
「ぷくくっ……そうなんですかツム君? 私を見て照れてくれてるんですか?」
「ぐっ……あ、当たり前でしょーが! 女の子の裸なんて見たことなかったんだよ! ていうか、なんでヒノちゃんはそんな平気なの!? 恥ずかしくないの!?」
「そうですねぇ……少しは恥ずかしく思ってますよ? ほら、少し顔が赤くなってるでしょう?」
「見えないよ! ていうか見れないよ!」
「くくっ……テンパってますなぁツム兄。もしかして大っきくなってたりする?」
「お前は黙ってなさいセクハラ乙女!!」
「え? 何? セクハラ? 私は背筋が伸びて背が大っきくなってるって意味で言ったんだけど? 緊張したら背筋って自然と伸びるものだしね。だけどツム兄、一体何を想像したんだい? うぅ〜ん?」
いっそ八つ裂きにしたろか此奴……。
「ほらほら見てくださいよツム君。私の顔赤くなってるでしょう? ほんのり赤みが出てるでしょう?」
「だから見れないって言ってんでしょーが! 君は少し慎みを持ちなさい!」
「それはツム兄が言えることなのかい? 好きなバストサイズを暴露したりしてるのに」
「それはそっちが盗み聞きしただけだろーが!」
「すいませんツム君。私はまだBなので、ツム君の期待に応えるにはもう少し時間が掛かりそうです」
「いらん報告しなくていいから! そんなくだらない期待に応える暇があったら、親の期待に応えていなさい!」
「そういやおっぱいって異性に揉まれたら大きくなるって話だよね。ちょい揉んでよツム兄」
「ちょっとコンビニ行こーよ、みたいなノリで言ってくるんじゃない! お前は俺を犯罪者にしたいのか!? ていうか、止まらないねぇ二人共!? 止めてくれない!? 露天風呂に来てまで俺を弄るの止めてくれない!?」
「「それは無理です」」
「あらやだ息ピッタリ。なんて言うわけあるかぁ!!」
この後、俺が逆上せるまで二人に弄られることになり、癒されるために来た場所で疲労困憊に悩まされることとなった。
この恨みは忘れない……絶対に……。